午前七時

月満輝

午前七時

 目が覚めた。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。デジタル時計は午前七時、六月九日を示している。昨日の日付は六月八日。ちゃんと明日が来た。成功したのだ。なんと清々しい目覚めだろう。僕は大きく伸びをした。


 この力に気がついたのは、つい先週のこと。長く続くいじめに耐えかねた僕は、命を絶つことに決めた。放課後、封鎖された屋上に侵入し、沈む夕日と共に落ちた。しかし、僕は自分の部屋で目覚めた。日付は次の日に変わっている。両親も、いつもと変わらず、僕に「おはよう」と言った。夢でも見たのかと思ったが、そうなると、昨日の記憶が全くない。

「母さん」

 僕は昨日のことを母に尋ねた。昨日、僕が何時に、どのような姿で帰ってきたか。そして、帰ってきてからはどのような行動を取っていたか。母はしばらく考えた。

「……覚えて、ないわねぇ。いつも通りだったんじゃないかしら。ボケちゃったのかしら、私」

 おかしな夢で、混乱しているのかもしれない。そう思うことにして、僕はいつも通り家を出た。

 人が混み合う朝のホーム。僕はいつも通りその中にいた。同じクラスの人と遭遇しないように、時間をずらして電車に乗っている。

(また今日も、あの教室に行くのか……)

 考えるだけで嫌になった。意を決して死のうとしたはずなのに、僕は今こうして生きている。僕は、やはりまた死ねなかったのだろう。そんな自分が嫌になる。結局僕は、どこまで行っても弱虫だ。

 今、死ねたらな。

 僕はホームとホームの間の窪みを眺めた。そこに飛び込んでしまえば、僕は楽になるんだろうか。あの教室へ行かずに、作り笑い、愛想笑いをせずに、感情や痛みを隠さずに済む野だろうか。そう考えると、無意識に足が動いた。溝へ向かって一歩、また一歩。人々は、手元の端末ばかりを見ていて、僕のことなんて気にもとめない。それでいい。


『二番ホームに特急列車が通過します。危険ですので、黄色い線より内側にお下がりください。』


 アナウンスが流れて、人々は初めて僕を見た。その時にはもう……


 目が覚めた。また夢、か? 時計は、午前七時、六月三日を示している。また、明日が来ている。キッチンへ行くと、やはり母はいつも通りだった。

「母さん」

「あらおはよう。早く顔を洗ってらっしゃい。朝ごはん、出来てるわよ」

「うん」

 数回、顔を洗った。僕はきっと、おかしくなっているんだ。そう思った。だって、生き返るはずがない。僕は確かに、死んだ。死んだはずなのに、また明日を迎えた。きっと夢だ。じゃあ、昨日僕は何をした? あの後、僕はどうなった? 何も思い出せない。でも、もし本当に生き返っているのなら。あの後何があったとか、そんなこと全部無視して、生き返るという事実があるなら、それは僕に、何らかの使命が課されているのではないか。

 試してみる価値はある。


 いつも通り、教室に入った。いつも通りやつらは絡んできた。僕の鞄を取り上げ、殴る蹴るの暴行、それに加え、水をかけられる。いつもと変わらない。びしょ濡れになった僕を見ても、先生は何食わぬ顔でホームルームを始める。

(まずはあいつだ)

 ホームルームが終わり、先生に話しかけた。忙しいと逃げられそうになるのを止め、放課後、先生が帰る前でいいから話を聞いて欲しいと言った。待ち合わせ場所は、職員室前の男子更衣室になった。

 午後八時前、先生はようやくやってきた。

「俺だって忙しいんだ。お前のためだけに時間を割くなんて……」

「すみません。お時間取らせてしまって」

「すみませんじゃねぇよ」

 先生はあからさまに苛立っていた。ドカッと椅子に座り、僕を睨む。要件はなんだ。そう聞かれ、いじめについてだと告げると、先生はため息をついた。

「お前は毎度毎度助けてしか言わねぇだろう。自分で何かしたか? 強くなろうと、虐められないようにしようと努力したか? そんなこともしねぇで助けてなんて言うんじゃねぇよ!」

 先生は立ち上がり、椅子を蹴りあげた。大きな音を立てて、椅子は床に落ちる。僕はため息をついた。

「変わんないんですね、先生も」

「あ?」


「……お前、なに、を!」

 滴るそれは、僕の手に垂れてきた。気持ち悪い感触が広がっていく。ナイフを引き抜き、もう一度刺す。その行為を何度か繰り返した。

「や、やめ……やめて、くれ」

 僕は無言で刺し続けた。

「誰、か……助け、て……」

「自分で何とかしたらどうです?」

 僕がそう言うと、先生は目をひん剥いて、そして動かなくなった。一面血の海になった更衣室で、僕は笑った。気分が良かった。そして、赤く染ったナイフを首に当てて、意識が飛んだ。


 目が覚めた。いつも通り、午前七時に。日付は六月四日。僕は恐る恐る部屋を出た。すると、母が慌てて僕のところへ来た。僕は身構えたが、その顔は案外平然としていて、ただ驚いていた。

「大変よ。あんたの先生、亡くなったって」

 リビングで、父はあんぐりと口を開けてテレビを見ていた。キャスターの報道内容を聞いて、僕も驚いた。ニュースでは、先生は自殺だと報じられていた。狂気と思われるナイフには先生の指紋しかついておらず、死亡時刻前に先生が一人で更衣室に入った姿を他の教員が見た、という内容だった。

(一人で? じゃあ、僕はどこに?)

 わけがわからなかった。でも、それで良かった。

 学校では、教員生徒全員に事情聴取が行われた。僕ももちろん事情聴取された。

「先生は、どんな人だった?」

「よくわかりません。そんなに深く関わっていないので」

「そっか……じゃあ、昨日の午後八時頃、どこで何してた?」

「覚えて、いません」

「覚えてない?」

「熱でぼんやりしてて」

「あー、なるほど。じゃあ家にいたのかな」

「……はい」

「わかった。じゃあ聴取は終わりです。ご協力、感謝します」

 学校は午前中で終わった。僕は急いで帰ろうとしたが、やつらに止められた。

「なぁ、先生殺したの、お前じゃね?」

 耳元で囁かれた。抵抗したかったが、反発すれば、返り討ちにあうだけだとわかっていた。

「そんなわけない。ニュースでも、自殺だって言ってたじゃないか」

「あれ? 焦ってる? やっぱお前だろ、殺したの!」

 騒ぎ始めるともう止められない。誰も止めない。僕は逃げ出した。追ってきたのはそのうちの一人だけだった。必死に走った。人通りの少ない階段までやってきた。

「よっし捕まえた! 犯人逮捕〜」

 僕はそいつの胸ぐらを掴んで、体を傾けた。


 目が覚めた。時刻は午前七時、日付は六月五日。学校に着くと、僕と一緒に落ちたやつが、階段で転落し、死亡したと聞いた。僕は確信した。

 それから僕は、一日一人ずつ、一緒に死んだ。でも僕は生きている。僕は罪に問われない。何人殺したって、目覚めた時には次の朝だ。なんて、なんて清々しい朝だろう。僕は今日も、復讐できる幸せに心を踊らせながらあの教室へ向かった。


「先生、息子は今日も……」

「ええ。目覚めませんね」

「もう息子は、目を覚まさないんでしょうか」

「今は、なんとも言えません」

 医者はそれだけ言って部屋を出ていった。一定のテンポで点滴が落ちる。いくつもの管を繋がれた息子は、なぜかとても幸せそうな顔をしていた。

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