眠れる森の猫

水玉猫

最悪の目覚め

 冷凍睡眠コールドスリープからの目覚めは、最悪だった。

 


 ぼくは、100年前に余命宣告を受けた。

「今の医療技術では、あなたの命は長くてあと3ヶ月です。あなたが3ヶ月先も生き延びるために残された方法はただ一つ。冷凍睡眠コールドスリープで治療法が確立された未来に行くことだけです」

 医師はぼくにそう告げると、冷凍睡眠専門の眠りの森商会へ紹介状を書いた。

 

 翌日、ぼくはその紹介状を持って、眠りの森商会を訪れた。

 青い制服を着たメリーと言う名の女性が、ぼくの担当者になった。


「100年後には、必ず、お客様のご病気の治療法もできています。どうぞ、安心して、弊社へいしゃすべておまかせください」

 彼女は、まるで未来を見てきたかのように、自信たっぷりに微笑ほほえんだ。

「お客様が冷凍睡眠からお目覚めになり健康なお体を取り戻された後、スムーズに未来社会への対応ができるようサポート体制も万全です。もちろん、睡眠中のお客様の財産管理、資産運用もおまかせください。冷凍睡眠から覚めたものの、未来社会に順応できない、無一文になっていたなどの『浦島太郎トラブル』は弊社では、いまだかつて一件もございません。さらには冷凍催眠中は、それこそ竜宮城にいるような夢心地でいられます。覚醒後のアンケートでは、89%のお客様が満足したと答えていらっしゃいます」

 それから、彼女は早口で付け足した。「冷凍睡眠後に目覚めないという事故も、弊社ではわずか0.1%にすぎません」


 未来への順応サポートや竜宮城など、ぼくにはどうでもよかった。

 眠りにく前の社会でさえ適応していなかった負け犬のぼくが、100年後に順応できるなんて思ってもいない。

 なんなら、その0.1%の中に入って、二度と目が覚めなくたっていいくらいだ。それこそが、ぼくが望むものなのかもしれない。

 いや、ダメだ。オーロラを残して死ぬわけにはいかない。ぼくが死んでしまえば、オーロラも廃棄される。だから、ぼくは医師に指示されたとおりに眠りの森商会までやってきたんだ。


 ここ数年、仕事でのストレスがマックスだった。

 ぼくは、宇宙工学の開発部門で働いていた。根っからの学究肌のぼくは、開発や研究にひたすら没頭していればそれで満足だった。


 それが、望みもしない出世をしてしまった。一気に二段階も昇進したんだ。ぼくは技術者研究者としてはすこぶる優秀でも、管理職に必要な能力は皆無だった。マネジメント能力もコミュニケーション能力も部下の育成能力もない。その上、人間関係のストレスにはめっきり弱い。


 でも、周りは、ぼくを二段階昇進の勝ち組としか見なかった。同期の連中からの嫉妬しっとがらみの嫌がらせは、日増しにエスカレートしていった。


 さらに組織のトップが入れ替わり、方針が変わった。これまでは、基礎研究をふまえた上での開発だった。過去からの積み重ねで、地味で時間はかかるが確実な成果を重視していた。

 それが過去のものは切り捨て、派手で話題性のあるものが優先となってしまった。見切り発車的なことが、日常茶飯にちじょうさはんになった。あとは野となれ山となれだ。不都合ふつごうなことが起きれば、すぐさま責任の転嫁。責任の押し付け合いは、強引で口が上手うまいものがいつも勝った。


 ぼくは職人気質だった父の性質を受け継いていたから、過去からの積み重ねである基礎研究をうとんじることは苦痛以外の何物でもなかった。

 それでも、組織の一員でいる以上、トップの方針には逆らうことができなかった。


「だから、ストレスでわけのわからない病気になってしまったんだ」

 ぼくはオーロラだけには、こぼしていた。

 オーロラは、ぼくが5歳の時からいっしょに暮らしている猫のロボットだ。オーロラには、なんでも言えた。両親にも友人にも恋人にも言えないことを、オーロラはいつも聞いてくれた。


 ぼくがいたポストにはすぐに同期の一人がついた。組織の歯車など、いくらでも取り替えが効くんだ。

 負け犬が勝ち組の皮をかぶっていたって、化けの皮はすぐにがれる。所詮しょせん、負け犬は負け犬なのさ—— そんな揶揄やゆを背に、ぼくは退職した。

 

「お客様、なにか気がかりことでも?」

 眠りの森商会のメリーが、ぼくの顔を見た。

 ぼくは、オーロラのことを打ち明けた。彼女は親身なようすで、うなずいた。

「それでしたら、オーロラ様を、お目覚めまで責任を持ってお預かりするオプションがございます。オーロラ様のご記憶などはクラウド保存もいたしますから、どうぞ、ご安心を」

 いかにも、ぼくのような客には慣れているといった口調だった。

「他にも、お眠りになる際のお見送りにプラスして、100年後のお目覚めの時もお客様が最初に目にするのが医師や看護師ではなくオーロラ様にするオプションもございますが」

 担当者はにっこりと微笑んだ。


 ぼくはそれらのオプションも追加し、眠りの森商会と契約を交わして、9日後に冷凍睡眠コールドスリープに入ることになった。


 保険に入っていたとはいえ、冷凍睡眠の料金と高額なオプションのせいで、退職金もかなり減った。

 経済的不安も計り知れなかったが、100年先のことは100年先のことだ。

 とりあえず、このストレスフルな世界からは、おさらばできる。ぼくが目覚める頃には、やつらはみんな墓の中だ。あいつらが軽蔑し捨てた古い技術と同じように、消えてしまっているんだ。

 そして、100年後の未来で、正真正銘の過去の遺物である負け犬のぼくだけが生き残っている。ぼくは皮肉な気分で、冷凍睡眠のカプセルに入った。


 オーロラに見送られ、意識が遠退く間際、オーロラのメンテナンスランプが点滅していることに気が付いた。

 しまった!

 ぼくは自分のことにかまけて、眠りにつく前にオーロラを点検していなかったんだ。でも、もう、ぼくにはどうすることもできなかった。




 100年の眠りは長いようで短かった。

 竜宮城どころか夢らしき夢さえ見ず、灰色のもやに包まれていた。もやの遠くでオーロラのランプが点滅していた。




 ふっとそのランプが消えた時、ぼくは100年後の未来に来ていた。




 ぼくを出迎えてくれるはずのオーロラはどこにもおらず、最初に目にしたのは看護師の顔だった。

 医師の検査と処置の後、100年前と同じ制服を着たぼくの担当者がやってきて、申し訳なさそうに告げた。

「お客様が冷凍睡眠に入られたあと、オーロラ様のメンテナンスランプが点滅しておりました。それで弊社の技術者にオーロラ様の整備点検を申しつけたのですが、オーロラ様は古い製品ということでお体の部品は100年前にもすでになく、修理はかないませんでした。それでも、ご記憶だけは残そうとクラウド保存したのです…… が、その保存先が10年前にサービスを終了してしまい、それと同時にデータもすべて消えてしまいました。オーロラ様は、この世界では二度とお目覚めにはなりません」

 彼女は、深々と頭を下げた。


 それじゃあ、ぼくは何のために100年後の未来にまで逃げてきたんだ!

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