理想の生活7

 仕方なしに客間を開ける。みぞれさんが部屋の整理や布団の用意を手伝ってくれるというので、ありがたく申し出を了承した。

「……みぞれさんは瞬間移動使わないんですね」

 押し入れから布団を出すのに、普通に手を使っている。

「あれ、お姉ちゃんだからできる芸当だよ? 完全記憶と超越演算の両方が揃ってないとダメ。凄いだろう僕のお姉ちゃんは」

「凄い人だっていうのは、出会った日から知ってます」

「ふふん」

 凄く嬉しそうだ。

 お姉さんが本当に大好きなんだな。……愛の方向と濃度が間違っている気がするが。

 みぞれさんは、マットレスと敷布団、シーツをセッティングしている。

「タオルケットと掛布団と……あと毛布かな。ヒーターあるんで、寝る前はタイマーで温めるとかしてくださいね」

「うん。……ねえ、ヒーターの取っ手舐めていい?」

「ヒーターに限らずそういうことしたら問答無用で出てってもらいますからね」

「冗談だよ!」

 全く冗談に聞こえなかったのだが……まあ、ツッコミを入れても無駄だろう。

「枕も出しときますね。種類あるんで、寝やすいのを試して選んでください」

「ありがと」

 彼女は、翰川先生も使っていた小型ヒーターを撫でながら呟く。

「お姉ちゃんと会えないなんて寂しいな」

「鏡見れば、翰川先生と同じ顔が映ると思いますよ?」

 なんせ遺伝子が同じな双子だ。そっくりである。

「僕とお姉ちゃんは全然違う。僕なんかとは一線を画すほどに美しい魂そのものがその見た目に現れていて、頭のてっぺんからつま先まで余すところなく――」

 余計な茶々を入れた自分を張り倒したくなった。

「――つまりお姉ちゃんはこの世にある美しいものすべてに勝るんだよ。そんなお姉ちゃんに、ちょっと見た目がそっくりだからって僕みたいなのが及ぶはずがない。お姉ちゃんは可憐にして美麗。無邪気で優しい性格と卓越した頭脳すべてが調和して――」

「……」

「光太、ちゃんと聞いてるの!?」

「はいもちろん」

 スマホをポケットの中で操作し、翰川先生の番号を呼び出した。

『もしもし?』

「――ッ‼」

 凄いな。ポケット越しで音声を聞き取った。

 ポケットから出してスピーカーモードにする。

「俺です。光太」

『うん。今日はたくさん電話をかけてきてくれるんだな』

「すみません、大丈夫ですか?」

『休日だ。別に構わないよ。どうした?』

「実は……」

 スマホをみぞれさんの前に差し出す。

「っ……お、お姉ちゃんっ!」

『みぞれ?』

「うん。みぞれだよ」

『まだいたんだな。移動は大丈夫なのか?』

「大丈夫。光太がね、快く泊めてくれた。お姉ちゃんとおんなじに、家庭教師するんだ」

 快くという表現には大いに語弊がある気がするが、わざわざツッコミを入れて疲れることもない。

『そうか。良いことをしたな。ただ、光太に迷惑をかけてはいけないぞ』

「かけないよぉ。お姉ちゃんは僕を子ども扱いして……」

 いちゃいちゃと嬉しそうな会話の締めは、明るい告白。

「お姉ちゃん、大好きだよ!」

『ありがとう。僕もみぞれが大好きだ』

「お姉ちゃん……」

 物凄く幸せそうな顔で呆けているみぞれさん。スマホの回収は潔く諦めよう。

 俺はその横をすり抜けて、台所に向かう。

「……さて、昼飯作るか」

 お腹がすいてしまった。

 疲れていたので、冷凍庫にストックしてある刻み野菜とパスタを共に茹でる。

 ベーコンをバターで炒め、茹で終わった麺の湯を切って投入。作り置きのニンニク醤油と料理酒で味付けし、皿に盛り付ける。

「どうぞ」

「わーい!」

 今の『わーい!』、翰川先生と全く同じだった。

「……うん。美味しいよ。本当に料理上手なんだね! キミのご飯の評判はいろんな人から聞いてたから、食べてみたかったんだ」

 褒められると照れてしまう。

「いろんな人って。翰川先生以外に居るんすか?」

「シェルとかシアとか」

 あー……そういや、ゲームの合間に軽食作ったりしたな。その二人とも交流があるのか。

「仲良いんです?」

「苦手ー……僕がお姉ちゃんに愛を叫んで愛故の行動を起こしたら『見苦しいからやめなさい』って説教するし」

 さもありなん。

「だいたい、あの二人仲悪いくせに息はぴったりなのズルいよね。シアを盾にシェルの説教逃げようとしたら、シアに逃げ道塞がれてシェルに追い付かれてさ。二人がかりで大説教だよ」

「……憎みあってる一方で相思相愛らしいですよ」

 あの双子は、お互いを心から敬愛していながらも、これ以上もなく憎しみ合っている。複雑な関係だ。

「ふん。……ほんとは仲良くしたがってるくせに、『会いたくない』だのなんだの言い訳して……」

「……?」

「あ、知らないのか」

 彼女はくすりと笑って、しかし首を横に振る。

「でも僕が勝手に言っていいことじゃないや」

 ご馳走、と手を合わせる。

「さて。お皿洗ったら勉強しようか」

「お願いします」



「今年の問題は僕が作ってるよ。なので、物理だけは教えられない。守秘義務に抵触するかもしれないからね」

「翰川先生は教えてくれましたけど……」

「お姉ちゃんの担当は最終問題だけだし、完全記憶だから自分の記憶が公的な証拠になり得る。僕はそこが危ういから、キミに迷惑をかけるリスクを鑑みてやめておきたいのさ」

「おお……そうなんですね」

 思ったよりきちんとしていて大人だ。

「そうだとも。で、物理以外で苦手だと思ったり、不安に感じてる科目はある?」

「数学っすね」

「了解だ」

 この口癖も同じなんだな。

「過去問、何割取れた?」

「5、6割……」

「いい感じじゃないか。お姉ちゃんとシェルがスパルタしただけあるね」

「や、まあ、そうなんすけど……6割は、難易度が低めで自分もそこそこわかってる分野の問題が来たときだけなんです。いつもは良くて6割弱で」

「自虐はほどほどにね。うちの大学、難易度がトチ狂うことは稀によくあるよ」

 稀によくある……?

「まあまあ。明日は京ちゃんとデートなんだろ?」

「ふぐっ」

「今日はサクサクと軽めに進めて、落ち着いたら京ちゃんや佳奈子ちゃんとも勉強会をしようじゃないか」

「う、うっす」



 みぞれさんは、翰川先生やシェルさんとはまた違ったスタンスの名コーチだった。

「未知に直面してわからないと感じるのは当たり前。難しいと感じるのも普通」

「は、はい」

 優しい励ましが心に暖かい。

「お姉ちゃんとシェルは、それぞれ方向性の違う怪物だ。一を知って十を知るを地でいく天才。……二人とも生まれつきそうだし、周りがそれを望んだから特化してる」

「…………」

「お姉ちゃんはわからない人の気持ちはわかっても出来ない人の気持ちはわからないし、シェルはその逆」

 つくづく、翰川先生とシェルさんは対照的だ。

 科学と魔法、明朗と沈着……相反する要素をあれこれ持っているが、本人たちは至って仲が良い。

「実はキミと一番近いのは僕やリナリアなのさ」

「えっ……」

 二人とも天才型だと思うのだが。

 彼女はちっちっちと指を振る。

「確かにリナは天才だけど、理数の天才じゃない。育てのお姉さんの助けになろうと勉強を始めて、それが暗号と鍵の才能の開花に繋がったんだよ」

「へ、へえ……」

「僕はお姉ちゃんに追いつくために猛勉強したよ。演算しか積んでない僕じゃあ、頭に高性能な電卓があるだけだ。必死になってやったとも」

「お姉さん思いなんですね」

「や、やだ。お姉ちゃんとラブラブだなんて……」

 そこまでは言ってない。

 俺の生温い視線に気付いた彼女が咳払いする。

「ん、ごほん。……そんなわけで、努力すればいつかは未知の問題も理解できることを僕は知っている」

「……」

「寄り添って引っ張っていくから。よろしくね」

「はい!」

 そんな挨拶から始まった彼女の教え方は、宣言通りに生徒に寄り添うものだった。

 複数の分野を統合した視点を要求される問題でも丁寧に解剖して、パーツごとにすべきことは決まっており、焦ることはないのだと伝えてくれる。

「名選手が名監督になるという方程式は必ず成立するわけではないけど、あの二人は名監督だ。そうでしょ?」

「鬼監督でしたけどね……」

 片方は種族が本物の鬼だが、本人も鬼畜と名乗るので許してくれるだろう。

「ふふ。……ま、相性の問題なんだろうね」

「相性ですか」

「そ。野球に憧れ始めた小学校低学年に、プロの水準を要求する鬼監督を打ち当てるのはどう考えても不合理。そういうことだよ」

「……確かに、そうでした」

 シェルさんは佳奈子とは相性が良かった。佳奈子は模試の理数で全国トップの点数を取れる。

 シェルさんからの罵倒成分もなく、どこか抜けた会話をしながら数学を教え教えられる関係が成り立っていた。

「今なら、出会った当時よりスムーズに教わることもできるでしょう。頑張ったね」

「ありがとうございます」



 休憩の時間になると、『クレープ焼いて』と言われたので、底の浅めなフライパンで焼き始める。

 彼女はカウンター側からワクワクそわそわと調理経過を観察中。……翰川先生と同じことしてめちゃくちゃ可愛い。

 焼き目がついたので、ヘラをそっと挿し入れて生地を皿へと滑らせる。

「わー……☆!」

 可愛いなあ。翰川先生の皮かぶった変態なのに可愛い。

 焼きたての生地にクリームを盛ると溶けてしまうので、適温になるまでホイップの容器を振りながら少し待つ。

「具とソースにリクエストは? イチゴ、バナナ、チョコチップ……フルーツソースとかありますよ」

「具とクリームは全盛り。ソースはマンゴー!」

「ういーす」

 ホイップで土手を作り、具を並べて固定していく。チョコチップとアーモンドスライスを散らし、マンゴーソースをかけて生地を畳む。

 包み紙に入れて手渡す。

「どうぞ」

「ありがとっ!」

 きゃあきゃあと喜ぶ。可愛すぎて、翰川先生シックだった俺には過剰摂取だ。

「なんでこんなに上手なの?」

「高2の学祭がクレープの出店で……」

「そりゃすごい。さぞかし人気だったろうね」

「女子のデザイン力様様っすよ」

 無地のクッキーにチョコペンで動物の顔を描いて差し込んだクレープは、女性客を中心にバカ売れした。

 男子用には、甘み抜きの生地に千切りキャベツと焼いた肉類を詰め、ソースをお好みで選べるクレープを作ると、それもまた売れた。

 写真を見せると、みぞれさんが納得する。

「女性向けと男性向けで生地の畳み方を変えてるんだね。軽食にもなるし……目の付け所がいい。これは売れるよ」

「文化委員二人のマーケティングの賜物です」

 俺の他に数人、器用で料理がそこそこ上手いやつが性別関係なく引っ張り出され、美術部員がクッキーの顔を担当。

「クレープって扱いにコツがいりますからね。破けたのを出したら評判落ちますし」

 普通の料理とはまた違った、慣れという名のスキルだ。クラスメートの前で選抜試験を受けたこともある。

「ふっふ……ほ、本気だねえ、キミのクラス」

「売れたら打ち上げが豪華になりますんでね。……で、終わってからも佳奈子とか友達にリクエストされるようになったんです」

 クレープ用の紙があるのもそういうことである。

「いやー、笑った。……来て良かったよ」

 喜んでもらえて良かった。



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