フェンリ/エミーリアと侍女 関連小品集

芦苫うたり

(1)ルビイ


 「……ちょと、待って、くれ」

 後を追って来た少年にやっと気付いたのか 声を掛けられた少女が立ち止まり、振り向くと同時に素早く位置を変えた。


 「それは私に対してでしょうか」

 午後2時、中等部の卒業式が終了し、帰宅のため父兄や友人の待つ場所に向かっていた少女は、面倒そうな この状況に不機嫌な表情を隠さない。

 先程まで彼女がいた位置に男子生徒が突っ込んで来て、右腕を伸ばしたまま倒れたが、それは自業自得だ。もし位置を変えていなかったら衝突していたほどの勢いだったのだから。


 「何か御用でしょうか」

 非常に冷たい声が倒れた少年い投げかけられる。『氷の女王』の異名は伊達ではない。

 「けるなんて酷いな」

 「じゃ、投げ飛ばされたかったのですか」

 「……」

 やっと少年も、少女の機嫌を損ねている事に気付いたが、もう今更である。


 「用がないのなら失礼致します」

 何の反応もない少年を無視し、踝を返しかけた彼女に、制止の言葉をかける。

 「いや、用事があるから呼び止めたんだ」

 「用件は何でしょうか、急ぎの用事があるので手短に願います」

 全く取り付く島もない。拒絶の意思が明確な言葉である。


 「……君は上級学校に進むのかい」

 「それに答える義務はありませんが」

 「同級生だったんだ。教えてくれても良いだろう……」

 「同級生であったとしても、私は貴方を存じ上げておりません。回答は控えさせた頂きます」

 まったくもって正当な理由である。見知らぬ相手に個人情報を与える愚者はいない。

 「……」

 「じゃ、失礼致します」


 立ち去る初恋の相手を見送り、その破綻を じっくり噛み締める少年の目には薄っすらと涙が滲んでいた。


 「クックックッ。少年Bよ、告白は失敗だったようだな」

 この揶揄に満ちた言葉は、彼の親友にして恋敵ライバル、更に同級生でもある。彼は第2学年の時 彼女と同窓となる栄誉を得ながら、告白して惨敗した同志でもあるのだ。


 「何で『B』なんだ」

 「先駆者が上位称号となのは当然だろう。俺こそが『A』だ」

 「先駆者というだけなら もっと大勢いそうだが」

 異論を唱えたBだが、Aはキッパリ否定する。

 「あの『氷の女王』に告白するほどの冒険心を持つ者は殆どいないのさ。慕っている者は多くとも、告白を実行に移す程の勇者はな」

 「最初から逃げている者に称号は不要ってか」

 「その通り。

 まぁ、座れ。共に語ろうではないか『敗残兵は かく語りき』だ」

 「……敗残、かぁ」


 騒がしい正面玄関を避け、第2グラウンドの側面にある盛り土に座った二人である。緩やかな風に桜の花弁はなびらが舞っている。

 どちらも何も語らない。沈黙が場を占めて時が過ぎて行く。


 彼等の眼前では、先程 全ての学校行事が終わったためか、クラブ活動の準備をしている生徒が幾人か見える。


 このまま別れてしまえば、彼女がどういう進路を取るのか見当も付かない二人であったが、彼等の進路は決まっている。

 この学校は、幼年部から大学まで一貫した教育を行う国立の教育機関である。彼等は その流れに乗ってさえいれば問題ないのだ。


 ただ、高等部からは『男子校』になるのが、彼等にとって最大の問題なのである。

 彼女は別の学校に通うか、そのまま家庭に残るかの2択となるのは間違いないであろう。


 先に声を出したのは少年Bである。

 「Aよ、お前は彼女が編入して来たクラスに在籍していたという幸運を手にしたようだが、彼女の印象はどうだった」

 「印象か……。彼女については 会う前に担任から話があった。何でも『アザストフィア東大陸・本校』の生徒だったそうで、当校の編入試験で満点をとった才媛だと言っていた。その先入観が中々拭えず、かなり無駄な時間を過ごした」


 「実際、彼女は編入後の1学期から卒業試験まで ずっと学年首位だった。何でも全学期、全科目 満点だったらしいじゃないか」

 「それは事実だ。順位は示されるが点数までは表示しないのが、この学校の方針だが、俺が各担当教諭に確認したので間違いない」

 「……お前、また侯爵の家名を使ったな」


 「この学校の編入試験は、在校生でさえ最高でも70点がやっとなんだぞ。卒業試験も同程度だと言われている。お前、Bよ何点だった。俺は52点だった」

 「大差ないな、俺は54点だ」

 「これが 既に可怪しい。お前も俺も成績優秀者だ。70点近くは取れる筈だった」


 「どういう意味だ」

 「学校、というか教師にとって『満点』というのは困る事態なんだ。その生徒の実力が分からないという意味でな」

 「確かに……そうだな」


 「今回の卒業試験が難しかったのは、彼女の実力を測ろうとした苦肉の策だったようだが」

 「彼女は満点だったんだよな」


 「今回の試験の合格ラインは30点だったらしい」

 「なっ!」


 彼等の通う学校は、彼女が学んでいたという『東域アザストフィア汎国家総合教育学校』をマネて創建された。

 だが、その内容は著しい差がある。学力もそうだが、完全実力主義が大きな違いだ。当然男女差別どころか平民と王族すら同じ基準で判定する。

 建前上は、この学校も同じだ。事実、中等部までは全く差別がない。王族でも試験内容が悪ければ赤点(留年)がある。

 但し それは中等部までで、高等部は王・公・貴族だけが対象となる上、男子しか学べない場所と化す。


 少年Aは溜息を吐いて、たった2年前に過ぎない思い出を語る。

 「そうだな、彼女は最初から……」


 ■■■


 彼女は最初から『氷の女王』だった。


 少女は『白いヒト』ではなかったが、そんな差別感覚は彼女と共に受けた最初の、たった1日の授業で吹き飛んだ。

 偶然Aは彼女の隣の席になった。見ると教科書を出していない、何か別の本を開いているのだ。それでも教師からの設問に戸惑う事なく、正解を答える事が出来ていた。教室の音を聞き取りながら、同時に別の本を読んでいるとしか思えない。

 少女の実力は座学に留まらない。体育でも桁外れの実力を示したし、魔力に至っては教師よりも知識が豊富だった。


 この学校の中等部までは差別がない。それは男女でも同じで、女子でも武道の授業があるし、男子でも家事の授業がある。


 それは武道の授業の時に起こった。


 彼女の対戦相手になったのは この国の王族、それも太子第1候補の人物だ。皆が遠慮して勝ちを譲り続け、男子の代表となってしまった。

 彼女は当然ながら勝ち抜いて来た勝者だ。


 それでも最初の内は誰も気付かなかった。

 王子の方が攻め立てていたからである。彼女は躱すばかりで反撃を一切しなかったのだ。

 暫くすると それに気付く者が現れた。

 「不味いぞ。この儘では負ける」


 同意する者が どんどん増えて来たが、Aには意味が分からなかった。だが それ等の者達は、皆それなりに武道に達者な者ばかりだ。本来なら この試合場には、彼等の中から選ばれた誰かが立っていただろう。


 「これが男子グループ最強の方ですか。情けない」

 模擬剣を杖のようにして立っている、力尽きて動けなくなった王子に対し彼女が発した言葉だ。


 男子全員が俯いてしまったのは、それが正論だからである。


 それからの試合は一方的なモノになった。彼女の攻撃は速くて重い、とてもではないが体力の尽きた者には避けられない。


 模擬試合は防具を装着した上、木剣によって行われる。男女混合なので負傷しないよう配慮したものだ。

 加えて勝負は どちらかが『敗北を表明』する事によって決まる。つまり大した腕前を持つ者がいない事が前提なのだ。


 そして彼女の剣術は それに該当しなかった。

 『剣士級』というのは褒め過ぎだろうが、彼女の動きを読める者は、少なくとも生徒の中にはいなかった。


 王子が彼女の足元にうずくまって動けなくなるまでに大した時間は必要としなかった。

 試合終了の声が掛からないのを訝しんだのか、彼女は担当教諭に目を向けた。

 彼女は気絶しないように手加減していたのだが、それが逆効果だったようだ。

 足元の少年は、気を失っていないのに『敗北宣言』をしない。

 戸惑ったように再度教師を見た彼女は、やっと自身の失敗に気付いたようで、即刻、王子を気絶させて試合は終了した。


 それにしても彼女の強さは凄かった。

 後日の授業で行われた次の試合には、しっかり選ばれた者、近衛騎士団長の後継者と成るべく育てられた、学校全体から見ても強者に属する存在だったのだが、彼女には勝てなかった。


 彼女が凄いのは、座学や剣術だけじゃなかった。正に万能と言えるほどに何でも出来た。

 もし一つでも不得手なモノがあれば、あんなに浮いた存在にはならなかっただろう。友人も多く出来たに違いない。


 なぜなら、別のクラスにいた彼女と1歳違う姉は、そっくりな容貌をしながら人気者だったからだ。

 そんな二人が語り合っている時にのみ見る事が出来る 彼女の笑顔は、とても可愛いモノだったのだから。


 「おい待て、Aよ。今日の卒業式には王族は来ていなかった筈だ。の王子はどうしたんだ」

 「あぁ、彼か。あれは模擬戦での惨敗を恨んで、彼女に様々な嫌がらせをしたした結果、王位継承権を剥奪されて国外に追放されたよ、表向きはね。生きている可能性は、まぁ、ないだろうがね」


 「……そうなのか。

 ところで彼女の魔力、いや魔法の実力はどの程度なんだい」

 「あぁ、魔法ね……。

 その話は明日にしないか。もう夕方だ帰った方が良いだろう」

 「明日もここに来るのか」


 「ああ、ここならクラブ活動のため解放されているからな」

 「じゃ、明日の何時頃が良いかな」

 「そうだな午後3時で、どうだ」

 「了解」


 ■■■


 次の日、午後2時には二人揃って前日の場所で桜吹雪に晒されながら座っていた。

 Bは気が急いて尻が落ち着かず、気付いたらこの場所に来ていた。Aもまた春休みなのに家にいるのが落ち着かなくて、散歩をしていたら先日の場所にBが来ているのを発見した、という訳だ。


 「Bは俺が魔法が得意でないのを知っているよな」

 「あぁ、生活魔法しか使えないのを知っている」

 ――Bは いつも一言多いな。


 「まぁ、良い。そう言う訳で俺には彼女の魔法を見る機会が無かった、本来ならばな」

 「何をしたんだ、あ……家名か」


 「……あぁ。彼女の実技試験があると知って、見学に行った」

 「よくやるよ」

 「まあな」


 魔法の実技試験は、座学の成績順に行われる。

 当然 彼女が1番最初だ。

 彼女の魔法知識の凄さを知っていた教師も、かなり緊張していたに違いない。

 あれは火の魔法だった。火球を発生させ、それを標的に当てるモノだったのだが、教師は自分の出せる最大の魔力を使ったようだった。呪文を唱え 徐々に拡大していって、最終的には かなり大きかったぞ、そうだな直径10メートルというところだろう。

 それを正確にコントロールして標的に当てて見せた。

 もちろん標的は壊れなかった。それには『火属性魔法に対する防御用呪詞』が刻まれてあって、そう簡単には壊れないように造られていたからね。

 だから教師はこう言ったんだ。「標的を壊すで魔法を使え」とね。


 そして彼女は、その通りにした。


 最初の1撃は、教師が造った火球と ほぼ同じ大きさのモノだった。それを一瞬の内に、無詠唱で作成し標的に当てた。当然だがまとは壊れなかった。

 彼女は それが気に入らなかったようで、続けて直径約1メートルの火球を20個以上、当然だが無詠唱で造って標的を壊してしまったんだ。

 教師は呆然としていたね。


 後に聞いたのだが彼女は勘違いしてたらしい『の魔法使いは無詠唱で魔法を発動』という言葉を、『の魔法使いは無詠唱で魔法を発動』とね。

 それを魔法を勉強し始めた幼いころに読んで、当初から無詠唱で練習していたんだってさ。


 「それが出来るのが凄い。彼女は火属性が得意なんだね」

 「いや……、小耳に挟んだところによると、むしろ不得手だと言っていたそうだ」

 「……」


 「彼女は、この後どうするんだろうな」


 彼女の名前はメアリ・ルビイストン、子爵家の庶子である。彼女の才能を知った王族の一人が愛妾として迎えようとした。


 だが彼女はそれを拒否し、家を出奔した。


 噂では『アザストフィア汎国家総合教育学校・高等部』に入学し、奨学金を貰って無事卒業したという。だが、第5学年の卒業名簿には彼女の名は記されておらず、その真偽は定かではない。


 その年の第6学年入学許可名簿には、平民では たった一人の名前が記されているという、『ルビイ』と。

 彼女は大学への入学・予備資格を持ちながら、そのまま保留にして、何でも南大陸に渡ったという。


 「また会いに来たぜ」

 「おう、Aか。彼女について何か分かったか」


 「いや、何も分からなかった」


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