生きろ

 家茂公が荼毘に付されて半年ほど経ったころ。

 和宮は「家茂以外の男と添いたくはない」と言って出家。静寛院と名乗る。

 訃報を知らされた和宮の様子は、いま思い出しても胸が痛むものだった。死の間際まで胸に抱いていた和宮への土産──西陣織を手渡された彼女は、病床の夫の様子を聞いてはおなじように西陣織を胸にかかえて泣き暮れた。

 十四代将軍を亡くした幕府は、十五代将軍として一橋慶喜を起用。

 涙に濡れて立ち止まる者がいる一方で、この世は止まることなく動いていた。


 しかし、和宮が出家してまもなくのこと。

 兄である孝明天皇が、天然痘を発症したという報が宮中を駆けめぐった。

 どうやらいまは平次が懸命に看病していると聞く。佐兵衛は半年前の自分を思い出しては、鉛を呑み込んだような胸の重さを感じていた。

 それと同時に、当時自分を支えてくれた女の存在を思い出す。

 彼女ならば──もしかしたら天然痘への効果的な治療法を知っているのではないか。そんな淡い期待を胸に抱き、佐兵衛は京の方々をたずねまわってようやく彼女の居所を掴むことが出来た。


 西本願寺境内。

 落ち葉の詰まったカゴを持ち上げようとした彼女を見つけ、佐兵衛は「綾乃」と声をかけた。思えば彼女の名前をきちんと呼んだのは、これがはじめてかもしれない。

 綾乃は肩をびくつかせて振り返った。

「あ、村垣さんッ」

 とてもおどろいた顔をしている、無理もない。あれからおよそ五ヵ月が経とうとしているのだから。

「改めて、謝りに参った」

「えっ」

「疑うようなことを言った。すまん」

 佐兵衛が頭を下げる。

 ずっと謝りたかった。ようやく彼女に伝えることが出来た──と内心で安堵していると、綾乃は思ったよりも明るい声で「いいですよそんなこと」と言った。

「それより家茂様は?」

「あれからすぐに亡くなられた」

 その後の五ヵ月間に起きたことを要約して話すと、彼女はすこし暗い顔をして首を傾げた。

「今日は、何しに?」

「こっちに知り合いがいるんだ。今度はそいつの主人が病でね、天然痘だそうなんだ。しょげていやがるだろうから、様子を見に」

「へえ──天然痘か」

 彼女は、天然痘に関しても詳しかった。──というよりは、天然痘のために行なわれる種痘(現代で言う予防接種)についても知っていたし、それが佐兵衛の父親と深くかかわりがあることまで知っていたのだから驚きである。

 本当に、何者なのだろう。

 内心で舌を巻いていると、綾乃は真剣な表情でなにかを考えながら教えてくれた。

「たしか──発酵食品が良いって聞くから、漬け物とか味噌とか。ね」

 やはり、彼女は頼もしい。

 佐兵衛は見事に自分の期待に応えてくれた彼女を誇らしく思いながら、さっそく平次にそれを届けてやろうと西本願寺をあとにする。


 天然痘。

 膿疱が体中に現れ、身を焼かれるような痛みが全身を襲うらしく、かかった者は大人しく横たわるのも辛いそうだ。

 この膿疱は、引いてものちのち痘痕が残ってしまうため、世界中から恐れられていた。

 幕末期に、緒方洪庵らが尽力して種痘を広めたことでも有名なこの病は、それでもまだ多くの人を苦しめていた──。


 平次は、近清という漬物屋にいた。

 帝が漬物好きなため、ここでよく調達しているのである。

 いつものようにしば漬けを購入すると、となりでたくあんを吟味する女がいた。──どこかで見た顔だ。おや、彼女はもしかして。

 女がたくあんを主人に渡したとき、平次はおもわず

「たくあん」

 とつぶやいていた。

 女は動揺している。そりゃあそうだ、平次自身も声に出ていたとはおもわずに内心で動揺していた。

「ここのは旨ェだろ」

「は、──はい。それが好きな人がいて」

「いいな」

 とくになにも考えずに返事をして、彼女の分の代金を支払う。

 どうやら彼女は平次の顔を覚えていないらしい。じっくりと覗き込み「以前会ったな」とつぶやく。

「草履の鼻緒」

 続けてささやくように言うと、彼女はようやく合点がいったように笑顔になった。

「あのときはありがとうございました!」

「奇縁ってなァこういうことを言うもんだ」


「俺の主人が天然痘でな」

 話の流れで、彼女に帝の病について話していた。

 店の主人は「流行っとるしなぁ」とうなずいているが、彼女はどこか深刻な顔で黙り込んでいる。しかしパッと顔をあげるや「発酵食品」と言い放った。

「ぬか漬けなんかいいでしょうね。早く治すには」

「ぬか漬け」

 いっしゅん平次はきょとんとする。

 なぜ天然痘にぬか漬けなのだろう。しかし彼女の表情を見ると、とくにからかっているようにも思えない。平次はぬか漬けが良いのか、と嬉しそうに言って、追加で近清の主人にぬか漬けを適当に選ばせた。

「博識だァな」

「──豆知識です」

「覚えておこう」

 意外なところに意外な知識を持つ者が隠れているものだ──としみじみ思いながら、平次はふたりに別れを告げて御所へと向かった。


 ※

 御所内をすこしだけぶらついていたときである。

「おうい、平次!」

 賀陽宮の声がした。平次はちらりと脳裏に「面倒くさいな」という感想がよぎったが、彼とはなんだかんだで仲良くもある。仕方なく声の方に顔を向けた。

 するとそこに、先ほど近清で別れた女がいるではないか。

「宮さま──と、こりゃさっきの」

「葵ちゃん、というらしい。めんこかろ」

 賀陽宮は彼女の肩にいやらしく腕を回した。まったく、女を見れば見境なしなのだから。

 その手を払って、平次は彼女を引き寄せる。

「宮さまは女となりゃァ節操がねェ。この娘はいけませんぜ、どうにも俺とは奇縁の仲だ」

「なァにが奇縁やと。えらそなこと言いよってからに」

「ほんまのことや──なァ」

 平次は彼女の顔を覗き込み、にんまりと笑った。


「これ以上油を売ったら、また怒られますぜ。宮さま」

 平次はちらりと賀陽宮を見た。彼は話しはじめると長いのだ。

「わかっとるわい、はあ──十四代の若将軍が鬼籍に入ってから雲行きが怪しいわいな」

 賀陽宮が呟く。

 平次は眉を歪めて「まこと」とだけ言った。

 家茂公が亡くなったことはいまだに平次にとってもツラい現実であった。

 話を逸らすようにパンパンと手を叩く。

「ほうれ、はよう」

「なんやねん、人を犬みたいに」

「犬のがまだかわえェだろうよ」

 くくく、と笑った平次に、賀陽宮はあっ、と声を出してこちらを振り仰いだ。

「犬と言や──またあの妙なのが来ておったで。以前、わしを殺しに来た男」

 佐兵衛が。

 平次は嬉しそうにそうですか、と笑った。ならばなおさらこんなところで油を売っている場合ではない。葵が犬について尋ねてきたので「マブダチだよ」と簡単に説明をした。

 嘘ではない。それほど、平次にとって佐兵衛は背中をあずけられるほど信頼のおける友になっていたからだ。

 葵は申し訳なさそうにつぶやく。

「……あの、すみませんでした。後なんかつけて」

「ああ、俺になにか用だったかい」

「そういうわけじゃ、ないんです──」

 口ごもる葵にまあエエ、と平次がうなずき周囲をちらりと見る。佐兵衛の気配を近くで感じた。

「どうやらその犬は俺に会いに来たようだ。今日は残念だが、また近清で」

「あ、は、はい」

 葵は頭を下げ、足早に御所から遠ざかっていく。その後姿をぼんやり見守っていると、

 

「──だれがマブダチだ。適当なこと言いやがって」


 という声がした。

 村垣佐兵衛である。手には大きな包みを抱えている。

「よう、来たのか」

「どうせ貴様がしょぼくれていやがるだろうと心配してやったんだよ」

「そうか、そうか」

 つん、とそっぽを向く佐兵衛に構わず、平次は馴れ馴れしく肩を抱く。

 おどろいたことに、彼が手土産として持ってきたものが味噌やぬか漬けだったのだ。まさかそこまで流布している知識だったのだろうか──。平次はありがたくその土産を受け取る。

 家茂公が亡くなっておよそ半年。

 お互いの主君もいつしか大切な存在となっていたふたりにとって、ここはなんとしても守りきらねばならなかった。これ以上、自分たちの主君が亡くなる様は見たくなかった。

「はやく──御身が良くなられるといいな、帝も」

「うん」

 佐兵衛の言葉に、平次は御常御殿を見上げる。

 家茂公の死に顔を見て感じた焦燥がいまふたたび平次の胸を駆ける。


 そんな平次の願いもあってか、帝の体調は日に日によくなっていた。

 ぬか漬けや味噌が効いたとは一概には言えないが、膿も出なくなったうえに食欲も戻ってきた。ぬか漬けの香りに刺激されたのもあったのだろう。帝はこれまでが嘘のようにしっかりと召し上がるようになっていた。

 近清にて葵に再会したときは、その旨を報告して喜びを分かち合った。

「いやぁ、うちのぬか漬けも捨てたもんやないですな!」

 と、近清の主人でさえ自分のぬか漬けが誰かを救った、とはにかんでいる。

 このままいけば年越しも無事に過ごせるだろう──と、平次はそこまで考えていた。

 考えていたのだけれど。

 それは十二月二十四日の夜、突然におとずれた。


 夕餉後、そして翌日に激しい下痢と嘔吐。

 もがき苦しみ暴れ回る主君を押さえつける平次の目の前で、帝は全身の穴から出血をしてまもなく崩御した。


 平次は、血が出るたびに手拭いで拭いてやった。

 嘔吐するときは身体を支えてやり、下痢の後処理だってすすんでおこなった。

 そばにいて、ただひたすらに声をかけてやった。

 ──しかしそんなものは気休めにもならないことだった。

 だからといってほかに、できることなどなかったのだ。

 帝崩御の報は御所内に広まり、公卿はたちまち大慌てとなった。おいおいと嘆き悲しみ、祟りであると恐れおののく者たち。そのなかで、平次はただじっと帝の身体を見つめていた。

 なにを言うでもなくずっと眺めていた。

「平次」

 いつの間にやってきたのか、佐兵衛が声をかけてきた。

 しかし平次はなおも微動だにはしない。動きたくとも身体が動かない。息をするのも忘れかけていた。

「外に行こう」

 そう言って佐兵衛は、強引に平次を連れ出す。

 そのときようやく平次は息を吐いた。

 ようやく、帝以外の景色を見た。

 佐兵衛はさんざん叱咤激励を飛ばしたのち、平次のとなりで空を見上げて言った。


「この戦が終わったら、──祝宴でもしようや」


 何者も敵味方なく、一国の仲間となったころ。

 きっと酒を飲もう。

 佐兵衛はそう言って、嗚咽をこらえる平次の肩を組んだ。


 ※

 あれから数か月。

 江戸城に戻っていた佐兵衛は、意気消沈の平次が気になりつつも己の身の振りを考えていた。

 家茂公のときのように、新将軍慶喜のそばでお仕えしろと再三言われてきたが、佐兵衛はどうしてもその気になれなかったのである。

 しまいには、言うことが聞けぬというのであれば御庭番の仕事を務める資格はない──と一橋派の幕臣に圧力をかけられたことで、佐兵衛は幕臣という仕事すらもやめてしまった。


「…………さて、どうするか」


 国家公務員であったのが一気に無職になってしまったのだ。

 しかし佐兵衛はそれほど悲観的ではなかった。京にゆけば平次がいる。彼に事情を話せばなにかしら仕事ももらえるだろう──という確信があったからである。

 数十日をかけて京へつく。

 御所に向かうと幸運にも平次の後ろ姿が見えた。

 珍しく今日は烏帽子を着けていない。彼も孝明天皇崩御によりいろいろと思うところもあるはずだ。酒でも酌み交わし今後について話そう──と佐兵衛は口角をあげた。

「────」

 平次、と声をかけようとした矢先のことである。どこからか殺気を感じて佐兵衛は身を堅くした。素早く辺りに意識を集中させ、刺客の人数を確認する。

 ふたり。

 恐らく狙いは平次だろう。

 孝明天皇の庇護下にあった正体不明の野狂は、むかしから一部の公卿にとっては目の上のたんこぶ的存在であったことは想像に難くない。

 佐兵衛は声を張り上げた。

「平次!」

 と。


 主君を失ってから、ぼんやりと考え事をするようになった平次に、刺客の気配は映らない。

 このときも佐兵衛の声が聞こえてようやく後ろを向いたほどだった。

 そして目に映った光景に平次は目を見開く。

 佐兵衛の声に反応したか、ふたりの浪人風情が自分に向かって飛び込んできている。しかし佐兵衛はすばやくクナイを投げ、懐刀を抜いた。ふたりの浪人風情はばたりと倒れ、佐兵衛がこちらへ駆け寄ってくる。そこまではよかった。

 しかし平次の目には映っていた。

「佐兵衛!」

 彼の背後から、さらにふたりの刺客が刃を振り上げる様子が。

 まにあわない。

 平次が佐兵衛に手を伸ばした。しかし佐兵衛のほうが身のこなしが軽かった。

 平次の声に後ろを向いた佐兵衛は、平次を突き飛ばして、振ってくる刃を全身に浴びたのである。

(いかん)

 平次は扇子を投げ捨てて懐からリボルバーを取り出した。慣れた手つきで照準を刺客の頭に向け、ふたりに一発ずつ脳天に弾を浴びせた。

 どう、と倒れた刺客の息を確認する。すでに事切れている。

「佐兵衛」

 ふたたび袖にしまい、佐兵衛に駆け寄った。彼の傷は深く、両肩から袈裟斬りにされている。

 それでも未だに息があるのは、さすが佐兵衛というべきか。恐らく斬られた一瞬で急所をはずしたのだ。

「いま血を止めてやる。もうすこしがんばれ」

 おのれの袖を引きちぎり、平次は止血にとりかかった。しかし、全身から血が噴き出ている状態の彼の、どこを止血すれば血が止まるのかわからなかった。

「へ、じ」

「黙ってろ」

 これ以上血が流れ出たらまちがいなく死んでしまう。

 平次は震える手で手拭いを佐兵衛の肩口にあて、血を拭う。しかし、佐兵衛はその平次の手を、震える手で必死に触れようとした。もういいよ、と言っているような手つきだった。

(わかってる)

 もう、手遅れなのは分かっている。

 それでも悔しくて、血を拭っていない片方の手で佐兵衛の手を強く握った。

 自分の手がなさけないほど、震えているのがわかった。

「────」

 佐兵衛はなにかを言ったようだったけれど、もはやそれも声にはならない。

(やめてくれ)

 平次はくちびるを噛みしめた。

(逝かないで)

 また失うのか。

「佐兵衛……」

 たまらず佐兵衛を抱き締める。

 血がしとどにおのれを濡らしても、平次はかまわなかった。

 とにかく彼をここにとどめておきたかった。どこにも、誰にも、コイツを連れては逝かせぬ、と思った。

 けれど、握った手がするりと地面に落ちたときに悟った。それが無駄なことなのだと。

「……さへ、────」

 もはや平次も言葉にならなかった。

 逝くな、とも、がんばれ、と言うにも、すべてが遅い。

 平次は佐兵衛の遺体を抱き上げ、ゆっくりと歩き出す。

 こいつを、静かな場所に眠らせてやりたかった。


 深川の野っぱらで、佐兵衛を焼いた。

 崩れゆく身体をそこら辺の石に腰掛けて眺める。


 もう涙は出なかった。


(俺が死ねばよかった)

 平次は心のなかでそう思った。

 親も兄弟も、出自もなにもわからない自分が生き残るより、よほど有望な村垣家末男が残るべきだった、と。

 ふっと左手を眺めてはじめて気が付いた。どこかで扇子を落としたようだ。

 リボルバーを出した時かと考えてあの光景を思い出し、また悔しくなって拳を握る。


「そんなことを思うから、彼が怒っているよ」


 ふいに声がした。誰の声かはわからない。

 姿も見えない。しかし不思議なことに耳元で聞こえたような気もする。

「…………」

 しかし、もう誰でもよかった。

 平次の視線はふたたび佐兵衛を焼く火にそそがれる。

「きみは彼に残された。残されたものは、痛みを背負って生きていくもんだ」

 声はそう続ける。

 姿は見えないがそばにいるような気もしてきた。

(気が触れたかな……)

 平次はくっと口角をあげて、ようやく周囲をみまわした。

 しかしその場には依然として、燃え盛る炎と焼かれる佐兵衛、そして自分しかいない。

 声は優しい声色で続けた。

「姿は違えど、きみたちはいつの世でも出会うさだめにある」

 ──また見つけたらいいさ。

 声はその言葉を最後に、気配を消した。

 そばにいる感覚ももうなくなった。

 

 白昼夢か。

 平次はそう思った。

(夢を見たよ、佐兵衛)

 すっかり燃え尽きて骨になった佐兵衛を見つめ、平次は心のなかでそう呟いた。


 ※

 時代は、めまぐるしく変わっていった。

 戊辰戦争が終結した会津で、平次はひとりの男をたずねた。


 男は、桜を見上げていた。

 平次が近付くも、彼は悲しげな瞳を桜から逸らすことはなかった。

 そして、言った。

「……桜のように、幕府は散った」

「そうかね」

「…………」

 ここ会津の地で、最後の最後まで奮迅をつづけた英雄がいると、会津藩兵のひとりが教えてくれた。その男はかつて京であまたの命を奪ってきた、とも。しかしそれとておのれの忠義に従えばこそ。

 男はおそらく、会津を主君としてこれまでずっと戦ってきたのだ。

 だから平次は会いに来た。思ったとおりの目をしている。

「生きねばなるまい」

 平次はつぶやくように言った。

 男は、ようやく桜から視線を外して平次を見る。彼はすこしだけ目を見開いた──ような気がした。

「たとえすべてを失っても、おのれの命が踏んばる限りは」

 生きねばなるまいなァ。

 平次は、そして桜を見上げた。男もつられてまた桜に視線を投じる。

 そう、生きるべきなのだ。

 仲間にここまで残されたのだから。

(会津をたのむぞ、……)

 かつて言われた言葉を思い出す。その言葉を遺した彼は、蝦夷の地で散華したと聞いた。

(すみません。──守れませんでした)

 男は心のなかでつぶやいた。

 あれから幾度、蝦夷地へ向かおうとしただろう。会津城が陥落して囚われの身になっても、蝦夷地にいる仲間を思えばじっとなどしてはいられなかった。だから脱獄もした。

 けれど、それでもまだ自分はここにいる。

(……すみません。副長)

 男は小さく苦笑する。

 いつか墓前に花を添えよう。それが遺された者の、最後のつとめだ。

 生きねばなるまい。

 男はいまいちどその言葉の重みをじっと感じていた。


 ──。

 ────。

 戦など、必要ない。

 平次は四十を過ぎてもなんら変わらぬ容姿のまま、日本中を歩いた。


 その後、平次がどこで老い、どこで死んだのかは分からない。


 しかし、どこかの寺でボロボロの扇子を優雅に扇ぎながら、老人なのだろうが老人には見えぬ男が入り浸っていた、という話はひっそりとどこかの村で語られていたのだそうな──。



(完)

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浅葱色の夢見旅行 乃南羽緒 @hana-sakura

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