枕装置(まくらのそうち)

穂積 秋

第1話

「うふふふふ」

 とつぜんはかせが笑いだしたので正気に戻ったのかと思った。

「どうしたんですか」

 一応、反応する。

「どうしたもこうしたもない。ついに完成した」

「なにがです」

 はかせは得意げなポーズをとった。サタデイ・ナイト・フィーバーっぽいポーズだ。しかし、何も言わなかった。

「なにがです?」

 二回めだ。

 はかせはポーズを変えた。今度はウサイン・ボルトっぽいポーズ。今度も何も言わなかった。

「な、に、が、で、す?」

 三度めは一文字ずつ区切って聞き直した。

「ふっふーん」

 はかせは再々度ポーズを取ろうとしたがその腕を掴んだ。

「な、に、が、で、す?」

 顔を近づけてさきほどと同じセリフを吐く。

「近いぞ」

「伝えたいことがあるならもったいつけずにさっさと言ってください」

「わかったわかった」

 はかせは顔を引き離した。

「眠りがよくなる装置だ」

「眠りがよくなる装置?」

「つまり、枕だ」

「枕…」

「この枕を使うと、眠りがよくなる」

「先に聞いておきましょう。よい眠りの定義とは?」

「そりゃあ、あれだ」

 あれか。

「あれだよあれ」

 なんだよ。

「ええっと、その。寝覚めがよければ良い眠りだ」

「ねざめがよければよいねむり」

「そう。起きた後に寝ている時のことは覚えていないだろう?」

「はあ」

 異論がないわけではないが、まずはかせに喋らせてしまおう。

「眠りの深さは測定可能だ」

「はい」

「起きる寸前の状態というのも、分かっている」

「はい」

「だから、この枕は起きる寸前の状態を検知して、動く」

「何が動くんです」

「枕の装置が動くんだ」

 はかせはまくらのそうちを枕草子のようなイントネーションで言った。

「動いたら、どうなるんです」

「ねざめが、よくなる」

「寝覚めが」

「正確にいうと、快楽を司る神経伝達物質を分泌するので、強制的に寝覚めをよくする」

「分泌ってどうやって」

「それは知らないほうが幸せなような気がするから言わないでおいてあげよう」

「ちょっと?」

「なに、危険はない。実験に協力してくれる人材を探しておったところだ。きみがいまここにいるのも宿命だと思って」

「え?なにを?」

「うりゃ」

 はかせに常人とは思えぬ力で抑え込まれ、首輪と一体になった(ネックピローとかいうのだろうか)枕を装着させられた。

「どうだ、かんねんするのだ」

 ひらがなではかせは言った。

「かんねんして、ねむるのだ」

「眠るったって、そんな簡単に眠れないですよ」

「だいじょうぶ、この薬は脳の働きを鈍化させる。つまり、眠らせる」

 はかせは隠し持っていた香水の瓶のようなものを噴射した。甘い香りが広がった。これはどこかで嗅いだことがあるぞ。香水の匂いに近い。アナスイのスイ・ドリーム?ちょっと違う気がする。グッチのエンヴィ?それとも違うか。いやそもそもスイ・ドリームもエンヴィも正確な香りを覚えていない。なんかこんなような感じの匂い、という覚え方でしかしていない。香りはシチュエーションに左右されると聞いたことがある。だからとっても甘い思い出の時の匂いが。あ、あれだ、去年の夏にあの人と海に行ったときの。海で三十分くらい過ごした時に急に気温が下がって寒くなってきたから、もう上がって別の場所に行こうかって更衣室に行ってまた落ち合った時の匂いに似ている。あれからふたりで…電車に乗ってそこでうとうとしてしまったんだ。

「…ろそろ降りるよ…」

 そうだ。そうやって起こされたんだった。起きた時にあの人が横にいて、駅のプラットフォームが近づいてきて。ああ、この駅で降りたらあの喫茶店に行くのかな、それともあっちの喫茶店に行くつもりかな。もしかしたら喫茶店ではなくて。

「…きろ、おきろ…」

 喫茶店ではなかったら、ええと、あっちのほうにはご休憩所が。あの人はなぜか古風に連れ込みと言っていたっけ。レトロ趣味な。いや。それは流石に。まだこんな時間で。

「…もうおきろ、実験は終わった」

「!?☆*」

「どうだ、いい寝覚めだろう」

 目を開けたら真横にはかせの顔があった。

「最高の目覚めになりかけていたんですが…ちょうどいま最悪の目覚めになりました」

「なぜだ?セロトニンもドーパミンも適度に調合しているはずなのに」

「それを打ち消すものがあったんですよ」

 まっすぐはかせの顔を見つめながら答える。

「?もしやおまえ」

 はかせは何やら調べていたが再度向き直った。首輪はつけられたままなので動くことはできない。

「おまえ、一般人よりドーパミンの量が多いな。だから効きが悪いのか。このたこうしょうめ!」

「たこうしょう、ってなんですか」

「タコが寺の坊主をやってるときにはタコ和尚っていうんだよ。さあ、調整したぞ。もういっかいねるのだ!」

 はかせはまた香水の瓶のようなものを噴射した。甘い香りが広がった。さっきと同じくどこかで嗅いだことがある香水の匂い。アナスイのスイ・ドリームでもグッチのエンヴィでもないとさっき結論を出したはず。だとしたらなんだ、持っていないから名前を覚えていないけどティファニーのあの青いやつか。いや、持っていない香水の匂いを思い出すってのも変だな。

「さあ、ついた。おりよう」

 海水浴場から最寄りの町。観光で名を売ってる町だけあって、土産物屋も充実している。この町には何度かきたことがあるけど、二人でくるのははじめてのはず。いや、一回だけあるかな。そのときには春だったので海水浴ではなくて寺を回ろうとして。あじさいだ。あじさいの有名な寺に行って。そのときあのひとは言ったんだった。

「線香の匂いって、落ち着くね」

 レトロ趣味だけあってお寺趣味なのか。いや、関係ないか。線香の匂いで落ち着いたことはなかったんだけど、そう言われて改めて線香を味わった。

「しょーぎょーむーじょーくーそくぜーしきー」

 となりにいた少し年配のおばあさんは信心深い人らしく、数珠を持ってお経を唱え始めた。

「ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー」

「般若経か」

 あの人がぼそっと言った。線香の匂いは、ちょっと物悲しいような苛立つような要素を感じていたんだけど、あらためてこういう光景を観ると、線香の匂いも情景を選べばいいものだと思い直した。線香の匂いと法事の匂いが同じなので、葬式のあの物悲しい感情、四十九日のあの達観した感情、三回忌の気だるさ、そういった要素だけを取り出してしまっていたらしい。しかしこのときの線香の香りは、とってもすばらしいものに思えた。これはとってもすばらしいので、極楽浄土もこんな匂いに満ちているのなら、すごく楽だじょー、とふつうなら思いつかないだろう低質なダジャレを思いついてしまう程度に頭がふんわりしていて、ふんわりした頭がふわふわと宙空をただようような浮遊感を。

「…きろ、おきろ…」

 すべて物質つまり金剛界のものは棄ててしまって、概念つまり胎蔵界に籠もればそれはそれでよいのかも。イデアに生きるものとしては。

「…もうおきろ、実験は終わった」

「!?☆*」

「どうだ、いい寝覚めだろう」

 目を開けたら真横にはかせの顔があったが、それは金剛界のものなので

「ああ、今回はいい目覚めですね」

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枕装置(まくらのそうち) 穂積 秋 @min2hod

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