第29話 紫吹 肇という存在 ①
「「お疲れ様でした!」」
僕と夏向の声は、壁一面ガラスが張り巡られた部屋に響き渡る。ダンスの振り付けを教えてくれる講師の方を見送って、僕はフローリングの床に腰を落とした。
「咲、だいぶ体の動きが良くなってきたね。曲の振り付けも覚えてきたみたいだし、これならバッチリいけそうだよ!」
「ありがとう、夏向。最初に振り付けを見たときは、本当に自分に出来るか自信無かったけど……今ならなんとかなりそうな気がしてきたよ」
アイドルユニット『パッケージ』のデビュー曲の振り付けを覚えるため、僕と夏向はダンスのレッスンに精を出していた。
激しく体を動かすこの曲に、最初はついていけるか心配だった。しかし練習を重ねること二週間、ついに体は安定した動きを覚えつつある。
「二人共、レッスンお疲れ様。ほら、これでも飲んで」
「ありがとうございます!」
部屋に入ってきた秦泉寺さんから受け取ったスポーツドリンクを、僕は体へ一気に流し込む。枯れかけていた喉が、見る見るうちに潤っていくのを感じた。
「秦泉寺さん、確かプロモーションビデオの撮影って三日後でしたよね?」
「えぇ。ユニット結成が発表されてから二週間、世間はあなた達の事で持ちきりよ。噂によると、既にCDの予約数だけでミリオンを達成してるらしいわ」
「す、すごい……」
練習しているダンスは、何を隠そうそのプロモーションビデオを撮る為に必要なダンスなのだ。歌って踊れるアイドル、その壁は決して低くない。
しかし予約だけでミリオン(百万枚)達成とは驚いた。やはり枢木夏向の名前は伊達ではない、ユニットを組んだというだけで世間を騒がせ、CDが出るとなればこれである。ゆくゆくは国を動かしかねない存在になるだろう。
「さーて、二人共。今日はビッグなニュースを持ってきたわ。これを見なさい!」
秦泉寺さんがショルダーバッグから取り出したのは、一枚の紙だった。紙には『We’re so Happiness ‐Summer Festival‐』と書かれており、賑やかそうにはしゃいでいる人の形を成したシルエットがたくさん散りばめられていた。
「フェスってことは、お祭りですか?」
「えぇ、それも日本中のアイドルが参加できるフェスになっているわ」
「日本中の、アイドル!?」
一言で日本中のアイドルといっても、容易に数え切れるものではない。僕だって把握できているのは、ごく一部にしか過ぎないだろう。アイドル戦国時代と呼ばれる昨今、このフェスは間違いなく、アイドル業界に波乱を巻き起こすに違いない。
「勿論、応募したアイドル全員が出られるわけじゃないの。プロモーションビデオをフェスの運営会社へ送って、そこの選考審査員から合格を貰ったアイドルにだけ、フェスの参加が許されるわ」
「つまり、いくら知名度の高いアイドルでも審査に通らなければ参加はできない……と?」
「そういうこと。今まで成りを潜めていた無名アイドルや、虎視眈々と水面下で牙を研いできたアイドル達がトップを狙ってくる。これは穏やかじゃないわ!」
「そ、そうですね……」
拳を握って熱く語る秦泉寺さん。その様子を目の当たりにしていることで、言葉に熱が増していくのを肌で感じてしまう。
「パッケージも、フェスに参加するように手配したわ。三日後に撮影するプロモーションビデオを送って、この選考を突破するわよ!」
「「おーっ!」」
拳を天井に向かって振りかざした秦泉寺さんに倣い、僕と夏向も右手を突き出した。
「フェスかぁ~、きっとたくさんの人が見に来てくれるんだろうなぁ~。これは是非とも頑張らないとだね、咲!」
「うん!」
一体どんなお祭りになるのか、今から楽しみだった。
ピピピピピッ! ピピピピピッ!
その時、携帯電話が音を立てた。着信メロディーは枢木夏向のセカンドシングル『恋話辞典』。間違いなく、僕の携帯だった。
「このメロディーって、私の曲……」
「あ、私の携帯だよ」
僕はカバンにいれてあった携帯を手に取る。液晶画面に表示されていた相手の名前は、渡良瀬琴美だった。
「……ごめん夏向、秦泉寺さん。ちょっと席を外します」
「う、うん……」
僕は二人に一言断りを入れて、部屋を出る。琴美との会話で何かしらのボロが出るのを危惧したのが理由だ。
スタジオの外まで来て周囲に誰もいないことを確認し、僕は電話に出た。
「もしもし?」
『あ、はじめちゃん? やっと出てくれた。もー、ずっと電話してたんだよぉ』
久し振りに聞く幼馴染みの声は、少しぶっきら棒な印象だった。
「ごめん、ちょっと立て込んでて……何か用事?」
『べ、別に用事がなければ電話しちゃいけないの?』
「いや、そういう訳じゃないけど……」
あれ、何だか変じゃないかこの会話。
何で僕が謝っているんだろう……。
『ふ、ふんっだ。夏休みに入ったのに全然部活に顔出さないから、ちょーっと気になって電話しただけですよーだ』
「あぁ、そうだったんだ」
僕はアイドル蕗村咲である前に、蓮水高校二年、手芸部所属の紫吹肇なのだ。アイドルになってからの生活が忙しく、そして幸せなあまり、すっかり忘れていた。
「僕、今お父さんに逢いに東京へ来ててさ。御空先輩や部活のみんなは元気してる?」
『うん。みんな一生懸命、自分の作品制作に取り組んでるよ』
「そっかぁ」
『……私のことは、何も訊いてくれないんだ?』
「ん、琴美何か言った?」
『言ってないよ! そんなに東京の暮らしがいいんだね、はじめちゃんって!』
ん、声音が変わった……琴美の機嫌がまた悪くなった気がするぞ?
「こっちは、まぁ……地元に無いものがあって色々新鮮っていうか……」
歯切れの悪いセリフで誤魔化す。琴美に限らずだが、本当のことが話せない以上、僕は嘘で繕うしかなかった。
『新鮮……ねぇ。てっきりアイドルを追っかけることに夢中になって、帰りたくないんだって思ってた』
えーっと、当たらずとも遠からず……何、琴美ってエスパーなの?
「そ、そんなことしてないよ!」
一応、否定はしておく。
何も言い返さなかったら、それはそれで不自然だからな。
『どうだか……それで、はじめちゃん。いつこっちに戻る予定なの?』
「う、うーん……夏休みが終わる直前……くらいかな?」
『それってあと一ヶ月近く帰らないってことじゃん! はじめちゃんは一体、そっちで何をやってるのよ!?』
アイカツ(アイドル活動)です――とは、口が裂けても言えなかった。
「と、とにかく僕だって暇じゃないんだ。もう切るよ」
『待って、はじめちゃん。実は私も来週、お母さんと東京に――』
ピッ!
半ば強引だが、僕は琴美との電話を切った。これ以上追及されると危険だ。
女装してアイドルやってます、とは言わないにしても、うっかり口を滑らしボロを出しかねない。
「はぁ~、隠し通すの……今以上に気を引き締めていかないとな……」
「咲、電話だれからだったのぉ?」
「うわぁっ! か、夏向……いつからそこに? もしかして話聞いてたの?」
僕は後ろから声をかけてきた夏向に驚き、その場で飛び上がった。
「うぅん、今来たばかりだから何も聞いてないよ。で、誰からの電話だったの?」
「ええっと、それは……地元の友達から……かな?」
「なんで疑問形? でも、そっかぁ。友達からの電話かぁ……」
夏向はどこか羨ましそうな、そして寂しそうな表情を僕に向けて静かに微笑む。
「私、アイドルになってから友達とはあまり連絡取れてなくて。仕事が忙しいのもあるけど、向こうも気を使ってくれてるんだと思う。連絡すると夜も遅いし」
「そう……だよね……」
僕だっていずれは、そうなるのかなぁ……。
たまたま琴美の電話があったことで、僕は学校や御空先輩のことを思い出した。そして同時に、彼女の電話がなければ思い出すこともなかったと痛感する。
既に変わり始めているんだ、僕が気づいていないだけで……。この変化を受け入れることが、アイドルの階段を登る一歩になるのだろうか。
僕は手に握った携帯電話を見つめ、そんなことを考えてしまった――。
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