「1頁目 旅立ち 」
[くたびれた臙脂色の日記帳の最初の1頁]
ようやく少しだけ心が休まる夜が訪れたので、いつか買って鞄の奥にしまい込んだまま、月日だけが流れてしまいヘソを曲げてしまった手帳を開いている。
一日一日を振り返る余裕すら無い激動の日々だったけど、これからは少しずつでも、日々の記録をとっていこうと思う。だって、まだ旅は始まったばかりなのだから。
いつの日か、この手帳を読み返し、旅を懐かしく思い返す時が来るかもしれないし、わたしが旅の途中で力尽きた時に、誰かがこの手帳を拾い、わたしの代わりに『地獄の帝王』を討ち倒すために立ち上がってくれるかもしれない。だから、わたしはこうして慣れない文字を綴っているのだ。
できれば前者であることを祈りながら……。
○月○日 旅を始めて14日目 アネイルの宿屋にて
……うーん。
なんて書いてみたまま、数日が経っちゃった。
文章を書くのは難しいよ。何を書いたらいいのかわからないや。
あまり長文を書いたことなんてなかったから悩んでしまう。シンシアはよく本を読んだり書き物をしているのを見たこともあるけど。もう少し彼女に色々学んでおけばよかったな。
シンシアは頭が良くてわたしには唱えられないような魔法も使えたもんね。羨ましかったなあ。
……そっか、こんな風に書くとまだ書きやすい。そうだ。シンシアに話すときみたいに肩の力を抜いて書けばいいのかもしれないね。
幼馴染のシンシアはいつもわたしの話を黙って聞いてくれた。かすかに先の尖った
もう、彼女にわたしの話を聞いてもらうことはできないけど、でも、わたしの中に彼女は生き続けているし、この日記を書き続けている限り、いつだってシンシアと話をしていられると思えば、飽き性のわたしでも続けられるかもしれない。そうだ。そうしよう。
わたしが生まれ育ったのはブランカの北の山奥の村だ。幼い頃から村のみんなに剣術や魔法を教えられた。考えてみれば村の周りには弱い魔物しかいないのに、あんなに厳しく戦う術を教え込まれたということは、遅かれ早かれこうなる運命だったのだと、村の皆はわかっていたのかもしれない。
目を閉じると焼け落ちた村の様子が昨日のことのように思い出される。
あの日、わたしの村は突如現れた魔物の群れに滅ぼされた。父も母も幼い頃から姉妹のように一緒だったシンシアも魔物に殺されてしまった。
そして、わたしだけが村でただ一人生き残った。村の倉庫の奥の隠し部屋に閉じ込められて生かされたのだ。なぜ、わたしだけがって今でも思うよ。
わたしだって戦いたかった。みんなが死んでしまって、それなのにわたしだけが生き残るなんて嫌だよ。
魔物が村に攻め入る直前、慌てて村人たちが戦いの準備を始めた時、お父さんは真剣な眼差しでわたしに言った。
「来るべき時が来たようだ。今まで黙っていたが私たち夫婦はお前の本当の親ではなかったのだ」
そんなことを言われても動転するばかりで、わたしは言葉が出てこなかった。
「詳しい話をしたいが、時間がない……。今は早く隠れるのだ」
そう言ってお父さんはぎゅっと唇をかんだ。それがお父さんとの最後の会話だったんだ。お母さんとは、何を最後に話したかも正確には覚えていない。お弁当をお父さんに届けて欲しいって言われて、それっきりだ。
戸惑うわたしをお父さんは村の北の倉庫の地下の隠し扉のさらに奥へ連れて行った。隠し部屋は暗く狭くジメジメしていた。
そこにはわたしに剣術を教えてくれていた師匠がいて、お父さんと同じように真剣な表情でわたしに言った。
「いいか良く聞け。魔物達の狙いはおまえの命! 魔物たちはおまえが目障りなのだ。おまえには秘められた力がある。いつの日かどんな邪悪なものでも倒せるくらいに強くなるだろう。だが、今のおまえはまだ弱い。逃げて生き延びるのだ! 分かったなっ!」
扉が閉められる寸前にはシンシアも現れた。シンシアも全部知っていたんだね。いつもの優しい表情ではなくて、固い顔をしていたもん。
シンシアはわたしの手を握って、恐怖に震えるわたしを安心させるように小さく微笑んだ。
「ハナ……。いままであなたと一緒に遊べてとても楽しかったわ……。ハナはとても可愛いし、本当の妹のように思っていたのよ」
ねえ、シンシア。あなただって怖かったんでしょ。握ってくれた手はひんやりしていて、少し震えていた。恐怖を押し殺して強がって微笑んだって、すぐにわかったんだよ。
「大丈夫。あなたを殺させはしないわ」
あの時のシンシアの泣きそうな笑顔はいまでも夢に出てくる。シンシアは最近覚えたモシャスという魔法でわたしとそっくりの姿に化けると、さよならを言って扉を固く閉じ、魔物達の前に出て行った。
激しい戦いが繰り広げられ……。
そして村は滅ぼされた。
わたしは倉庫の奥で震えていることしかできなかった。
「デスピサロさま! 勇者ハナを討ち取りました!」
魔物の低い叫び声がして、割れんばかりの歓声が轟いた。地獄の底から湧き上がるような恐ろしい歓声と共に、意気揚々と去っていく魔物たちの恐ろしい足音が消えて、ようやく震えが止まったわたしは恐る恐る倉庫から出た。
村は破壊と略奪にさらされ、見るも無残な姿に変わり果てていた。わたしは途方にくれた。生き延びているものがいないか村をまわったけど、いなかった。亡骸すらない。魔物は人を食らう、ということを思い出して怖くなって震えた。
焼け落ちた村の真ん中で、いつもシンシアと花を摘んで語り合ったあの広場で、わたしは日が暮れるまで佇んだ。踏み躙られた花の中に、シンシアの『はねぼうし』が落ちていた。
拾った帽子は今も大事に持っているよ。あの村の思い出で残ったのはこの帽子だけだったから。
空は晴れ渡り、雲は白く、風は穏やかだった。
さっきまでの穏やかな日常がもう存在しないということが、信じられなくて……。涙も出なかったんだ。
虚無感に包まれた胸の底に残ったのは、自分の不甲斐なさと、大切な人々の命を奪った魔物達への復讐の気持ちだけだった。
絶対に、村のみんなの、お父さんやお母さんや、シンシアの仇をとってやる。あの魔物達が名を叫んだ、リーダー格の「デスピサロ」って奴を見つけてやる。
そう心に決めて、めちゃくちゃにされた村を後にした。
わたしの旅はこうして始まったのだ。
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