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じゅん

第1話

 点数をつけるのが好きだ。

 道行く女性の点数をつけるのが快楽になっている。

 仕事から帰る途中すれちがう女性の顔を一瞬ちらと横目で見て、「ああこの女は(100点満点中)50点、ああこいつは70点、ああこいつはヒドい30点だ。おお、なかなか上物だ80点あげよう。」そうやってまるでショーウィンドウの中に入っている商品を品定めするかのように一つ一つ自分の物差しで測る。

 今のご時世じゃそんなこと口にしようものならフェミニストの餌食になるにちがいないが、心の中で思っている分には何の問題もあるまい。

 大体人間なんて世に出たその時点から存在の点数づけははじまっているのだ。小学校のころからかけっこが何秒早いだの、テストの点数が何秒高いだのといった醜い小競り合いをするように教育される。大人になっても同じだ。あいつはオレより年収がいくら低いだの、何人と付き合ったことがあるだの、くだらない点数づけのし合いで自分の優劣を判断せずにはいられない。どうやら人間というものはこの世界を目に見える形で還元しなければ安心できないらしい。

 あいにくオレは他人の収入にも交際人数にもとんと興味はないが、なぜか昔から他人の顔、とくに化粧をした女の顔には異常なこだわりがあった。

 視覚的な刺激は男の欲情をどうしようもないほど駆り立てるものだ。そのくせ男は女を自分の欲情そのものとして見ることはせず、理想の高みにまで無理に押し上げようとする。ご多分にもれずオレもそんな夢多き男の一人だということだ。

 オレには理想とする顔があるのだ。顔は100%遺伝に依存するだとか言うバカがいるが、全然違う。顔はそのひとの価値観を象徴しているのだ。そのひとがどんな考え方で、どのように人生を歩んできたかがわかる。魅力的な女の顔は、目が爛々と光り輝いてあたりから少しでも情報をつかもうと必死になっている。唇はきっと引き締まって鼻筋はすんなりと通っている。なめらかな曲線を描くほほの底にはあごがまるく収まって、耳はやさしい楕円形をかたどっている。髪型なんていうのはどうだっていい、大事なのは皮膚だ。

 オレは理想の顔を100点として、それからどれだけ近いかで女に点数をつける。具体的には目、鼻、耳、唇の形、それらの位置関係、全体的なバランス、左右対称かどうか、そういった細部にまでこだわって採点しているのだ。

 今まで100点の顔に出会ったことなどないが、オレの妻は85点といったところか。本当はもう少し上質な顔と結婚したかったが、なかなか人生は思い通りにいかない。妥協することも大切だ。

 そんなことを考えながらとぼとぼ歩いていると、もう家の前に立っていた。鍵をかけて中に入ると妻がその音を聞きつけて玄関先までやってきた。オレはもう一度妻の顔をまじまじと眺める。うん、やっぱり85点だ。それ以上でも、それ以下でもない。

「なに、なんかわたしの顔、変?」

「いや、今日美容室でも行ったのかなと思って。」

「あ、よく気付いたわね。ちょっと前髪切ってみたのよ。似合う?」

「うん、よく似合っているよ。」

妻は少しニコニコしながら、上機嫌でオレのカバンを持ってくれた。結婚生活はなかなかうまくいっている。昔から女の扱いには慣れている。女と暮らす以上、些細な生活の変化も見逃してはならない。見せかけでいい、喜ばせてあげればよいのだ。顔で結婚したオレは他の男より敏感に妻のご機嫌をとることに執着している。

 夕食を食べて風呂から上がると、妻はリビングルームのソファに声かけて、テレビを見ていた。オレは自分の中の欲情がむくむくと湧き上がっていくのを感じた。隣に座って一緒にテレビを見るふりをしながら、次の瞬間には妻の肩をつかんで、ふりむいた拍子にキスをしていた。

「いや。まだお風呂に入ってないから。」

そう言いながら頬が少しずつ紅潮していくのをオレは見逃さなかった。そのまま肩の後ろに手を回してじんわりと肌の温度を味わうように抱きしめた。

 自分の目前に迫っている顔を凝視しながら、黒目の割合が足りないんだよなと思った。もう少し割合が多ければ、愛嬌のある顔立ちになるだろう。目は70点といったところか。それから、鼻。やはり短いのだ。もう少しすらっと長ければもっと賢く見えるのに。80点くらいか。あごのラインも気になる。妙に横に間延びしている気がするのだ。60点だな。唇も少し締まってくれれば。なんだか左右に開いてバカに見えるんだよな。50点だな。

 そうやって唇をかわしながら冷静に妻の皮膚をひとつひとつ分析していると、目の網膜の上から70の数字が浮き上がって見えた。数字は次第に色濃く網膜にへばりつきながら大きく広がって、最後には完全に眼球を占領してオレには70という数字しか見えなくなってしまった。鼻も80という数字に、あごも湾曲した60という数字に、唇も大きく左右に開いた50という数字に変わってしまった。顔のパーツたちはそうやって徐々に数字たちの反乱によって姿を消し、妻の皮膚の上には数字ばかりがひしめき合いながら凝集している。

「ねえ。どうしたの?」

50点の奥から妻の声が発せられ、70点がまたたく。呼吸にともなって上下する60点。それらの数字は徐々に輪郭だけになった顔の中心に集まり、しきりにぶつかりあっている。数字たちは皮膚に勝利を収めたのち互いに戦争をはじめたのだ。そしてついには80という数字が顔の中心から誕生し、全体に大きく広がって輪郭さえも支配してしまった。いまや妻の顔は80に完全に乗っ取られてしまった。

「ねえ、もっとキスして。」

80点はオレにそうささやいたが、到底無理な話だ。オレには数字と接吻をする趣味なんてない。

 オレは完全に妻に幻滅してしまった。妻の顔の正体がただの数字だとわかっていたなら、最初から結婚する気なんてなかったのだ。それでも身体が数字でければまだ慰めものだが、残念なことにさっきまで手を回していた肩も、腕も、足も、手も、80に侵略されて、後にはただ数字がソファに座ってオレと抱き合おうとしている状況になった。こんなバカな話などあるものか。

 オレはすっかり気分を害してしまった。いやはやまったく、新手の結婚詐欺にひっかかってしまった。美人だと思っていた妻が実は数字だなんてことがばれたら、世間の笑いものになるにちがいない。オレはだました妻に少しでも復讐をしようと思い、嫌味を言うことにした。

「なあ。オレがもしお前と結婚した理由が顔だといったら、どうする?」

いたずらっぽくオレは80にささやいた。どうだ、数字。恐れ入ったか。オレがお前と結婚したのは性格がよかったとか、考え方が合うとか、そんな大層なことではないんだよ。皮膚なんだよ。モノでしかないんだよ。ただの数の分際で人間様をだましやがって。オレと結婚したことをさんざん悔いるがいいさ。

「だったらわたしも、あなたと結婚した理由は収入だって言うわ。」

さらりと風のように答えた80の声に、オレは愕然としてしまった。そうか、そうか。お前がオレと結婚した理由も、性格とか価値観の一致とかじゃなく、ただのモノとしての意味合いでしかなかったんだな…。

 オレは暗闇の底でうごめいている。頭上にはいくつもの白い数字たちがジロジロと遠慮なくオレを蔑みながら、呪文のように叫んでいる。年収700万円。年齢33歳。勤続年数11年。交際人数3人。年収500万円。年齢33歳。勤続年数11年。交際人数3人。年収500万円。年齢33歳。勤続年数11年。交際人数3人。年収500万円。年齢33歳。勤続年数11年。交際人数3人。28歳の時出会った80と30歳で結婚して、子供はまだ0人。偏差値60の高校に3年間、65の大学に4年間学んだ後現在業績ランキング5位に入る建築会社に入社。あと3年以内に係長に昇進したい。

 オレは一人、鏡のまえに立っていた。オレは鏡に映ったオレの採点をする。醜くしぼんだ鼻。生気を失った頬。ぽってりとふくらんだあご。無意味に横に広がった目。総合して30点の顔。少し出てきたお腹。だらしない肩。短く突き出た二本の脚。それらに一つ一つ採点するたびに、数字に変わっていく。オレの身体は、顔は、数字に侵されていく。そうしてオレの記憶も、思考も、言語も、すべて数字の中に還元されていく。そうしないと誰も理解してくれないのだ。

 バラバラに砕け散って、数字のかけらになったオレの身体。顔。思考。

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