ウブスナ

よたか

夢と現実

「いいかげんに起きたらどうなんだい?」夢の中で男が偉そうに言う。いつものことだ。

「もうほっといてよ。もうこのままなんだ。死ぬまでこのままなんだ」

 夢の中の僕は何度もこう言った。夢だと気がついて呟いた。目が覚めない自分にイラついて怒鳴った。夢の中で現実を受け入れて叫んだ。そして、いつからか現れたこの男に言い返した。

 夢の中の僕は自由だった。サッカー選手だったり、ステージに立つアーティストだったり、オリンピアンだったり、ダンジョンで魔物と戦う冒険者だったり、女の子だったこともある。

 そうして何度も夢を見つづけて〝ネタ〟が尽きてきた頃に、あの男が夢の中に現れた。

「もう十分だろ。いい加減に起きたらどうなんだい?」男は静かにそう言った。

 現実の世界で出来ない事を、夢の中で何度も疑似体験していることには薄々気がついていた。だけどそれを受け入れたらもう正気でいられなくなりそうな気がして心のどこかで拒否していた。拒否する事で心の安定を保っていた。なのにあの男が現れた事で台無しになってしまった。

「起きたって何もいい事ないじゃないか。このまま寝かせておいておいてよ」

 そう。ほんとはいつでも起きることは出来た。

 起きるだけならできた。


「あっ、いま起きてますよね」夢から覚めると、最初に母さんの声が聞こえた。

「そうですね。この形の波ですと起きてますね。それにしてもよくわかりますねぇ」年配の女性の声が聞こえた。

「だって、ずっとモニタを見てますもの」

「じゃ、いつもの読み聞かせされるんですよね」

「はい。もちろんです。でもその前にちょっとおトイレに行ってきますね」そう行って母さんの足音が離れていく。少し時間をおいてまた年配女性の声が聞こえた。

「もう無理なのにね。脳が酸欠になった時間が長すぎるもの。それでもお母さんだから諦められないのよね。きっと」

 いつもこうだ。母さんがいなくなると、みんなバカにするみたいなことを言うんだ。それでも母さんが帰ってくると平気で話をあわせる。なんだかとても腹立たしい。

「いっそ止まっちゃえば、あの人も楽になるんでしょうね」若い女性の声が聞こえた。

「なに言ってるの。私たちがめったなこと言うもんじゃないでしょ」

「あっ、はーい」

 年配の女性にたしなめられて、若い女性はそう言った。

「ただいま〜。元気にしてた?」母さんが帰ってきた。

「じゃ、今日はこのご本読みますね。サッカーのお話。この前すごく喜んでいたでしょ」

「喜んでいるのがわかるんですか?」若い女性の声。

「えぇ。脳波が嬉しそうに動きますもの。あぁ喜んでるって思うんですよ」

「そうよ。人間の感情はだいたい脳波に現れるのよ」年配女性が言って、じゃなにかあれば呼んでくださいね。そう言って僕と母さんだけになった。母さんはサッカーの本を読んでくれた。僕が夢で見るサッカーの知識は母さんが読んでくれる本の知識なんだと思った。本を読んでくれる母さんが好きだ。

 母さんが本を読んでくれるこの時間がとても好きだ。

 母さんの声がとても心地よい。

 母さんの声が好きだ。

 母さんが好きだ。

 母さんに会いたい……。

 そしてそのまま眠りについた。


 また夢を見ていた。母さんが聞かせてくれたサッカーの夢だった。サッカーの試合で時間が経つにつれて僕にボールが回ってこなくなった。気がつくと僕だけ子どもになっていた。他の選手たちはみんな大人なのに僕だけ子どもだった。いつも僕は大人にはなれなかった。

 大人になった時の記憶がないから、夢の中の僕は大人になったふりをした子どもでしかなかった。

「すこし沈んでるね。どうしたんだい?」夢の中で男が言った。

「最近は夢の中でも自由にならないだよ」めずらしく本音を言った。

「もうネタがないんだよ。そろそろ頃合いなんだって」

「また、起きろって言うんだろ。起きて一体なにができるのさ。なにもできないじゃないか」

「そんなの起きてみないとわからないだろ」

「起きて動けるならそうするよ。でも動けないんだよ」

「動くさ」

「動かないよ」

「動かそうとしてないだけさ」

「してるよ。でも無理なんだ」

「そう。じゃ、あの看護師たちの言った通りもう諦めるかい?」

「諦めるってどういうこと?」

「このまま、息をひきとるのさ。もし君が生きるのを諦めるなら私が引き取ってあげてもいいよ。どうする」

「いやだ」

「いやだ? 無理じゃなかったのかい?」

「母さんをバカにするあの女たちを許せない。このまま諦めるのはいやなんだ」

「ほう。でも君には何もできないんだろ。どうする気なんだい?」

「それはそうだけど、なんとかしてやりたいんだ」

「じゃ、目覚めて看護師たちを見返してやればいい」

「目覚めてったって、無理だよ。起きても動けないんだもん」

「動けないじゃなくて、動かないんじゃないのか?」

「うるさいなぁ。体を動かそうとしても動かないんだよ」

「じゃ、私が君を引き取ってあげようか?」

「引き取るってどういうこと?」

「君はもう死んじゃうんだよ」

「死んじゃうの?」

「そう。死んじゃうの」

「じゃ、母さんはどうなるの?」

「君が目覚めるのを待ってるからきっと悲しむよね」

「そんなのヤダ。母さんが悲しむのはヤダ」

「あの看護師たちも『やっぱり無駄だったね』って言うかもしれないね」

 男にそういわれると、悲しくて、悔しくてなってきた。

「どうする? そろそろ決めないと時間がなくなるよ」

「時間がなくなる? ずっとこのままは無理なの?」

「君をこのままにしておくのは、結構なお金を掛かるんだ。だから近いうちに機械を止めることになる。それに」

「それに、なに?」

「君のお母さんの体力も気力も限界に近い。君がお母さんを助けたいなら、もう決めなくちゃいけないんだ」

「でも、そんなの無理だ。出来ないよ」

「できるさ。君はもう目覚めることができるんだよ。ただ怖がってるだけさ。目覚めようと思ったら強い想いが必要かもしれない」

「強い想い?」

「だけど君はそれを貰っただろ。お母さんからたくさん貰ったろ」

「うん。そうかも。そうかもしれない」

「じゃ、頑張ってみなよ」

「うん。おじさんはどうしてずっと話しをしてくれたの?」

「まぁ仕事だよ。ウブスナだからね」

「ウブスナ……」


「あらっ、あまり寝なかったのね。もう目を覚ましたわ」母さんの声が聞こえる。

 〝おはようと〟というつもりだったのに声にならなかった。手足を動かしてみたけど、思い通りには動かなかった。

 母さんの声が聞こえた。今までに聞いたことがないくらい嬉しそうな声が聞こえた。

「起きたわ。坊やが目覚めたわ。誰か来て。はやく来て」

「えっ、赤ちゃんが目覚めたんですか?」女性たちの声が聞こえた。

 声にならない声を振り絞って叫んでみた。

「オギャーッ」

「すごい大きな産声ですね。ずっと寝てたとは思えないくらい」

 言葉が出てこない。声を出せば出すほど記憶があやふやになってくる。いろんなことを忘れていくのがわかる。なにもかも忘れそうになった時に母さんが僕を抱きかかえてくれた。

「生まれて来てくれてありがとうね」


 生まれて初めて幸せを感じた。

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ウブスナ よたか @yotaka

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