花散る前に

結城 佑

第1話 青の蝦夷菊

初恋というのは突然訪れるもので、タイミングもヒトによって違う。だから他人ひとと比べるのは可笑しな話なわけなのだけれども、恐らく他人ひとより遅く、私、睦岡ぼくおか心春みはるに訪れた“ソレ”は私の心を独占してしまって、少し困っている。

「別に困ることないじゃなぁい。」

私を不思議そうに見つめながら友人の如月きさらぎ日向ひなたは、ため息をついた。

困っているから意を決して相談したというのにこのヒトは。

「私と日向は違うんですぅっ。」

私が頬をふくらまし口を尖らせいじけてみせると、私の頭を撫でながら「ごめん」と2回言って微笑んだ。

しばらくして彼女は、撫でていた方の手で頬杖をつき、放課後の閑散とした教室の窓際前から2番目の席を指さした。私達が今座っている席と正反対の位置にある席だ。

天弥たかや心春みはる接点ないよね?一目惚れ?」

私は、彼女の指さした先をのを暫し見つめてから徐ろに足元に視線を落とした。

(接点·····か。)

席は窓際と廊下側、部活も帰宅部と手芸部。中学も日向は同じだったと聞いたけれど、私は違う中学校だった。だから接点が全くないように思われるだろうが、2年前に一度だけ話したことがある。

「高校一年生の秋頃に狗生いぬい君と話したことあるんだ·····。」

初恋の相手・狗生いぬい 天弥たかや君と初めて言葉を交わしたあの日、あの時はまだ彼を好きになるなんて思いもしなかったけれど。


* * *


「やってしまった·····。」

指に小さく空いた穴から紅い泪がぷっくりと姿を見せている。放課後の薄暗い廊下のひんやりとした空気は、まるで私を嘲笑っているかのようで歩を少し早めた。歩を進めるにつれ、消毒液の香りがほのかに漂い始める。

保健室の扉をノックして開けると、ほのかだった香りがはっきりと輪郭を露わにした。

「失礼します。」

いつもであれば奥の机に座っている仏頂面の養護教諭の姿はなく、教室内を見回すと向かって右に3台並んだベッドは一番奥のカーテンが閉まっている。

(寝てる·····わけないか。)

出直そうと廊下に一歩踏み出そうとした瞬間、背後から声をかけられた。

「ふわぁ·····先生会議終わったの?」

振り返ると男子生徒がカーテンを開けて姿を現した。私と目が合うと彼は目を丸くしたが、直ぐに冷静に戻り教室の中央に置かれた長テーブルに手を付きながら一緒に置かれたパイプ椅子に腰をかけ、机の上のペットボトル飲料を手に取り飲み始める。

「·····怪我?」

空になったペットボトルをゴミ箱に捨て、唖然としてる私に問いかけてきた。

「あ、えと。ニードルっていう針みたいなもので指、刺しちゃって·····。」

それを聞くなり彼は、机の横にある棚から消毒液やガーゼを取り出して「簡単な手当しか出来ないけど」と私に目の前の椅子に座るように促した。

私はゆっくり歩を進め戸惑いながら腰掛ける。

すると彼は手際よく手当を始め、あっという間に処置を終えた。

「はい、終わり。」

左手の人差し指に綺麗に巻かれた包帯。

「凄いね!私、こんなに綺麗に巻けないよ!」

私が勢いよく顔を上げると、顔を林檎色にした彼がそこにいた。でも、気まずそうに私に背を向け棚に道具を仕舞い始める。

「あ、そうそう。そこにある来室者名簿に名前書いといて。」

無造作に置かれたバインダーを手に取ると、ふと、ある名前がめにとまった。

“1年B組 狗生 天弥”

その名前は3〜4段飛ばしで書かれている。

私がその名前に気を取られているうちに片付け終えたらしく、彼が正面の椅子に再び腰掛けた。

私は慌てて自分のクラスと名前を記入する。

「もう6時か。」

彼の呟きで時計を見ると、針は5時55分を指していた。

「あ、私もう部活に戻らないと!」

「部活?」

そう言えば怪我をした理由は言ったけれど、部活でとは言っていなかった。

「手芸部なの。今日はね、羊毛フェルトで作品作ってるんだ。」

私が立ち上がり立ち去ろうとすると、私の手を掴み彼に引き留められる。

「ね。その作品、出来上がったら見せてよ。」

突然の事で頭が真っ白になりながらも首を左右に振る。

「む、む、無理だよ!へ、下手だもん!」

驚きと焦りで半分パニックを起こしている私をよそに彼は真っ直ぐ私を見つめた。

「上手に出来たものが見たいんじゃなくて、君が一生懸命作ったものが見たいんだよ。」

さっきまでパニックを起こしてグルグルしていた頭は静かになったけど、今度は胸がドクドク音を立ててさっきより早いテンポで鼓動リズムを刻んでいる。顔もなんだか熱くなってきた気がして、顔は上げずに首を縦に振った。

「·····分かった。出来上がったら1年B組まで店に行くね。」

それでも私の手は解放される気配がないので、顔を上げると、彼が驚いた顔でこちらを見ていた。

「俺、クラス教えたっけ」

「え、と。来室者名簿に名前があったからそうかなぁって、思って·····。」

(しまった·····。)

確かに初対面の人間が教えてもないことを口にしたら驚くのは当たり前だ。きっと変なやつだと思われたに違いない。

(·····でも、そんなふうに思われてたら嫌だな)

軽く胸のあたりが痛みを帯びた気がした。

「あぁ、そっか·····。」

腕を掴んでいた力が緩んだので振りほどいた。

「それじゃあ。私、部活戻らないとだから。」

一礼して足早に保健室を後にする。

さっきまで掴まれていた所が熱をもち、形にならない感情が湧いてきて、鼓動を更にはやめようとしているように思えた。


* * *


「でも、後日出来上がったから教室に行ったんだけど、周りに女の子が沢山いて、なんだか声掛けに行けなくて·····。」

「そっか。」

一通り話終えると、日向は俯いている私の頭を撫で「帰ろっか」と言った。


昇降口を出るともう春だというのに冬がまだ少し顔を覗かせて私達の体温を奪おうとする。

夕日がほぼ水平線に顔を埋め、夜の訪れを告げていた。

他愛もない話をしながら通学路を歩いていたら、あっという間に学校の最寄り駅まで来ていた。

私と彼女は違う方向の電車なので私が「また明日」と別れようとすると、「待って」と引き留められ、誘われるまま改札近くのベンチに座った。

「ごめんね。まだ聞いてないことがあったなぁと思って。」

顔はいつものように明るい笑顔なのに、どこか視線が鋭い。私がその冷たい目に萎縮していると、彼女は続けた。

「どうして3年生になった今なのかなって。1年生の時にそんなことがあったならいくらでも機会あったんじゃないかなーって思ってさ。」

話し方も心做しか冷たくなった気がして手が少し震え始める。

「·····日があれから空いちゃって、行くに行けなくていって。それに私·····」

続けようとしても言葉が喉につかえて出てこようとしない。

初めて彼の教室を訪れたあの日、彼を取り囲む女の子達は可愛い子ばかりで、その中を割って入っていけるほどの自信がなかった。それでもあの日から彼のことを忘れた日はなくて、ずっと彼のことを考えていた。だから今年初めて同じクラスになれて、これをきっかけに少しでも距離を縮められたらって思った。

そしてこれが初恋だと自覚するのにそう時間はかからなかった。

(気持ち悪いよね。たった1度話したことがあるだけでこんな風になっちゃうなんて。·····日向に笑われちゃうかな。気持ち悪がられちゃったりするのかな。)

彼女がそんな人ではないことは頭では分かってるはずなのに、そんなことを思ってしまう自分に腹が立つと同時にとても情けない。

(私、最低だ。)

泪が固くにぎりしめた拳にポタポタと落ちた。

「私、最低だ。」

私は、ハッとして手で口元を抑えたが、震えていてとてもハッキリとものが言える状態ではない。

言ったのは日向だった。

顔を上げ彼女の方を向くと、いつもの優しい笑顔と眼差し。

「やっとこっち向いた。」

顔いっぱい笑みを浮かべ、私の頭を撫でた。

「きっとグルグル色々と考えて、最終的に自分のことそう思ってるんじゃないかなーって思ってさ。」

日向は、よく人を見ている。

普段は周りにチャラチャラしてると言われるような素振りをしているけれど、こうしてちゃんと個人をしっかりとみてくれる。

(こういう人だから相談したんだった·····。なら私が今するべきことは·····!)

さっきまで震えていたのが嘘のように止まり、それどころかとても安心している自分がいた。

「·····私、彼の周りにいる女の子みたいに可愛くないし、いい所もないから彼に話しかける勇気が出なくて。でも、諦められなかったの。」

日向は、暖かい目で私がゆっくりと紡ぐ言葉達に耳をかたむけてくれている。

「···気持ち悪いよね。はは·····。」

「バカね」

日向は私を抱き寄せ、背中をとんとんと優しく叩き、耳元でそっと囁いた。

「気持ち悪いわけないじゃない。それが恋なんだもん。」

「でも、私、周りにいる女の子達が羨ましくてずっとなんだかモヤモヤして。醜い気持ちばっかりが積もってくの·····」

言葉が考えるより先に泪と一緒に溢れていく。

「恋愛って、そうゆう羨望とか独占欲みたいな決して綺麗とは言えない感情と切っては切れないものなの。なくてはならない大切な感情なのよ。だから醜いなんて言葉で片付けないであげて?大丈夫。ちゃんと心春の中で恋がが芽吹いた証拠なんだから。」

ずっと持ってはいけない感情を持ってしまったのではないか。今すぐにでも捨ててしまうべきなんじゃないかと思いながら手放せずにいたこの感情達は私の恋を形作る大切なパーツだったのだ。

日向に相談しなかったら、芽吹いた恋を枯らしてしまっていたかもしれなかったんだ。

(話してよかった·····。)

ふと顔を彼女の肩から離し、付けていたところを見ると、そこだけぐっしょりと濡れていた。慌てて離れようとすると、さらに強い力で抱き寄せられる。

「ひ、日向。制服、濡れちゃ·····」

「いいのよ、そんなこと気にしなくて。落ち着くまでそばにいてあげるから。」

私の言葉を遮る言葉は強かったけど、でも、冷たいものじゃなくて、慈愛に溢れていた。

私は声を抑えながら、彼女の肩を借りてたくさん泣いた。背中をゆっくりさする彼女の手がとても心地よく暖かかった。

「·····日向が親友でよかった」


ようやく蛇口が閉まったのか泪が止まったので、少しだけ日向と他愛もない話をしてそれぞれ帰路についた。日向が買ってくれたペットボトルで目を冷やしながら電車に揺られた後、駅から15分ほど歩いて家のドアをあけた。

「ただいまー。」

「おかえり。」

聞き覚えのある両親以外の声に思わずハッとする。

夏月かづき君、来てたんだ?」

卯ノうのはな夏月かづき君。隣の家に住んでいる幼なじみで家族どうし仲が良いいのでよくこうして家にやってくる。

「うん。母さんがおかず余ったから持っていけって。·····あれ?なんだか目元晴れてない?大丈夫?」

「え?あ、目にゴミ入って少し涙出たからじゃないかなぁ。ははは·····」

彼はこういうところがあるから、今は会いたくなかった。

「それじゃ、私部屋に行くね着替えないと!ごゆっくり!」

後ろから「心春!」と声をかけられたが、振り向くことなく階段を駆け足で上り、部屋に駆け込んだ。

部屋の電気をつけ窓を開け、ベッドにおもむろに転がる。たくさん泣いたせいか少しぼんやりする。

「明日には腫れ治まってるといいなぁ·····」

窓から入ってきた春の夜風が部屋を駆け巡り、外から聞こえる木々や草花が揺れる音が子守唄のようで、私は導かれるまま私は深い眠りについた。

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