第22話 パートナー ④
「さぁ、入ってちょうだい」
秦泉寺さんに促されて、僕は菊地原プロダクションの事務所へ足を踏み入れた。
中へ入るなり目に飛び込んできたのは、山積みになった段ボールと枢木夏向の等身大ポスター(水着Ver)だった。
「おっふ!」
ポスターに映った夏向を見たことで、心と体が感極まり声が出た。
「あぁ、驚くのも無理ないわね。この段ボールの中身、全部夏向へのファンレターなのよ。忙しくって、まだ全然目を通せていないの」
「そ、そうなんですね……」
驚いたのは段ボールよりポスターの方だったんですが、という真実は胸の内に秘めておこう。
その後、段ボールの隙間を縫って、僕は事務所の奥へと進んだ。
「初めまして、蕗村さん!」
「同じ事務所のアイドル同士、今日からよろしくお願いします」
「私も、アイドルになる時に上京してきたんですよ」
「私もです。一人暮らしで困ったことがあれば力になりますから、遠慮せずに言ってくださいね」
黒髪ツインテールを白のリボンで結んだ、元気一杯の女の子。
ボブカットで前髪を切り揃えた、青いカラーコンタクトをはめた女の子。
長身のモデル体型に黄色いワンピースを着た、年上の雰囲気を醸し出す女性。
バレッタで栗色の髪を纏めた、胸の大きな女性……などなど。
僕は彼女たちと顔を合わせるなり、自己紹介と称して簡単な挨拶を交わした。隣に居た夏向曰く、十人近い女の子達がプロダクションに所属しているらしい。
「みんな、蕗村さんとの挨拶はその辺にしてもらってもいいかしら。これから明日以降の話を詰めていきたいの、お願いできる?」
「「「「はーい!」」」」
返事をしたみんなは方々に散り、僕と夏向は事務所の奥に設置されていた鼠色のソファーに腰を下す。
柔らかく肌触りの良い感触に、体が骨抜きになりそうだった
「それじゃあ、始めるわよ。まず二人に目を通してもらいたいのが――」
明日からのスケジュールが書き記されたA4用紙を受け取った僕は、秦泉寺さんの言葉を一言一句聞き漏らさないよう集中して耳を傾けた。
内容を理解するのに必死な僕とは違い、隣に座る夏向は打ち合わせに慣れている様子だ、相槌を打ちながらスケジュール表にペンを走らせている。
時々、僕のことを気遣って情報の補足を付け足してくれた。彼女を支えるために僕はアイドルになったのに、これじゃあ立つ瀬が無い。
一日でも早く、この業界に必要な知識を身につけなくては……。
「――以上が、これからの大まかな予定となるわ。少しタイトなスケジュールだけど、体に不調が出たらすぐに教えてちょうだい」
話が切り上がると、時計は既に夜の七時を回ろうとしているところだった。夏は日の沈みが遅いはずなのに、窓の向こうはすっかり黒に染まっている。
僕のアイドル一日目が終わったんだと、ハッキリ実感してしまった。
「さて、それじゃあこれから蕗村さんを寮へ案内するわね。事務所に所属する子達はみんな寮を借りているの。ここまで歩いてこられる距離にあるから、夜道でも安心してくれていいわ」
「はい、わかりました。……事務所に所属する子達みんなって、もしかして夏向もその寮に住んでいるの?」
「ううん、私は違う場所なの。でも、今日は咲の家に泊まらせてもらおうかな」
「えぇ!?」
いきなり泊めてくれと言い出した夏向は、上目遣いで僕の方を見つめてきた。
「ダメよ、それは私が許可しないわ」
夏向の泊まり込みに対し、秦泉寺さんが待ったをかけた。さすが、事情を知っているだけあって口を挟まずにはいられなかったのだろう。
そう、泊まるなんてとんでもないことだ。青春まっただ中の男女が、一つ屋根の下で一夜を共にするなんてことが許されるはずもない。
それ以前にもう一つ……、夏向には絶対に知られてはならないことがある。
僕が男であることだ。
もし泊まりに来てそんなことがバレでもしたら現行犯逮捕、おまわりさんが飛んでくる。夏向を騙している罪悪感はまだ拭えていないが、それを世間へ公にしてはならない。
「むー、いいじゃないですか。女同士なんですから!」
「ダメよ! ダメダメ、絶対にダメ――ッ!」
僕に代わって、夏向の要望を全力で許可しない秦泉寺さん。
そのお陰もあり、夏向もどうにか折れてくれたのだった。
事務所で働く人や残っていた女の子達に挨拶して、僕は建物の外へ出る。寮の場所を案内するということで、夏向は僕の、僕は秦泉寺さんの後ろをつい歩いた。
寮のマンションは、事務所のあるビルから目と鼻の先に建っていた。
「ここのマンションの、『402』号室が、蕗村さんの部屋よ。御実家から送ってもらった荷物は中に置いてあるから、後で確認しておいてね」
「はい、ありがとうございます」
二、三日前のことである。僕はアイドルとして生活していくことで、一人暮らしを余儀なくされた。それにあたって着替えや枢木夏向グッズといった僕の生活必需品一式を、この新しい住まいへ送っていたのだ。
「咲、引越しの荷物を仕分けるの私も手伝うよ」
「だ、大丈夫! それくらい私一人でもできるから!」
いくら女性の服装で表面上は着飾っているとは言え、下着は男物。それを見られるかもしれない以上、夏向を部屋に上げることは絶対にできない。
「はい、これが部屋の鍵よ。明日は九時に事務所へ来ること、いい?」
「わかりました!」
「あ、そう言えば私、まだ咲の連絡先を聞いてなかったよね、教えてくれる?」
「え、いいのっ!?」
思わず聞き返してしまった。まさか僕の携帯のアドレス帳に、枢木夏向の電話番号を登録する時がくるなんて一体誰が予測できただろうか。
携帯電話の赤外線通信を行って、お互いのアドレスを交換する。僕は夏向の連絡先が記された携帯の画面を見つめて幸せな気分に浸った。
「これでいつでも連絡取れるね。困ったことがあれば、いつでも連絡してね」
「うん、毎日メールするよ! 夏向も相談とかあったら私を頼ってね、約束だよ」
「はーい、わかってまーす!」
そう言って夏向は腕を組んでくるが、僕はその手をヒラリとかわす。
このやり取りは今日だけで五回目、もう見切った。
夏向が自分で言った通り、過度なスキンシップを取るのはこちらも把握している。これからユニットとして活動する以上、彼女は何度もこういったアクションを僕にしてくるのだろう。
なので、その対処法をしっかり身に着けておかなくてはならない。
「む~、何で腕を組ませてくれないの!」
「だ、だからその……私はそういうのは苦手だって……」
「そうよ夏向。仲良くするのは良いけど、少しは蕗村さんに気を使いなさい」
秦泉寺さんとしても、夏向の行動には頭を悩ませている様子だった。
「じゃあ私はまだ仕事があるから事務所に戻るわ。二人共、明日もよろしくね」
「「お疲れ様でした」」
夏向と並んで、僕は秦泉寺さんに頭を下げた。
その後、夏向も自分の家に帰ってしまい、僕は新居となる寮の部屋へと入る。
当たり前だが誰もおらず、部屋の中には実家から送った荷物が置かれていた。ある程度の家財道具は備え付けられている仕様らしく、好きに使ってくれていいと言われている。なので、遠慮なく使わせてもらった。
さすが、アイドルを住まわせるということで行き届いた設備だった。
ストレスを感じさせない広々とした空間、でも一人暮らしに3LDKって……逆に落ち着かなくなりそう。
段ボールの中から荷物を取り出し、生活に必要な物を振り分けていると携帯が鳴った。着信画面を確認すると、電話をかけてきたのはお母さんだった。
「――もしもし、お母さん?」
『肇、もう仕事は終わったの?』
「うん、今日のところはとりあえず……」
『そう。アイドルの仕事って、私には何をするのかわからないけど、なんとかやっていけそう?』
「大丈夫、頼りになるマネージャーさんも居るし。なにより夏向が一緒だから!」
広いリビングには僕一人だけの筈なのに、電話越しに聞こえるお母さんの声がとても暖かく感じられた。
初日でホームシックなんて、先が思いやられる……。
でも、もう少しだけお母さんの声を聞いていたくて、僕はわざと話を長引かせてしまったのだった――。
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