目覚め目覚めて目を覚ます

三条 荒野

目覚め目覚めて目を覚ます

 今の自分が夢を見ているのだと気付いたのは、死んだ筈の祖父が居間でお茶を飲んでいたからだった。

 持病で弱り果てる前の、まだ多少はしゃんとしてた頃の面影のまま、穏やかな顔をして、TVのニュース番組を大音量で流していた。


 "ここは夢の中である"と自覚したからといって、特別何かしでかしたりはしなかった。普段通りに会社に行き、定時で帰らず残業をこなし、風呂上りのビールで疲れを癒して床に就いた。


 翌朝、祖父はいなくなっていた。私は夢から覚めて、現実に戻ったのだと認識した。どうせならば、祖父と話でもしてみればよかったかな、などと思いながら、朝刊の表紙を確認すると――

 文章がすべて右から始まり、平仮名がくまなく片仮名になっていた。

 ここで気付く。これは夢だ。


 だからと言って何か企てたりはしなかった。ただ、会社を休んで祖父の墓参りに行ってみたりはしたが。その道すがら、目に映ったあらゆる文章が変化していたのを確認した。日本語なのだが見慣れたそれとは明かに違う。その異変に何一つとして反応しない人々を見ると、やはりこれは夢なのだなと強く自覚した。

 そうして1日のんびり過ごし、穏やかな心持ちで床へと就いた。


 翌朝、朝刊の文章は元へと戻っていた。夢から覚めた――そう思う前に、脛に何かが纏わりついてくる感触に飛び退いた。

 猫だ。首輪をつけた黒猫がいた。ペットなど一度として飼った事などないというのに。

 確信する。これも、夢なのか。


 家から飛び出して周囲を散策してみるものの、先の猫以外に違和感を覚えるところなど見当たらない。思い違いではない、あんな猫など知らない。だからこれは夢なのだ。


 夢なのだが、感覚は現実そのものなのが解せない。たまに見る夢のような曖昧さがない。あの猫がいなければ、夢とすら思えないような――


 もしかして、異常なのは自分の方ではないのか?


 そんな考えが頭を過るが、振り払う。そんな筈はない、そんな筈は。しかし一度沸き起こった疑念は消えない。解消されるまでいつまでも頭の中に居座り続ける。


 私はノートの1ページに大きく「猫などいない」と書いて、机の上に置いた。そうして今日も床に就く。明日を目指して眠る……。


 翌朝、机の上にノートなどなかった。猫もいなかった。夢から覚めた、そう思うよりも早く、異変に気付く。

 部屋の間取りが違う。それに合わせて家具の配置も、色も形状も違う。


 夢。また夢か。

 着替えもせずに玄関を飛び出す。目に映ったのは、見覚えのない景色。こんな道は知らない。あんな家は知らない。こんなに緑豊かではなかった。こんなに山が近くなどなかった。


 叫び声が聞こえた。誰のものかと思ったら、自分の声だった。ただ恐ろしくて、逃げ出したくて、ひたすらに走った。知らない場所、知らない道、知らない人――


 走る事に疲れ果てて立ち止まった時、頭に浮かんだ事がふたつある。

 ひとつ目は、夢の中にいるという事。これはもう、例え夢から覚めたとしても、当分は忘れられそうもない。

 ふたつ目は、夢は継続していない事。最初に見た祖父の夢は、次の文章異常の夢とは独立していた。

 つまり、今の夢で何かをやったとしても、何の影響もない。現実は当然として、仮に再び夢を見たとしても、そこに引き継がれる事もないのだ。


 どうせなら、やってしまおう。

 ついでだから、先の思い付きについても確かめてみよう。ここが夢の中なのか、夢は継続しないのか。

 その為には、話題になるような"大きな事"をしないとな。

 


 翌朝、見慣れた景色の中で目が覚めた。自室だ、見間違えようもない。ほっとするのも束の間、TVとPCの電源を入れ、ニュース番組を流し聞きしながら、昨日の夢の中の地名を検索してみた。

 ヒットした。どうやら実在するようだ。

 しかし、速報なし。ニュースも空振り。

 あれだけ盛大に"やらかした"というのに、こうもだんまりなのはおかしい。報道規制がかかっているとも思えない。メディアに公表までしたのだから、何のリアクションもないなんてあり得ない。

 やはり、夢であったか。

 して、今は?


 引き続きニュース番組を流したまま、部屋を歩き回り、ひっくり返してみたが、何の違和感もない。隅々まで自分の部屋だ。

 ならここは、夢ではないのか。やっとか。

 目覚めた後だというのに、既に疲労感が頭を抑えつけてくる。溜息をつきながら朝の支度を済ませ、出勤するべく自宅を出た。

 その途中、尿意を催したので、コンビニへと立ち寄る。奥にあるだろうトイレへと向かい、そこで気付く。


 トイレの表示に男女分けがない。

 その瞬間、今日起きてからすれ違った人々を思い出していた。

 ゴミ捨て場の男。ジョギングする男。ベンチに座る男。靴紐を結び直す男。レジに立つ男。今トイレから出てきた男。


 男しか見ていない。

 女が見当たらない。


 夢か。

 ま た 夢 か !



 ここまで来ると流石に、目的は夢から覚める事だけに絞られた。夢だからこそできる事なんてどうでもいい、ただ目覚めたい。その為だけに行動した。

 普通に寝る事を止めて、外で寝たり、立って寝たり、気絶するまで起きてみたりした。なのに、夢は覚めない。



 上下逆さの夢を見た。モノクロ世界の夢を見た。海と空が赤色だった夢を見た。人が四足歩行で跋扈している夢を見た。犬と猫によって地上が覆い尽くされる夢を見た。人がAIに管理されている夢を見た。


 何度も夢を見た。何もかも試した。そうしてやがて、抗う事に疲れた。最早、何もしたくない。夢を見るから眠りたくもない。ならば一体、どうすればいいんだ。何をすれば――

 視線は自然と上を向いていた。聳え立つビルの、今回は青いままの空とを隔てる屋上のフェンス。

 ここよりも、天国に近い場所。



 自室のベッドで目が覚めた。最初に感じたのは、何の気怠さもなかった事。夢の中で唯一引き継いでいたのは、自分自身の記憶だけ。だから足掻き続けた事も、何も変わらず夢に捕らわれ続けた事も覚えていたから、気が休まる事など決してなかった。

 だが、今は違う。晴れやかで清々しい。まるで生まれ変わったような気分だ。夢を見続けて以来、憂鬱な目覚めばかりを繰り返してきた今となっては、この爽やかな朝の方がかえって違和感を覚えてしまう。


 部屋を見渡す。異常はない。猫もいなければ、家具も間取りもそのまま。

 窓を開ける。空は赤くないし、空気が甘くもない。

 朝の支度を済ます。主食は液状じゃないし、塩もちゃんとしょっぱい。

 通勤する。男も女もいるし、しっかり前へと歩いている。

 仕事をする。言葉もちゃんと聞き取れる。内容にも覚えがある。



 夢じゃない。

 これは、夢なんかじゃない。

 現実だ!


 やっと辿り着いた! 成し遂げた! あの夢の終わりに、本当の目覚めに!

 今更だろうが、今が何時だろうがどうでもいい! これが待ちに待った、夢にまで見た目覚めだ! 何て気持ちが良いのだろう、最高の気分だ!


 人目も気にせずに泣いた。何も知らない仕事仲間に慰められながら、それでも泣いた。


 やっと報われた。おかしな事に晒され過ぎて、危うく気が狂うところだった。……けれど思い返してみれば、貴重な知識や経験を得られなかったという気がしないでもないな。

 死んだ祖父と話ができなかった事は心残りだ。

 男だけでどうやって子供を作るのかを調べなかったのも結構気がかり。

 空に向かって落ちていった先に何があるのか確かめなかったのもそうだな。

 折角また生きていられたのに、まともな生活をろくに送れなかったのも――



 …………あれ?

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