第六話『ケットシーのレナ』
一人の猫耳少女の登場によって、それまで怒号の飛ぶ場面が瞬時に静寂へと引きずり込まれる。
オレも思わず足がすくむほどの威圧感に言い淀んでいたのだが、隣にいたコーネリアは苦い表情で少女に声を掛けていた。
「お前……レナなのか?」
腰に帯びた装飾された銀色の鞘に収まる剣、身に纏う白のケープと下から覗く黒を主とした服装に同色系のスカートに白黒ボーダーのマフラーといった、センスも感じられる美少女と言っても十分なほどだ。
その顔立ちも、黄というよりは金に近い瞳にブロンドに近いかなり明るめのブラウンのミディアムヘアーが大人びた印象をもたらしている。
そんな猫耳はコーネリアの問いかけに凍えるような笑みを湛えて口を開いた。
「あら? コーネリア君じゃないの。久し振りだけど何か用かしら?」
どうやらコーネリアの知り合いだが、とぼけた返事にオレのイライラも募る。自然と拳を固めて声を荒げ、詰め寄っていた。
「何でポーションを買い占めようとしてるんだよ? さっきあんたが居た集団とそこの女の子だと、見たところ三十人も居ないだろ!」
猫耳少女のレナは依然として無言の剣をオレに向けている。かなりの迫力が込められた目付きに思わず一歩引いてしまいそうになったが、オレも何とか相手から視線を逸らすことなく堪えていた。
「セイリア、今この人とこの状況で関わらない方がいい」
「うるさい……お前も引き下がるのかよ? あっちが悪いんだぞ?」
この時、頭に血が昇り冷静さを失っていたオレもそれに負けじと睨み返していた。
小さな頃から間違っているものに対して正直に追及する性格だったオレを、小学生の頃から知っているコーネリアは肩に痛みが走る程に強く掴んできた。
「この人は上位プレイヤーだ。何のつもりか知らないけど、面倒なことになるから止めておけ!」
コーネリアの慌てようにオレも少しばかり戸惑った。相手の少女の後ろにいる女の子の一団もなぜかざわついている。
当然人がログアウトまでの状況を耐え̪しのごうというのに、多くのプレイヤーらを邪魔するのがまかり通るとは思えない。
「こいつ誰なんだよ? お前がそこまで言うなんて……」
コーネリアの手を手荒く振りほどくも、少し落ち着きを取り戻したオレの単純な質問に、猫耳の側にいた背が高く槍を背負ったマントの少女が突然大笑いし始めた。
「アッハハ、こいつ初心者みたいだよ。レナの事を知らないなんてねぇ!」
「ちょっと……止めなさいよ。失礼でしょ」
笑いこける少女を青い弓を背負った茶髪の肩まで伸ばしたボブスタイルの少女がばつが悪そうに注意している。こちらの無知は承知の上なのだが、勝手な行動をして他人に迷惑をかけられる身にもなってほしいものだ。
「こいつはレナっていって、見た通り種族はケットシー。戦闘とか、大人数での指揮能力ではトップレベルのプレイスキルを持つプレイヤーだよ」
「そんな有名プレイヤーがマナー違反するのか……このゲームってそういうもんか? 名前の知れたやつがこんなことしてたらネットとかで炎上するだろ普通……」
コーネリアも猫耳少女のレナがわざわざマナー違反をする理由を察せずに頭を掻いている。
「それに後ろにいる女の子の一団もクリスタルローズって言うんだが、レナはこのゲームの中でもかなり名の知れた女の子を集めたギルドでギルマスを張っているんだ」
「そっか、このゲームは上位のやつがアイテムを独占しても文句を言えないようなものなのかよ」
これは精一杯の煽りの意味を込めた言葉だ。オレが対峙する相手がいかに格上なのか分かってきた。
「普通なら炎上ものだよ。それでもこんな状況だし、今文句が出てこないのはあいつだからこそ、何かしらアイディアがあるからという希望的観測があるのかもな」
コーネリアの説明からこのゲームの中でもかなりの有名人だとわかる。周囲も騒ぎを聞き付けたのか、人も集まり始めていた。
「だからゲーム内でも有数のギルドやプレイヤーとも繋がりはあるし、他のプレイヤーに対して影響力も大きい。敵に回すと今後良くないかもしれないんだ」
「結局ゲーム中でハブられるんだろ? 悪いのは向こうなのにな」
そうであったとしても、いくら緊急事態とはいえ必須アイテムである回復ポーションを有名ギルドで独占。
こんな明らかに大事になる行動を、他のプレイヤーが見てることしかできなくても、オレには見過ごしてはいられない。
「それでもオレは自分らさえ良ければ……なんて考えは嫌いだ。今はある程度は皆が協力して現実世界側から強制的にログアウトされるまで待つべきだろ? それに有名プレーヤーがこんなことしても文句を言われないことに、尚更オレは納得できないよ」
オレが言い放った正論に相手側も反応を見せる。どうやら良くない事とは分かっているらしいが、相手に退く気は無いのか、リーダーの猫耳剣士レナが口を開いた。
「それなら決闘(デュエル)で決めましょうか? 口論で決着が着かないなら、実力で決めるのだって解決法の一つよ?」
その返事に周囲はどよめく。コーネリアだけでなく周りのメンバーでさえもレナを止めようと前に出てきているほどだ。
「おい、相手は戦った事もない初心者だ。有名人が初心者いじめなんて、流石に卑怯だと言われても仕方ねぇぞ!」
「やっぱり止めようよ。ただでさえマナー違反はダメなのに、それを指摘した初心者を力でねじ伏せるのは、ギルドとしても、レナちゃんの立場にも良くないよ……」
コーネリアはもちろん、マントの女を諌めていた弓の少女がレナを止めに入る。それでもレナの眼は険しいままこちらに向けられていた。
「初心者には分からないことだけど、高難度のダンジョンなら長時間の攻略に耐えられるよう、休憩する為にログアウトができる魔法陣があるの」
その事実にコーネリアの表情も変わる。どうやら知らなかっただろうが、流石に上位のプレイヤーならではの知識にまでは精通していなかったはずだ。
「ここに来て六時間近くも経っているのに現実側から何も手を加えられないし、運営からのアナウンスも無いのよ。これ以上は現実の体に悪影響を及ぼすだろうし、そういったシステム上でのログアウトも試すべきじゃないの?」
その言葉に反論するレナ側の仲間たちも口をつぐむ。それは紛れもない事実であり、恐らくは一千万を超える人たちが突然このゲームに入ったきり、ログアウト出来ない状態にあるのだ。
「ここから一番近い高難度ダンジョンは一月前に攻略したばかりだし、回復ポーションはたくさん必要よ。まともに戦えない初心者にまでポーションを分けるくらいなら、こうして実力のある私たちが率先して動かなくてどうするの?」
「……もしもそれすら使えなかったらどうするんだ? 少なくともここに並ぶ皆が生活資金に苦労する可能性が出るぞ。オレらもここにいる以上は食事とかが必要になる。このゲームはストレスになる空腹感とかはしっかり調整しているって聞いたけど、あと数時間ならともかく、仮に数日になったらどうするんだよ?」
「少なくとも私はどれだけ他のプレイヤーから謗られようとも、一刻も早くこの状況から脱出するために動くわ。これからのことは可能性を全て潰してからでも遅くはないはずよ」
意見は完全な平行線だ。こんな異常事態に対して運営側から何も反応無しならば、とても低いはずだが意図してここに閉じ込められている可能性もあるだろう。
だからこそ、彼女らを含めたを
そういった考えはオレにも分かるが、それでも今生じようとしている初心者と経験者との理不尽な格差を許せなかった。
そして、明らかに猫耳有利な決闘の提案にオレは頷くことで承諾する。
「こっちは構わない。決闘でも何でも、オレが勝ったらきちんと約束を守ってくれることを承諾してくれれば十分だ」
もちろんこの言葉に周囲が一層騒ぐ。これは無謀な戦いであり、レナが合理的に初心者のオレを黙らせようとしている算段なのは重々承知だ。
それでも小規模とはいえ、彼女らのギルドで強制的にオレらを排除しなかっただけでもマシだと考えたのだ。
隣で見ていたコーネリアも諦めたのか、首を縦に振ってくれたのだが、何やら釈然としない様子だ。
「まぁ、基本デュエルモードで体力を無くしても復活の神殿に飛ばされて復活するし、持ち物も減らないからな。でも、ここは俺があいつと戦った方がいい。レベル差もありすぎるし、何よりもこれは素手の喧嘩とは違う、武器を使った本当の戦闘だ」
「……別にどっちが相手でもいいわよ? コーネリア君には、ほんの一週間前に勝ってるし」
「本当に前の俺と同じか確かめるか?」
今度はコーネリアとレナの間で火花が散っている。二人の実力がどのようなものかは分からないが、レナがオレの方に向けて指を向けて提案を一つ出してきた。
「そっちの初心者なら、私にダメージ入れたら勝ちにしてあげるわよ? それくらいのハンデが無いと勝負にならないし」
「本気か?」やら「いや、あのレナだぞ?」という声が聞こえる。今のオレとあいつにはそれほどの差があるというのだろうが、これは願ってもないチャンスだ。ここであいつを倒せば好き勝手なことをさせずに済む。
「ああ。分かったよ」
「あいつ今レベル三十台後半だけど、最大の八十にも勝ってる経験があるくらい腕があるぞ? 無理しないで俺が戦う方が勝てると思うんだが……」
始めたばかりのオレにそんな大役を任せるのはコーネリアも渋っていた。しかし、オレからしてみればレナの言葉からコーネリアにも不安が浮かび上がる。
「初心者のオレが勝つのが重要なんだ。そうでもしないとアイツが初心者を蔑ろにしているのを恥だと思い知らせることができないだろ? それにお前も負けてるよな? 僅差の試合だったのか?」
「うっ、途中から一方的だったな……。わかったよ、今回はお前の身体センスに賭けるとするよ」
「……済まない、でもあいつには何が何でも勝ってやるさ」
話もまとまったところで、オレが一歩前に出る形で答えを返した。
「あんたと戦うのはオレだ。ちゃんと一発入れたらオレの勝ちだからな!」
「そう……」
そしてオレは猫耳をひたと見据えた。相手はなにやらメニューを操作しているようだが、すぐにメールの着信を示すプレートが現れる。
見てみると『デュエル申請。申請者・レナ』と上に大きく表示されていた。
他にもレベルが三十六であることや、
「おいセイリア、ちょっと待ってろ」
何か慌てたコーネリアが突然オレを止めたかと思うと、
「おい! こいつスキル設定もしてないからその後でもいいだろ?」
そうコーネリアは猫耳に提案する。その申し出に対し、相手は即首を縦に振って同意した。
「別にいいわよ。カウントダウンは私と彼の二人が決闘に同意して始まるし、どうせ初心者が何しても勝てないわよ」
初心者に負ける訳がないと言わんばかりだったことが悔しいが、このままではどうしようもない。オレは僅かな時間でコーネリアからスキル設定を教わることになった。
「いいか? スキルは主に武器技、魔法、アイテム関連、職業関連の四つから派生していて、その種類は種別カテゴリーでは五十、全体では優に千を越えてくる」
「多すぎだろ……」
「今は気にするな。お前のレベルだと、はっきり言って全部がレナの足元にも及ばないが、あいつが提示した条件ならお前の運動神経なら勝てるかもしれん」
「何を……」
「はいはい、相手待たせてるからとっとと設定するぞ」
目くじらを立てるオレをコーネリアは制すると、説明を続けていく。
「初期は二個だけメインのスキルを設定できるから、まずは攻撃用スキルの欄を出してくれ」
「出たけど、これだけって少ないよな?」
「最大レベルなら十個使える。二個でも戦闘に使う分なら問題ない」
スキルについては分からなくても、始めたばかりのオレが使える技の数は段違いに少ない事は当然だろう。
「とりあえずお前は『片手直剣技』と『基本体術』の二つをスロットに入れとけ。初心者にオススメだからな。それとお前が使う剣スキルの発動方法も教えてやる」
「わっ、分かった」
コーネリアの指示でなんとかスキルの選択をすることはできた。オレがうまく設定したことを確認すると、更に実戦での使い方も教えてくれた。
「攻撃スキルは決められた構えから発動される。いくつかの攻撃は同じポジションで発動されることもあるけど、今回は気にしなくていい」
オレが困惑する表情を見ながらも丁寧に教えてくれるコーネリアに内心感謝していた。
「それと攻撃スキルはマニュアル起動とオート起動の二つがあるんだ。オートはスキルの発動時点で勝手に体がそのスキルを行ってくれる」
コーネリアの説明に必死に付いていき、何とかオレはスキルを理解しようと、彼の言葉を一つ一つ反芻して頭の中に叩き込んだ。
「マニュアルはブーストって起動に合わせてスピードを加速してくれる機能があるんだけど、加速すれば威力を上げられるしオートで起動するのと違って、ある程度技の軌道をコントロールすることも出来る」
「結構難しそうだな」
「そうだな。正直初心者には扱いやすいオート起動が常識だけど、あのレナを相手にするなら多少は自由も利くマニュアル起動じゃないと、動き読まれてカウンターとか当て放題だろうよ」
「だったら試合中に慣れるようにするさ。こう見えても慣れは早いと自負してるからな」
オレを見るコーネリアはどこか心配げに見える。周囲の人らもきっと初心者丸出しのオレの姿に期待などあるはずもないだろうが、オレにとってはプレッシャーを微塵も感じないだけに、良い感じにリラックスできる。
「片手直剣で初期から使える技は三つしかなかったはずだから、メニューからマニュアルでも見たらポジションもすぐにわかるはずだぜ」
「……とりあえずやってみなきゃな」
背中の剣帯から抜き出したブロードソードは想像より重く、剣を持った左手に重さが伝わる感覚はリアルに伝わってくる。剣など実際に持ったことなど無いが、刃の金属らしい輝きや目に見える鋭さに至っては本物としか思えないほどだ。
ものは試しにと、基本技であるホライゾン・スラッシュ(水平斬り)を撃ってみることにした。スキルを発動するポジションである体の横に剣を構えると、刃が白く輝くと同時に何かに引っ張られるような力が与えられ、一気にオレの剣が水平を薙ぐ。
「これ難しいな……」
マニュアル起動による加速でもたついてはいたものの、これならばコントロールは何とかなる。それが初めて剣を振った感想だった。
すると、目の前でオレの動きを見ていた猫耳がやれやれと言わんばかりのため息を吐く場面をオレは視界の端に捉えていた。
「何だよ? 笑うなら笑えばいいさ」
「そうね、完全に初心者の動きだわ……」
「そんな事言っておいて、負けても文句言うなよ?」
「当然よ、君に私の力との差を示しておく必要があるでしょ」
一通りの基礎を身に付け、オレは目の前にある薄紫色の決闘申請のプレートの一番下にあったOKボタンにタッチした。
すると半径十メートルほどを囲むように、紫がかった薄い空気の膜みたいなものが張られていく。触れてみると抵抗力を感じるところから、これが戦う領域なのだろう。
『試合開始まで、五、四……』
機械音声によるカウントダウンが進む。サッカーの試合前にやるようにオレは深呼吸を数回してから小さく二度ジャンプすると、試合開始のアラームが市場の空気を震わせ、初めての戦いが始まったのだ。
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