春 小学生 緑に染まる日

 2章

 夕焼けの光が差し込み、図書室は橙色に染まる。茜がかった本の背表紙に視線を走らせながら、他に誰もいない部屋の中を悠々自適に闊歩する。時刻は現在午後六時。同学年ならともかく、上級生さえいないとは。客など来ないと分かっているからなのか、司書の先生も今は席を外している。開店休業とはまさにこのことだ。

 まあ、これぐらいの静謐さの中の方が読書ははかどるので、そういう意味では正しい有り方なのだろうか。昼休みは館内でだけ読むことが出来る漫画目当ての生徒で騒がしくて、結局あまり本は読めないからな。

 春らしい小説といえば、やはり梶井基次郎の「桜の木の下には」なのだろうか。文豪の小説はあまり肌に合わないから読まないのだが、もう三年生になったわけだしそろそろトライしてもいいのかもしれない。そんな訳で今探しているのだが、中々見つからない。いくら利用者が少ないからって、本の整理をいい加減にするのは職務放棄に当たるんじゃなかろうか。せめて五十音順くらいには並べておいてほしい。

 「どこにあるのかなあ?」

 「何探しているの?」

 「わっ!」

 本を探しながら独り言を呟いていたら、隣から急に声が聞こえた。その予想外の突然に驚き、思わず間抜けな声を出してしまった。らしくもなく慌ててしまったので、誤魔化すためにもすぐに横を向いて声の主へと視線を向けた。

 「アハハ、ビックリした?したでしょ?!「わっ」って言ったもんね!アハハ、変なのお」

 声の主は……誰だっけ?目の前の女子は同じクラスではあるので顔は知っている。というか、割と有名人だった気がする。教室でも目立つ存在だし、可愛らしい顔立ちには確かに見覚えがあった。

 しかし、名前は憶えていない。というか、クラスメイトでまともに名前知っている奴いないかもしれない。

 とりあえずここは適当に捌いてしまいたいところだ。最終下刻時刻も近いのであまり時間がない。後日また探しに来るのは面倒極まりないし。

 「…えっーと」

 「ねえそれで?それで何を探してたの?」

 適当に対応しようとして声を発するも、少女の声で上書きされてしまう。うわッ、もしかして人の話聞かない系だろうか。一番苦手なタイプじゃないか。

 とりあえずこういう時は相手の話を速攻で全部聞いてしまうのが一番早い。面倒だが、こっちの主張がどうせ通らないなら、抗わないのが一番手っ取り早いのだ。

 「あーえっと。ちょっと本を探してて…」

 「アハハ、図書館にいるんだからそりゃ本探すよ。逆にそれで隠された宝の地図探してたら大ウケだよ」

 「あぁ、…そうだね」

 今馬鹿にされたのだろうか。悔しすぎるんだけど。

 とはいえこの子、中々ウィットに富んだ返しをするじゃないか。宝石を隠すなら宝石箱に、木の葉を隠すなら森にということだろうか。

 まあ、だったら別に教えてもいいか。隠す必要性のあるものでもないし。

 「梶井基次郎の「桜の木の下に」って本なんだけど…」

 「ふーん、それ面白いの?」

 「読んだことないから何とも…。まあ好きな人は好きなんじゃないのかな」

 「へえー」

 少女はそこまで聞いてから首を上に上げて何事か思案しているようだった。目を瞑ってうんうんと唸っている。用件が済んだのなら、早いところ解放してほしいところだ。

 「それじゃあ私は本探すから…。また明日…」

 「待って!」

 去ろうとして、少女に呼び止められる。何だ何だと振り返るも、内心ややイライラしていた。上手く消化できなかった昼間のストレスが残っているからなのか、中々本が見つからないことに不満が溜まっているからなのかは分からない。ただ、今はあまりに冷静に対処し続けられる気力が不足していた。

 「何?まだ何か用?」

 「私も探す!」

 「えっ?」

 「だから、私も探す!二人で探せば早いから!」

 思いもよらぬ提案にびっくりして、一瞬言葉に詰まってしまう。こういう時、何て返すのが正解なのか分からない。だから、戸惑いながら言葉を紡いだ。

 「それはまあ、探すの手伝ってくれるなら助かるけど、でも何で?」

 「何でも何もないよ!探したいから探すのさ」

 意味不明だった。うーんやはり小学校三年生か。論理的じゃない。合理的じゃない。科学的じゃない。つまり、理解不能だ。

 しかし当の少女はやる気満々のようで、腕をグルグルしながら「探すぞー」などと言っていた。

 まあ、ありがたく助けてもらうとしようかな。拒む理由もないし。

 「それじゃあ、あっちの棚から探してくれる?反対側探してくるから」

 「りょうかーーい」

 少女が声を大きく伸ばしながら返事して、スタスタと棚の方まで移動する。どうやら本当に本を探しているようだった。指で背表紙をなぞり、中腰の姿勢のまま右へ左へと移動していく。

 その様子を見届けてから、こっちも頑張って探すことにする。正直口だけだと思っていたのに、ああも必死に探してくれているのなら、何とか今日で見つけてしましたいという気になった。

 夕焼けの光が差し込み、図書室は橙色に染まる。茜がかった本の背表紙に視線を走らせながら、二人だけの部屋の中を闊歩して本を探す。

 数分前と大して変わらない行動。一人増えて、悠々自適じゃなくなった。

 それだけなのに、どうしてだろうか。

 数分前より、心はいくらか満ち足りているような気がした。

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