第2話 出会い
厳しい寒さの続く一月の放課後、高校の美術部の生徒たちは二月の作品展に出す絵の制作に追われていた。
もちろんそれは私も例外ではなく、私は画材一式を持って、街の近くにある高台へ向かっていた。
作品展の課題テーマは「思い出」。皆それぞれが、お世話になった人や思い入れのある街の景色などを描いている。
私が今向かっている高台からの景色は、特に思い入れがある訳でもない。そもそも、高校生活そのものに思い出がない。
なので、それっぽい場所でそれっぽい絵を描いて終わらせようと、なるべく景色がよく、そして人があまり寄り付かない静かな場所を街から探した。
この町は山も海もあり景色がいい場所はそこそこあるのだが、それ故に観光で訪れる人も多いため、人が来ない場所を探すのには苦労した。
ようやく見つけたその高台は見晴らしはいいものの、坂や階段を多少登った所にあるため、わざわざ登ろうとする人はほとんどいない・・・・・・はずだった。
何故か、今日に限って、そこに男は立っていた。
大きなリュックサックと、剣道の竹刀ケースのような物を背負った、ベージュのコートの若い男性。
その手にはカメラが握られており、高台から夕方の街を撮影していた。
ふと、高台まで登ってきた私に気づいたのか、男は柔らかな笑みを浮かべて私に話しかけてきた。
「こんにちは。キミもここの景色を見に来たのかい?」
「いえ、私は絵を描きに来ただけですが・・・・・・」
なるべく淡白に、興味が無さそうに私は答える。
正直私は、あまり他人と話すのは好きじゃない。
だから人が来ない場所を選んだのに、そんな私の感情を知ってか知らずか、男はさらに話しを続ける。
「へぇ、絵描きなんだね、キミ。僕は写真家をやっている者でね、ここで会ったのも何かの縁、キミが絵を描く所を少し見てもいいかな?」
「えぇ・・・・・・まぁ、大丈夫です」
私はコートの男の提案に了承してしまった。
理由はわからない。しかし、この男から感じる何かに、私は少し気を許してしまっているのかもしれない。
私は持ってきた画材一式をベンチに広げ、イーゼルの上にキャンバスを乗せて黙々と構図を練り始めた。
時々鉛筆でキャンバスに線を描きつつ、ひたすら風景やキャンバスとにらめっこをする。
そうして構図が決まったら、慣れた手つきでキャンバスに線を引いていき、一時間程経ったころには下書きが完成し始めてきた。
「絵、上手いんだね」
後ろにいる男は私の下書きを見て、そう漏らした。
「ありがとうございます」
私は変わらず淡白に答える。
正直、そんな言葉は今まで何度も聞いてきたし、別に嬉しくも無かった。
私にとっては、この絵にも、その言葉にも何の価値も無いのだから。
「絵を描くのが好きなのかい?」
しかし今の一言は、私を少しだけ動揺させた。
そんな事を聞かれたのはいつ以来だろうか。
「別に、好きで描いてる訳ではありません」
私は、その問いかけに否定で答える。
本心だった。私は、母が死んだあの日から、一度たりとも絵を好きだと感じた事は無い。
男は不思議そうな顔をして、再び私に問いかける。
「それなら、何故キミは絵を描いているんだい?」
「それは・・・・・・」
正直なところ、自分でもよくわからない。
母を亡くして、一番褒めて欲しい人はもう居なくて、なのにどうして、私は絵を描き続けるのだろうか?
「理由なんて、ありません」
そう答えると、男はさらに不思議そうな顔をする。
「それはおかしいな。だって、キミは今も絵を描き続けている。人間という生き物はね、意味も価値も感じない事を続けようとはしないんだよ」
確かにそうだ。自分がこうして絵を描き続けている以上、自分が気づいていないだけで、何らかの理由を既に持っているという事になる。
「なら私は、どうして絵を描き続けているのでしょうか?」
私は、その答えを知りたくなった。
なぜだか、この人と話せばその答えも見つかりそうな気がした。
「ふむ・・・・・・、僕もそれを知りたいのはのは山々だが、今日はこれでお開きにした方が良さそうだ」
ふと空を見ると、夕日の茜から夜の暗闇へ、ちょうど移り変わっている最中だった。確かに、そろそろ帰宅しないと怒られそうだ。
そう思う私の横で、男はポケットから名刺を取り出し、私に差し出した。
「僕は個展を開くために、しばらくこの街に居る。だからまた明日、キミの絵を見せてくれないかい?」
私は男の名刺を受け取り、「はい」と返事をする。
その後軽く別れの挨拶をして、男は去って行った。
私は、手元に残された名刺を見る。
「写真家、椎名信也・・・・・・」
なんだか不思議な人と知り合ってしまった。
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