日陰のふたり

月波結

第1話 他の人と違う

 知り合った時、彼女は友人、田代の隣に立っていた。それまで知らなかった顔をよく見ようとじっと彼女を見つめると、彼女の方も僕の視線に気がついたのか、僕の目をじっと覗き込んだ。その時にはまだ彼女のことをまったく知らなかったので、つい少し長い間、真っ直ぐに彼女を見つめてしまっていた。

「松倉、こっち」

 小野寺が手を振って僕を呼ぶ。僕と小野寺、笹塚は1年のときから何となく気の合う友だちだった。

 田代は親しみやすさという観点で見ると僕たちから一線を画しているような雰囲気で、こっちに気がつくと手を振ってきたが、何だか遠いところにいるように思えた。

「……あれ、田代の彼女?」

 この前、泊まり込みの実習があったときに彼女がいる、いないの話になって、田代は堂々と淀みなく「いる」と答えていた。

「ああ、あれ? 髪の長い子なら、田代の彼女だよ。仲良くしやがってやってらんねーな」

「そうなんだ。あの子、かわいいな」

 小野寺は目をぱちくりさせると、僕の目の前でわざと手のひらをパタパタさせた。

「おーい、大丈夫か? あの子は田代のお手つきだぞ。そもそもお前には一花イチカちゃんがいるじゃん。あの子より一花ちゃんの方がずっとかわいいとオレは思うけど」

「ああ、うん。そう、田代の彼女だし」

「そうそう。冷静になった?」

「いや、この前ネットかなんかで見たアイドルに似た子がいたような気がしたんだよ」

 おいおい、修羅場は勘弁だよ、と小野寺と笹塚はオーバーアクションで笑った。僕はそのまま何食わぬ顔で学食の安いだけのカレーを食べた。






「小野寺くんが言ってた、田代くんの彼女ってそんなにかわいかったの?」

 僕のナイロン製のパーカーをわざわざハンガーにかけながら、一花はそう聞いた。わざとらしく聞くことで、ヤキモチを隠そうとしているのがわかった。こういう話に一花は鋭い。

「田代の彼女? ああ、僕の勘違い。アイドルの子に似てると思ったけど、よく見たらそうでもなかったよ」

「アイドルの子かぁ。そこそこかわいいんだ。……タスクがそういうタイプの子が好きだなんて知らなかったな」

 そう言いながら背中にもたれかかってくる。甘えたい時の一花の癖だ。

「そういうわけじゃないって。たまたまそう思っただけだよ。それだけじゃダメ?」

「ダメ。『一花が好きだよ』って言って」

「『一花が好きだよ』……特別だよ」

 彼女の小さくて瑞々しい唇に、チュッと唇を重ねる。

 小さな声で彼女は、「もう1回」とねだる。彼女の左の口元にできるえくぼを見ながら、もう一度キスをした。


 一花の髪は短くて、やわらかくてやさしい癖がかかっていた。冬には少し寒そうに見えるその襟足に指を通して、首元に顔を埋める。彼女の香りが一瞬強く香って、耳たぶを軽く噛む。そうして口づけにたどり着いた頃、彼女の膨らみに僕の手は届く。一花は軽く身をよじった。

 彼女の胸はBカップで大きいとは言えなかったけれど、ランナーのように小柄で痩せた手足にはしっくり馴染んでいた。もし彼女の胸がDカップだったとしたら、それは作り物のように思えたに違いない。今のままの彼女が、もっとも彼女らしかった。





 僕と望月一花モチヅキイチカは、1年のときにブラッと入ったサークルで知り合った。一花は一浪をしてうちの大学に入ったというのだから、僕より実質ひとつ年上だった。


自然保護研究会しぜんほごけんきゅうかい』というもっともらしい名前のそのサークルは、環境保護や絶滅危惧種の保護、エネルギー枯渇の問題などに取り組むという熱心な勧誘で1年生を確保していた。僕は環境にはさほど興味がなかったけど、先輩の熱い語り口につい、入部希望を出してしまった。

 入ってみると歓迎はされたが、部室にはボカロの音楽が夜遅くまで鳴り響き、テーブルには環境汚染の方がよほど近いと思しき大量のスナック菓子、書棚の自然環境の書籍の隣にはラノベが巧妙にカバーをつけられて置かれていた。

 自然保護に対し無関心だった僕でもその状況には閉口した。

 そんな中で先輩達に向かって、周りの雑多なものは見えていないといわんばかりに環境に対する疑問をぶつけていたのが一花だった。一花は、ペンギンやヤマネなどふわふわした生き物を愛する女の子だった。

「だって氷が溶けたら、南極のペンギンやアザラシたちの行き場はどうするのよ?」

 彼女の疑問に真正面から向き合わない先輩達に対する愚痴を言いながら、彼女は僕を含む1年生数人と、蕎麦を食べていた。


 僕の第一印象はそのまま、「変わってる」だった。自分が動物園以外で会うかどうかわからない生き物たちにそんなに入れ上げてどうするんだろう、というつまらない考え方を僕はしていた。

「みんながわたしの話に頷いてくれてる時、君だけが『この子、何言ってるんだろ』ってシラケた顔してわたしを見てたのよ」とその時を思い出して彼女は語った。

「だって一花は変わってるだろ? 変わってるから、僕の記憶にほら、なんていうかすごく残ったんだよ」

 僕たちは少しずつサークルからは足が遠のいたけれど、少しずつ親密になった。






 彼女は電車で2時間半かけて他県から大学に通っていた。何でもお兄さんが都内の私立大に入ってひとり暮らしをしているので、女の子である一花は我慢を無言で強いられることが多いという話だった。

「まぁ、仕方ないこともあるじゃない?」

と彼女はそんな時、笑ってみせたが、僕は腹の中では男ならどうにでもできることがあるのに、女の子が女の子だからという理由で我慢させられるなんておかしな世の中だ、といつも思った。

 そして彼女の代わりに憤った。

「どうしても困った時には泊まりに来てもいいよ」

 愛する小動物のようにくりくりっとした瞳を持つ彼女は、ボーイッシュな髪型のせいで少年のようだった。けれどもそれは僕の言い訳で、彼女は女性らしく赤い顔をして俯いた。

「……泊まれるわけないじゃん。バカだなぁ」

「ああ、うん、ごめん。何も考えなくて気安いことを言っちゃって」

 しばらくお互いに口を開くことなく、梅雨が来る前の日差しの中、軽く汗ばみながら僕たちは散歩していた。そのうちどんどん左手が彼女を意識し始めて、そっと小さくて薄い手のひらを包んだ。彼女は女子校育ちで男とつき合ったことはない、と以前に聞いたことを思い出していた。

「……」

 不意に、思い切ったように彼女が僕の手をふりほどき、「ああ、やっちゃったかな」と思っていると、

「ごめん」

と一花は謝った。

「いや、こっちこそ急にごめん」

「謝らないで。言い訳しないで。……お兄ちゃん以外の男の人と接触する機会がなかったからその……わたしの手、汗かいてて気持ち悪くなかった?」

「それを気にしてたの?」

「だって……恥ずかしくて。嫌われたくないし」

 彼女は自分の右手を左手で包んで、恥じらった。一花はすでにサークルの男たちの間ではアイドル的な存在だったけれど、それを横目で眺めていた僕には、今の彼女の方が何倍も好ましく思えた。

「松倉くんて、なんていうか他の人と違うじゃない?」

「そんなことないよ」

「違うんだよ。そういうとこ、好きっていうか……あの、好きです……」

 あの時の一花のかわいらしさは言葉では表現できない。どんな男だって胸の真ん中にどストレートであんな球を投げられたら、受け取らずにはいられない。そして僕もその例に漏れず、受け取った球を彼女にまた戻した。

 そうして僕らはみんなにうらやましがられるカップルとなった。

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