獏になった私は

将月真琴

第1話

 ある朝目覚めると虫になっていた男の話は有名だと思う。それに倣って言わせてもらうならば


 私は、ある朝目覚めると獏になっていた。


 獏。奇蹄目バク科の哺乳類。もしくは悪夢を食べると言われる伝説上の生物。

 きっと皆さんが想像するのは黒と白の体色に長めの鼻を持っている生物だろうし、実際私の見た目はそうらしい。

 らしい、というのは自分に見えないからであり、たまたま通りすがったという帽子を被った獏が「珍しい。こんなところに新入りがいるなんて」と言ったからである。

 もっと言うなら、その獏は浮いていた。比喩的な表現ではなく、本当に浮いていた。地面から1メートルぐらい。

 言葉を喋ることと浮いていることに呆然としていた私は、すぐそこに水溜まりがあるのを見つけた。すぐに私は自分の体を映してみた。獏だった。紛れもなく獏だった。

 そこまでしてやっとこれが現実ではない可能性に思い至った。そうだ、これはきっと夢なのだ。四本足で立っていたり目線がいつもより低いことで気がつかなかったのか、と言われるかもしれないけれど、そのときはそれが自然だと思ってしまっていたのだ。

「さて、これからどうしようか」

「夢を食べるのです」

 独り言をいったつもりが、すぐ横から返答があったので面食らってしまった。

「おや、自己紹介がまだでしたね。私は%●◇▽◇◎◆といいます。あなたより人生、いや獏生が長いのでこうやって先輩として指導に来たのです」

 えっへん、という言葉が聞こえてきそうな口調であったけれど、彼(彼女かも?)も獏なのでいまいちピンと来なかった。それよりも、だ。

「ええと、もう一度お名前をうかがってもよろしいですか?」

「はい、%●▽◇◎◆です!」

 だ、ダメだ。一ミリも理解できない。

「あ、名前だったら気にしなくてもいいですよ。獏になったばかりだと人間だった頃に引っ張られて獏の声が出せないですから。」

「獏の声」

「はい、私たちはもともと人間なのですが、なにかのはずみでこうやって獏になるのです。獏になったらあとはひたすら夢を食べます」

「夢を、食べる」

 聞いたことがある人もいるだろう。伝説上の獏は悪夢を食べる、と伝えられている。

「……で、でも、私は人間に戻りたいのですが」

「人間に戻ったという獏は聞きませんねぇ。まあ、あなたも数日もすれば慣れますよ」

 慣れる、のだろうか。体型も体勢も気にならない。あとは夢を食べるだけ……?

「でも、不思議ですねぇ」

「何がですか?」

「いえ、今日はここに夢を食べに来たのですよ。誰の夢かは知らないですが、毎日毎日ビルから落ちる夢を見るそうでして。あ、食べてもいい夢はとおーく向こうの方に掲示板があって、そこで確認できますよ」あとで連れていってあげましょう、と彼は言う。

 私は、なんだか頭の裏をとしたもので撫でられた気がしたが、気のせいだと思うことにした。あと、これは夢ではないらしいな、と頭の奥で冷静な私が変な自己分析をしていた。間違っていてほしい。ところで、だが。

「さっき先輩として来た、とか言ってませんでした?」

「獏でも見栄を張るのです」


 私の前を先程の獏がと歩いていく。私もその後ろをと歩きながら、話しかけてみる。

「夢って、どんな味がするんですか?」

「いろんな味がありますねぇ。甘い、辛い、苦い、しょっぱい……。でも、大概は美味しくはないですね」

「美味しくないけど食べるんですか」

「それが仕事のようなものなので」

 私はまだ生徒であり、アルバイト禁止の学校だったので、仕事と言われてもピンと来ない。

「食べたくないと思ったことはありますか」

「ありますよ。私が獏になってから、もう忘れるぐらい年月が経ちました。最初の頃は甘い夢ばかり食べようとしましたが、甘かったですねぇ」夢ではなく私の考えが、と付け加える先輩獏。

「でも、食べないとお腹が空きますから」

「食欲はあるんですね」

「ええ。食べなくても死にはしませんが苦しいですから、食べられるものなら食べとこう、って感じですねぇ」

 それからしばらく歩いていると、たくさんの獏が集まっているところがあった。

「あれが掲示板です」

 掲示板は、本当に掲示板なのだけど、獏に合わせて作られているからか、背が低く、横に広かった。

「なにか、食べてみたい夢はありますか?」

 私はそう言われたので掲示板をじっと見てみる。『影に追われる 女性 30代』『首を絞められる 男性 10代』『羊を追いかける 男性 80代』『娘が車に轢かれる 女性 20代』etc.

「悪夢ばっかりですね」

「そりゃあ獏用の掲示板ですし」

 そうか、獏は悪夢を食べるのだ。そこで私は疑問に思ったことを聞いてみる。

「夢の内容と味って関係ないんですか?」

「あまり関係はなさそうですねぇ。ライトな悪夢が不味いこともあれば、目を背けたくなるような悪夢が極上の味だったりしますし」

 それはなんとも言えない話だ。

「まあ悪夢ではない普通の夢を食べることができることもありますが、それは当たりですね。大体美味しい、というか不味いものはありません」

「なるほど」

「まあ滅多に掲示板に出てくることはありませんし、出てきたとしても争奪戦になるのであまり食べようと狙うことをおすすめはしません。食べれたらラッキー、ぐらいで」

「ははあ」

 とりあえず私たちは夢を食べてみることにした。夢を食べる、という行為に対して抵抗感が生まれないのはやはり私が獏になったから──いや、からなのだろうか。

 そんな風に悩んでいると、彼(?)が声をかけてきた。

「この夢なんてどうでしょう。ランクはB+なので初めてにしてはキツいかもしれませんが美味しいかもしれませんよ」

「ランク?」

「夢につけられている指標です。誰が付けているのかは知りませんが、その夢の大きさ、苦しさ、そこから考えられるある程度の味の予測、それら諸々を総合的に判断した結果付けられているそうです」

「は、はぁ?」

 思わず疑問の声が出てしまったが、それは向こうも同じらしい。「そうですよねぇ」などと頷いていた。

「とりあえず、その紙を剥がして向こうに持っていきましょう。そうすれば夢の場所を教えてもらうことができますので」

「夢の場所?」

「地図みたいなもの、と言えば分かりやすいかな。よくわからないけどこうやって歩くだけじゃ夢までたどり着けないんですよ」

「へぇー」

 なんだかさっきから相槌しかしてないな私、と思いながら掲示板の前の獏が退いたので言われた紙を鼻を使って剥がす。


 剥がした紙を持っていくとそこにはやっぱり獏がいた。

「お願いします」

「お預かりします。……はい、こちらが夢の場所を記した紙になります。それでは、よい夢を食べられますように」

「……」

 そんなことを言われるとまるで悪い夢のようではないか。悪夢だけど。


 しばらく紙の指示に沿って歩いていたが、ふと気になって横を歩く獏に尋ねてみた。

「そういえばどんな夢を選んだんですか。場所を言われて紙を取ってそのまま渡したので夢の内容を聞いていません」

「ありきたりな悪夢ですね。暗い道を歩いていると行きなり怪物に襲われます。子どもらしい悪夢ですね」

「子供なんですか」

「ええ、10代の女性……この場合は少女ですか。大人になると見る夢が具体的になります。借金を残して主人が蒸発するとかいきなり交通事故に遭うとかそんなものばっかりです」そして大抵不味いです、と獏は続けた。

 まあ、誰の夢だろうと、食べてしまえばいいことだし、どうせ知らない人なのだ。年が近かったとして、なんだと言うのだろう。でも、その少女には同情する。似たような夢は私もよく見ていた。

「着きましたね」

 ぐるぐると考えている間に夢にたどり着いたらしい。思わず駆け寄ろうとすると、獏に止められた。

「危ないですよ!夢は穴の底にあるので、エレベーターを使うんです」

 よく見ると、そこにはかなり深い縦穴があり、下の方に大きな人がいて、頭の上になにかの装置がついている。その装置のせいで顔は見えない。どうも頭の上に縦穴を掘ったようで、体は地面の下に埋まっているようだ。

「こっちですよ」

 獏に連れられて工事現場にあるようなスケスケのエレベーターに乗って地下へ行くと、そこでも獏が作業をしていた。

「まだ抽出中ですか」

「いえ、もう精錬中ですのですぐ食べることができますよ」

 不思議そうな顔をしていたからか、獏── ここまでついてきた方──が説明をしてくれた。

「昔は人に噛みついて夢を食べていたようですが、今ではこうやって機械で吸い出し、食べやすい形にしてから食べています」

 素晴らしいテクノロジーだ。思わず「すごい」と声が出てしまった。

「精錬、終わりましたよ」

「さて、それでは食べましょうか」

 獏について機械への細い通路を歩いていく途中、機械が取り外され、夢を吸い出されていた人の顔が見えるようになった。私は、同情した仲間の顔を見るために少し身を乗り出してみた。

 瞬間、私は足を滑らせて通路から落ちてしまう。

 あっ、と思ったときには時すでに遅し。私の体は真っ逆さまに穴の底に向けて落ちていく。

 お陰で顔がよく見えるようになったのだけれど、私は彼女の顔を見ようとしたことを後悔した。

 なぜなら、そこにあったのは、


 紛れもなくだったからだ。


「っっ!!」

 思わず飛び起きてしまった。……ん??どうやら普通に寝ていたようだ。うん、いつもの部屋、いつものベッドだ。

「今日はビルから落ちる夢、見なかったな」

 いつも私は夢の中で。ところが今日は

 珍しいこともあるものだなぁ、と思いつつ起きる時間までまだ少しあるので二度寝することにした。


 その結果学校に遅刻しかけたがやはり夢は見なかった。私はなんだかとても嬉しかった。

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獏になった私は 将月真琴 @makoto_hata_189

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