第七話『初めての対人戦』

 開始のアラームに合わせてオレは地を蹴って飛び出す。ゲームの中とは思えない普通のダッシュに、内心ガッカリしていたが、始めたばかりでそんな超人能力を期待したところで意味などない。


 ――まずは……先手を取る!


 初めてのフルダイブでの戦闘、そして相手は圧倒的な格上だ。オレには先手を取って少しでも優位に立ちたいという思考があった。


「動かないのか?」


 対する猫耳少女のレナは動く気配も無い。腰に帯びた剣を抜く様子もなく突っ立っているだけだ。様子見なのか? はたまた嘗めてるのか?


  もし後者ならその隙を突けば勝機があるかもしれない。オレは猫耳を剣の間合いに入れたところで、勢いよく剣を上段から振り下ろした。


「せやっ!」


 真新しい両刃が鋭い風切り音を立てて猫耳に襲い掛かる。だが相手はなんて事なく鋒すれすれで回避した。いとも容易く避けるその姿は完全に格下をあしらうものだ。


 対するオレも剣を振って上下左右と攻撃の手を緩めなかったが、相手は見切っているのかあっさりかわしていく。しかも顔には余裕そうな笑みまで見えた。


「くっそ……だったら」


 オレは剣を左に構えて先ほど素振りで撃った横斬撃技『ホライゾン・スラッシュ』をイメージした。それに呼応するように剣が白く光り見えない糸に引っ張られるように加速を始める。ポジションを下辺りにしたために剣の軌道は相手の脇腹を狙った格好になっていた。


 だが完全に剣技スキルを見抜いていたのか、レナはスキルが発動してから刃が届く寸前の一瞬、剣を少し抜くだけでスキルごとオレの剣を止めて見せたのだ。


「なっ……」


 鞘から僅かに抜かれた剣はオレでも知っていた。確かレイピアという細身の剣だ。白銀の刃はオレのブロードソードよりも細く頼りないはずなのに、火花を散らしてオレのスキルをあっさりと防いでいる。


「ぐっ! くそっ……」


 剣を握る左手に必死に力を込めるが、びくともしない。岩か大木にでも剣を打ち付けたかのように左手に手痛い衝撃が伝わってくるだけだ。


  僅かな時間でのほんの少しのやり取りだが、オレの額から大きな汗の玉がこぼれるのに対し、全く動じる様子の無い猫耳の眼には焦りどころか、最早オレを敵とも見ていないように視線は冷たい。


「所詮初心者よね。ステータスはもちろん、それを補うプレイスキルも何もなっちゃいないわ」


 その言葉の後、鞘と刃の擦れる音が響くと同時に抜き出されたレイピアによってオレの剣は簡単に弾かれた。すぐに体勢を整えようと剣の柄に右手も添えたその時、レナの右腕が流れていったかと思えば、そのまま一太刀の下に斬り伏せられる。


「あっ……」


 閃光のように迸るダメージエフェクト。大ダメージの被弾によるノックバックで後ろに倒れていくオレの耳には、不思議と名前を呼ぶコーネリアの声が聞こえる。


 ゲームだからか初めての戦いによる興奮状態からか、斬られたのに痛くはないものの、傷の箇所からは血のエフェクトが滴っていた。


「はあっ……はあっ! これ……マジかよ」


  剣を振り回したせいかゲーム中というのに息も上がっている。久し振りに体を動かしたせいか、サッカーをしていた頃の体力は影すらも消えてしまっていた。


 こんな派手なエフェクトが出ていて、どれだけダメージを受けたのか気になり、視界の右上にあったHPのゲージに焦点を合わせてみる。


「うっ、嘘だろ!?」


 あまりのダメージ量にオレは息を呑んだ。三百程度の体力がたったの一撃で二百も奪われたのだ。剣技スキルを使わずにこれでは、スキルをまともに受けてしまえばHPが最大でも間違いなく一撃でやられる。


 それでも初心者が相当なレベル差のあるプレイヤーに挑んだのだ。それくらい気が付いて当たり前だろうが、オレがあの場で引き下がれる程の冷静さは無かった。


「もう止めたら? これが私との力の差であって、君を始めとした初心者をここまでに育成するのは、大変な時間と根気が要るの。だったらここが本当にゲームの世界だとして、強制ログアウトをただ待っている方が楽なんじゃないの?」


 凛とした声が聞こえる。擬似的な疲労によって震える腕で体を起こすと、剣に付いた血のエフェクトを剣を振って飛ばし、ため息交じりに呆れた様子でオレを見下ろしていた。


「確かに、ここに来たのが分かってから既に八時間は経つな。強制ログアウトもできていないし、なんのアナウンスも無いなら無能運営、もしくは意図的に行われたものになる」


 体を起こすも、オレにそのまま止めを刺してこないレナは試合開始と同じだけ距離を取った。どうやらただ勝負を着けるのでなく、オレの心を折るのが目的だろうか?


  確かに最早決闘(デュエル)なんて聞こえの良いものとは到底言えない。猫耳や先ほどのコーネリアの言う通り、誰の目から見ても分かるほどの一方的なに捉えられるのだろう。


 ――このままオレは何もできずに負けるのか?


 そんな負の思考が頭を過った。それを振り切るようにオレは剣を握る手に力を込めて戦う意思を奮起させる。このままでは絶対に一撃を入れることなど無理だろうが、それでも諦めたくは無かった。ここで負けたら、この先オレは何も成し得ないのだと心のどこかで察していた。わざわざオレにこの場を譲ってくれたコーネリアも何か期待を持っていたはずだ。


 ――そんなの……嫌だろ。


 一発でいい、そこにつながるまでの隙さえ見つけられれば勝機が見える。諦めることなど考えられないのだ、苦しいのにただ指をくわえて待つだけなのはもうこりごりなんだ。


「私だってこんな事するのは気が進まないわよ……」


「どういう意味だよ?」


 少女の声がか細く聞こえた。彼女を見てみると、その瞳には憂いのような色が浮かんでいる。そんなことを考えているとは思わなかったオレは不意を突かれていた。


「そのままよ。こんな事、本当なら許されないのは分かってる。それでも私は……」


 どうやらただ身勝手な行動をしている訳ではないだろう、罪悪感がある口振りだ。


「こんな事になって、運営にメールをしても何も返答が無いって言う人が居たわ。勝手にゲームに入ってしまいログアウトが出来なくて、子どもの出産に立ち会えないって言う人もいる。今の状況に不安になっている人たちは、山のようにいるのよ……」


 レイピアを握る手が震えている。静かな口調には固い決意を匂わせるところも、彼女にも現実に大切なことを残していたまま閉じ込められているように思えた。相手にも相手なりの想いがあるのだ。


「だからこそ私たちが頑張らないといけない。誰かに謗られようと、卑怯だと罵られようと、他のプレイヤーより強いなら皆より辛い思いをしてでも、私たちはプレイヤー全員がログアウトできるような手段を探さなくちゃいけないのよ!」


 オレを見下ろすレナの強い言葉に、覚悟に、周囲から感嘆の声が漏れる。そうかもしれない。それでも彼女の言葉にオレには共感しかねるところがあった。


「正しいかもな……それ……一刻も早く帰りたいのはオレもそうだよ」


 剣を地に突き立てオレは立ち上がる。初めてリアルなノックバックを受けたからか足元がふらつくし、衝撃で目眩も感じている。

  そうであってもあの強い言葉を持つレナに対して、オレにも無謀な戦いを挑むだけの理由がもう一つ生まれていた。それをぶつけるべくオレは大きな声を出した。


「あんたらがただポーションを独占したいだけじゃないのは分かった。すごく立派だし、正しいなって思った。」


 剣を掴んでいた右手に強く力を込める。レナにそれだけの覚悟があるなら……


「だからこそオレにも……いや、初心者たちにだって戦う権利はあるはずだ!」


 

  それでも、オレの口から言葉が次々と溢れ出てきた。


「あんたの言う通りオレは初心者だ。でも、オレは現実世界では今まで誰かの助けが無いと駄目だった。友達に助けられて、家族に助けられて、そうじゃないと生きていくことすら難しかった」


  車椅子生活を余儀無くされて、初めて思い知らされた己の無力さを噛み締めていた。あんな気持ちを味わいたくない、味わせたくない。


「だからこそ、次に誰かが辛かったら、助けが必要なら、オレは手を伸ばしたい、全力を懸けて支えたいんだ!」


 浩介たち学校の友達に母さんや父さん。皆に助けられてきたからこそ、オレだってその想いに報いたかったのだ。


  あの時、脚が動かないオレには当然のように助けられる毎日が苦痛にすら思う日があった。あんなに親切にしてくれるのにオレには何も出来ない。たった一歩、それだけを踏み出すことすら難しい。それが『当たり前』だったはずが、それを失うことがこんなに苦しいのだとわかった。


 だが今はこうして脚が動く。大地に立って自分よりずっと強い相手に面と向かっていられる。誰かの為に戦う事ができる。


「あんたたちがこうして皆の希望になるために先に進みたいのは分かるよ。でもこうしてポーション買いに来た人の中にだって、皆の為に戦いたい人はいるはずだろ? そんな覚悟を持った人たちを簡単に切り捨てないでくれ……」


 オレの言葉に力があるのか分からないが、相手から目を逸らして気持ちまで負けてしまいたくなかった。


 当たり前を失って初めて分かる辛さ、それを今はここに居るプレイヤー全員が味わっているのだ。


  それならオレは皆の当たり前の日常を取り戻したい。その為に脚が動くようになったのなら、全力を賭して当たり前を奪った奴らと戦いたい。


 ――ここがオレの……セイリアの始まりなんだ。


 オレの言葉を聞いた猫耳少女は目を瞑り、一つ深呼吸をする。何を思っているのか知ることはできないが、再び目を開いた猫耳からさっきまでの殺気のような鋭い雰囲気が和らいでいた気がした。


「そう……。君が心に秘めた覚悟ってやつかしら? そこまで大口叩くなら……」


 緩やかにレイピアの鋒を上げていく。それがオレを捉えた時、レナの所作がそこで止まった。


 そう、忽然として辺りが制止する。周りの野次馬、空気の流れ、森羅万象の時が凍結したかのように感じられた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「君の覚悟聞かせてもらったわよ。良いじゃないの、男の子らしくてカッコいいって思った」


 時間が凍結した世界の中で誰かが語りかけてきた。心の中に響くように伝わってくる。


 止まったままのレナを視界に入れておく為に僅かに視線を声の方向に向けることしかできなかったが、オレのすぐ左側に知らない女性が立っているのが見えた。


 背中には銀色の柄と鞘に精緻な装飾を施された剣を、そして萌木色を主としたコートを羽織っている。それはオレの持つコートと全く同じ物だ。


 背はオレよりも少しばかり高く、顔は綺麗に目鼻立ちが整っており、凛とした精悍な雰囲気を漂わせる女性だった。


「でも足りない。言葉だけじゃには行き着かないのよ」


「……何が言いたいんだ?」


 隣に立つ女性が何を言いたいのか分からない。すると女性はレナの方へと指を向ける。


「あの子は自分の言葉と覚悟の重さを君に、そして周りの人に剣で示そうとしている。何故ならここが戦場で、君と相対する言葉を持った敵だからね」


 心に伝わる響き、そして女性の言葉からはオレに何を伝えようとしてるのか、ようやく読み取れた。


「君も今言った覚悟を、ちゃんと剣で示さなければいけないの……」


 つまりは勝てって事なのか? しかしさっきの打ち合いでオレはあの猫耳剣士との実力の差を痛感していた。


「どうやって? オレはあいつに届かないんだ。実力が足りないんだよ!」


 わざわざ正義ぶってまで強い相手に挑んでおきながら、我ながら情けない言葉を出してしまった。

 しかし女性から笑う声が聞こえるだけだ。


「それは違う……違うのよ。体が強かろうと、今なら相手を斬り伏せる必要などない。一撃入れるだけでしょ?」


 女性はオレの肩に手を置き囁きかけた。不思議な響きで、体の奥から力が溢れてくるようだ。


「相手の剣をよく見て、鋒の一点までよ。あの子は強いけど、それでも君なら一矢報いるくらいならできるはず」


「何を根拠に……」


 オレの言葉を遮り、女性は話を続ける。


「大丈夫、剣技には弱点がちゃんとあるから。君の反射ならそこを突くチャンスは必ず来る」


「そんな事言っても、そもそもあんた誰なんだよ?」


 そう言いオレは女性に振り向くと既に女性は姿を消していた。再び猫耳の方を振り向くと、心の中に女性の声が響いてくる。


「そうね……私は君が持ってるメダルに宿ったと呼ばれた者の魂よ」


「な、何を……」


 重要な事を最後に語った女性をオレは問い詰めようと口を開いた瞬間、


「私に剣で証明して!」


 澄んだ声が辺りに響き、凍結した時は再び熱を加えられて動き出す。

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