第16話
翌日から、僕は場所を変えながら、田宮に手ほどきを受けることになった。
しかし、『場所を変えながら』というのには毎回苦労した。人目に付かず、それでいて鉄パイプの素振りやペイント弾での射撃訓練ができる場所。
自然とその場所は、海岸沿いの旧市街地になることが多かった。
田宮からの連絡は、優海のスマホを介して伝えられた。
僕はバイト終わりに、優海を中継して指示を受け、夜な夜な自転車で旧市街地に向かう。ある日は空き倉庫、ある日は古びたクレーンの間、またある日は放置された民家で、僕は訓練を受けた。
「リーチを見せつけてやれば、相手は必ず怯む。自分が拳銃を持っていたとしてもな。だから優翔、お前はまずは鉄パイプでの戦い方を覚えろ」
『遠くの相手を攻撃できるようになれば、銃撃にもその遠距離感を活かすことができる』と、いうのが田宮の指摘するところだった。
田宮の鉄パイプの使い方は、完全に我流だった。剣道ともフェンシングとも異なる、鉄パイプの扱い方。早い話、素早く振り、素早く突き、素早く引く。それだけだった。だが、刀よりもリーチがあり、勢いをつけやすく、頑丈だ。
しかし、一つ問題がある。
「拳銃を相手に戦うのであれば、どうあがいても相手に分がある。だからお前は後方支援だな。別動隊が敵を追い散らすから、逃げてきた相手のどてっぱらを思いっきり突け。逃げてくる相手は、自分からお前のリーチに入ってきてくれるからな。挟み撃ちにはうってつけの武器だ」
なるほど、分かりやすい。しかし、僕が思うところはもう一つある。
訓練を受け始めて数日後、僕は田宮に尋ねた。
「拳銃は、どうやって使えばいいですか? ベレッタのことですけど」
すると田宮は、ふむ、と俯いて、目だけを上げて僕と視線を合わせた。
「どうしても使いたいのか、拳銃を?」
「ど、どうしても、というか……」
僕は言葉に詰まった。しかし、田宮は答えを急かすようなことはしなかった。
「やっぱり、優海を守りたいんです。ただ一人の家族ですから」
「自分が後方支援では不足、ということか?」
「はい」
ここは即答だった。妹が自分よりも危険な目に遭っている。それを座して見ていられるほど、僕は鈍感にはなれなかった。優海は僕の、ただ一人の肉親なのだから。
田宮は、点滅する照明で影のできた顔を向けて、しばし考え込んでいた。
もどかしい。早く答えてくれ。人のことを言えたものではないが、僕だって何かの『答え』を見つけるのに焦らされているのだ。
「僕だって、優海と同じ現場に立ちたいんです! 彼女を守るために!」
思わず僕は、意外なほど大声を上げてしまった。大股で一歩、田宮との距離を詰める。
「確かに、お前の腕は上がっているようだがな、優翔」
田宮は自分の顎に手を当てた。
「実際の作戦では、流れ弾で負傷する恐れもある。中途半端な腕前の人間に、拳銃を任せるわけにはいかない。まだまだ訓練に徹してもらう必要がある、ということだ」
僕は腹の底が、ジリッ、と焼けるような感覚を得た。早く優海を守ることのできる人間にならなければと、焦っているのだ。
「僕はそんなに射撃が下手ですか?」
「経験が足りないと言ってるんだ。今はまだ後方支援で、現場の空気に身体を慣らせ。いいな?」
くれぐれも焦るなよ、と田宮は付け足した。僕の心境を察しているような言い方に、反論の余地はない。その場は素直に、『分かりました』と告げるにとどまった。
※
訓練を受け始めてから、ちょうど二週間が経過した。
とはいっても、ここ二、三日は、訓練は行われていない。何やら組織の方で、動きがあったらしい。
「優海、麻実さんや田宮さんから連絡は?」
「今日も待機だってさ。あーあ」
優海は部屋の壁に寄りかかるように座り込み、自分のベレッタを手先で弄んでいる。
一体何が起こっているのだろう。下っ端の僕や優海には知らされない、何某かの都合があるのだろうか。
そう思うと、僕は居ても立ってもいられなくなった。
田宮は『焦るな』と言うけれど、はいそうですかと納得できるほど、僕は経験がない。
「どしたの、兄ちゃん?」
「え?」
突然声をかけられ、僕はふっと顔を上げた。
「なんか怖い顔してるよ? 怒ってんの?」
「あ、ああ、いや。そんなつもりはないんだけど、な」
その時、ふと僕は興味が湧いた。
「なあ優海」
「何?」
「今の僕と、今までお前が撃った相手、どっちが怖いと思う?」
すると優海は、首を傾げながら『はあ?』と一言。
「どうしたの、突然?」
「何でもない。忘れてくれ」
「ふぅん、変なの」
忘れろと言ってはみたが、今度は優海が関心を抱いたらしい。
「まあね、兄ちゃんだったら拳銃を持たせても、あたしを撃ったりはしないだろうけど」
「当たり前だ」
誰が優海を撃つものか。
「自分に危害が及ぶかどうかで考えたら、そりゃあ他人が拳銃持ってる方が怖いけど。でもね、兄ちゃん」
「何だ?」
優海は真っ直ぐな目で、僕を見上げた。
「正直、兄ちゃんの方が怖いっていう部分もあるかな」
「どうして?」
「どうして、って言われてもなあ」
再び首を傾け、視線を逸らす優海。ツインテールの後頭部の後ろに手を当てる。
「兄ちゃん、あんなに嫌ってたじゃん? 暴力とか武器とか」
「そうだ」
「でも、最近の兄ちゃんを見てると、だんだんそういう物事に対して鈍感になってるような気がするんだ。何があったのかなあ、と思ってさ」
ギクリ、と背筋を縦に貫かれるような感覚が、僕を麻痺させた。
「そ、それは、自分やお前の身を守るためには、僕も戦えた方がいいと思って」
「それだけ?」
「それだけ、って?」
優海に訊き返す僕。しかし、次の優海の言葉は、僕の心臓を粉微塵にした。
「兄ちゃん、暴力を面白いもんだって思うようになってるんじゃない?」
「……ッ!」
気道を潰され、手足をもがれ、心臓を掴みだされるようなおぞましさが、僕を包み込んだ。
苦しい。息ができない。誰か、誰か助けてくれ。僕が暴力を楽しむ人間になりつつあると? 猟奇殺人鬼にでもなろうとしていると?
そんな、そんな恐ろしいことがあってたまるか。
「優海、それは何の冗談だ?」
「冗談じゃないよ!」
優海はすっくと立ち上がった。思わず僕は、一歩引き下がる。
「少なくとも僕は、戦いが嫌いだ。だから、そんな妙なことを口にするのは――」
「妙なことじゃないんだってば」
優海は両の掌を上に向け、やれやれというように首を振ってみせた。
「兄ちゃんの話を聞くと、兄ちゃんはあたしを守るために、戦おうとしてくれてるんだよね?」
「そうだ」
ここははっきりさせなければ。僕は先ほど引いた足を再度踏み出し、勢いよくそう言った。
「じゃあ、どうして戦うの? 他にも選択肢はあるじゃん。警察にあたしを連れて行くとか」
「それはできない。お前を殺人犯にはできない」
「殺人犯、ね」
いやに大人びた口調で、優海は小さく呟いた。
「確かに、法律で裁かれなければ殺人犯には認定されないかもしれないけど、それは誰か他の人の判断じゃない? 自分には嘘はつけないよ」
「何が言いたい?」
「この前、あたしがジャンパーを血塗れにして帰ってきたあの日、あたしはもう、とっくに殺人犯だったんだよ」
『それ以上でもそれ以下でもない』――そう言って、優海は軽く手をぶらぶらさせた。
その、あまりにも気楽そうな態度が、僕の中で燻ぶっていた火種に再び油を注ぐことになった。
「お前、それでも人間か!!」
怒声を張り上げる僕。突然の激昂に、流石に優海も驚いたらしい。目を白黒させている。
「どうして人を殺しながら、そうも落ち着いていられるんだ? 僕はお前を守るために、そのためだけに、人殺しもやむを得ないことだと思って訓練してるんだ。それなのに、自分で自分を『殺人犯だ』なんて言うなよ!」
すると優海も、充血した目をくわっと見開いた。
「じゃああたしたちがやってることが、人殺しじゃなくてなんなのさ? 兄ちゃんだって、一人は殺したくせに!」
雷に打たれた、という比喩は、こういう時に使うものなのだろう。
あの時の機動隊員。盾を失い、ヘルメットを飛ばされ、きっと大怪我を負っていたであろう彼を、鉄パイプの殴打で殺害したのは、他の誰でもない僕だ。
今まで忌避してきた過去の事実に、僕はついに追いつかれ、飲み込まれようとしている。
「ああ、そうだ。僕も立派な殺人犯だ」
くらり、と頭が揺らぐ。
「でも優海、これだけは信じてくれ。僕はお前を守るためだけに、拳銃を手に取るつもりだ。他の武器になるものも。それだけが、今の僕を支えている」
『頼む。信じてくれ』――僕はそう繰り返し、その場にひざまずいた。
その後、僕と優海はそれぞれシャワーを浴び、それぞれの寝床に入ったはずだが、詳しいことは僕の脳裏には残らなかった。
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