脳内さんの正体

 少女と見つめ合ったまま、2秒、3秒と時間が経過する。


 颯真は少女が叫び出すのを覚悟して待ったが、10秒が経過しても、その気配は一向に訪れなかった。


「おじーちゃん、どうしたの? ぽんぽん痛いの?」


 少女は可愛らしく小首を傾げていた。


 少女が発した言葉は日本語ではなかったが、颯真には当たり前のように理解できた。


(いや、そんなことより……おじーちゃんってなに?)


 颯真がふと視線を下げると、視界に自分の手が映った。


 ん? ――?


 そう、数日ぶりに目にした人間の手。

 颯真がぺたぺたと自分の顔を触ってみると、目があり鼻があり口があり耳がある。ついでに髭と頭髪の感触もある。


 開いた窓ガラスでもう一度確認してみると、そこに映るのは人間の顔だった。

 正確には皺だらけの老人の顔。


(こりゃ、確かにおじーちゃんだわ)


 とりあえず納得し、颯真は意識して笑みを作ると、少女に語りかけた。


「ああ、わりぃのう、お嬢ちゃん。ちょっと気分が悪くなってしまってのう。もう大丈夫じゃわいな。てことで、んじゃあな!」


 颯真がイメージする老人像だったので、なにやら怪しげな口調になってしまったが――幸い、幼い少女には気取られなかったようだ。


「ばいばーい」


 陽気に手を振る少女に見送られ、颯真はそそくさとその場から離れた。


 普通に喋れた。しかも、颯真の口から飛び出した言葉も日本語ではなかった。


 一刻も早く現状を確認したかったので、颯真は今度こそ人気のない場所へ移動した。

 窓は危険なので、打ち捨てられた桶に溜まった水を鏡とし、覗き込んでみる。


「誰? このじーさん?」


 まあ、今は颯真自身ではあるのだが、水面に映った見知らぬ顔を前に、颯真は呟いていた。


 魔術師が着ていそうな黒ローブ姿の、齢90近くはいってそうな白髭白髪の老人だ。経年というよりも、苦悩や苦渋といったもので刻まれた皺が顔面を覆う中、眼光だけはやたら鋭い。よぼよぼとした印象からは程遠く、むしろ剣呑な雰囲気を醸し出している。


(もしかして、これが脳内さんの正体?)


 偶然とはいえ擬態できたということは、自覚ない間に捕食していたということか。

 颯真となる前のスライムが捕食していたという可能性もある。


 これまで自然と浮かんでいた不可思議な数々の知識の源は、この老人のものなのだろう。

 意識した今となっては、それも自然に理解できる。

 どうやら、高い知的生命体を取り込むと、こういった副効用があるらしい。


 なんにせよ、人間の姿になりたいという颯真の願いに、スライムの本能が反応したということだろう。

 こうして容易に人間形態になれたのは嬉しい誤算だ。これで余計な罪悪感も懊悩も抱かずに済む。


(問題は……ちーっと、じいちゃん過ぎなんだよなぁ)


 見た目は老人でも、中の人颯真は18歳の少年だ。

 言動にはどうしても年齢の齟齬が出る。

 そもそも演技派ではない颯真は、すぐにボロを出す無意味な自信もある。


 どうにかできないかと悩んでいると、不意に顔が歪むような奇妙な感覚があった。

 もしやと思って颯真が再び桶を覗くと、明らかに顔の皺が減っていた。


(やった。なんだかコントロールできそうだぞ、これ!)


 感覚的には、スライムボディでの流体形に変化するときのようなものだ。

 身長を伸ばしたり骨格を変えたりは無理そうだが、表面上の微調整くらいは可能らしい。


 顔や身体の皺を消して肌の張りを調節。曲がった背骨や腰を伸ばして姿勢を矯正。がりがりの老いた身体に、可能な範囲で筋肉の厚みを付ける。


 そうして改造が終了し、完成したのは、ひとりの精悍な青年だった。

 見た目の年の頃は22歳くらい。

 本当は以前の颯真と同じ年齢まで戻したかったが、成長しきった骨格――特に顔の骨格の関係から、ここくらいが限界だった。

 このくらいの年の差なら、大した齟齬も生まれないだろう。


 ちなみに、服は体組織の一部で作られた模造品だったので、目立つローブ姿はやめて、町中で見かけたような平凡な服装に変えておいた。


(にしても、こいつ、腹立つくらいイケメンだな。あー、やだやだ。格差社会は)


 結果的には、元の老人を若返らせただけになるので、これがこのままこの老人の若かりし頃の姿となるのだろう。

 さぞかしモテたに違いない。


 なにはともあれ、こうして異世界を探索する準備はできた。

 さあ、町に繰り出そう!


 意気揚々と歩き出す颯真だったが、風に吹かれて飛ばされてきた1枚の紙――手配書と銘打たれた紙に描かれていた似顔絵が、先ほどの老人と瓜二つだということには、ついぞ気づいていなかった。

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