密談と大いなる勘違い
深夜、子爵家別宅の一角に宛がわれた部屋に、人目を忍んで訪れる少女の姿があった。
夜分ではあるが、灯りのひとつも持っておらず、ただ純白のローブが暗がりにぼんやりと浮かんでいる。
少女が扉の前で立ち止まることしばらく、ノックをするまでもなく、扉はひとりでに開き、少女を室内に招き入れた。
室内は廊下同様薄暗く、部屋の奥に据えられた机の上の小さなランプだけが、唯一の光源だった。
部屋の仮初の主は椅子に座り、ランプの灯りだけを頼りに、分厚い本を読みふけっている。
少女が会釈をして入室するも、同じく純白のローブを着たその男は、本に落とした視線を上げることはない。
「仰せにより、罷り越しました。団長」
「報告を」
男はやはり視線を向けることなく、独白に近い声音で呟いた。
「まず、かの老魔導士ですが、このリジンの町では消息を得ること叶わず、また有益な情報も得ることができませんでした。おそらく、この町に潜伏しているとは考えにくいと思われます」
「個人的な予測はいい。事実だけを述べよ。それはこちらで判断する」
即座に飛ぶ叱責に、少女は身を怯ませる。
「し、失礼いたしました。差し出がましい真似をいたしました」
「よい。続きを」
「はい。次に、あの類稀な魔力を持つ者の素性ですが……魔術に関しては素人のようです」
「……確かか?」
「はい。わたしの持つ固有魔法――”
「あの魔力で、にわかには信じられんな。よもや
「…………」
少女も同じような結論に至ってはいたが、返事はしなかった。
その口ぶりが同意を求められているのではなく、単なる独白でしかないことは心得ている。
同じ轍を踏むつもりはない。
この世界には、固有魔法だけでなく、稀に超常的な力を生まれつき有する者たちがいる。
特徴としては、同じ超常の力ではあるものの、
真偽は定かではないが、人類の祖先が神族や魔神族の血を引いており、ひょんなことからそれが今世で発現するものだと囁かれ、畏怖の対象となっている。そのため、ついた呼び名が
伝説に謳われる英雄や、賢者、覇王の類は、この
そして、かのジュエル・エバンソンも、
「しかも、その者。固有魔法も有しております」
「なに?」
男はここにきて、初めて本を閉じ、顔を少女へと向けた。
「それについては、わたしがこの目で確認いたしました。恐るべき再現度の変化魔法です。一瞬にして、目の前で大熊へと変化してみせました。聞くところでは、熊の膂力すら再現できるようです」
「ほほう」
男が指先で机をとんとんと叩いている。
これは彼が上機嫌のときの癖であることを、少女は知っている。しかも、そういうときには、碌でもないことになることも。
「
男はにやりと顔を歪め、舌舐めずりをしていた。
しかし、それも一瞬で、すぐさま個人的な感情は、公人としての硬い鉄仮面に覆われてしまう。
「その固有魔法で、
「それもありません。かの者の名すら知らないのは、”
「では、当初の目論見どおり、
男はわずかに黙考した。
「この時期に、そのような稀有な者と、
「僭越ながら、個人的見解を含めて述べさせていただきます。一度、隠形魔術を施した上で、町での尾行を試みましたが、巧みに人気のない場所に誘導させられ、発覚の危険性があったため、断念させられました。言動は飄々としておりますが、その実、切れ者と判断いたしております。そして、意図は未だ不明ですが、領主代行に出会った即日のうちに取り入っております。その出会いの発端となった恐喝騒ぎも、その者の用意周到な仕込みであったと結論づけております。領主代行の性格、行動志向を入念に調査した上での、見事な手腕といわざると得ないかと。しかしながら、他国の者ではないようです。ただし、詳しい出自を聞き出そうとすると、慌てて逃げ出されました。よって、国内に於ける有力者の放った間諜ではないかと睨んでおります」
落ち着いた口調で、理路整然と少女は述べた。
「そうか。であれば、雇い主に真相を知らされず、この件に関与している可能性も拭えない、か。貴様の”
男は少女の返答を待たずに、すぐさま告げた。
「よし。町内での捜索はいったん打ち切る。街道封鎖、国外国内組織による逃亡幇助の調査は、予定通りに王立騎士団に委任する。閣下のご下命に従い、我らは引き続き、
「心得ました」
少女が恭しく礼をとる。
「退室を許可する」
「畏まりました。失礼いたします」
再び、頭を下げてから、少女は踵を返し、部屋から出て行った。
それを見届け、男は椅子にもたれかかり、読みかけの本を開いた。
静寂が室内を支配し、ランプの灯りに照らし出されて伸びた男の影が、不気味にゆらゆら触れている。
「存外、面白くなってきたものだ。くくっ」
男の呟きは、暗がりの中に解けて消えていった。
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