ぽめらにあん

まっ茶。

最高の目覚め

「マスコットのくせに!」

 女がマカロン型のクッションを投げつけた。私にクッションが鈍い音を立てて当たる。プンの香る甘い香水の匂いが痛みを倍増させた。反射的に声が漏れた。

「うるさい!」

 僅かなうめき声に反応した女が私に向かって叫ぶ。携帯電話が宙を舞い、私の近くに落ちる。じっと身を潜める。ここで動くともっと酷いことになる。私の経験が身体を硬直させた。携帯電話が落ちて剥き出しのフローリングがまた窪んだ。窪まされたフローリングに私が埋まるような錯覚を覚える。女はどさりと隣の部屋のソファーに身を沈め寝息を立て始めた。


 数秒か数分か数時間かたった後、携帯電話が揺れる。昔、びくりと身体を震わせたら足で払われた記憶が蘇る。身じろぎせずに床に視線を送る。女はゆったりとした動作で携帯電話を拾った。黒いレースのランジェリーやそれについたキラキラしたチャームが艶やさを演出している。キラキラした輝きががふと、女に捨てられた記憶を呼び起こす。あれ、なぜ私は女の家にいるのだろう。

「トッキー!」

 晴れやかな声に思考が奪われる。女の別人のような調子に二重人格かと錯覚しそうになる。何度か頷き、携帯電話を握りながら顔に装飾を施し始めた。その姿に二重人格の疑いを強める。

「もうすぐトッキーのほういくよー!」

 話しながら忙しなく部屋中を動く。女の視線は私をすり抜ける。2度目のトッキーという響きに胃液が逆流しそうになる。まぁ、ここ数日何も食べてないのだけれど。そうだ。トッキーとやらと女は結婚したのではなかったか。先程の疑問がまた強まる。


 ガチャりと女が出ていく音がした。途端に空腹を感じ、何か食べるものは無いかと台所へ歩こうとした。お腹が減って1歩も動けないことに気がついた。途端。ぐらりと視界が揺らぐ。

 死んでたまるか。めいっぱい意識を保つ。りきんでも力が入らない。必死の思いで漏れたのはなき声だった。


 次の瞬間なぜかそこはそこは外だった。女とトッキーが私を囲んでいた。2人は立っていて顔は見えなかった。何か話しているのだろうか、見つめあっては肩や腕や顔を触り会う。私を女が最後に触ったのはいつだったろうか。ふと、無造作に、トッキーが私を抱く。トッキーからは女と同じ甘い香水の匂いがした。トッキーの顔を初めて直視する。トッキーの瞳に映る歪んだ私は酷くみすぼらしかった。可愛らしいマスコットなんかじゃなかった。汚いボロ雑巾という響きがピッタリだわ。瞳の中の私の瞳にはトッキーが映っていた。なんで、始めてみる人のことを知っているんだろう。きっとこの後トッキーは私をダンボールの中にに置き去りにするんだろうな。直感と言うよりはあまりに生々しい記憶が蘇る。いくら泣いても泣いても2人は振り返らない恐怖に包まれた。私を抱くトッキーの姿が変貌した。顔は紫に頭からは角が生えた。

「 」

 トッキーだったものが口を動かす。ギラギラと目が光っていた。私を掴む手には力が入っていなくて落ちてしまいそうだった。落ちると思って下を見る。下はなかった。ダンボールもなかった。真っ暗な闇が広がっていた。縋るまいと思っていたが不覚にもはっと女を見る。女に顔はなくなっていた。全身全身がドロドロと溶け謎の光で煌めいていた。あぁ堕ちる。「おちろ」女の見えたい口からふっと息が吹きかけられた。甘い甘い匂いだった。甘い匂いに溶かされて、落ちた。




 あぁ夢だったのか。

 息が荒い。息を整え、逆だった毛を抑え、隣の柔らかな彼女の掌に顔を埋めた。前の女とは違う小さな掌は私をきゅっと抱く。それから、くすぐったそうに身をよじった。出来た隙間を埋めるようにまた彼女に近づく。それに答えるように彼女の瞳は私を捕えぬままぼやけた声を発した。

「かわ、、い、、いね、、ぇ」

 ふふふ。と笑いを漏らす。耳元で囁く幼い声に緊張が緩む。

『そうよ。私はマスコットですもの。』

 自虐的にくぅんと鳴いてみる。

 すうすうと聞こえる寝息と安心しきった彼女のヨダレの匂いが眠りを誘う。

『可愛いでしょう。』

 もう一度くぅんと鳴いてみる。そのまま柔らかな布団に埋もれた。彼女が薄く目を開く。同時に私の目が閉じる。

「おはよ」

 舌足らずな口調が聞こえる。彼女が私の頭をそっと撫でる。何度も何度も私を撫でる。まだ、もっと撫でて欲しい。何度か撫でたあと彼女は「おはよう」起き上がりながらハッキリと述べた。私は恐る恐る目を開く。彼女のパジャマが瞳に映る。なんども洗濯した後が見られる花柄の年相応のパジャマ。反射的にそれに飛び込む。すると、さっきよりも力強く撫でられた。

「朝ごはん食べよっか」

 その言葉に続き一緒に部屋を出る。パチリと電気を消した彼女の自室は明るかった。赤いランドセル。整えられた勉強机。隙間だらけの本棚。薄ピンクのカーテン。全てが光を受けて明るかった。私が捨てられていた茶色いダンボール箱だけが異質に影を作っていた。

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ぽめらにあん まっ茶。 @hAppy__mAttyA

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