第13話 素っ気ない返事
家に戻ると澪から律儀にメッセージが届いていた。電車の中から送ってきたんだろう。
『今日は話をたくさん聞いてくださってありがとうございました。少し元気、出ました』
クーラーをつけるとものすごい勢いで風が吹き出して、それはまるで外の暑さを少しでも追い払おうとしているかのようだった。
僕はゆっくりその中で腰を下ろした。
『遠慮しなくていいよ。いつでも構わないから』
それだけ打つと、そのまま送信した。少しだけタイムラグがあって、すぐに既読がついた。
『ありがとうございます。また会えたらお願いします』
と、画面が切り替わる前にスマホが小刻みに手の中で振動して、ディスプレイを見ると一花からの電話だった。
『出るの早かったね。明日ね、大荷物ついでに図書館に本の返却してからそっちに行くね』
『うん、なら僕が図書館まで迎えに行くよ。荷物持ちが必要でしょう? それとも駅の方がいいか』
『図書館のエントランスで待ち合わせすれば暑くないんじゃない? 途中で連絡するね』
図書館のエントランス……まさに今日、そこで待ち合わせをしたばかりだった。特にやましいことはなかったけれど、一花にはそれは話さないでいた方が無難だな、と思って何も言わずに電話を切った。
スマホを握りしめたまま、ベッドに倒れ込む。自分からじゃなくても、しない方がいいこともあるんじゃないか、と疑問に思う。してしまったものは仕方ないよ、ともう一人の自分が返事をする。……どの道、してしまったことは仕方が無いんだ。取り返しようもない。
考えてみたら、僕のしていることは最悪だった。「友だち」の彼女に、「友だち」と別れることを形として勧めてみたり、自分の彼女に、その女の子と連絡先の交換をしたことを言えずにいたり。――今日の僕はどうかしている。暑さで頭をやられてしまったのかもしれない。
明日、一花を迎えに行ったらその後は、なるべく図書館には近づかずにいようと心に決める。
昨日とまったく同じものを貼り付けたような青空の下を、自転車をこいで図書館に向かう。僕の部屋は裏門から入った方が早いので、駅側の正門から来る一花とは途中で会うこともなかった。図書館前で昨日と同じように自転車にチェーンをかけて、中に入る。エントランスには一花と一緒に誰かの姿が見えた。
「丞! わたしの方が先に着いちゃった」
僕は少し混乱したまま、一花の荷物を持ち上げた。澪は上目遣いに、僕にお辞儀をした。昨日のことは何も言わない、と合図を送っているようだった。
「一花、本は返したの?」
「まだなの。早く来たから澪ちゃんと話し込んじゃって。返却して借りてくるものがあるから待ってて」
一花は慌てた様子でエントランスの返却カウンターへ向かった。
ふう、と一息ついて僕はさっきまで一花が座っていたところに腰を下ろした。澪は僕を、じっと見た。涼しいところに入ったのに汗がまだ流れる。
「一花さんと会うなんて思ってもみなくて驚きました」
「僕だって今日またここで会うとは思わなかったから驚いたよ」
ですよね……と澪は俯いた。バツの悪そうな顔をしていた。けれど考えてみれば澪だって僕が今日も現れるとは思ってなかったんだろう。ふたりして、言葉がすぐに出ない。何しろ会ったのがつい昨日で、昨日の問題の解決という進展もないだろうし。
「……毎日、田代と連絡とってる?」
「はい、一応」
取って付けたような質問をする。澪の顔がこちらを向いて、あわてたように返事をする。僕は頭の後ろで手を組んで、何となく背伸びをした。
わたしからするのがほとんどですけどね、と寂しいことを彼女は口にした。僕はまた口を噤む。
何しろ、田代の口から澪を大切に想っている様子は僕の知る限り見えなかったので、返答に困る。そして澪も困っているようだった。
「どうなるんでしょう、わたしたち」
さぁ。頭に思い浮かんだのはそんなひどい言葉だった。僕に他人の恋の行方はわからない。だから、「さぁ」だ。相談していいよ、と言いながらまったく無責任だ。もっと真剣に耳を傾けなければいけないと思ったし、同時に、澪の言葉が本当のところどこまで本気なのかわからなかった。
「お待たせ」
「待たされてないよ、大丈夫」
「ちょっと手続きに手間取っちゃったの。ごめんなさい」
「一花が謝ることは何も無いよ。片桐さんと話してたしね」
一花がちらり、と澪の顔を窺う。澪はパッと視線を一花に向けると、曖昧に微笑んだ。
「澪ちゃん、丞の相手してくれてありがとう」
「いえ、遼くん……田代先輩の話とか聞けて、わたしも退屈しませんでしたから」
一花はその答えに満足そうだった。僕が澪の相手をきちんとしたことが、誇らしかったらしい。まったく僕は、こと対人スキルに関しては信用がなかった。
じゃあまたね、と一花が澪に手を振って、澪は一花に小さく頭を下げた。僕と一花は眩しい日差しの中に歩き出した。
「澪ちゃんと一緒で気まずくなかった?」
「え、なんで?」
「……あまりよく知らない女の子と二人きりでいられるタイプじゃないじゃない。丞はそういう時クールな顔をしてるけど、内心緊張してるの知ってるよ」
「ああ、その通り」
僕からの反撃を予想していた一花は拍子抜けしたようだったが、それならそれでいいようだった。
「夕飯、暑いから冷しゃぶなんかどう? キュウリもたくさんもらったし、ナスのシギ焼きなんかもいいよね」
「ゴマだれないかも」
「この荷物でスーパー寄れるかなぁ? コンビニにあるかなぁ?」
シギ焼きならそばつゆもいるな、と炎天下、ぼんやり考えながらうちに向かった。
『連日、ありがとうございました。一花さんにもよろしくお伝えください』
小さく振動したスマホには短いメッセージが届いていた。一花によろしく、はできないよな、と面倒事を避けるかのように考える。とは言え、そんな返事はできない。既読がついてしまった以上、何らかのリアクションを取らなくてはいけない。画面をじっと見る。
「どうしたの? イヤな知らせでも来た?」
「イヤな知らせってどういうの?」
苦笑する。手に菜箸を持ったまま、一花は目をくるくるさせて、考え事をする。
「えーと。例えば、誰かが事故にあったり、入院したりとか?」
「そういうんじゃないよ」
「そう。もうすぐご飯になるよ」
また画面を見る。
『こちらこそ』
これ以上ないほどの短い返事を送って、素っ気なかったか、気になる。こんなんでよく相談に乗ると約束したものだ。既読がついて画面の向こうにいる澪のことを思い浮かべる。彼女の長い髪が一筋、また耳にかけられる気がした。
暑い中、また一花は小さい麦わら帽子を被って、踵のないビルケンシュトックのサンダルを履く。サブリナパンツの裾から出た足首の細さが彼女らしい。暑い中、約束していた鎌倉に行く。
早い時間のS線の快速電車に揺られて、北鎌倉駅を目指す。通勤快速の人の多さに辟易しながら電車と一緒に揺られる。弱冷房車は快適そうでいて、人の多さに息苦しさを感じる。
「混んでるね、大丈夫?」
「通学もこの路線使うから慣れてるよ」
それもそうか、と変なところで合点が行く。
もちろん有名な明月院の紫陽花はとうに時期が過ぎてしまい、ただウォーキングをしに行くようなものだったが、僕たちの行くところはどこでもよかった。「思い出」という名の石ころを拾って歩かなければならないほど、ふたりが冷めてしまったわけでもなかったし、歳をとりすぎたわけでもなかった。
JR北鎌倉駅に着くと、ほぼ目の前に明月院はある。真夏の鎌倉の緑の中に、セミの声がうわーんと反響する。いったい何匹のセミがここにいるのか、不思議に思う。
「まだ午前中なのに暑いな。本当に歩くの?」
「いつも、鎌倉に来るとこのルートだから」
「歩いたことないな」
「水分は摂らないとね」
いつになくたくましい顔つきで、一花はそう言った。
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