今日に捨てていく
野森ちえこ
Side:紗菜子
お兄ちゃんフィルター
第1話 おめでとうがいえなくて
「
声と同時にストンと紗菜子の手にブーケが落ちてきた。花嫁の
結婚式というのはたぶん、女性が生涯でもっともうつくしく輝く日だろう。すらりと背の高い奈子はモデルのようにとてもきれいで、花嫁らしくとてもしあわせそうだ。それはもう、きりりと冷たい二月の空気もとろけてしまいそうなほどに。
手のなかにある、かわいらしいブーケに視線を落とす。この時――たぶん出会ってからはじめて、紗菜子は奈子を
*‐*‐*‐*‐*
学校の朝礼や集会など男女別に背の順で整列するとき、紗菜子はいつも前から二番目だった。幼稚園からずっとだ。こんなこと自分だけだろうと思っていたのだけど、中学でおなじクラスになった
それはもしかしたら、本人たち以外気づいていない事実だったかもしれない。なにしろ、男女混合や出席番号順などでならぶときは三番目だったり四番目だったり十何番目だったりバラバラで、『二番目』になるのは、男女別に背の順でならぶときだけの話なのだ。今振り返るとなんでもないことのように思えるけれど、当時の自分たちにとってはとても特別なことだった。
前から二番目の紗菜子と、うしろから二番目の奈子。地味にすごいよね! と、妙な連帯感が生まれたりして。いつしかふたりは親友になっていた。
おとなになって、さすがに背の順でならぶような機会はなくなり、奈子が就職してからは顔をあわせる機会も少なくなったけれど、それでもふたりは変わらず親友だった。
そして今日。
奈子は花嫁になった。うしろからも前からもない。たったひとりの人の――花婿の一番になった。
花婿の名前は、
紗菜子や奈子が暮らしているもどか市のおとなり、
なんでも、フクロウが好きすぎて、自宅の敷地内にフクロウ博物館をつくってしまったり、五十歳以上も年下の、やっぱりフクロウ大好きだというお嫁さんをもらってしまったり、そのお嫁さんがじつは人好さんの同級生だったり――と、まあちょっと聞いただけでも、確かにいろいろとすごい。町の人たちには『丘の上のフクロウ屋敷』と呼ばれているのだそうだ。
ちなみに『なぜフクロウなのか』と家族が聞いたところ『なにかを好きになるのに理由などない!』と、胸を張っていたらしい。
その話を聞いたときは、そんなおかしな家の人と結婚なんて大丈夫なのかと心配になったけれど、奈子に紹介された人好さん自身はごくふつうの、おだやかで気のやさしい男性だった。
『よかった』と思いながら、『しあわせにね』といいながら、心から祝福できない自分がいた。おとなになっても、背の順でならばなくなっても、紗菜子はずっと『二番目』のままだったから。ただの一度も、誰かの一番になれたことなんてなかったから。
親友なのに。大切な、大好きな友だちなのに。心からの『おめでとう』がいえない。そんな自分がいやだった。
「さな坊」
今度は声と同時に眉間をトンとつつかれた。おでこを指先で押さえながら見あげると、五歳上の幼なじみ、
「グチならあとで聞いてやるから。今はうそでも笑っとけ。奈子ちゃん心配させたくないだろう?」
「うん。でも坊はやめて」
「じゃあ、姫」
「やめて。ちがう意味で恥ずかしい」
「んじゃ、殿?」
「なんでよ!」
「ははっ」
文字どおり、忍は紗菜子が生まれたときからそばにいた。おなじ商店街で、忍の家は喫茶店、紗菜子の家は惣菜屋を営んでいる。両親は忙しくて、あまりかまってもらった記憶はないけれど、そのかわり、紗菜子のそばにはいつも忍がいた。だから、『さびしかった』という記憶も、まったくといっていいくらい残っていない。
紗菜子と奈子を『なこなこコンビ』と名付けたのも忍だった。やさしくて、たよりになる『お兄ちゃん』みたいな人。家族や友だちに話せないことでも、忍になら話せる。それは、おとなになった今でも変わらない。
親友の結婚式で、ブーケを受けとった紗菜子が無意識に眉間にしわを寄せてしまった理由を知っているのも彼だけだ。
とはいえ、もし紗菜子が最初からそれと知っていたなら、忍にも話さなかっただろう。誰よりも近くにいる人だからこそ話せなかったと思う。いや、それ以前に踏みとどまっていたはずだ。当時だって、それくらいの分別はあった。だけど、知らなかった。知らなかったのだ、紗菜子だって。
はじめてできた恋人に、奥さんがいたなんて。そんなこと、知らなかった。
そして、それを知った時にはもう、引き返せなくなっていた。
(つづく)
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