部鳥がお呼びですよ、課鳥

おぎおぎそ

部鳥がお呼びですよ、課鳥

 朝八時の新宿は通勤ラッシュで人が溢れている。

 電線に止まるカラスは、忙しさに殺される人間たちを嘲笑うかのように見下す。立ち並ぶビルは人間たちから心の余裕を奪っていく。

 普段よりも心持ち重く感じるスーツを身にまといながら、俺は今日も会社に向かっていた。郊外から乗り継いできた満員電車の圧迫感から解放されても、仕事から解き放たれるわけではない。つい溜息も出るというものだ。

 口うるさい上司、仕事の遅い部下、毎日の昼食には足りない小遣い。ストレスで胃がキリリと痛む。もういっそ、全てをなげうって大空へ羽ばたいていきたいものだ。

 そんな願いも虚しく、俺は足を引きずるようにビルの森へ入り込んでいった。



 昼休憩の後は、いつだって眠気が襲ってくる。それが満腹感から来るものなのか、昼下がりの陽気がもたらすものなのかは、もはや人類のうかがい知る所ではない。これは強制イベントなのだ。回避もスキップもできはしないのだ。

 うつらうつらとしながら思う。今日の昼に食べたカレーうどん。あれは絶品だった。財布にはちと痛かったが、まあたまには少し贅沢をしたっていいだろう。

烏丸からすま課長! 烏丸課長‼」

 うとうとと心地よさに身を委ねていると、新入社員の雲雀ひばりさんに呼ばれた。雲雀さんはピーチクパーチクと何かとうるさい人だ。他人を呼ぶときのボリュームも、つまみの位置を間違っている節がある。まあ、悪い人ではないのだけれど。

「なんだい。雲雀さん」

「部長が! 白鳥しらとり部長がお呼びです!」

 声が。声が大きいよ、雲雀さん。なんだか頭が痛くなってきたよ。

「わかった。ありがとう」

 俺は雲雀さんに礼を言い、席をたった。

 それにしても、白鳥部長か……。気が重いなあ……。

 白鳥部長は、生真面目なことで有名だ。謹厳実直、四角四面。頭の固いこと、この上ない。一応、新入社員のころからお世話になっている縁があるが、そうでなければあまりお付き合いしたくないタイプの人だ。今日もこれから何を言われるのかわかったものではない。

 まあ、同じフロアにいるのに直接呼び出さなかったということは、大した用件でもないのだろう。

「お呼びでしょうか、部長」

 背中に棒でも入っているのか、と疑ってしまうほどピッチリと背筋を伸ばしたままディスプレイに向かっていた部長が、俺に気づいてこちらを向く。

「ああ、烏丸君。突然呼んですまない」

「いえ。問題ありませんが……。どういったご用件でしょうか」

 自分で言ってて思うが、さっさと終わらせたい気持ちが丸出しの受け答えだな。まあ、入社したての頃からわりとこんな感じだし、部長意外と鈍い所があるし、あんまり気にしていないとは思うけど。

「えーと、だな。良いニュースと、言いにくいニュースがあるんだが……。どっちから聞きたい?」

 お、珍しい。用件は手短に伝えよ、が座右の銘みたいな人間なのに。今日は機嫌が良いのだろうか。

「そうだな……じゃあ、せっかくなんで良いニュースからお願いします」

 うむ、と一つ小さく頷いて、部長は再び口を開いた。

「君の企画した都市緑地化プロジェクト、あっただろう? あれが正式に採用されることが決まった」

「ほ、本当ですか⁉」

 嘘だろ、おい。あれ企画会議の前日に三十分ぐらいで適当にまとめたやつなのに。うちの会社のビジョンがわからねえ。

「ああ、喜びたまえ。プロジェクトの結果次第では、昇進もあり得るからな。これからも張り切って働いてくれ」

 白鳥部長は自分のことのように嬉しそうにしている。久々に見たな、部長のそういう笑顔。

「……それで、言いにくいニュースっていうのは……」

「んーと、そのプロジェクトに関係する話なのだが……」

 まだ正式に決まったわけじゃないんだ、人事のほうから噂で聞いただけでだな、と歯切れの悪い前置きをしてから、部長は意を決したように言葉を発した。

「烏丸君。君の異動が決まった」

「異動……ですか……。どこへ……?」

「札幌支社だ」

「札幌……」

 嘘だろ、おい。せっかく郊外に家を建てたばっかりだっていうのに。ローンだってまだ残ってるのに。いやまあ確かに、全てをなげうって大空へ羽ばたいていきたいとかいってたけどさ、そういうことじゃないんだよね。

「まあ……ち込むなよ、烏……海道もなかなか良いとこr……冬場はほぼシベリア……」

 意識が遠のいていく。白鳥部長がかけてくれる言葉もほとんど耳に入ってこない。

 頭がぐらぐらと揺れる。抑えられない。

 そのまま頭から、倒れこんだ。



 ぐらりとした感覚に目を覚ますと、掴んでいたはずの電線から今にも落ちんとしているところだった。

 慌てて翼を開き、何とか上空に舞い戻る。黒い羽が何枚か地上に降りていくのが見えた。

「ふわぁぁぁぁ……。良く寝た……」

 電線につかまりながら、思わず言葉を漏らしてしまう。

 しかし、酷い夢を見たものだ。いつもビルの窓を覗いていると見える人間にまさか自分がなってしまうとは。

 格上の奴に気を使ったり、土地とか家とかいう概念に縛られたりさ。あんなのはもう二度とごめんだな。生まれ変わったってなりたかねぇや。

 羽を広げる。

 おう。人間どもよ。お前らは何かと大変だな。今朝までお前らのことは見下してたけど、今はなんとなくお前らのことすげぇって思うぜ。

 だから、無理しない程度に頑張れよな。

 自分を見失わない程度に自由を求めろよな。


 オフィスビルの森の中を、一羽のカラスが羽ばたいていった。

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