第30話 紫吹 肇という存在 ②

 フェスの知らせを受けてから一週間が過ぎ、プロモーションビデオの撮影も無事終了した。ついに今日、僕と夏向のデビュー曲は販売されたのである。

 丁度今、事務所のテレビでその中継を見ることができ、発売日にして既に在庫不足の店が続出しているとの騒ぎが起こっていた。



「す、すごいね……。私達のCD、もう売り切れたって……」


「今日発売なのに、こんなことってあるんだ……」



 プロモーションビデオが収録された限定盤は勿論、通常盤ですら売り切れたとのことだ。テレビを見ていると、インタビューを受けている人の映像が流れた。

 話を聞くに、どうやら予約しているのを合わせて七枚も買ってくれたらしい。

七枚買うと龍が現れて願いを叶えてくれる……、なんて事はないはずなんだがテレビに映っていた人は、とても満足気な表情を浮かべていた。



「二人共! 出たわよ、フェスの選考結果!」



 テレビを見ていると、事務所の扉が勢いよく開かれた。そして開口一番、秦泉寺さんによるお知らせが飛び出す。



「ホントですか、秦泉寺さん!」


「でも……いくらなんでも、早過ぎないですか?」



 僕の記憶では三日前に審査を受けたはずなんだけど……もう発表なんて、これが芸能界では普通なのかな。



「ウチのプロダクションからは夏向と咲のユニット『パッケージ』、そして斗羽利の三人がフェスへの参加が認められたわ!」


「私と夏向と……、斗羽利先輩……」



 出場が決まったのは三人、しかもあの金髪納豆女……霧生院斗羽利もその一人だった。



「ふーん。まぁ、私様は当然としても……貴女達まで通るなんて……」



 事務所の奥にあるソファーで寛いでいた斗羽利は、腰を上げて僕達の方へ近づいてきた。



「一緒に頑張ろうね、斗羽利ちゃん!」


「冗談でしょ、何で私様が貴女達と……。それに、これは良い機会ですわ。夏向、このフェスで私様と貴女、どっちが上なのかをハッキリさせましょう!」



 例のごとく斗羽利は、夏向に向けてビシッと人差し指を向けてきた。相変わらず上昇志向の強い女である、そこまで目の敵にしなくてもいいのに。



「そんな、私は上とか下とかなんて別に……」


「貴女のそういうところが気に食わないのよ! 私様が勝った時には二度とそんな態度が取れないように教育して差し上げますわ!」


「じゃあ、私達が勝ったら……これまでに斗羽利先輩が夏向にした酷い事を、謝罪してもらっていいですか?」



 僕は一歩踏み出して、斗羽利に交渉を持ちかけた。



「はぁ? 私様は何もした憶えはありませんけれど?」


「負けるのが怖いんですか?」



 僕は執拗に夏向を意識する斗羽利の性格を逆手に取って挑発した。こうすることで斗羽利は、間違いなく誘いに乗ってくるはずだ。



「……いいですわ、万が一……いえ億が一にもありえませんけれど……私様がフェスで貴女達に負けるようなことがあれば、謝罪でもなんでもして差し上げます」



 ほら、思った通りだ。

 僕は企みの成功を確信し、心の中でガッツポーズする。これでもう後戻りはできないが、斗羽利の一方的な因縁を断ち切る準備は整った。



「その言葉、確かに聞きましたからね。絶対に忘れないでくださいよ」


「アイドルになって一ヶ月も経っていない身の程知らずのくせに……このフェスを通して、私様に対する口の利き方を精々改めることね……」



 鼻を鳴らし、斗羽利は身を翻して事務所を出ていってしまった。さすがにあれだけの啖呵を切ったことで、僕と斗羽利のやり取りを見ていたアイドルやマネージャーたちが騒ぎ始めていた。



「これは賭けね、夏向と蕗村さんが勝てば事務所に大きな変革が起こるのは違いないわ。でも負けたら、斗羽利の独裁的な環境下でのアイドル活動を強いられることになる」


「秦泉寺さんも、夏向に対する仕打ちがこのまま続いちゃいけないって思っているんですよね! だったら、多少強引でも行動しなきゃいけないんです!」


「……蕗村さんの言う通りだわ。私は、あなた達を信じることにします」



 事務所の運命を託されたとまで言うと大袈裟だが、僕は夏向を守るためにここにいるんだという目的を今一度思い出した。その目的を果たせるなら、やはり斗羽利との決着は避けられない。



「夏向! 早速、歌の練習しよう! 新しいパフォーマンスとかも考えて、フェスのお客さんを盛り上げる工夫を……」


 僕が言葉を切ったのは、唇を動かすことさえ忘れてしまう出来事が起こったからだった。振り向いた先に居た夏向の目から、大粒の涙がこぼれ出していた。



「夏向、どうしたの!?」


「……ひっく、ありが……とう……。私のこと、心配してくれて……。私……ひっく、嬉しくって……うれし……くって……」


「今更、何言ってるの。夏向は私の……世界でたった一人しかいないパートナーなんだから、心配するのは当たり前だよ」



 僕はポケットに入れていたハンカチを取り出して、夏向の涙を拭ってあげた。



「さき……、さぁきぃ~~~~っ!」


 夏向の涙は止まったが、今度は鼻水が出てきた――。

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