ツキが呼んでいる
倉城みゐ
第1話 side E-1
人生最悪の日。
私は、駅に向かって猛ダッシュしていた。大失恋の翌日、普通に仕事にいかなきゃ行けないなんて、この世の中、どうかしている。失恋だって立派な病だ、病欠扱いで休ませろ、コノヤロー!私は、そんなイライラを走りにぶつけ、脇目も振らず走っていた。
信号が赤に変わり、私の足を止める。イライラは、ますます募っていた。
「もう!あと2分しかないじゃん!」
この電車を逃すと、間違いなく遅刻だ。大失恋からの遅刻。もう今日はやってけないよ…。そんな絶望感に苛まれそうになる。が、私はそんなことでくじける女ではないのだ。
何が何でも電車に乗ってやる…!目の前の信号が、カウントダウンを始める。赤い目盛りが、3…2…1!
よしっ!いけっ!……えっ!?あれぇっ!?
ズザザザーー!
人は、突然の出来事に遭うと、ゆっくりと時間が流れるという。私も例に漏れず、視界がゆっくりと下がっていくのがわかった。空高く上がるスマホを見上げながら、自分の状況をようやく理解する。
そっか、私、コケたんだ…。アラサー女が全力疾走してはいけない、と身をもって実感した瞬間だった。
これで確実に遅刻か。状況を把握すると、意外と人は冷静になるものなのだな、と思った。
駅前の大通り、ラッシュともなれば次々と人が横断する。そんな横断歩道の真ん中にへたりこむ私に、邪魔そうに通りすぎる人の中、時々不憫そうな目で、
「大丈夫ですか?」
と声をかける人がいる。ありがたいことだが、今はそっとしておいてほしいので、苦笑いを浮かべ
「大丈夫ですよ。どうぞ、お気になさらず」
と返す。はぁ、ほんと、人生最悪の日だな、今日は。そーいえば、朝の占いも最下位だったっけ。ふと、そんなことを思い出した。
信号が点滅し出す。これで車にまで轢かれてしまっては、もう救いようがない。急いでぶちまけた荷物をかき集め、汚れた服をはたいて立ち上がる。
「イタっ…」
見ると、膝が血で滲んでいた。こんなの、小学生以来だよ、情けない…。ほんと、何やってるんだろう、私…。到底大人とは思えないボロボロの自分の姿に、虚しさが増す。
さっきまでの勢いはなく、ただボーッと赤信号を眺めていた。会社で笑い者になる自分の姿を想像しながら。自然と、深いため息が口から漏れた。そういえば、今日のテレビの占い、最下位だったな。いつ見ても最下位な気がするあの占いも、今日ばっかりは当たってるのかも。
信号が変わろうとしている。赤い目盛りが減っていく。3…2…1。
「これ、ちゃいますか!?」
いきなり、後ろから声をかけられ、心臓が飛び出そうになった。見ると、爽やかなスーツの男が、私のバキバキに割れたスマートフォンを持って立っていた。
「ひぇ!あ、は、はい、そうです。ありがとうございますっ…」
私は、驚いたのと、みすぼらしい姿と、傷だらけのスマホを見られたことへの恥ずかしさとで、奇声を発しながら慌ててスマホを受け取った。
「よかったぁ!ちゃうかったらどーしょーかと思てー」
しかし、彼はそんなことを気にする様子もなく、爽やかな笑顔でそう言った。見たカンジ、私よりも年下で、スポーツでもやっているのか、短髪に健康的な肌、少し筋肉質な身体で、ピシッとスーツを着こなしている。この世に、こんなにも清潔感で構成された人間がいるのかと、私はあっけに取られていた。
「ほな、失礼しますっ」
そんな私を置き去りにして、爽やか青年は、ニコッと微笑み軽くお辞儀をした後、またも爽やかに駅に向かって小走りに去っていくのだった。
ツキが呼んでいる 倉城みゐ @kmpanda
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