存在の証(KAC7)

i-トーマ

人の存在意義とは

気がつくと、玄関に立っていた。

靴を履き、扉へ向いている。今から出かけるようだ。

「いってらっしゃい。忘れ物はない?」

 振り向くと、女性が声をかけてきていた。誰だったっけ、記憶が曖昧だ。

 あ、母だ。まさか、自分の母親を忘れているなんて。しかし、どうも違和感が拭えない。

「車に気をつけてね」

「もうそんな子供じゃないよ」

 微笑む母に、軽く返事をする。

「行ってきます」

 僕は言いながら扉を開いた。


 僕は歩いている。高校へ通うためだ。

 ただ、なんだか記憶が曖昧で、まるでまだ、夢をみているようだ。

「ようタケシ、おはよ!」

 ビックリした! 急に後ろから肩を叩かれた。

「お、おはよう」

 はつらつとした笑みを浮かべる少年がいた。名はたしか、ミツイシ、そう、ミツイシだ。クラスメイトで、僕の後ろの席。中学からの同級生だ。中学の時は、もう一人、ホソイと一緒に三人でよくつるんでいた。

「なんだよ元気ねーなー。月曜だからって下向いてたって、幸せは落ちてねーぞ」

 ミツイシはそう言って、先へいってしまった。

 いつも元気なやつだ。知り合いにあったせいか、なんとなくホッとするとともに、何故だか不安な気持ちがわいてくるのを抑えられなかった。


 授業中、黒板を叩くチョークのリズムに合わせて、ノートが文字で埋められていく。

 この時間が一番安心できる。

 勉強は嫌いじゃない。知らない事を知るのは楽しいし、出来ない事が出来るようになるのはもっと楽しい。

 なにより、授業の他に何も起こらない事が最も安心していられる。

 突然、後ろから何かがとんできた。

 恐怖に身がすくむ。二秒……五秒……何もおきない。

 とんできたものを見ると、それはノートの切れ端だった。

 それを開くと、文字が書いてある。呼吸を整え、ゆっくり紙を開ききる。

『帰り、どこよってく?』

 後ろのミツイシからの手紙だった。

 次の紙がとんでくる。

『カラオケ?』

 軽く後ろを振り返ると、満面の笑みを浮かべるミツイシがいた。

 僕は軽くうなずく。直後、えもいわれぬ不安と恐怖におそわれる。だが、それが何故なのかはよくわからなかった。気のせいか。気のせいだと思いたい。

 放課後の予定が決まった。


『ながしたーなみだをおいこしてー』

 ミツイシが僕の隣で歌っている。

 カラオケボックスの狭い部屋に、三人の学生がいた。

 一人は僕、一人はミツイシ。そしてもう一人は、僕の正面に座るムカイだ。

 最近あった制服の衣替えで夏服になったセーラー服が似合う。ポニーテールの少女だ。

『ただひーとりー、たちむかーうーのさー』

 ミツイシの歌が終わった。マイクを僕に差し出す。

「次はタケシの番だぜ」

 画面を見ると、僕の入れた曲がスタンバイされていた。

「飲み物取ってくるわ。またコーラでいい?」

 自分のグラスと一緒に、僕のグラスを手にして部屋を出るミツイシに、僕はうなずく。

 僕の歌が始まり、音を合わせて歌詞を読む。

 歌は嫌いじゃない。音程とリズム、あとは噛まない程度の滑舌があれば、それなりに形になる。僕は何度も練習した歌を、間違えないようにだけ気をつけて発声する。

「マツバラ君て、歌上手だよね」

 ムカイが間奏の時に僕に微笑みかける。

「おまたー」

 ミツイシが戻ってきた。僕の前にグラスを置く。

 直後に最後のパートが始まったので、僕は歌に集中する。

 最後まで大きくずれることなく、歌い終えることが出来た。

 僕はマイクをテーブルに置き、少し傷んだ喉を潤すため、グラスを手にした。

 コーラ、のはずだけど、色がそれじゃない。明らかに濁っている。不審に思っていると、ミツイシが言ってきた。

「オレのオススメブレンドだぜ、飲んでみなよ」

 唐突に不安がこみ上げ、心臓が暴れる。

 人懐っこい中にイタズラ心を浮かべた笑みで、僕を見るミツイシ。

 大丈夫だ。大丈夫のはずだ。ぼくは失敗なんてしていない。原因なんてなかったはずだ。

 恐る恐る、グラスに口をつけ、舐めるように味を確認する。

「コーラ……フロート?」

「あ、もしかして、バニラ苦手だった?」

 ミツイシが不安げに僕を覗き込む。

 ここのドリンクバーにはソフトクリームもある。それをコーラに入れたのだろう。

 コーラの刺激を和らげるバニラの甘さに、僕の心も和らいでいくようだった。

 唯一、心の奥底に沈殿する闇だけを残して。


 カラオケが終わり、帰路についていた。

 ミツイシとは途中で別れ、今はムカイと一緒に歩いていた。

 ムカイは、美人とまではいえないけれど、そこそこ可愛い。なんて僕が評価する権利も立場もないけど、二人きりで歩いていて意識しないはずもなかった。

「まえにね、ヨウチューブで……」

 ムカイとたわいない会話を交わす。

 なんの変哲もない日常。

 何も悪いことのない日々。

 幸せとは、不幸とは、そんな事すら考えない生活。

 何もない時間。

 反転する世界。

 それは突然産まれた、理解。


 フラッシュバックする記憶。

 そう、ぼくは、イジメられていたはずだ。

 突然蹴りつけられる背中。

 傷だらけの机。

 授業中にも関わらず、とんでくるゴミ屑。

 正体不明の飲み物。

 救いなどない。

 希望などない。

 地獄の日々。


「どうしたの、マツバラ君?」

 突然立ち止まった僕を、数歩行き過ぎてから振り返るムカイ。

 その笑顔が、滲んで歪むのは、僕の涙のせいだ。

 これは夢だ。

 幸せは幻だ。

 そしてそれは、覚めようとしている。

 つらい、いやだ、いやだ、戻りたくない!

 覚めてしまえばまた現実、地獄の日々だ。

 だが、無情にも覚醒は進む。視界が白み、現実の光が夢を蝕む。

 ぼくは、目覚めてしまった。



 目が覚めると、最初に気付いたのは息の荒さだ。

 貪るように空気を取り込み、絞り出す。

 そして脈拍も早い。まるで死に急ぐドブネズミのようだ。

 オレは上半身を起こし、ヘッドセットを取り外し、深呼吸をした。

 回りを見回し、見慣れた自室であり、自分が何をしていたのか確認すると、ようやく身も心も落ち着きを取り戻した。

 そして思い出す、不安、不審、恐怖……そして。


 絶望。


 オレは改めてベッドに寝ころぶと、思わず声が出ていた。


「最っ高に気分の良い目覚めだぁ」


 オレは、手に握ったヘッドセットと、それにつながる装置に目を向けた。

 それは、他人の視点を追体験出来る、VRの親玉みたいな装置だ。

 今観ていたのは、中学の時のクラスメイト、マツバラの現在の生活だ。詳細に調査し、AIに補完させ、脳波に投影する事で、夢のような形で他人の人生を体験出来る。

 普通は純粋に物語やドラマをリアルに体験するためのものだが、オレはそれを改造して、金をかけて他人の生活を取り込み、検証していた。

 マツバラは、オレが中学の時にイジメていたヤツだ。

 今は違う高校だが、オレのイジメのトラウマで、いまだに日常生活もままならないようだ。

「これだ、これが、オレが、世界を変えた証拠だ」

 オレは感動に身を震わせる。

 オレは、自分が天才だとは思わない。

 特別な才能があるとも思わないし、未来に、秘められた超能力に目覚めることに希望を見いだすほど夢見がちでもない。

 でも、そんなオレでも、この世界に何かを残したかった。

 爪痕でも傷痕でもなんでもいい。確かに、この世界を変えたのだと、形を残したかった。

 そして思いついた。

 人生を、変えようと。


 他人の。


 誰かの人生を、オレの力で変えてやろうと。

 マツバラをターゲットにしたのに理由なんてない。

 ただ、出席番号が近かっただけだ。

 でもこれで、人生を変えることに成功した。

 何もない日常の生活で、あれだけの負の感情に襲われるのだ。

 マツバラはこれ以降、オレの付けた傷痕トラウマを抱えて生きていくことだろう。

 もう元の人生には戻れない。

 そう考えると、否が応でも口元が歪む。笑みが浮かんでしまう。

 充実感に満たされる。

 くだらない承認欲求と言われても構わない。

 オレはもっともっと、傷痕を残す。オレの存在を、生存した証を!


 ホソイの名を、存在を、他人の人生に刻むのだ!

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