#169:極限な(あるいは、掲げろ、胸に)
「ムロ……ト?」
僕の異状をいち早く察したと思われるサエさんが、そう不安そうに下から見上げてくるけど、大丈夫、大丈夫。こんなこと平常だ。全然大丈夫。僕は大きく深呼吸すると、気持ちを立て直しにかかる。
腹くくるんだ、起きてしまったことは飲み込んで前に進まなきゃって、翼に言ったばっかりじゃないか。これしきのこと……っ!!
「……」
それよりもジョリーさんが作ってくれてオーリューさんが調整してくれた、この大事な「紅」のメイド服が汚れてしまう。
僕は自分の体を支える把手を掴んだまま、慎重にメイド服のスカート部分をたくし上げると、左脇腹のところで結んだ。これでひとまず大丈夫。下に身に着けていた自前の水色のボクサーブリーフは、既に盛大に赤黒いシミが滲んで、右の太ももの内側に赤いものが伝い始めていたけど、大丈夫大丈夫。
「なに……何やってんのよ!!」
サエさんの鋭い声が下から飛んでくるけど、大丈夫大丈夫。ディスプレイに表示された僕の平常心乖離率は「44%」。まだまだ全然戦えるよ。
「む、ムロト選手……大丈夫……です……か?」
実況のリアちゃんもそう心配そうに僕に声をかけてくるけど、大丈夫大丈夫。それよりも翼だ。僕は改めて銀色の髪と瞳をした自分の双子の兄に向かい合う。
「……なかなか気合い入ってるじゃねえか。お前もお前で、……まあ色々苦労はあったんだろうってことは分かったぜ」
少しビビッてないか? 翼。それにお前は何も分かっちゃあいない。
「腑抜けたこと……言ってんじゃねえぞ。こんなの気合いでも苦労でもないんだよ……それよりも、それよりも!! 外見を変えたってどうしようもない事なんて、ご覧の通りたくさんあるってこと、わかっただろ!? 上っ面だけでリタさんに接しても、何も打開できないんだってこと、わかれよ!!」
僕の叫びが、翼に届けば。
「……お前はリミさんじゃない!! 宗谷翼!! リタさんを心から愛している一人の男なんだろ? 惚れた女の閉ざした心くらい、こじ開けてみせろよっ!! 金玉ついてんだろうがあっ!!」
「兄の玉はふたつもあるの」という葉風院の先ほどのしょうもない歌が頭をよぎってしまうけど、僕の伝えたかったことは、全て言い切った。
<ムロト:平常心乖離率:108%>
<ミリィ:平常心乖離率:139%>
腹から声出している内に昂ってしまったようだ。しっかり掴んでいた左の把手に電流のようなショックが走り、僕は思わずそれを放してしまう。途端に体が左後方に泳ぎ、尻餅をついてしまう僕。右手だけが、ギリギリで僕の体を支えている状態だ。
翼も右足がクラッシュを受け、今や左手だけでぶらさがる恰好で、体を何とか滑落から防いでいる。両者極限状態。決着の時は近づいている。
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