第37話 心の在処 ④


「すみませーん」


「あら、紫吹さんところの肇くんじゃない。久しぶりねぇ~」



 僕が訪ねたのは、琴美の家だった。

 御空先輩に言われて思い当たる人物、それが彼女だったのである。先輩を除いた女の人の知り合いで、こんな相談を持ちかけられるのは彼女しかいなかった。



「お久しぶりです、おばさん。琴美、いますか?」


「えぇ、いるわよ。さぁ、上がっていきなさいな」


「はい、お邪魔します……」



 渡良瀬被服店の中へと入った僕は、店の奥にある入口から二階へ続く階段を上り、琴美の部屋の前へとやってきた。



「おーい、琴美――っ!」


「は、肇ちゃん!?」



 名前を呼ぶと、部屋の中から琴美の声が返ってくる。



「琴美、中に入っていいか?」


「ま、待って! 今、着替えるからっ!」



 襖で仕切られて分からないが、琴美は部屋の中でドタバタと何やら忙しなく動き回っているようだ。

 そして数分後、その音が静まると同時に襖が開かれる。



「お、お待たせ……。入っていいよ……」



 襖の隙間からヒョコっと顔を覗かせて、琴美が小声で囁いた。その髪型はさっきまで寝ていたのか、寝癖がハッキリ残っている。



「そんじゃ、お言葉に甘えて……」



 僕は久しぶりに、琴美の部屋へと足を踏み入れた。



「……で、肇ちゃんは何しにココヘ来たの?」


「えっと、実は相談があって……って、その前にこれを琴美に渡しておく」



 僕はフェスのチケットを琴美の手に渡した。



「これ、肇ちゃんがあのアイドルの人と一緒に出るっていう……」


「そうだ、フェスのチケットだ」


「……いらない、返す……」


「んなっ!?」



 琴美はあろう事か、チケットを逆に突っ返してきた。



「私、アイドルに興味ないし。女の子になった肇ちゃんなんて見たくないもん」


「それについては……ごめん。アイドルになってたこと、ずっと黙ってて……」


「べ、別に私に謝ることじゃないでしょ。肇ちゃんがどこで何しても、肇ちゃんの自由なんだし……」



 琴美は腕を組んで、ぷいっとそっぽを向いてしまう。



「それは確かにそうなんだけど、琴美には色々心配かけてたみたいだしさ……」


「そ、そりゃ心配するよ! 私と肇ちゃんは幼馴染みなんだし、幼馴染みの男の子が女装してテレビに出てたら気にならない方が変でしょ!」



 確かに僕も琴美が男装してテレビに出ていたら、気にならないといえば嘘になる。



「やっぱり、そういうもんなのかな?」


「そういうもんだよ。それで相談っていうのは、そのアイドルの子の事?」


「うん。あの日、琴美に正体を告げられてから……夏向は事務所に来てないんだ」



 なんで何も言ってないのにわかるんだろう、琴美もお母さんも。これが俗に言う、女の勘というやつなのか?

 僕は口に出さず、首を縦に振って肯定した素振りを見せた。



「ふーん……、でも私は悪いことしたって思ってないよ」


「わかってる、その件で琴美に非があるとは思ってないよ」


「で、相談っていうのはアイドルと仲直りするにはどうすればいいってこと? どうせ連絡しても話すら聞いてもらえなくて、事務所の人からも会いに言っちゃダメって言われてるんでしょ?」


「うっ!」



 す、鋭い推理だ。琴美って、やっぱりエスパー?



「琴美が言った通り……なんて言えばいいのか知りたくて相談しに来たんだ……」


「本当にそのアイドルの……枢木夏向のことが好きなんだね、肇ちゃん」


「勿論だよ!」



 その意見に対し、僕は激しく頷いてみせた。



「……わかった、そういうことなら相談に乗るよ。でも、なんて言葉をかければいいかなんて深く考えなくてもいいと、私は思うけどなぁ」


「どういうこと?」



 イマイチ琴美の言っている言葉の意味が理解できなかった。



「悪いことをしたと思ったなら、正直に謝る。それ以外無いでしょ?」


「それはそうだけど……、謝っただけで許してくれるのかなぁ~」


「そう思うんだったら、約束をすればいいんじゃない?」


「約束……」


「もう二度と嘘をついたり、隠し事はしない……とか」


「なるほど」



 約束、それはたしかに効果的な手法だと思えた。自らに戒めとして誓約を課す事で夏向の信用を得られるのなら、僕はどんなことでも甘んじて受け入れる!



「……肇ちゃんさ、このままアイドルを続けるの?」



 ふと、琴美がそんなことを尋ねてきた。



「……わからない……」


「夏向って子に謝るのもそうだけど、そこんところもちゃんと考えておかないとダメだよ」


「うん……。琴美、相談に乗ってくれて本当にありがとう」


「いいよ、そんな大したこと言ったわけじゃないんだし……」


「そんなことないよ、僕はすっごく助かった。だからこれ、琴美に渡しておくよ」



 僕は突き返されたチケットを再び琴美に差し出した。



「だ、だから要らないってば。観にもいかないし」


「観に来なくてもいい、僕が琴美に持っていて欲しいんだ」



 半ば無理矢理だったが、僕はチケットを琴美の手に握らせる。



「じゃ、僕は帰るね。琴美と話せて、本当に良かった」


「肇ちゃん!」



 琴美の部屋を出ようとしたところで、声をかけられた。



「何、琴美?」


「枢木夏向ってアイドルには興味ないけど、肇ちゃんのことは応援してるから!」


「……うん。ありがとう」



 琴美の言葉は間接的にパッケージを応援してくれている、僕はそう解釈した――。

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