第36話 心の在処 ③

  お母さんの話を聞いて僕が真っ先に思いついた人は、御空先輩だった。 連絡を取って在宅の有無を確認した僕は、すぐに先輩の家に向かう。



 ピンポーン



 呼び鈴を鳴らすと、家の中からバタバタという音が聞こえる。玄関の扉を開き現れたのは、相変わらず長い黒髪を垂らして顔を覆った、白のキャミソールワンピース姿の御空先輩だった。



「久しぶりだな、紫吹肇。いや、今は蕗村咲と呼んだ方がいいのか?」


「今は御空先輩の後輩の紫吹肇ですよ……」


「そうか。話は歩きながらで構わないか? 家の中は今、母が掃除中なのだ」


「あ、はい……」



 サンダルを履いた御空先輩に連れられて、僕は彼女の家を後にした。



「渡良瀬琴美から断片的に聞いただけで要領を得られなかったが、今こうして本人から直接話を聞き全てを理解した。事態は最悪のシナリオを描いているようだな」


「最悪のシナリオ……ですか?」


「このままじゃフェスの参加はなくなり、パッケージは解散。そして枢木夏向にはあらぬ噂が立てられ、アイドル活動に支障をきたし芸能界を去る」



 御空先輩の口から、文字通り恐ろしいシナリオが語られた。

 いや、まだそうなると決まったわけではない。しかしそうなる原因を作ったのが自分だと考えてしまうと、自然に体が震えてしまった。



「本当に僕って奴は、なんて取り返しのつかないことを……」


「しかし安心しろ、紫吹肇。たとえそんなシナリオになったとしても、私は君を恨んだりはしない」


「え?」


「何故なら君は、枢木夏向の支えになるため嘘をついた。女装してまでアイドルになり、自分に出来ることをしようとしたのだ。君の行った事全てが悪いことではないと、私は思っているよ。そしてこのシナリオを改変することができるも君だけだ。その力になれるなら、私は喜んで手を貸そう!」


「は、はい! ありがとうございます。で、その早速ですか相談がありまして」



 そうだ、お母さんからもらったアドバイスを受けて御空先輩を訪ねたのである。

 情けないことだが、見た目をいくら女の子として取り繕おうとも僕は男だ。夏向にどう謝罪すれば許してもらえるのか、女の子の気持ちは女の子に聞くしかない。



「――なるほど、それで私を頼ってきたのだな……」


「御空先輩、僕……どうすれば……夏向に何て謝れば、良いんでしょうか?」


「――懺悔、贖罪、君がそれをして枢木夏向に何が残るの? 全ては紫吹肇、お前が彼女から許されたいだけじゃないのか?」


「そ、それは違いますっ!」



 反論したものの、御空先輩の言葉に息が詰まってしまう。

 先輩の言う通り、僕は枢木夏向から許して欲しいのだ。ファンのため、彼女のためとか上辺だけの綺麗事を並べても本質はそこにある。



 それでも、僕は……。



「僕は、夏向に謝らなくちゃいけない。僕が彼女を騙していたのは事実だから」


「うむ。全てを承知ならば、もう私から言うことは何もない。自分としっかり向き合った上で、枢木夏向の前に立つのだ!」


「言うことはないって、先輩。それじゃ答えに……」


「答えなんて無い! それが私から君におくる答えだ!」


「う、うーん……わかりました。あ、先輩。このチケットをお渡ししておきます」


「こ、これはまさか! 販売開始すぐに無くなった幻のフェスチケット!?」



 凝視、そして凝視。

 御空先輩が驚きのあまり前髪をかき分けて、チケットを見つめている。



「い、いいのか! これをいただいて……」


「はい。相談に乗ってくれた僅かながらのお礼に……」



 すると御空先輩は、表情を少し曇らせてチケットを僕に突き返してきた。



「そういうことなら、私は受け取れない。いや、受け取る資格はない」


「な、何言ってるんですか。さっき僕の相談に……」


「あれは私が言いたいことを言っただけだ。それに、少しでも枢木夏向の気持ちを理解したいなら私より適任がいるだろう?」


「適任?」


「枢木夏向と境遇を同じくした、君にとって最も身近な人物。彼女に相談しておくと、何か力になってくれるんじゃないか? チケットは私じゃなく、その子に渡したまえ」


 そう言って、御空先輩は優しく微笑んだ――。

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