「――朝起きたら彼女にち〇こ舐められてるって、最高の目覚めだと思わん?」

高月麻澄

最高の目覚め

「――朝起きたら彼女にち〇こ舐められてるって、最高の目覚めだと思わん?」

「……お前、AVの見過ぎだろ」


 目の前の男の下品な発言に、俺は苦笑しつつビールを呷った。

 自分たちと同じような大学生が騒ぐ飲み屋で、俺は同期の高梨と向かい合って飲んでいた。

 お互いに大分酔いが回ってきており、会話の内容が先ほどからしもがかっている。半個室の上、男同士なのでブレーキがかからない。

 俺のその様子に、高梨はケッと吐き捨て、


「あー、はいはい。さすが彼女持ちは余裕ですねー。どうせもう、そういうのも経験済みなんだろー?」

「…………」


 答える代わりに、俺はジョッキに残っていたビールを、喉を鳴らして飲み干した。

 それを肯定だと取ったのか、高梨はまだ半分以上残っていたハイボールを一気に飲み、ドンッ、と一枚板の机に空になったジョッキを勢いよく置くと、仕切り替わりの暖簾のれんに頭を突っ込み大きな声で、


「すいませーん! そこの店員さーん! ハイボールおかわりー! 濃いめのメガジョッキでー!」


 もはやヤケクソのような注文を言い放った。はいただいまー! と、声を掛けられたのであろう女性店員さんの元気な声が返ってくる。

 これで何杯目だ、と俺は高梨の杯数を指折り数えてみる。えーっと――ビール、ハイボール、ハイボール、コークハイ、ハイボール、ハイボール。高梨がハイボール大好きなのは横に置いておくとしても、明らかに飲みすぎだった。

 自分もそれなりに飲んではいるが、高梨の飲むペースは明らかに早い。普段のこいつはもっと落ち着いた飲み方をする奴なのだが――


「おい、もうやめとけよ。今日は介抱してやんねーぞ」

「ばっきゃろー! 飲まなきゃやってられっかー! ……ううううぅぅぅ、久美ちゃ~ん……」


 俺の言葉でスイッチが入ってしまったのか、高梨は唐突に机に突っ伏すと、弱々しい声でとある女の子の名前を呟く。

 それを聞いて、俺はため息を吐く。――やっぱりな。呼ばれた時からなんとなく想像はついていた。

 久美ちゃんとは、俺と俺の彼女と高梨が所属しているサークルに今年の秋に入ってきた女の子だ。非常にかわいらしく、ぽわぽわ、という言葉が似合うような雰囲気をまとっていて、瞬く間にサークルの男共から可愛がられるようになった。高梨もその一人で、真剣にアプローチをかけていたようだったのだが……。


「……さんざん思わせぶりな態度取りやがってぇぇぇぇ……彼氏がいるなら最初からそう言えよぉぉぉぉー……」


 さもありなん、久美ちゃんには高校時代から付き合っている彼氏がおり、大学や住んでいる場所が離れ離れになっても仲良くやっているということだった。

 まぁそれなら良くある話ではある。しかし。


「……こっちがどんだけ奮発したと思ってんだよぉぉぉー…………」


 聞けば、高梨が勇気を振り絞って誘ったデートの終わり際、交際を申し込んだ時に打ち明けられたのだという。それも散々、買い物や食事など奢らせた後で、だ。

 なんというか、彼女の本性が垣間見えた気がした。おそらくあの纏う雰囲気も演技なのだろう。そうなると、彼氏がいるのも本当かどうか。

 店員さんが重たそうなどでかいジョッキに入ったハイボールを持ってくるや否や、高梨はそれを奪うように受け取って、すぐさま喉を鳴らし始めた。

 これは長くなりそうだ、と俺は自分用のビールを注文したのだった。



 大学近くで飲んでいたのが幸いした。 

 終電がなくなった頃、ようやく高梨が完全に潰れ、まともに歩けない高梨を送って部屋に叩き込んだ。俺も高梨も大学に徒歩で通える距離にアパートを借りている。これで繁華街まで出ていたら、タクシーを使わざるを得ない羽目になっていた。

 俺もかなりふわふわとした足取りだが、まだまっすぐ歩けている……と思う。高梨を介抱しなければならないのはわかりきっていたので、途中からソフトドリンクに切り替えていた。

 冬の夜の冷たい空気の中、自分の部屋への道を辿りながら、俺は飲み屋で高梨が言った言葉を心の中で反芻はんすうした。


 ――どうせもう、そういうのも経験済みなんだろー?


 はぁ、と思わずため息が漏れた。そうだったらどんなに良かったことか。

 高校時代から付き合っていて、同じ大学に進学した彼女の由佳とは、まだをしたことがない。それどころか、キスをしたのも数えるほどだ。

 もう一度、ため息が漏れた。

 ポケットからスマホを取り出して見ても、今日俺が送った『今日は高梨と飲みに行く』というメッセージに対する由佳からの返信はない。無理もないよな、と思う。既読にはなっていることが救いか。

 頭の中に、その原因となった、先週の出来事が思い浮かぶ。

 先週、今の関係に焦れてしまった俺は、部屋に遊びに来た由佳に手を出そうとしてしまった。久しぶりのキスで気分が盛り上がってしまった、なんて言い訳にもならない。すんでのところで理性を取り戻した俺に、由佳は何も言わずに部屋を出ていき、それから気まずい関係が続いている。大学構内で会ってもぎくしゃくしてうまく話せない。

 バカなことをした。由佳がいいよ、と言ってくれるまで待つつもりだったのに。

 くらい気持ちを抱えたまま、アパートに辿り着く。おぼつかない手付きで鍵を開けて暗い部屋に入ると、何かを蹴飛ばした。おや、と思う。玄関に蹴飛ばすような何かを置いていた記憶はないのだが。

 まぁいいか、と気にしないことにする。それよりも今は布団が恋しい。飲み屋で染みついたタバコの匂いやら、酒臭い自分の身体やら、歯磨きやら、起きた時に後悔しそうな要素満載だが、眠気には勝てない。このまま寝てしまおう。

 キッチン兼廊下を通り抜け、居室のドアを開ける――


「……ゆーくん、おかえりなさい」


 ――一瞬で酔いも眠気もぶっ飛んだ。


 常夜灯が薄暗く照らす室内。そこにいたのは、部屋の奥のベッドに腰掛けた由佳だった。

 合鍵を渡してあるから、いるだけなら驚きはしない。驚いたのはそこじゃない。

 

「ゆ、か……」


 カラカラに乾いた口から出た、かすれた声で彼女の名前を呼んだ。

 その姿から、俺は目を離すことができない。


「ゆーくん、ごめんね……」


 由佳はベッドから立ち上がると、ゆっくりと、一歩一歩、俺との距離を詰めてくる。

 金縛りにでもあったかのように、俺の身体は動かない。


「ゆーくんがずっと待っててくれたこと、あたし、わかってた。でも……怖かったの。あの日も、ゆーくんがしたいなら、って我慢しようとしたけど、やっぱり、怖くて……」


 ギシ、と由佳が一歩踏みしめる度に、フローリングがきしむ。

 部屋に温かい空気を送り込むエアコンの音が、むしろ静かさを強調していた。


「あれからあたし、いっぱい考えた。それでね、気付いたの。確かにエッチすることは怖い。でも、ゆーくんとお話ししたり、笑い合ったり、一緒にいられなくなる方がもっと怖いって」


 ついに由佳が俺の目の前までやってくる。

 姿が。


「今日、高梨くんと飲みに行くってメッセージを見て、不安になったの。高梨くんじゃなくて、他の女の子だったらどうしよう、って。ゆーくんがそんなことしないって信じてる。でも、他の女の子に誘われたら……って一度想像しちゃうともうだめだった。不安で、怖くて、しょうがなかった」


 臭いであろう俺を、由佳は躊躇なく抱き締める。

 俺の身体に、由佳の柔らかい身体が押し当てられる。


「それに……今日大学から帰る時に聞いちゃったの。久美ちゃんが友達に『次は村手先輩かなー』って話してるところ」


 村手、とは俺の名字だ。どうやら次に狙われていたのは俺らしい。

 彼女がいる身だ、さすがに引っ掛かりはしないが、由佳はそれを聞いてさらに不安になってしまったのだろう。

 安心させるように、俺は由佳の背に手を回して優しく抱き寄せ、頭を撫でた。


「ん……ゆーくんを、他の女の子に取られたくない。あたしは、これからもゆーくんと一緒にいたい。ゆーくんが好きなの」


 想いをぶつけた由佳は、俺の耳元に唇を寄せると、囁いた。


「だから……いいよ。ゆーくんがしたいなら」


 彼女からの甘く優しい誘惑。

 聞きたかった、彼女からのその言葉。

 けれど、俺の脳裏に、先日の怯えていた由佳の姿が思い浮かぶ。

 あんな姿はもう見たくない。

 強く抱き締めたくなる気持ちを抑え、俺は――


「――由佳、ごめん、俺が焦ったから不安に――」

「――ううん、あたしがしたいの。これからもゆーくんと一緒にいられるって、安心させてほしいの。だから……ゆーくん、して?」


 由佳をなだめようとした俺の言葉を遮って放たれたその言葉に、俺はもう止まれなかった。

 気付けば、由佳に口づけていた。


「――ん……っ……、ね、シャワー、浴びてきて……?」


 言われるまでもない。

 俺は慌てて替えの下着とバスタオルを引っ掴むと、浴室へと飛び込んだ。


 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……


 カーテンの隙間から射し込む光が眩しくて、俺は目を覚ました。

 もぞもぞと布団の中で身体を動かす。と、腕が何か柔らかくて温かいものに触れた。うん? と思う。そういえば、なんだかいつもより布団の中が温かい。

 何かを忘れているような気がして、眠い頭でぼーっと考えていると、


「……おはよ、ゆーくん」


 囁くような声が聞こえて、脳が一気に覚醒した。

 顔を横に向けると、そこには――


「おはよう、由佳」


 ――大好きな人の、はにかんだような笑顔があった。


 目が覚めて、すぐ隣に好きな人がいる。

 他に何も必要ない。

 それだけで、最高の目覚めだった。


<了>

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「――朝起きたら彼女にち〇こ舐められてるって、最高の目覚めだと思わん?」 高月麻澄 @takatsuki-masumi

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