航海少女マリアンヌSHORT LOGBOOKS
宮嶋いつく
マリアンヌの処女航海
マリアンヌ・シャルマーニュと、黒人航海士のセレウコス・ニカトールは、ティシュリ航海者ギルドを出て、港に向かう道 を歩いていた。
今日は聖皇歴988年11月20日。マリアンヌの処女航海当日だ。
彼女はディカルトのいろいろな港を巡る航海をしようと考えていたが、航海士たちはそのやり方は賢くないと言った。理由は資金の問題だった。彼女は当座の資金として3000ターバル(相場にもよるが、1ターバルで小麦粉が50ポンドほど買える)を手に入れていた。ふつうに考えると大金なのだが、船一隻を運航させ、また海運業を営むとなると、彼女の手持ち資金では心許ない。水夫の食料や飲料水、薪炭など、航海にかかる経費、また船の維持費などで、航海には多くの出費が伴う。無為に港を巡る航海をすると、資金が底をついてしまうのは目に見えていた。
いずれ世界を股に掛ける航海をするためにも、まずは資金を稼ぎ、そうしながら港を各所巡っていくのがもっとも妥当な道だ。その常套手段は交易なのだが、交易は相場の知識がなければ、逆に損をしてしまうことがある。セレウコスにしろ、仲間の航海士であるプトレマイオス・ラゴスとカッサンドロス・リベールにしろ、航海の経験などは豊富だが、商売に関する知識はあまり深くない。
そこで、セレウコスの提案で、ギルドから仕事を斡旋してもらうことにした。航海者ギルドは航海士や個人で海運などを営む船乗りたちの職業組合で、情報交換や技能教育のほかに、仕事の斡旋もしている。そこで斡旋される仕事は、商品の運送や人物の護送から、逃亡した犯罪者の捕縛や海賊退治まで幅広い。
マリアンヌたちは一番簡単そうな仕事を斡旋された。ランシェル港にある航海者ギルドに手紙を配達する仕事である。報酬は500ターバルと、ギルドで斡旋される仕事の報酬としては最低ランクだが、航海初心者のマリアンヌにはふさわしい仕事だった。
「いよいよ処女航海に出発ですね、お嬢ちゃん」
セレウコスが、前を歩くマリアンヌに声をかけた。
「ランシェルまでなら4日もあれば到着します。難しい航海にはならないでしょう」
彼は彼女に重ねて声をかけたが、彼女は答えなかった。ややうつむき加減の面もちで、足早に港に向かって歩いている。
「お嬢ちゃん、聞こえてますか?」
セレウコスが少し大きな声で言うと、彼女はびくんとはじかれたように頭を上げた。
「あ、セル。ごめん。何か言った?」
彼女は振り返ってセレウコスの顔を見つめた。
「緊張しているんですか」
彼が訊くと、彼女はこくんとうなずいた。緊張するのは無理のない話だ。ただ、彼は彼女の表情が硬いと言うより、やや暗いのが気になった。彼女を幼いときから知っているが、天真爛漫で陽気なのが彼女の印象で、暗い面もちでいるのを見たことがなかった。それに、さっきギルドに向かったときには陽気この上なく、少しはしゃぎすぎだとたしなめたほどだったのだ。
「今になって、海に出るのが恐くなったんですか」
セレウコスが訊ねると、彼女は首を振った。
「そんなことないよ。前から航海に出たいって、この日を楽しみにしてたもの。海の世界は知らないところだから、ちょっと恐い気はするけど、それよりわくわくしているの。だから心配しないで」
彼女はそう答えて、笑顔になった。そして、また港に向かって歩き出した。
「もしかして、さっきの親方の言葉が気になっているとか」
セレウコスの言葉に、彼女は歩き出した足を止めた。そして、ちょっと困った顔をしてセレウコスのほうを向くと、小さくうなずいた。
「セルも、プットもじいさんも、ほんとはあたしについてくる必要なんてないのよね……」
「そんなことを気にしていたんですか」
先ほどギルドに行って、仕事を斡旋してもらったときのことだ。ランシェルに配達する手紙を受け取ってギルドハウスを出ようとしたとき、ギルドの親方がセレウコスのこう言った。
「おまえさん方も案外物好きだな。あんたらほどの腕と名声があれば、もっと名のある提督に高給で雇われただろうぜ。なにも好きこのんで、駆け出しの女の子のお守りをすることもないだろうに」
「よく考えたら、親方の言うとおりなのよね。あたし、セルたちがあたしについてきてくれるのが当たり前みたいに思ってたけど、みんな世界を股に掛けてきた、有名な海の男なんだもの、他の人にもっといいお給料で雇われるのがふつうなんだわ。だから、あたしセルたちに迷惑をかけているんじゃないかって」
「気にすることはなにもありませんよ」
セレウコスは彼女の顔を見て、きっぱりと言った。
「自分らは確かに、ジョゼフの旦那にお嬢ちゃんのことを頼まれましたが、ジョゼフの旦那は決して強要しませんでした。それに、お嬢ちゃんの船に乗って、お嬢ちゃんを一人前の航海者にしようと決めたのは自分らです。だから、なにも気にすることはありません」
「そう。ありがと、安心したわ」
彼女はにっこり笑った。
「さっ、船に急がないと。プットもじいさんも待ってるよ」
「そうですね」
いつもの元気さを取り戻したマリアンヌは、セレウコスを連れて港へと急いだ。
ティシュリ港の東埠頭、その片隅に、整備されたばかりの船が係留されている。この船が、マリアンヌの所有する帆船インフィニティ号だ。110フィート(約33メートル)級の中型船で、中古船ではあるが、三本マストでメーンマストには五層の帆を備えた、クリッパーと呼ばれる最新鋭艦だ。
マリアンヌたちがインフィニティ号に乗り込むと、先に船に乗り込んでいた二人の航海士が出迎えた。
「おう、お嬢。出航準備は整ってるぜぇ」
あんこ型のスモウレスラーのような立派な体格をした男、プトレマイオス・ラゴスが彼女に言った。
「うん、ありがとね、プット」
マリアンヌは船員の召集と、必要な物資の調達をプトレマイオスに任せていた。経験ある船乗りだけあって、すぐに出航できるように準備が仕上げられている。
「嬢ちゃんや、仕事はもらえたかの?」
白髪頭に紫色の帽子をかぶった老人、カッサンドロス・リベールが彼女に尋ねた。
「うん、ばっちりよ。ランシェルのギルドにこの手紙を届けるの」
彼女は、ギルドから預かった包みを見せた。
「うむ。手紙の配達は難しい仕事ではないが、預かるのは重要な文書だから、紛失したり、封を開いてはならんぞ。信用にかかわるからの」
「わかったわ。大事に扱わなきゃいけないのね」
「そう。あと、一度引き受けた仕事は必ず果たすんじゃよ。一度引き受けた仕事を途中で辞めたら、違約金を払わせられたり、仕事によっては監獄に送られてしまうからの」
「そうなんだ。けっこう大変だね」
「仕事というものはそう言うものじゃよ。じゃから、引き受けるかどうかを決めるときにはまず、その仕事をできるだけの力があるかどうかを判断せねばならんのう」
老航海士カッサンドロスはマリアンヌの教師役でもあるようで、早速ギルドで斡旋される仕事の扱い方を説教した。
「じゃあ、仕事は素早くきっちりやらなきゃね。さっ、じゃあ早速ランシェルに向けて出航よ!」
「ちょいと待った、嬢ちゃん。その前に一仕事あるぞい」
マリアンヌの出航宣言をカッサンドロスがさえぎった。
「一仕事? なにかやり残してたの?」
「出航の前に自分らの配置を決めて下さい。でないと仕事ができません」
セレウコスが言った。彼の言うとおり、航海士は船の上で仕事を分担し、船員たちに指示を出すことになるが、配置がされないとなにもすることができない。その人事を決めるのは司令官である提督の仕事だ。
「あ、そっか。一応考えているんだけど……セルはあたしの副官、プットは用心棒で、じいさんは知恵袋ね」
「嬢ちゃん、それは配置とは言わんよ」
カッサンドロスは苦笑した。
「え、そうなの? だって、お父ちゃんがそう言うふうに言ってたよ。リュウおじさんが副官で、プットが用心棒、じいさんが知恵袋だって」
「それはわしらがジョゼフ提督のもとで果たしていた役割じゃよ。船の上は別の役割がある。船長、測量士、操舵手、船大工、料理長などのう。リュウことリュシマコス・デイジーがジョゼフ提督の副官だったのは、役職通りだがの。ちなみに、わしは船医を勤めておった」
「そっか、じゃあ……」
「お嬢。俺様に斬り込み隊長か甲板長をやらせてくれ。戦闘の時は暴れまくってやるぜぇ」
プトレマイオスが大きな鼻息をたてながら勇んで言った。
「お嬢ちゃん。航海士の配置は航海の目的にあわせて行うものです。今は近海を航海するのに適した配置を考えるべきでしょう。戦闘配置をする必要はありません」
セレウコスは彼女に助言したが、プトレマイオスは不愉快な顔をした。
「おい、セル。なんで口出ししやがる。俺様が暴れられねえじゃねえか」
「口出しじゃない。現状にあった助言をしただけだ。暴れることしか能のないおまえのために、お嬢ちゃんの判断を狂わせたくはない」
「なんだと、てめえ!」
「ちょっとやめてよ。これから出航って時にけんかはやめて」
マリアンヌはあわてて二人の間に入った。
「配置を決めたわ。セルは船長ね。それでプットは水夫長。じいさんは船医兼測量士。これでいいでしょ?」
「待った。お嬢、なんでこいつが船長なんでえ」
プトレマイオスがセレウコスを指さして異議を唱えた。
「なんでって、船長はセルが一番適任なんだもん。お父ちゃんの艦隊で、セルはずっと一番艦ライオネル号の船長をしてたし、操船術は超一流だってお父ちゃんも言ってたからね」
「けどよう、ここにいる荒くれどもは俺様が声をかけて集めてきたんだぜぇ。食料や水だって俺様が集めたんだ」
「だからこそ、プットには水夫長をしてほしいの。プットは船員たちに人気があるし、船員たちをまとめる力もあるし、力持ちで頼りになるし」
「そ、そうか……けどな」
プトレマイオスは背の高いセレウコスの顔をのぞき込み、ぎろりとひとにらみした。
「こいつが船長で俺様が水夫長ってことは、俺様がこいつの命令に従わなきゃならねえってことじゃねえか。それが気にくわねえんだ」
「そんなこと言ったって……」
彼女は困ってしまった。昔からセレウコスとプトレマイオスの仲が悪いということは知っていたのだが、今から出航というときにこんなことを言い出されてはたまらない。それもいい年した大の男が。
「船の上での規律だ。おまえも海の男ならわきまえろ」
船長に任命されたセレウコスがプトレマイオスをたしなめると、プトレマイオスはどんぐりまなこをぎょろりとむいてセレウコスにくってかかった。
「てめえに言われたくはねぇんだよ。だいたい、黒坊のくせして俺様の上に立とうってのが頭にくるぜぇ」
プトレマイオスの言葉に、セレウコスが怒りの表情になった。
「黒坊とは自分らの民族の蔑称だ。自分らの民族を侮辱するのは許さん」
「黒坊に黒坊と言ってなにが悪いんでぇ。こうなりゃ殴り合いで片を付けようじゃねえか。てめえをぶちのめしてすっきり決着をつけてやるぜぇ」
「やりたくはないが、かかってくるなら受けて立つ。後悔するなよ」
「ほんとにもうっ。提督の命令よ、二人ともけんかはやめてっ」
大の大人二人のいがみ合いにうんざりしたマリアンヌが、たまりかねて間に入った。
「あたしなりに考えての配置なのよ。お願いだから言うとおりにして。どうしてもいやだって言うなら、また考えるからさ」
彼女がプトレマイオスに手を合わせて頼むと、彼はまだ不満顔をしていたが、受け入れて、水夫たちをとりまとめにかかった。セレウコスも当直甲板に向かっていった。
「やれやれ、先が思いやられるのう」
カッサンドロスがマリアンヌの横に立って言った。
「どうしてあの二人はあんなに仲が悪いの?」
「そうさのう。セルはかなりプライドの高い男だし、プットは黒人差別が抜けんし……とは言ってもの、仲が悪く見えるが、本当は互いに張り合っているだけじゃよ」
「そうなの?」
「そうでなければ、長年同じ艦隊で同じ釜の飯を食ってはおらんよ」
カッサンドロスはそう言って彼女を安心させたが、彼女は一抹の不安をぬぐいきれないでいた。
「嬢ちゃんや、しけた表情で航海に臨むもんじゃないぞ。ほれ、お見送りの一行様が来ておる」
カッサンドロスに言われて、マリアンヌは桟橋のほうに目を向けた。
ついこの間まで通っていた初等学校の先生とクラスメートたちが、桟橋にやってきていた。彼女は急いでタラップを駆け下り、見送りに来た友達たちのところに行った。
「マチルダ先生、みんな、授業はどうしたの?」
「なにを言っているんですか。あなたが処女航海に出る日に、授業なんてできませんよ。みんな、あなたの船出を見送りに行くと言ってきかないんだから」
担任のマチルダ先生が優しい笑顔で彼女に言った。
「マリー、体に気をつけてね」
「わたしたちのこと忘れないでね」
マリアンヌはちょっと照れくさそうに笑った。
「なんだかお引っ越しの見送りみたい。あたしはこの港を拠点にあちこち航海しようと思ってるから、またここに帰ってくるわよ。戻ってきたら、いろいろな街の話をしてあげるわ。楽しみにしててね」
「マリー、あなたが提督だと言っても、自分はまだ子供で、周りはみんな大人だと言うことを忘れてはいけませんよ。周りの人たちの言うことをよく聞きなさい。学校をやめたといっても、いつどんなときもすべてが勉強ですよ」
「はい、わかりました」
彼女は先生にこたえ、頭を下げると、タラップを駆け上がって船に乗り込んだ。タラップが船内に取り上げられた。
「いよいよ処女航海に出発よ! プット、錨を揚げて。セル、操帆の準備を」
「おう、任せろぃ」
インフィニティ号の錨が揚げられ、艫綱がはずされた。操帆手が一枚ずつ帆を巡らしていき、船はゆっくりと桟橋から 離れていった。
「さあ、みんな、ランシェル港に向かうわよ! セル、操船は任せたわ」
「了解」
山手からティシュリ湾に向けて吹く風を捕らえ、インフィニティ号は白い帆に風をはらみ、ゆっくりとスピードを上げて進んでいった。
マリアンヌは左舷から身を乗り出して、見送りに来てくれた人たちに手を振った。先生と友達たちは、彼女に向かって大きく手を降り続けていた。
「じゃあね~っ! 行ってきまぁす!」
彼女は見送りに向かって声の限りに叫び、大きく両手を振った。
ディカルト諸島連邦共和国の首都であるランシェル市は、ティシュリ島から北東約900マイル離れたメインステート島(ディカルト本島)の北部にある。ゆっくりした巡航速度でも3日ないし4日の航海で到着する。
航海三日目の11月22日、インフィニティ号はメインステート島南端の港町オデルの沖合を航行していた。
一人前の船乗りになるために勉強は欠かせない。新米ならばなおさらだ。マリアンヌは出航してから航海中ずっと、教官役のカッサンドロスの指導を受けて、入門書とにらめっこしながら航海術を勉強していた。
とはいえ、航海術は機械工学と天文と物理学を総合した応用学問で、大人が勉強しようと思ってもなかなか難しい。マリアンヌは決して頭が悪いわけではないが、しょせんは小学校高学年程度の学力しかない。カッサンドロスに懇切丁寧に教えてもらっても、難しすぎてとても覚えきれなかった。
「あーん、脳みそがふにゃふにゃだよぉ」
航海術の教科書[タコでもわかる航海術・入門編]の、船舶の仕組みの単元をやっと終えて、彼女はテーブルの上に突っ伏した。
「こんなことで航海術なんてマスターできるのかなぁ……」
「かっかっか。嬢ちゃんの頭ですぐに理解できるようなもんじゃないぞ」
からから笑うカッサンドロスをマリアンヌは上目づたいににらんだ。
「なによう。ふーんだ。どうせあたし頭悪いもん」
「それを自覚しただけでも収穫じゃの。まあ、航海術は机の上で学習したところで、一朝一夕に身に付くものではない。そんなに簡単に覚えることができたら、世の中航海士であふれておる」
彼はそう言いながら、彼女の頭をなでた。
「気長に構えて、ゆっくりと覚えていけばいいんじゃよ。嬢ちゃんはまだ勉強を始めたばかりなんじゃからの。それに、わしの感触では、嬢ちゃんはなかなかいい筋をしておるぞ」
「ほんと?」
「うむ。もっとも、筋がいいからと言って、努力なしに立派な航海士になれるわけではないから、精進せんといかんぞ。さて、今日のところはここまでにしておこうかの」
「うん。あーあ、なんか甘いものが食べたーい」
彼女が大きくのびをしたとき、司令室のドアがノックされた。
「失礼。授業は終わりましたか」
ドアが開き、セレウコスが顔を出した。
「うん。今終わったところ」
「そうですか。では、次は実践です。甲板に来てください」
「えー、また勉強? もう今日はいいよぉ」
彼女はうんざりした顔になった。
「じいさんも気長にゆっくり覚えていけばいいと言ってくれたよ。本で勉強してもう頭がぱんぱんだから、今日はやめにしようよ」
彼女の言葉にセレウコスは首を振った。
「航海術を習得するに、早いに越したことはありません。この航海ももうすぐ終わりだから、この機会に実践して、体で覚えてもらいます」
「そんなぁ……。じいさん、なんか言ってよ」
カッサンドロスはにやりと笑い、セレウコスの方を見た。
「鉄は熱いうちにたたけと言う。勉強したばかりの今なら好都合じゃ。セルさんよ、みっちり教えてやってくれい」
「いじめだ。絶対いじめだよぉ……」
彼女はまたテーブルの上に突っ伏した。
「嬢ちゃんはもしかしたら、机の上で本で勉強するより、実践したほうが身に付くかもしれん。わしゃそう見たがの」
「そう?」
「うむ。何事も経験じゃ。経験を積めるうちに積んでおいたら、それだけ世界一の航海者に近づくことになるわい」
「そっか。わかったわ」
「では、甲板に来てください」
マリアンヌはセレウコスについて歩いて甲板に出た。
「帆船は帆に風を受けることによって動く船です。だから帆をうまく扱わなくてはなりません。帆の使い方はわかりますか」
「うん。スクウェアセイルは追い風を受けるときで、横風の場合はステースル(斜帆)とスパンカー(船尾縦帆)を使うのよね。あれ……向かい風の場合はどの帆を使うの?」
「向かい風に向かっては帆走できません。その場合は縦帆を使ってタッキングで進むのですが……それはまたあとで教えましょう」
セレウコスは帆船の命である帆の使い方をマリアンヌに教え始めた。それはさっき彼女がカッサンドロスから授業を受けた単元だったので、すぐに思い出すことができた。
「早速実践してみましょう。風を読んで、帆を動かしてください」
「えっ、いきなりぃ? 模範を見せてくれてもいいんじゃない?」
「実際にやってみてこそ身に付きます。それに、これまで自分の操船を見てきていたでしょう」
セレウコスはそう言うが、これまで自分で船を動かしたことのないマリアンヌにとって、この注文は厳しすぎた。それに、これまでセレウコスの操船を見てきたと言っても、船に乗ってから何日という期間に過ぎない。
現在、インフィニティ号は縮帆停船の状態になっている。
「お嬢ちゃんの指示通りに操帆しろ。わかったな」
セレウコスはマスト周辺で待機している船員たちに言った。船員たちは「へーい」と返事をしたが、なんでマリアンヌの航海術の勉強につきあわせられなきゃいけないのか、という不満が表情に出ていた。
「えっと……船首は東向きで、風は北西の風だから……帆の角度は……えーと、えーと……スクウェアセイルを左45度に合わせて開けばいいんだわ」
ひとつひとつ計算しながら彼女は命令を出した。船員たちが彼女の命令通りに帆を動かしていき、船は風を捉えて帆走を開始した。
「やった、うまくいったわ」
彼女が喜んだのもつかの間、船は徐々にスピードを失った。
「あれ? 動かなくなっちゃった」
「風が変わりました。風を読んで、帆を動かしてください」
セレウコスが無表情な声で言った。
「わかったわ。今度は……北北東の風……と言うことはスクウェアセイルは使えないってことよね……。ステースルを……」
風向を読み、船首と帆の角度を計算して、操帆の指示をする。計算ずくの作業はマリアンヌにとってなかなか難しかった。それでも何とか彼女は縦帆を操作して風を捉えることに成功した。
と思ったのもつかの間、風を捉えて膨らんだ帆が徐々にしぼんでいき、船はまたしても減速した。
「あれ? また動かなくなっちゃった」
「風が変わりました。風を読んで、帆を動かしてください」
セレウコスがまた無表情な声で言った。
「もう、なんでころころ風が変わるの? 絶対いじめだよぉ」
失敗が続いて、マリアンヌは少しいやになってきた。作業をしている船員たちが「へたくそだなあ」「こんな提督についてきて大丈夫なのか」と言い合っているのが聞こえる。ここでへこたれて、あきらめてはいけないとわかっているので、自分を奮い立たせて、冷静になって、どう帆を操作したらいいか考えるが、心の中ではちょっと泣きたいのをぐっと我慢していた。
現在インフィニティ号が航行している海域は、ディカルト諸島の島々に囲まれたディカルト海である。比較的波が穏やかで潮流も強くないので安定した海域と思われているが、実はなかなかの難所なのである。と言うのも、「海の男を迷わすものは、内海風といい女」と戯れ唄に歌われるほど、風が変わりやすいからだ。
その上、インフィニティ号のようなクリッパー帆船は、高性能だが扱いが難しい。マストの数が多く、帆を何枚も使用するので、適切な操帆をしようと思ったら複雑な操作が求められるのだ。マリアンヌのような初心者が航海術をマスターするには、マストを一本、帆はラテンセイル(大三角帆)を使用するキャラヴェル=ラティーナあたりの小型船で経験を積み、徐々にレベルを上げていくのが常套なのだ。はじめから高性能な船を持ったことが、彼女にとって航海術をマスターするのにあだになってしまったようだ。
少ない航海知識を振り絞って風を捉えようとがんばる彼女だが、努力もむなしく、風を捉えたと思っても、風向きが変わってまたやり直しを繰り返すばかりだった。
「ちっともうまくいかないじゃねえか。いい加減にしてくれよ」
作業をしている船員たちの間で、不満の度合いがだんだん高まってきていた。元々直情でストレートな物言いをする手合いが多い海の男たちだが、不満をはっきり口にする者たちも少なからず出てきた。
「なんかさっきから全然動いてないんじゃない? もういや」
「風が変わりました。風を読んで、帆を動かしてください」
セレウコスの無表情な声に、彼女はぶんぶん首を横に振った。
「もういや。帆を動かしてもうまくいかないんだもん。風を背中にして舵をきって!」
「やけを起こさないでください」
「風に乗ってぱぁーっと走るんなら、風に向かって帆じゃなくて船を動かしたほうが楽だもん。ちまちま帆を動かすよりよっぽどすかっとするわ」
「それでは目的地に到着できませんよ」
「わかってるよぉ。わかってるけどできないんだもん。セルもセルよ。風を読んで帆を動かしてくださいばかりで、どうすればいいか教えてくれないんだもん。できるわけないじゃん」
かんしゃくを起こしているマリアンヌのところにプトレマイオスがやってきた。
「おうおう、もういいかげんにやめねえか。船員ども、お嬢の勉強に振り回されて疲れちまってるぜぇ」
彼の言うとおり、マリアンヌの命令で実際に動くのは船員たちだ。船員たちにしてみれば、命令に振り回されて徒労の働きばかりさせられてはたまったものではない。疲れてしまうのも当然だった。
「お嬢ちゃんに航海術を教えるいい機会なんだ。おまえは口を出すな」
「なにおぅ。俺様に対してその態度はなんでぇ! ぶっ飛ばしてやる!」
「二人ともやめてよ。なんでこんなとこでけんかになるの」
「お嬢ちゃんがきちんと船を動かしていれば問題はなかったのです」
「なによなによ。いいわよ、どうせあたしは頭悪いし、航海術もタコですよーだ。ふんっ」
当直甲板で三人が言い争いを始めたとき、船員たちのたまりから怒鳴り声があがった。
「もう我慢できねえ! もうてめえらについていくのはごめんだぜ!」
船員の一人が握り拳を振りかざして、上甲板まであがってきた。数人の船員たちが男を押さえようとするが、彼はそれをふりほどいて、マリアンヌたちのところにつかつか歩み寄った。
「お嬢ちゃん、下がってください。おい、それ以上近づくな」
セレウコスが厳しい声で威嚇した。
「さんざん俺たちを無駄に働かせやがって。だいたい、素人の小娘についてきたのが間違いだったぜ。大の男が、小娘の下でへいこらできるかってんだ! 航海士のあんた方も情けねえぜ。てめえらまとめて、船を降りやがれ!」
「てめえ、これ以上ぬかすとぶっ飛ばすぞ!」
プトレマイオスが腕をぽきぽき鳴らした。
「待って。あなたの言い分もわかるわ」
マリアンヌは上甲板に降りて、反乱した船員の前に立った。
「怒る気持ちは分かるわ。だけど、あたしも一人前の航海者を目指したいの。初心者だからうまくできないけど、ちょっとだけ辛抱してくれないかしら」
「てめえの勝手なんか聞いてねえんだよ!」
「きゃあっ!」
男は彼女の体を激しく突き飛ばした。彼女は吹っ飛ばされて、甲板に転がされた。
「きさまぁー! お嬢に手ぇ出しやがって!」
プトレマイオスが顔を真っ赤にして男につかみかかった。残っていた船員たちも上甲板にあがってきて、プトレマイオスと反乱した船員を中心に大きなもみ合いになった。
「このようなことになるとは……お嬢ちゃん、大丈夫ですか」
思い切り突き転ばされたマリアンヌはセレウコスに助け起こされた。したたかにたたきつけられて痛むお尻をさすりながら、彼女はふと、左舷方向の海面を見た。そして、大きな目を見張ってじっと海を見つめた。
「まずいわ……止めなきゃ!」
彼女はそうつぶやくと、乱闘の中に飛び込んだ。大の男たちがつかみ合いになっている中でもみくちゃになりながら、中心にいるプトレマイオスと反抗した船員の間に割って、二人を引き分けた。
反抗者はプトレマイオスにさんざんどつかれてあざだらけになっていた。むしろ、豪傑プットを相手にそれで済んでいるのが奇跡かもしれない。
「けんかしてる場合じゃないわ。プット、みんな! 急いで船を反転させて!」
「お嬢ちゃん、この事態でなにを言っているのですか?」
セレウコスが怪訝な顔で言った。
「なんかわからないけど……左舷の方向からなにか変なにおいが近づいてくるのよ。このままだと危険だわ」
セレウコスはますます怪訝な顔になった。
「見張り、左舷方向になにか見えるか?」
「いえ、特になにも……」
「なんか変なにおいがするのよ。プット、船員たちをまとめて! 180度船を旋回させるのよ!」
「お、おうっ! てめえら、お嬢の指示に従えぃ」
土手っ腹に響かせるプトレマイオスの大声にはじかれたように、船員たちが持ち場に着いた。
「風は……北北西。舵は面舵いっぱい! フォアマストとメーンマストを順帆で右にめいっぱい回して! ミズンマストは船体に平行に!」
ついさっきまで風と角度を読むことがなかなかできなくて苦しんでいた彼女が、まるで別人のようにてきぱきとした的確な指示を出した。
インフィニティ号は右舷方向に向きを変えた。
旋回する船の向きに合わせて、マリアンヌは風をうまく捉えられる方向に操帆を指示した。
「うむ……うまい」
マリアンヌの操船を見ながら、セレウコスは感心したようにうなった。さっきまではてんでできていなかった操船術だが、このときは熟練の航海士並みに優れた操船術を発揮している。
船が180度旋回を完了したとき、見張りが大声で叫んだ。
「鯨だ! 右舷方向から鯨の群れだ!」
付近の海面に黒い影がわき上がり、海上に姿を現した。ボタンクジラだった。ボタンクジラは6頭の群れをなしていた。体長12メートル前後の歯くじらで、肉は美味。鯨の中でも泳航速度が速く、直線的な動きをする。進行方向になにがあろうとまっすぐ進む。その姿がイノシシのようなので、ボタンクジラと呼ばれる。
なぜボタンクジラかって? それは、イノシシと言えば牡丹鍋だからだ。
鯨の群れは、インフィニティ号の予定進路を横切り、船の船尾の先を半ばジャンプするように、潮を噴き上げて通り過ぎていった。
「助かったな。あれに衝突されては大事になるところだった」
セレウコスが言うとおり、鯨の群れは船乗りにとって現実の脅威である。鯨に衝突されて大破したり沈没した船も少なくはない。その姿は壮観で、まさに海の大帝と呼ぶにふさわしいのだが、一部の船乗りに目の敵にされるのはそのためだ。
ボタンクジラの群れが通り過ぎていくのを、船員たちはそれぞれの作業の持ち場からぼう然と眺めていた。ついさっきまで大乱闘が起こっていたことなど、船上の人間の頭にはもはや残っていないようだった。
「よかった……」
しばらくして、マリアンヌはほっと胸をなで下ろし、ほほえんだ。
とたんに、目の前の景色がぼうっとゆがんだ。頭がくらくらし、足元もふらついた。彼女はバランスを崩して、甲板の上に倒れた。
「お嬢ちゃん!」
セレウコスがあわてて抱き上げると、彼女はぐったりしていた。彼は彼女の額に手を当てた。
「ひどい熱だ。じいさんのところに連れていけ」
セレウコスは船員に指示を出し、彼女を引き渡した。船室に急いでかつぎ込まれる彼女を、乗組員全員が心配そうに見送った。
倒れてしまったマリアンヌの診察を終えて、カッサンドロスがいやに神妙な表情をして甲板に姿を現した。
「お嬢ちゃんの容態は?」
セレウコスが訊ねたが、カッサンドロスは神妙な表情をしたまま黙っていた。
「おい、なんか悪い病気になったわけじゃねぇだろうな、じいさんよぉ」
プトレマイオスがぎょろ目をむいて訊ねたが、彼は無言のままだった。
「なんか言えよ。お嬢になんかあったのかよ」
カッサンドロスは沈黙のままセレウコスとプトレマイオスの顔を見ていたが、急に吹き出し、からから笑い出した。
「なにがおかしいんでぇ」
「おまえさん方があまりに深刻そうな顔をしとるんで、ついつい笑ってしまったわい。嬢ちゃんは心配ない。今薬湯を飲ませたから、一眠りすれば回復するわい」
「お嬢ちゃんの病気は?」
セレウコスが再度訊ねると、カッサンドロスはくっくっとのどの奥で笑いながら答えた。
「知恵熱じゃよ」
「なに」
セレウコスは少し拍子抜けした。
「なけなしの航海知識を少ない脳でフル回転させたんじゃろう。これまで使ったことのないほど頭を使ったから、頭に血が上りすぎて倒れてしまったんじゃよ。少し休めばまた元気になるわい」
「なんでえなんでえ、心配させやがって。俺様はてっきり、船にあたって悪い病気になっちまったかと思ったぜぇ」
プトレマイオスは安心して、懐からラムのボトルを取り出して、一息に飲んだ。
カッサンドロスは真顔になると、航海士二人に言った。
「この船が鯨の衝突を免れたのは、嬢ちゃんがいち早くそれに勘付いたからじゃ。おまえさん方が全くそれに気づかなかったのにのう。ひょっとしたら、嬢ちゃんはわしらの思いもかけない人物かもしれんぞ」
「うむ」
セレウコスがうなってうなずいた。
「その上、嬢ちゃんは鯨を回避するために自分の能力以上の力を出した。たぶん、同じことをもう一度やれと言っても無理じゃろう。自分の身だけじゃない、船と仲間を守らないといかんと思ったから、知恵熱を出してまで知恵を振り絞ったんじゃろうとわしは思う。嬢ちゃんはそんな娘じゃ」
「おう、きっとそうだぜぇ」
プトレマイオスはそう言うと、上甲板から船員たちに向かって、大声で話しかけた。
「おうい、てめえらよーく聞きやがれ。お嬢は確かに子供には違えねえ。船乗りとしても素人だ。けどな、お嬢がぼたん鍋クジラに気づいて、船を反転させる命令を出してなかったら、今頃てめえら全員海を泳ぐとこだったんだぜぇ。おまけに、うまく船を動かすために頭を使って、使いすぎてぶっ倒れちまった。こいつはな、てめえらみんなを守るためだったんだぜぇ」
乱暴な口振りと言葉遣いだが、プトレマイオスの言葉にはマリアンヌに対する大きな信頼と愛情があふれていた。彼の訓示に耳を向けていた船員たちにも、それはびんびんと伝わった。
「お嬢が体を張って船と俺様たちを守ろうとしたんだ。そいつがわかったら、大の男なら、お嬢を守るのが男の道ってもんじゃねえか。お嬢が世界一の航海者を目指すって言うなら、俺様たちが力を貸してそうさせてやろうぜえ」
彼は船員たちを見渡した。
「それでもてめえのことばかり考えて文句言う奴は遠慮せずに出てきやがれ。俺様がこの場でぶっ飛ばしてやる!」
船員の中に異存のある者はいなかった。プトレマイオスにぶっ飛ばされるのを恐れたわけではない。むしろ彼の言葉に奮い立ったのだ。先ほど乱闘のきっかけを作った船員も、また同じ気持ちだった。
「てめえら、お嬢についてこい! わかったな!」
「おうっ」
「声が小せぇ! もう一度!」
「おおーっ!」
船員たちの鬨の声が響いた。
「ふむ、まとまったようじゃの」
カッサンドロスが満足そうにうなずいた。
「さて、嬢ちゃんがゆっくり休んでいる間に、ランシェルの向かおうかの」
「わかった。出帆する。プット、船員を配置させろ」
「ふん、てめえに言われなくてもわかってらあ」
なんだかんだで騒動を切り抜け、乗組員全体の連帯感が増したインフィニティ号は、北東に進路を向け、夕暮れの近づく海をランシェルに向けて出帆した。
11月23日。インフィニティ号はディカルト連邦の首都ランシェル市に無事到着した。
ランシェルの港湾地域の一角にある「ランシェル海員組合」のギルドハウスに、マリアンヌは手紙を携えて訪ねた。
「ティシュリ航海者ギルドから手紙を持ってきました。はい、どうぞ」
「おう、ご苦労さん。確かに受け取ったよ」
コーンパイプをくわえたランシェル海員組合の親方は、彼女から配達物の包みを受け取って、封などを丹念に調べた。そして、その配達物を徒弟に渡し、文箱に保管させた。
「こいつはなかなか重要な文書なんだ。よく届けてくれたな。謝礼はティシュリで受け取ってくれ」
親方は彼女を頭からつま先までしげしげと眺め回してから、
「しかし、時代は変わったもんだな。あんたのような若い女の子まで船に乗るんだね」
そう言われて、彼女はちょっと肩をすくめて見せた。
「時代がどうかはわかんないよ。あたしが海に出るって言ったときに、女が海に出るなんて、なめた真似するなって言う人がいたもの。女の子が海に出るのはおかしいって考えている人のほうが多いんじゃない」
「そうかい。そうかもしれん。でも、おれはそう思わんな」
親方は彼女の目を見て言った。
「船に女を乗せると不吉だ、なんて本気で信じている奴もいるが、海に出るのに男も女も関係ない。船乗りを目指したければ誰だろうと目指せばいいのさ」
親方の言葉に、彼女は笑顔を見せた。
「そうよね」
「お嬢ちゃん、あんたはなにを目指しているんだ?」
「世界の海を股に掛ける、世界一の航海者よ」
彼女はきっぱりと言い切り、まっすぐな瞳で親方の目を見つめた。それが自分の揺るぎない意志なんだと、目と目で伝えた。
親方は真顔でうんうんとうなずき、「そうかい」とだけ言った。
「笑わないんだ。たいていの人は笑うのに」
「それがあんたの夢なら笑うかもしれんが、あんたの目標なら笑う筋はないさ」
親方はコーンパイプに新しいたばこを詰めて火をつけ、一口ふかした。吐き出した煙のわっかが、天窓から入り込んだ光に揺れた。
「高い目標を持つのはけっこうだ。ただ、その目標は自分一人だけで達成できると思うなよ。中には勘違いしている提督もいるが、自分についてくる仲間や手下がいてこそ、初めて船が動くんだからな」
彼女は大きくうなずいた。
「うん、わかってるわ。あたしも仲間がいなかったらなんにもできないこと知ってるし、仲間や船員のみんなを信じているもの。だから、あたしもみんなのことをちゃんと考えなきゃいけないし、みんなのために働かなきゃいけないのね」
「そう言うことだ。よくわかってるじゃないか」
親方は言葉を続けた。
「威張っている奴が偉くなるわけじゃない。人のために働ける奴がたいてい偉くなるものさ。それと、自分が偉いと思う奴は人の話を聞かん。そういう奴は成長しない。あんたはまだ若くて先がある。周りの人間の言うことは進んで耳を傾けろ。それが自分のためだ」
彼女は親方の語る口元をじっと見て、彼の言うことを心にかみしめた。
「おれの言うことを忘れるなよ。謙遜な人間には、人がついてくる。それを忘れなかったら、世界一の大提督になれるかもしれないぜ」
「わかったわ。ありがとう、親方さん」
彼女は親方に頭を下げると、ギルドハウスを出た。冬が間近に迫っているこの時期の風は冷たかったが、初仕事を終えた充足感と、親方の激励の言葉で、彼女の心はほかほかに温まっていた。
建物の外では、仲間たちが彼女を待っていた。
「初仕事は無事終わりましたね」
セレウコスが言うと、彼女はにっこり笑った。
「うん。処女航海も無事終わったし。みんなのおかげよ、ありがと」
「礼などいりませんよ。それに、お嬢ちゃんの航海はこれからでしょう」
頭を下げるマリアンヌにセレウコスが言った。
「お嬢、一仕事終えたんだ、飲みに行こうぜぇ」
プトレマイオスが鼻息をふかせて言うと、彼女はうなずいた。
「そうね。じゃあ、酒場で次の航海の計画を立てよっか」
マリアンヌと航海士たちは連れだって、酒場街のほうに歩いていった。
(マリアンヌの処女航海・終わり)
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