微睡の過去と目覚め

七荻マコト

微睡の過去と目覚め

 タタン…タタン…。タタン…タタン…。

 電車の揺れが心地よく、眠りを誘導してくる。


「はい、春日君の分」

「こ、これは…」


 夕方のラッシュも終わって夜も深まっていく時間帯、僕は初めて出来た彼女と放課後デートを終えて帰る電車の中にいた。

 空席も沢山あり、僕らは並んで座ってデートの余韻に浸りながら、取り留めのない会話を満喫している。


「こういうのはどこに貼るものだろうか…」

「スマホの裏でも手帳でも好きなとこに貼ればいいよ。プリクラ撮ったの初めてだったんだね」

「今日は初めて尽くしだった」


 真面目、堅物で通ってた僕は、彼女が出来たのも初めてで、恋人とデートなるものをすること自体未知の経験だった。


「ゲームセンターに入ったこともなければ、カラオケに行ったこともなく、買い食いすらしたことなかったのは驚きだったよ」

「そういう御子柴さんは手慣れたものだったな」

「そりゃ、元不良ですから…ふふっ」


 僕は御子柴の笑顔が好きだ。

 妙に飾ることなく、感情の赴くまま自然な笑顔は、僕を虜にするために存在するものに見えてしまっていた。

 今は、黒髪ポニーテールでピアスも付けておらず、不良の面影なんてどこにも見えないけど、結局のところ、彼女が不良だろうがそうでなかろうが肩書なんて関係なく、彼女そのものにどうしようもなく惹かれてしまっているだけのこと。

 恋は盲目と申しますか…、彼女の一挙手一投足が僕を幸せにしてくれる。


「ふぁ…」

 そんな欠伸する顔ですら可愛くて堪らない。恥ずかしくて口には出せないけど。


「沢山遊んだから眠くなっちゃった…くふぁ」

 むにゃむにゃと幸せそうな顔の彼女に僕も幸せを分けて貰えている。


「そう言えば、御子柴さんはどうして僕のことを好きになったのかな?」

 ずっと聞きたかったことを勇気を出して問いかける。


 堅物の風紀委員である僕と、不良で有名な彼女に、接点もなければ共通点も無かった。

 それなのに、御子柴は僕のことが好きだと言って告白して、不良も辞めてくれたんだ。

 自分で言うのもなんだが、僕は自分のことを、それほど魅力的な人間ではないと思っている。

 一体全体、こんな冴えない男(うぐっ、自分で言ってて少し傷ついてしまう)の、どこが良くて好きになったのだろう…。

 このいい雰囲気のまったりした時間なら彼女もポロリと話してくれるのではないかと考えた末に言葉にした。


「すぅ、すぅ…」

「み、御子柴さん?」


 いつの間にか僕の方に、コテンっと頭を預けて寝息を立てていた。


 な!


 な!


 な!

 な、なんだ!?

 なんなんだこの可愛すぎる生き物はぁ!

 顔では平静を装いながらも僕の心は、喚起乱舞の感情でねぶた祭の如く猛り狂っていた。


    ◇    ◇    ◇


 少女は遠い遠い昔の夢を見ていた。


 突然の事故で両親が死に、10歳年上の姉が高校にも行かずに私を養う決意をしていたころ、一時保護所でいつも不安に苛まれていた。

 両親の死後、まともに眠れなかった私は、いつも目の下に隈を作っていた。


 明日も明後日も微笑みかけてくれるはずの両親の笑顔が、突然、泡が弾ける様に消え去り、弾けた残骸の現実が水面となって突き付けられているにも関わらず、受け入れられないでいたからだ。


 隈のある顔は、幽霊のようにも見え、周囲の子供たちから不気味がられ、虐められはしなかったものの、誰一人として私に近づいては来なかった。


 ある日、一時保護所に一人の男の子がきました。


 その子は世界の全てに関心が無いとでもいうような感情が見えない空洞だった。


 そんな男の子が、唯一感情を露見させるのが、就寝時間。


 男の子は何時もうなされています。


 毎晩もがき苦しみ、汗をびっしょり掻いて何度も寝返りを打ち、それは男の子が疲れ果てるまで続きます。


 私は、眠れずにいるので、何時もその光景を見つめていました。


 何度目かの夜、たまたま夜にトイレに行って帰ってきた男の子が、間違えて私の布団に潜り込んできました。


 間近にみる男の子は、白く細く、折れてしまいそうなほど繊細で、窓から差し込む月明かりだけが、その輪郭を確かなものと浮かべていた。

 男の子が目の前でうなされ始めたとき、何故か自然と手が伸びて彼の手を握ってしまった。


 すると、彼の苦しむような呻き声はピタリと止んで、彼は静かな寝息を立て始めます。


 男の子の手は細く冷たかったけれど、どくん…どくん…と生を享受してくれました。


 気が付くと朝。


 私は久しぶりに眠ることが出来ていました。


 次の夜、今度は私が男の子の布団に潜り込んで、彼の手を握ります。


 そうすると男の子は魘されることが無くなり、また私は眠ることが出来るようになりました。


 それからというもの、男の子の布団に潜り込むのが日課となりました。


 最初のうちは、手を握るだけだったけど、回を重ねるごとに、抱きつくようになり、次第には一緒に寝るのが当たり前になった。

 いつの間にか、私は一時保護所にいる間、彼にべったり引っ付いて離れなくなりました。


 目の隈もすっかり取れ、彼も少しづつ喋ってくれるようになって嬉しくて嬉しくて、私は笑えるようになりました。


 暫くののち、私は姉の就職が決まって、姉に引き取られ、男の子も遠縁の親戚に引き取られ、離れ離れになってしまいました。


 それから大きくなり、荒れた中学時代を送り、姉の強い希望で仕方なく入学した高校で、新入生代表として挨拶をする男の子を見て、一目で彼だと気づきました。


 二度と会えないと思っていた彼。

 私に安らぎと安心感を与えてくれた彼。

 初めて人を思いやる気持ちをくれた彼。

 多分、初めて恋した彼。

 その彼が、今、目の前にいる…。

 私は入学式の日、涙が止まらなかった。


 微睡まどろみの中で夢を見る。

 遠い遠い昔の話、ほんの少し一緒だった男の子がくれた安心感と温もりをまた享受して。


    ◇    ◇    ◇


 僕は隣で寝息を立てている御子柴を、時々チラチラと横目で見ては、どうしたものかと考えていた。

 彼女の降りる駅はもうすぐだったはず。


 でも気持ちよく寝ているところを起こすのも忍びないし、この愛らしい寝顔をもう少し見ていたいし(こっちが本音)…。


 僕がくだらないことで懊悩していると、僕とは反対側の御子柴の隣にサラリーマン風の中年が座った。


 席は沢山空いているのに、なんでそこに座るんだろうかと訝しく思って見ていると、彼の手が御子柴の太ももに伸びてきた。


 痴漢か!

 な、なんて大胆な野郎だ!


 僕のことは見えてないのか?

 もしくは、ただ横にいるだけの、彼女と関係ない男子高校生、くらいにしかみてないのだろうか。


 冗談じゃない!

 僕は有無も言わさず、サラリーマン側の彼女の肩に手を回して抱き寄せる。


 僕の肩に預けてあった彼女の頭が胸に落ちる。


 そんなことをすれば彼女が起きてしまう。


 だが、それでも構うもんか、こいつを追い払うのが優先だ。


 ありったけの眼光でサラリーマンを睨みつけると、彼はすごすごと別車両に逃げて行った。

 ふぅ、これで一安心か。


「か、春日君!?」

 少しびっくりした表情で胸の中の御子柴がこちらを見上げている。

「お、おはよう。御子柴さん!あ、あの、これは痴漢から守ろうとしただけで、その、決してやましい気持ちではにゃ…」

 慌てて噛んでしまったじゃないか。

「うん、大丈夫だよ…うふふっ」


 なんだか何時も余裕なんだよな、手玉に取られているみたいで少し悔しい。

「次、御子柴さんの最寄り駅じゃない?」

「あ、ほんと。丁度いいとこだ、寝ちゃってごめんね」

 目をこすりながら体を起こす彼女の仕草が猫の様で愛らしい。


「いや、いいよ。それだけデ、デートを楽しんでくれたのだろ」

 スムーズに喋れないのか僕はぁ。

「うん、すっごく楽しかった。こんなに幸せでいいのかってくらい…」

 寝起きだからか、はにかんだ笑顔は普段の彼女らしくなく、少し遠慮がちに見えた。


「それに目が覚めたら素敵なナイト様が私を守ってくれてるんだもの、ふふっ」

「くぅ、茶化さないでくれ。ほら電車が駅についたぞ」

 電車のドアが開いたので、御子柴はホームに降りた。


 僕は席を立ち、別れを惜しむようにドアの前に移動した。


「じゃ、また明日」

「うん、名残惜しいけど…また明日ね」


 握手しようと手を伸ばす。


 と、御子柴は僕の手を強引に引っ張って、自分の顔の高さまで僕の顔を引き落とし、唇を重ねてきた。


 一瞬で赤面する僕を余所に、


「最高の眠りと最高の目覚めをくれたナイト様にご褒美です」


 そう耳元で囁いて、彼女はもう一度軽く耳たぶに口づけをした。


 耳に手を当て、乙女の様に固まっている僕。


 ドアも閉まり、電車が発車する。

 窓の向こう、ニヤニヤと満足そうに微笑みながら手を振る彼女が小さくなっていく。


 今夜は悶々としそうだけれど眠れるだろうか。明日はきちんと起きれるだろうか。

 ドキドキ高鳴る鼓動が暫くは治まりそうになかった。


 しかし、彼女と過ごした日は、何故か必ずといっていいほどぐっすりと眠れるのだった。

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