浅葱色の夢見旅行
乃南羽緒
第一章
過去へ
「まさか、女をころしにいくとは言えないだろう──」
司馬遼太郎著『燃えよ剣』の一節である。
京都市バスの最後列。長い脚を組み、腕組みをして目をつぶったまま囁かれた、のぼせた声色に、友人の
いま、と綾乃は目を閉じたまま口角をあげる。
「ちょっと夢見てた」
「アンタはいつでも夢見がちじゃない」
「ひでーこと言うわね」
「どんな夢」
「──彼と、京都の町をお散歩デートする夢」
ようやく綾乃はゆっくり瞼を持ち上げる。キラキラと艶やかな猫目を輝かせ、それはそれはうれしそうにわらう。
「いま夢見坂を歩いて八坂の塔を見てたとこ」
「夢でしょ。現実のアンタはずっとここでぐったりうつむいてたよ」
「夢のないこと言わない」
「あのねえ」
いい加減、と葵はため息をついた。
「歴史の人じゃなくて、現実を見なよ」
「現実にアレ以上のいい男がいるなら見るわよ」
会ったこともないくせに、よく言う──。
などと意地の悪いことは言わないけれど、葵にはいまいちその感覚が分からない。
歴史上の人物に本気で恋をする、なんて。
『つぎは、壬生寺道──』
バスのアナウンスがつぎの停留所を告げた。綾乃の長い指が、降車ボタンに伸びる。
「なるほど、この男の恋は猫に似ている」
紡がれる同書の名節。
葵には、分からない。
「言うほどいい男だったのかね──その」
新選組副長さんは、と車窓へ目を向けた。
江戸時代末期。
京の治安を守るために結成された、屈強な男たちの武装集団──新選組。
組織としてのドラマティックな成り立ちや、組織構成員ひとりひとりの個性的な人物像から、平和な時代を迎えた日本では、多くの人々が魅了された。
彼らがかつて過ごした場所や今なお眠る墓所には、聖地巡礼と称して、絶えず多くのファンが訪れる。
この物語は、そのうちのふたりが見た、奇妙な夢物語である。
※
残暑厳しい九月某日。
盆地特有の湿気にくらりと眩暈がする。JR京都駅から市バスでおよそ十五分の『壬生寺道』停留所。降り立つ瞬間から、ファンは聖地に踏み入れる。
────。
聖地のひとつ、八木邸。
新選組が、前身組織である
ここでもっとも身近に歴史を感じられる痕跡といえば、
「鴨居についた刀傷」
であろう。
初老のガイドが、廊下を出た左、隣室の鴨居を指さす。
「こちらは、新選組隊長をつとめた
「暗殺……」
葵はぐっと首を伸ばした。
当時の造りゆえ、鴨居の位置は現代よりよほど低いものの、百五十センチを切る身長の自分にとってはたいして変わらない。
ほかの客は鴨居を流し見て、すぐに隣室へ移動していく。が、葵は意地でも近くで見ようと爪先をピンと伸ばした。
瞬間、上体がふわりと浮く。
「ホラどうだッ」
綾乃だった。
高身長な彼女が、葵の腰に細腕をまわして軽々と持ち上げている。おかげで葵はようやく鴨居の傷との対面が叶った。
とっくりと傷を見てから、葵は「ありがとう」と板張り廊下に足をつける。
「見えた?」
「うん、おもったより浅かった。もっとざっくり入った傷かとおもってたけど──でも、沖田総司って剣の名手だったんでしょ。けっこううっかりさんだね」
葵が拍子抜け気味につぶやく。
しかし綾乃はわらって「想像してみな」と鴨居に手をかけた。
「夜闇に乗じて、高身長の彼が、こんな狭い空間で刀をぶん回すんだぞ。おまけに相手は巨魁局長、殺らなきゃ殺られる大勝負──そらァ鴨居に刀も突っ掛かるわよ」
「芹沢鴨ってそんなに強かったの?」
「そんなこと、会ったこともないのに分かるわけないでしょ」
言いながら綾乃は隣室へ入る。
(あ。そこは、そうなんだ)
葵は首をひねった。
「沖田総司」
この名は、現代の若者でも一度は聞く名だろう──と、おもう。歴史に浅いと自負する葵でさえ、もともと知っていた。
新選組のなかでも指折りの剣士でありながら、不治の病に倒れ、二十代半ばでこの世を去った惜しまれる逸材である。
その生涯が花のように鮮やかで儚いことから、ドラマで彼を演じる俳優も美男子が多く、結果的に『薄命の美剣士』という、勝手なイメージまでついてしまった。
さて、芹沢鴨とは。
この新選組──もとい前身組織『壬生浪士組』を語るにおいて、なくてはならぬ人物だが、意外にも沖田総司ほど知られてはいない。
(前知識、綾乃に聞いててよかった)
と、葵は隣室を覗く。
もはやガイドもほかの観覧客も、すっかり別室へ行ってしまったようだ。影もない。部屋にはただひとり、綾乃が文机に顔を近づけて何かをしているのみ。
ちょっと、と葵が寄る。
「なにしてんの?」
「芹沢鴨が、この文机に足を引っかけてスッ転んだところを斬られたんだと」
「へえ……それで?」
「だからこの文机、どっかに芹沢鴨の残り香でも残ってないかなぁっておもって、嗅いでる」
「うわ気持ちわるッ」
「なにをいうのよ。微粒子ひとつまで逃さない、これぞ歴女のたしなみ」
「うるさい変態」
葵は、吐き捨てた。
この変態──もとい三橋綾乃は歴女である。
とくに、新選組を含む江戸末期全体の知識は深い。国史大辞典や幕末維新事典、当時の伝聞、書物、書状までひと通りは聞き、読みこんだとか。その執念の産物として挙げられるのが、彼女の脳内幕末年表。
その詳細さは尋常でなく、歴史知識はかじった程度の葵に対して、聞いてもいないのにずいぶん分かりやすく教えてくれた。
(脳内も変態。……)
と、葵は話を聞きながらおもったものだった。
しかし綾乃曰く、それも所詮は机上論。歴史を学ぶにおいてもっとも重要なのは──現場へ赴くこと。とのことで、大学入学後初の長期休暇を利用した此度の歴史旅行が計画立てられ、みごとに方々を連れまわされているのである。──
事件は、前触れもなく突然起きた。
八木邸見学を終えて、玄関で靴を履いた葵が立ちあがる。
すでにほかの客は撤収してしまって、やっぱりさいごに取り残されたわけだが、こんどは連れの友人のすがたも見えない。どうせそのあたりの石ころを拾って歴史の微粒子でも求めているのだろう──と、たいした心配もなかったが、八木邸敷地から一歩外へ出たところで異変に気が付いた。
風がぬるい。
踏みしめる足もとが妙に土臭い。
なにより道路が。……
「あ、あれ?」
葵はきょろりと周囲を見わたした。
知らない場所だ。いや、東京生まれの自分が京都壬生周辺に土地勘がないのは当然のこととして、しかしそれでも──知らない場所だ。
八木邸を振り返る。仰天。ちがう。なんか、何かが違う。
「あ。綾乃」
声が漏れた。
一度、友人を呼んでみれば一気に心細くなって、葵はふたたび前を向きながらさけぶ。
「綾乃!」
「なに?」
「わあっ」
いた。
目の前に、ふつうにいた。しかもどこで買ったかもらったか、左手にはどら焼きに似た焼き菓子がそのまま握られている。齧ったあともある。
「びっくりした──どこ行ってたの。それなに?」
「もらった。食べる?」
「だれに」
「知らない人」
「…………」
「ていうかさあ」
綾乃はぐるりと周囲を見た。
「なんか変よね」
「綾乃はいつも変だよ」
「そういうこと言ってんじゃねーのよ」
そのまま友人はふらりと歩き出す。
やはりそうか、と葵はあわててその背中を追った。この違和感を覚えていたのが自分だけではなかったことに安堵する。心に余裕ができたことで、ようやく周囲のようすが目に入ってきた。
そうして気づく。
ほんとうに、変なことが起きている──ということに。
ひとつ、アスファルトがない。
壬生寺道停留所からここまでの道々すべてが土の道に変わっている。それも、長年そこに敷かれていたかのように、無数の足跡を刻む古株の顔で。
ふたつ、家々から覗く人が
女性はみな時代劇で見るような髷を結い、着物を着付け、こちらをにらんでくる。聞けば綾乃にどら焼きを渡したのも、旧い様相の女性だったらしい。
なにより第三──。
「これそこの、止まれ」
と。
今まさに目の前より迫りくる和装の恰幅よき大男。の、腰に刺さった大小の棒。男が歩むたびガチャガチャと音を立てるそれは──何?
葵は硬直する。
一方の綾乃もその声でふり返った。
硬直する葵と迫る大男に気が付き、葵の肩をちょんとつつく。
「撮影にしては本気度高いね」
「は──?」
「あれマジで剃ってるよ」
『あれ』とは
言ってる場合か、と条件反射に綾乃の肩を小突いた。が、おかげで葵の頭が冷えた。男はあと四、五歩もあるけばこちらに手が届くだろう。
綾乃、とつぶやく声がふるえた。
「私、これ知ってる」
「マ? なんて時代劇?」
「──タイムスリップ!」
言った瞬間、葵は綾乃の腕をつかんで走り出す。
走る方角は男とは反対の壬生寺方面。八木邸見学のあとに立ち寄る予定だったため、赴くのははじめてだ。となりを走る綾乃が「へえッ」とすっとんきょうな声をあげる。
「葵、なんか町並みがちがうッ」
「いまさらそこ!?」
「ホワッツ泥道」
「とにかく、壬生寺まで行ってみようっ」
八木邸からわずか数メートル。
たどりついた壬生寺の境内に広がるは、上裸の男たちが野太い棒を上から下へと振りおろすという、珍妙怪奇な光景だった。
綾乃の目が見ひらかれる。
「────」
「えっ」
愕然と立ち尽くすふたりの背後に、大男が迫る。
ふたりとも、うしろから首に腕を回されてがっちりとホールドされた。これでは逃げるに逃げられまい。大男が興味深げに声をあげた。
「その目立つ様相で偵察ということもあるまいか。名は」
「と、徳田、葵……」
葵は声をふるわせる。
しかし綾乃はある一点を見つめたまま、
「三橋綾乃」
とうわごとのようにつぶやいて、ふたたび閉口する。
男はその身を離して、わらった。
「わしの名は知っておろうが。そこな浪士組──芹沢鴨である」
名を聞いた瞬間、これまでぴたりと動かなかった綾乃がはじけるように男を見上げた。その名は葵も知っている。いや、むしろ一番直近に聞いた偉人の名でもある。
「せりざわかも──…………」
綾乃がふたたびつぶやいた。
そのときである。
「おやァ」
という第一声とともに壬生寺から出てきた、総髪の男。
その背に気迫を乗せ、腰を沈めるように歩きながら涼し気な目元はにこやかに。対してニヒルに歪むくちびるが「これはこれは」とおどけたような声色を出す。
まるでちぐはぐなこの男。
視線はぎろりと一同へめぐり、やがて芹沢と名乗った男に据わる。
「──芹沢先生じゃァないですか」
葵の肌が、一瞬にしてピリついた空気を察した。
「本日の稽古には参加されぬと聞きましたが」
総髪の男が、うなるようにつぶやいた。
不機嫌だ。一目でわかる。葵は芹沢と呼ばれた男をちらりと見上げた。しかし対するこちらは妙に上機嫌のようすである。
なに、と芹沢はふたたび女ふたりの肩へ手を添えた。
「高く売れそうなものを拾った。君達にも紹介してやろうとおもうてな」
(売る?)
葵が綾乃を見る。
しかし彼女は、先ほどやってきた不機嫌な総髪男に釘付けのようで、葵の視線に気づいていない。あれよという間に、総髪男にならって数人の男たちが集まってきた。ほとんどの男は、頭頂部を剃り上げた月代スタイルである。
みな訝しげにこちらを覗き込む。
「こいつらの身に着けているものは、高く売れそうだ。見てみい」
「うっ」
こいつらの、と言った瞬間に葵の背中がばしりと叩かれた。上機嫌な様子である。以前に綾乃から聞くところでは、酒が入った芹沢鴨は手がつけられない暴れん坊だったとか。
仮に彼がほんとうに芹沢鴨だとして。
もしもいま酒が入っていたら、力の加減もされずに叩き殺されていたかもしれない。葵の顔は青ざめた。
「誰です」
総髪の男は、涼しげな眼をふたりに目を向ける。
ずいぶんな美丈夫だが、その瞳に浮かぶ怜悧な空気にはどうも馴染めず、葵はふたたび綾乃を見た。するとどうしたことか。彼女は頬をまっ赤にして息を止めている。
(あれ?)
葵が視線を男にもどす。
男は舐めるように女たちを見てからぐい、と顔を近づけた。
「俺は
瞬間、綾乃の脳内を通る毛細血管が二本ほど切れた。
土方歳三。
その名は、検索エンジンに『幕末』『イケメン』とワードを入れれば、いやでも上位にあがってくる。
新選組副長として京の町に名を轟かせ、その活躍を数多くの美男俳優によって演じられ、かの司馬遼太郎には『猫に似た恋をする』と恋の仕方まで揶揄された、古今東西不変の評価を誇るイケメン偉人である。
葵は知っている。
三橋綾乃が、彼を知ったその瞬間から心奪われたことを。死人である彼との叶わぬ逢瀬を神に祈りつづけていたことを。愛用携帯の待受画面がこの男の白黒写真で飾られていることも、出会ってからの歳月で狂おしいほど彼を愛してきたことも。
だから、
「あ──…………」
と、土方歳三の視線から逃れるように、葵のうしろに隠れてべそべそ泣き出す彼女の気持ちは察するに余りある。葵は苦笑した。おかげで心持ちも妙に冷静になってきた。
土方を見た。彼は、困惑した顔で固まっていた。
声をかけて泣かれたらこんな顔にもなる、と葵は冷えた頭で納得する。
しかし、となると次に湧いてくる疑問は当然──何故死人が生きているのだ、ということ。映画の撮影にしては、カメラやスタッフの存在がひとつもなし。綾乃がこれほど泣きべそをかくのだから、平成の役者が似せているだけとも思えない。
葵は勇気を出した。
「と、徳田葵といいます。こっちは三橋綾乃──その、私たちも突然のことで正直分からなくて。えっと……たぶんタイムスリップなんじゃないかっておもってるんですけど」
「たいむすりぷ?」
土方は首をかしげた。表情が曇る。
そりゃあそうだ。タイムスリップならばなおさら、そんなことばが通じるわけもない。しかしここで身の潔白(わるいことをした覚えもないが)を証明せねば、この時代いつ獄門磔にされるかもわからない。
いったいなんと説明すれば獄門磔を免れるか、と葵が頭を抱えた。
「あの」
と背後で声がした。
葵の肩越しから恥ずかしそうに顔を出した、綾乃である。
「いま──文久の三年。つまり
「それがどうした」
「…………」
綾乃と葵は顔を見合わせた。
──まず、土方歳三と壬生寺に縁があること。さらに芹沢鴨が生きて京にいることを鑑みれば、いま現在が『十四代将軍徳川家茂の御代、文久三年の春ごろである』ということは想像にたやすい。……らしい。あくまでも綾乃の感覚である。
問題は、なぜ平成の世にいたはずの自分たちが、文久の世に存在しているのか、である。
「わたしたち、ふた回り先の
「…………馬鹿にしてんのか」
「うわかっこいい」
綾乃がハッと口元をおさえる。
葵がその頭をはたく。
綾乃はいちど深呼吸をしてから、つづけた。
「──加藤清正って武将をご存知ですか」
「勇将だな」
「その人が生きていた時代に貴方が存在して、加藤清正本人に会ったと想像してください」
「ああ?」
「わたしと葵にとっては、貴方も加藤清正と同じようなものなんです。百五十年後の世界にいたわたしたちに、今まさに勇猛偉大な憧れの人物と出会うという、ミラクルなことが起きているんですよ!」
と。
力説をする綾乃の背後では、葵が「私はそうでもないけど」とつぶやく。葵は土方歳三のような人気王道路線よりも、マイナー人気どころが好きなのである。
しかも言葉にすればするほど嘘くさい。
案の定、土方には響いていないようで侮蔑の眼差しを向けられた。
「もうちょっとましな嘘はつけねえのか」
「嘘ならもっとましな嘘をついてます」
「…………」
土方は閉口する。
すると、いままで興奮していた綾乃も、現状を話すにつれてあらためてこの絶望的な状況に気が付いたらしい。「うわマジか、どうしよ」と蒼白な顔を葵に向けた。
「わたしたち本当に百五十年前にタイムスリップした?」
「うん、そうとしか考えられない──」
「帰る家も、頼れる人も、おまんま食べる銭もねえ」
「どうしよう!」
「職質受けたら気ちがい扱いときた」
「挙句の果ては獄門磔だよう。死んじゃうよ、どうしよう綾乃──」
とうとう葵まで泣き出した。
まったく不幸の三連単である。歴女が再三夢見るタイムスリップなど、現実に遭遇してみれば迷惑千万この上ない。この先に起こりうる最悪を想定した葵は、綾乃にすがりつく。綾乃はヨシヨシと葵の背中を撫でさすった。
さて、土方歳三。
もうひとりにまで泣かれてさすがにバツが悪いらしい。先ほどよりも若干やわらかい声音で、
「真偽のほどは別にしても、その頭といい着物といい普通じゃねえことは確かだ。俺たちは京の治安を守るためにここにいる。不審な人間を野放しにするわけにはいかんのでな、屯所まで来てもらうぞ」
と言った。
ちなみに彼の指摘した『頭』とは、葵の茶髪ボブパーマのことを言っているらしい。たしかに江戸時代にこんなヘアスタイルの人間はおるまい。
屯所連行と聞き、いよいよ処刑が近いと悟った葵。
さすがの綾乃も「ヤバい」とテンパる。
「お宅訪問はヤバい。ないものが勃つ」
「ことばを選べ!」
もうだめだ。不敬罪で獄門磔だ──と、葵が頭を抱えたときだった。
「まあ待て土方くん」
と。
一連のやり取りを静観していた芹沢の声が、いまにも女ふたりを連行させようとしていた土方を引き止めた。
土方の小鼻がぴくりと不快そうに動く。
「なんでしょう。芹沢先生」
「妄言にしちゃあなかなか面白いことを言いやがる。どうせ家無しなら、うちで引き取りこいつらに金を稼いでもらう手もある。女ならやり方も選べよう」
「────」
金、ということばが刺さったらしい。
土方は満更でもない顔で女ふたりを見る。ぱしゃり。突然響いた機械音。横を見ると、綾乃が無遠慮に携帯カメラを土方へ向けている。
そうか──と葵はリュックを漁った。
「ま、待ってください。妄言じゃありません、証拠もあります!」
と言って取り出したのは、デジタルカメラ。
唐突に見せられたメカニックなものを前に、芹沢と土方はしげしげとカメラを眺める。
「これは?」
「デジカメというものです。この時代だと……なんていうの?」
「ほとがら」
「そう。ほとがらです、ほとがら」
綾乃のサポートを受けながら、葵は必死で説明した。
フォトグラフ──アメリカンはそう言うが、当時の日本人はその発音を「ほとがら」と聞き、そう呼んだ。
葵は合図もせずに構えて、芹沢と土方のツーショットを撮影した。画面には、驚いた表情のふたりが鮮明に写っている。
その鮮やかな色合いを見た土方は「げえ」と彼らしからぬ驚いた声をあげた。
「なんだこれァ!」
「この一瞬でそれだけのものを写し取るとは、これはもしかするとまことの事かもしれぬぞ──土方くん」
「…………」
生前の土方は、写真が好きではなかったという。
その理由は諸説あるが、撮影時に長時間じっとしていなければいけないから──といううわさもある。
しかしこのデジカメというからくりはどうだ。この一瞬で、これほど見事な絵を切り取ったではないか。
元来、土方は感受性の高い男である。すっかり興味を向けた。
「ね、こんなものこの時代にはないでしょう」
「うん──これは売れそうだ」
という土方のことばに、女ふたりはがくっとうなだれた。
綾乃は高いヒールをカツンと鳴らして「違う違う」と肩を怒らせた。
「それっぽっち売ったところで生産できないから継続性ないし、どうせ魂が抜かれるとか言って需要ないでしょ。そうじゃなくて。わたしたちが言いたいのは、このような科学的発展の著しい未来で育った我々が、全身全霊かけて壬生浪士組に心身尽くすと! こう言いたいわけで!」
「ほう、言うじゃねえか。なにができる」
「掃除、洗濯、お食事と──土方さんなら
「ど、…………」閉口する土方。
「これはよい」
採用じゃ、と芹沢はげらげらわらってのち、高らかに言い放つ。
「────」
さすがの土方も芹沢という男には容易く反論できぬと見える。苦虫を噛み潰したような渋い表情で芹沢を睨みつけ、背後で事態を飲み込めずにいる数人の男たちを呼び寄せた。
「鍛練は中止、ですか」
呼び掛けにいち早く反応するは、月代を剃った長髪の男。
膚は浅黒く、猫背だが背は高い。雄々しく映るいかり肩に対してその表情はすこし幼くて、妙にあべこべなところに愛嬌を感じる。ふたりは、伝聞でそう伝わるひとりの剣士を知っている。
「それはお前の希望か、ソウジ」
「いえ別に。そんなことは」
ソウジ。
綾乃と葵がごくりと息を呑んだ。
「それで結局のところ、この方たちは」
「もう知らん。芹沢さんの拾いもんだ。……女中か何かにでもする気だろう」
「はあ──」
彼はちらと女ふたりへ目を向ける。
いまだに警戒心こそ解いていないだろうが、彼は恥ずかしそうに、
「
とひと言。
あまりの愛らしさに、綾乃は頭を抱えた。
さて。
この挨拶を皮切りに、うしろに控えていた男たちの、女ふたりに対する挨拶合戦がはじまった。どうやら土方や芹沢に対して果敢に突っかかった姿が好評だったらしい。口々に「度胸あるなあ」と褒めてくる。
そのうちの一人。武骨に笑む男が、名乗る。
「
写真が残っている。
永倉は、新選組の前身である壬生浪士組結成当初から主要メンバーとして第一線で活躍してきた剣士だ。この主要メンバーのなかでは数少ない明治維新後まで生き残った人物で、晩年は新選組の存在を後世に伝えるため、本の執筆や墓の建立に尽力した。
どこまでも義に厚い男だった、と伝わる。
「な、永倉新八にまで、色がついておる──」
と、綾乃は息も絶え絶えに合掌した。
死にかけの仏教徒か、とツッコむ葵。
永倉はとまどいを隠さずに葵を見た。
「な、なんだこいつは」
「三橋綾乃です」
「そ、そうか」
頷くしかない。とまどう永倉の後ろから、つぎの男が顔を覗かせる。
「俺も紹介させろや」
永倉に比べるとかなり大きく、六尺近くある大男。それに加えてたいそうな美丈夫である。
土方さんから聞いたぞな、と伊予訛りを交えて言った。
「加藤清正を仰ぎ尊ぶ妖術使いの女中だって?」
「いねーよそんなヤツ。誰だよ!」
おもわず素が出た綾乃に「あれ、違たか」と男は呟く。
「よくわからんが家がないんだろ、難儀なもんだ。俺は
「おう!」
原田の後ろから、小柄な青年がひょこりと顔を出した。
これも伝聞であるが。
小柄だが、大変な美男子であり、何事も先駆ける達者な性格の男がいたという。素行は良くないが文武両道。小さな身体とは対照的に度胸も志も、うんと大きいものを持っている男だったと。
「おれの名は平助。
粋な江戸っ子・藤堂平助とは、彼のことである。
三人の自己紹介を眺める沖田が周囲を見わたす。
「ええっとあとは──あっほら斎藤さん。そんな端っこにいないで、こっち来てくださいよ」
くいくいと手招きをした。
目線の先には、遠くからこちらを静観する男がひとり。
「────」
斎藤と呼ばれた男は、いかにも面倒臭そうな顔をして一瞬目線を逸らすも、負けじと手招きをする沖田に負けたか、やがて深いため息をつきながらこちらへやってきた。
女ふたりを一瞥し、かなりの間を開けて「
斎藤一──この名も、平成の世ではいろいろな作品にこぞって登場する。
彼も永倉と同じく、数少ない明治維新後の生き残りである。永倉とは対照的に、新選組についての回顧はとんと表に出すことはなかったが、堅実に、その後の生涯を過ごしたと聞く。
自己紹介を黙して見る、芹沢と土方。
先に仕掛けるは芹沢だった。
「──おい、葵と綾乃といったな」
「は、はい」
ふたりは一気に現実へと引き戻された。不安げに顔を見合わせる。
しかし、芹沢はにやにやと笑って、軽い口調で言い放つ。
「八木邸に来い。ちょうど女中がほしかった」
「えっ」
「芹沢先生──本気ですか」
土方が露骨に嫌そうな顔をした。失礼な人だ。
「なに、どちらもこっちに貰うと言うているのだ。前川の方には関係なかろ」
「──それは、」
土方が一瞬言いよどみ、永倉をちらと見て手招きをした。すばやく永倉が近寄ると、土方はぼそりと何かを伝える。
頷いた永倉は、駆けだした。
「いま近藤先生に確認しておりますゆえ、しばしお待ちいただきたい」
「ほう、八木の方に二人来るのは反対か」
芹沢の笑みに、胡散臭い顔をしやがる、と口内でつぶやく。
そう時間が経たぬうちに永倉が駆け戻り、土方に「いいそうですよ」と声をかけた。
「そりゃあな、ここにいなけりゃ俺だってそう言うさ。──」
と、毒を吐いて土方は「では、一人は前川に貰おう」と言った。
芹沢は、そうかと頷くと葵へ近付き、首根っこを掴む。
「ならばこっちを貰っていこう」
「えっ」
「わかりました。ではこっちを」
「わあ」
固まる葵。感涙する綾乃。
たいそう嫌そうな顔で綾乃を一瞥した土方は、
「まあ、これもなにかの縁だ。よろしく頼もう」
と言った。
斯くして、夢のような現実に出くわした二人の女子大生は、壬生浪士組に拾われての女中生活がはじまったのである──。
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