第10話 竜種

 ミリオンたちがバーゼにやって来た前日。

 二等冒険者アブル・アムステラは、三等冒険者2人を引き連れて、四方を山々に囲まれてるバーゼの北、セプテン山の中腹で野営を終えて朝を迎え、これから目的地の洞窟へ2人とともに潜ろうと計画していた。


 アブル・アムステラという男は非常に慎重な男だ。彼が1つ依頼を受けるならば、どんな依頼でも事前準備に最低でも3日はかけるし、少しでも不安があるのならば、絶対に無茶はしない。

 アブルは冒険者仲間に「銀貨3枚の依頼の為に銀貨4枚を使う」なんてからかわれることがある。実際にそんな馬鹿なことはしないが、それだけ自他ともに認めるほどの慎重さを持っていたし、その慎重さがアブルを二等冒険者たらしめていた。


 今回の依頼――セプテン山の中腹の洞窟の中にしか生えない薬草の採取だって、他の二等冒険者1人、三等冒険者2人のパーティーならば、1日で洞窟のある山の中腹まで登って、次の日に洞窟で採取を行い、半日で下山する。だいたい2日で終わる依頼だ。

 しかしアブルはまず中腹へと登るのに2日かけた。山で夜に動かないようにするのは常識であるが、アブルはほんの少しでも道に影が差したら、冒険を止めてすぐさま野営の準備に移った。遠くから何かの鳴き声が聞こえようものならば、例えそれが動物ものであるようでも、接敵を避けるため、アブルしか知らないような迂回路を通った。

 

 今回、そんなアブルに同行を求めたのは三等冒険者2人、イーとセコの方であった。もちろんイーとセコはアブルの評判を知っていたし、どんな風に依頼をこなすのかは噂に聞いていた。その慎重さと依頼遂行率の高さを信頼して、アブルに依頼の報酬の3分の2の支払いを約束して、同行を求めたのである。何よりイーとセコは北の山の洞窟には一度も来たことが無かった。


 しかし何事も、噂で聞くのと実際にやるのとは違うものだ。明らかに鳥が鳴いているだろうと推測できるのにも関わらず、その正体が目視出来なければ、アブルは迂回路を選択する。

 そんなアブルにイーとセコは不満を募らせていった。しかし自分たちは件の洞窟へは行ったことがない。どこに洞窟があるのかわからない。だから不満を募らせつつも、アブルの後を大人しくついて歩いた。

 つまりこうして、洞窟の近くで野営を終えた今、二人にとってアブルはもう用済みだった。3分の2の支払いは重過ぎる。知らんふりを決めてしまおうと、アブルが目を覚ます前にイーとセコは、洞窟へと向かった。


 イーとセコが洞窟へと向かった20分後、アブルはひとり目を覚ます。

 ひとり目を覚ましたアブルは、しばらくぼーっとしていたが、同行者が寝泊まりしていたはずのテントが、もぬけの殻になっているどころか、すでに跡形も無くなっているのを見て、アブルはしてやられたと思った。

 アブルは思わず頭を抱えた。アブルの慎重さに嫌気がさしてこういうことをする奴らは初めてではない。だがイーとセコはとても大人しく自分の後ろを着いてきていたので、慎重なアブルには珍しくつい油断していた。

 こういう不義理を一度許すと、冒険者は舐められるものだ。アブルは少しばかりお灸を据えてやろうと、二人を追いかけることに決めた。アブルは置いておいた短剣を腰に据え、冒険用の皮の鞄を肩にかけると二人を追うために歩き出した。

 幸い二人の足跡は洞窟の方へと向いていた。



 洞窟の中に入ったアブルはほんの僅か歩いただけで、洞窟内の異常に気づいた。

 太古の昔の火山の噴火で出来たその洞窟は、入口からして、縦に成人男性4人分くらい、横にその倍くらいと巨大な洞窟であり、1時間は踏破に時間がかかるほど奥にまっすぐと続いている。

 入口付近は苔に覆われていて、つるつると滑る。

 内部はどこからか地下水が流れ込んでいるのか、じめじめとしていて、天井からはぽたぽたと水滴が落ち続けている。しかし洞窟内の気温は低く、ひんやりとしているので、あまり不快感はない。

 

 だが、アブルが洞窟に入るといつもより、明らかに洞窟内の温度が高く、水滴もあまり落ちてこない。上を見上げるとボコボコの岩肌が渇いているようであった。

 そしてしばらく進んでも、洞窟内に生息するバシリスクなどのトカゲのような魔物が、全く襲ってこない。


「火魔法でも使ったか……? 」


 洞窟内にアブルの独り言が反響した。強力な火魔法を使ったなら、洞窟内の温度が少し上がって、水滴も少なくなるというのはありえる。

 しかしアブルは自分の独り言に首を振った。

 アブルはイーとセコに洞窟内はガスがたまってる可能性があるから、火魔法だけは絶対に使ってはいけないと念を押していたし、そもそも2人はアブルと同じ剣士だったはずだ。

 それに洞窟の気温を上げて、水滴も蒸発させるほどの火魔法を使える冒険者なんて数えるほどしかいない。当然、イーとセコはそれに当たらない。


 しかし何か異常が起きているのは確かだ。それでもこの近辺の魔物の強さを考えると、特にそこまで心配する必要はないかなとアブルは結論を出した。経験則から言って、一地域の魔物の強さが突然変化するなんて、ほとんどないのだ。







 チャリン、チャリン、チャリン。


 そうして、しばらく洞窟を進んだアブルだったが、一本道を奥へと大分歩いたところで、右足のつま先に何かが当たった。

 アブルのつま先に当たったなにかは金属片が転がるような音を立ててながら、ころころと転がった。明かりのない洞窟の中、目を凝らして見れば1枚の硬貨のようで、洞窟のごつごつとした地面をふらふらと揺れながら転がっていった。

 アブルは別に守銭奴というわけでもないが、ころころと転がる小銭を追いかけてしまうのは人間の習性のようで、こんな状況のアブルもまた中腰でその硬貨を追いかけた。

 アブルは意識していなかったが、洞窟内は少し傾斜があったようで硬貨は洞窟の奥へと転がっていく。アブルは必死に足を延ばして、硬貨を止めようと上から思い切り踏みつけた。

 やっとの思いでその硬貨を止めて、アブルは自分の足の下を確認する。そして地面にある硬貨を親指と人差し指で摘まみ上げて、顔の前へと持ってきた。

 顔の前の硬貨はどうやら金貨であった。見たことの無い意匠で、どこの国の金貨かは分からなかったが金貨は金貨だ。

 誰が落としたのかは知らないが、2人の冒険者の面倒をここまでみたのだ、このくらいの手間賃はあってもいいだろうと、アブルはポケットにその金貨をしまった。




「なんだぁ、もう1人いたのかゴミムシ 」


 そんなアブルの前方から、何か赤いものが飛んできた。アブルは咄嗟に、飛んできた何かを避ける選択をし、右に倒れ込むようにして、それを避けた。

 倒れ込んだせいで洞窟の岩肌で頬がかすれ、血がにじんだ。

 しかしアブルはそれを気に留めることも無く、何が起きたのか数舜前まで自分がいたところを見た。


 するとそこは、地面がドロドロと溶岩のように溶けていた。それを認識した瞬間、アブルの顔もまた高熱にさらされたように熱を帯びた。

 同時に溶岩の明かりでアブルの視界がにわかに明るくなった。


 アブルはその明かりを頼りに周りを見る。まずアブルが目にしたのは、溶岩の明かりを反射してきらめく、大量の金であった。

 金貨はもちろんのこと、金の盃や金でできた食器、グリフォンを模したであろう金の置物など多くの金が積まれていた。


 そしてその傍らで溶岩を作り出しただろう正体が、溶岩と同じ真っ赤な目でこちらを睨みつけていた。体の色は黒に近いのか、溶岩の明かりだけでは全体像はつかめない。目の赤だけがぼんやりと輝いている。


「……ど、ドラゴン? 」

 

 アブルはその赤い目を見て、その心当たりを口にした。


「なんだ、人間? 」


 戯れなのかアブルの声にその正体が答えた。アブルの背骨を揺するような低い声が響く。

 自分で答えといておかしくなったのか、その声の主はがふっと噴き出すような笑い声をあげた。

 笑い声に合わせて、口元で炎が揺れる。


 その炎の明かりでアブルは、ついに声の主の全体像をとらえる。予想通りその正体はドラゴンであった。

 大岩をも思わせる巨体は洞窟いっぱいにその翼を広げ、トカゲのような尻尾はせわしなく動いている。

 口元ではアベルの鍛えられた太ももよりも太い、鋭い牙が何本も並んでいた。


「お前もさっきのやつらと同じ冒険者ってやつか? 」

「さ、さっきのやつらとは? 」


 奥歯をガタガタと震わせながら、アブルは答える。アブルは全身が死への恐怖に染まっていくのを感じていたが、目の前のドラゴンの問いかけに答えなければ、それこそ死ぬだろうと必死で返答した。


「さっき俺の大事な大事な金を持ち去ろうとしていた奴らだ、知り合いか? 」

「ぐ、具体的にどんなやつか聞かないと、わ、わからない。ど、どんなやつらだ? 」

「ぐはははは、面白いことを言うな、人間。俺が人間の見た目の区別がつくわけないだろう。お前は俺らの同族の区別がつくのか? 」


 何かが緩んでいるのか、ドラゴンが笑うと口元から炎が漏れる。その炎の熱波がアブルの身を焼くような錯覚を引きおこした。


「……そ、そいつらと俺はし、知り合いじゃない! 」

「そうか」

「ち、ちなみにそいつらはど、どうなった? 」

「俺の金を盗もうとしていた奴らだぞ、どうなったかわざわざ言う必要があるか? 」

「……」


 アブルはその末路を想像し、このままだと自分も同じ末路をたどるのだろうと考えて、もはやここにいる義理もないとすぐさま逃げ出そうと振り返った。

 しかしアブルを襲った恐怖は想像以上で、震えて手足が思うように動かない。アブルは持っていた短剣で肩をなぞって、震えを無理やり止めた。なぞった線にそって血がぽたりと流れる。おかげで手足の自由を取り戻したアブルは来た方向に向かって走り出した。


「ぐはははは、やはり面白いな人間。逃げられると思っているのか? 」


 アブルの一連の行動を興味深そうに眺めていたドラゴンが大声で笑った。また炎が漏れたのか、アブルの背中を漏れ出た炎がわずかに焦がし、アブルは背中に小さくない火傷を負う。


「ぐはははは、うっかり炎を吐いてしまったか。まだ殺るつもりはなかった。お詫びに少しだけ待ってやろう」


 ドラゴンはそう言って舌なめずりをしてから、その場に止まった。

 アブルはそれを聞いて、決死の思いで走った。走りつつ、肩にかけていた鞄に手をかける。

 アブルは慎重な男だ。もちろん洞窟内で魔物に囲まれたとき様に万が一の備えを持って来ている。暗い洞窟の中で出てくる魔物にとって、一番有効なのは強い光である。

 アブルは光玉と呼ばれる、強い光源を発する魔法具を取り出して、それを地面にたたきつけた。


 その瞬間、光玉が爆発し、洞窟の中を昼間のように照らした。


「ぐおっ、何だこれは!? くっそ、くらえ!! 」


 その光の発生源をアブルとすぐに断定したドラゴンは、先ほどの発言を覆し、走るアブルに向かって大量の炎を発した。

 しかしその炎は咄嗟だったので、ドラゴンも加減を間違えたらしく、洞窟の天井まで広がり、岩をドロドロととかす。

 その溶けた溶岩が上から降り注ぎ、黒い煙を立たせた。


「ふんっ、まあ死んだか」


 自分の放った炎とその煙によってアブルの姿を見失ったドラゴンは、どっちにしろ死んだと判断した。




 しかしアブルは慎重な男である。慎重な男は万が一に備えて、逃げ足だけは一等冒険者並みに鍛えていた。

 命からがら洞窟から逃げ出したアブルは、火傷などの大きな傷を負いつつも、そのままなんとか下山した。ポケットに小さな重みを載せたまま。

 重症のアブルによって、洞窟内にドラゴンがいたという報告が、バーゼの冒険者ギルドにもたらされたのは次の日の昼頃である。

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