第6話 縁結び

 スケートリンクを離れると、彼女は着替えを入れていたリュックから小さな包みを取り出した。

「はい」

「僕はまだ何もあげてないのに」

「待ちきれなくて」

 開けてくれる、と言われて包みを開けようと思うけど、包装紙が破けそうで上手く開かない。貸してみて、と彼女は言った。

「気に入るかなぁ?」

 出てきたのはペンギンのマークのついたブランドもののキーチェーンで、僕は思わず笑った。

「絶対、笑うと思った。でも何をあげたらいいかわからなかったし、何より『わたし』を思い出してもらえるものがよかったの。……わたしらしかったでしょう?」

「一花らしかった。少しの間だけだけど、離れている間も一花を忘れられそうにないよ」

 彼女は満足そうに微笑んだ。

 それから僕はプレゼント交換のように彼女に包みを渡した。

「ありがとう。金色のリボン、うれしい」

「まだ開けてないじゃない。気に入るかわからないけど開けてごらんよ」

 何かな、と言いながら包みを開く彼女の細い指を見つめていた。彼女は紛れもなく僕にとって最高の人だった。

「……いいの?」

「いいも何も。僕が持っていても仕方ないんだからもらってくれないと」

「だってこれ、キレイ……」

 彼女の指先にはシルバーの細い鎖と、小さなアメジストが下がっていた。

「誕生石、アメジストだって言ってなかった? お店でも聞いたから間違ってないと思うんだけど」

「だってこんなの。本当にいいの?」

「悪いけどそんなに高くないよ」

「値段なんか関係ないよ。すごく、うれしい」

 プラチナを贈るには手持ちが足りなくてシルバーになったその鎖を、彼女は胸の前でギュッと握りしめた。

 そんなにうれしいものなのかな、と不思議な思いで一花を見つめる。

「どう? 似合う?」

「似合うよ。よかった、気に入ってくれて」

「気に入るも何も……大好き。離れてる間もこれを見てたら絶対、会いたくなっちゃうと思う……」

 逆効果だろ、と呟くと、小さな肩で彼女はうん、と頷いた。そうして器用に、ネックレスを首にかけた。






 実家に戻ると上の兄も、その上の兄も帰省していて、そんな中を僕は何も気にせずいつも通り家に上がった。

「丞! あんた、休みの日でも全然戻らなくて。戻ってくれば母さん、何かしら食べるもの持たせてあげるのに」

「そんなに戻れるならひとり暮らしなんかしないよ」

 そばで話を聞いていた兄がくすくす笑う。

「仕方が無いだろう? 少しは母さんの話くらい相手してやれよ。男ばかり3人も苦労して育てて、3人とも家から出たんじゃ母さんも寂しいんだろう? 父さんも無口だし」

「それはいいんだけどもね。母さんだって心配になるでしょう、ちゃんと食べてるのか、どんな生活してるのか」

 兄が僕に、仕方ないよ、と合図をして、話を受け取ってくれる。兄と母は、兄の仕事の話をし始めた。逃がしてもらえたらしいと確認すると、僕は自分の部屋に足早に向かった。

 思っていた通り、スマホには着信通知があった。

『もう、家に着いた?』

 それだけの短い文章は余計、彼女の不安な気持ちを伝えているように思えた。

『着いたよ。一花も少しは家族と楽しんで』

 嘘っぽく薄っぺらい言葉でお茶を濁す。僕と違って一花は家には普段から帰っていたので、楽しんでも何もない。彼女は家の中では臆病な小さい女の子のようだった。




 台所で母が蕎麦を用意する。

 僕は天ぷらを揚げるのを手伝わされる。

 思えば一花とつき合うようになってから、満足に食事を自分の手で作っていない。たまには彼女に、日頃のお返しに何かを作ってあげようと心に決める。

 天ぷら油がパチパチ跳ねた。




 午前0時を迎える。

 除夜の鐘が鳴り響く中、スマホがすぐに鳴動する。

『あけましておめでとう、丞』

『おめでとう。回線が混むよ』

 笑うと、電話の向こうで一花が赤くなるのを感じる。その顔が目に浮かんで、ふと思いついた。

『もう、意地悪言わなくてもいいじゃない』

『一花はそういうこと気にする方かと思ったんだよ。……それよりさ、三が日過ぎたら戻るから、初詣でも行く?』

『いいの?』

『どこに行くか、考えておく。一花も考えておいて』

 今年もよろしく、とお互いに言って、電話を切る。


「なんだ、彼女か?」

「ん、まぁ」

「お前もそんな歳か。母さんが心配するのもわかったよ」

「何が?」

「まぁ、親離れ、子離れだよな」

 意味深なことを言って兄が通り過ぎて行く。親離れ、なんてものはとっくに過ぎていたように思っていたけれど、兄から見たら今までの自分はまだまだ子供だったのかもしれない。






「丞!」

 一旦、部屋に帰って荷物を置いて、それから駅に一花を迎えに行く。思っていたように、一花は名前の示す通り花のような笑顔で僕と再会した。

「風邪、ひいてない?」

「どれだけ長い間、帰省してたんだよ?」

 彼女の久しぶりの笑顔に僕の心も解れて、ちょっとしたやり取りに気持ちが上がる。早速、手を繋いで歩き出した。

「何処に行く?」

「せっかくだから都内の大きいところはどうかな? 三が日も過ぎたから少しは人も減ったんじゃないの」

「……わたしね」

「一花は他のところに行きたかった? 何処?」

「わたし、君の部屋に帰る途中にある、あの大きな神社でいい」

 不思議なことを言うな、と思って彼女を見下ろした。少し屈んで目線を合わせる。

「そんなところでいいの? 参拝客も少なそうだし、鳥居は大きいけど何も無さそうだよ」

「うん、いい。思い出にはなりそうじゃない?」

 確かに、と思った。こんな時でもなければ通り過ぎるだけの神社になってしまうだろう。

 でも僕はまだ、破魔矢を持って笑う彼女や、甘酒が熱くていつまでも飲めずにいる彼女を見たいとも思っていた。一年に一度しか見られない一花を見たかった。

「本当に?」

「言うこと、聞いてくれないの?」

「聞くよ」

「じゃあ、行こう?」

 一花に強引に背中を押されて歩き出す。なかなか動かない僕に痺れを切らして、今度は前に回って僕の手を引いた。笑って、歩幅を合わせる。

「一年の計は元旦にあり、って言うじゃない? 今年一年、わたしを困らせるつもりなんだ」

「一花だって僕に一年、ワガママ、言うつもりなんだろう?」

 もう、と膨れて僕の顔を見ようとはしなかった。




 神社には静けさが予想通り漂って、そんな中で鈴の音が静寂を破るようにガランガランと鳴り響いた。

 僕たちも前の人たちに習って参拝を済ませると、ささやかにお守りを置いているのを見つけてふたりでそれを手にする。おそろいだね、と彼女は喜んだ。

「ねえ、今度、鎌倉とか行ってみない?」

「いいよ、っていうか、今日行っても良かったのに」

「八幡様は混むと思うよ。それより、普段の日なら人も少ないし、それに……」

「それに?」

「……縁結びのお守りが欲しいなって思って」

 まったく女の子の考え方がわからなかった。僕たちはもう両想いで、このまま順当につき合い続ければ結婚だって視野に入ってくるだろうに、まだ「縁結び」が必要なのか。

 彼女は僕との縁をギリギリと結んで、決して離れないようにしてくれるらしかった。

「紫陽花の頃がやっぱり有名なの?」

「いつ行ってもお花はキレイらしいけど、紫陽花の時期がいいかもね」

 年明けの人気のないのんびりとした通りを、ふたりで半年後の話をして歩く。まだまだ僕らには時間はたっぷりあって、変わることは何も無いと頭の中でぼんやりと思っていた。


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