幕間

2年前、もしくは嵐の前の静けさ

 俺は読書が趣味である。

 悲しい事に、自己紹介で読書が趣味ですなどとのたまおうものなら根暗かなやだこの人陰キャじゃーん、とか思われてしまうのが世の常である。あるいは無趣味だけどとりあえず適当に言ってんのかなやだやっぱこの人陰キャじゃーん、とか思われてしまうのが世の常である。嫌な世である。

 されど、俺は実際陰キャである。高いテンションも訳の分からんノリも基本的には嫌いだし、うわべだけの百人の友達も薄ら寒い広く浅い繋がりも要らない。

 だからと言って、俺が全く知人や友達を作らないタイプの人間かと言えば別にそんな事はない。俺だって孤独愛好家ではないのだ。平均よりは少ないのだろうが、一定数の知人はいる。

 じゃあ友達はいないのか、と問われれば正直よく分からん。友達の定義による。

 趣味が同じなら友達か。

 人間性に近いものがあれば友達か。

 他の知人より関わりがあれば友達か。

 そのどれも今一つピンとこない。

 仲良しなら友達だ、というならそれこそもっとピンとこない。その定義の場合、仲良しの定義をしなければならなくなる。

 まあ一応、俺と趣味が同じで性質も近く、他の知人より関わりがある人間なら1人いるのだが、そいつを友達と認定していいのかどうかは……正直よく分からない。



 そして、放課後。

 とある空き教室にて。

「……なあ」

 俺は目の前の少女そいつに声を掛ける。

「何だ? 私は今忙しいのだが」

 奴は煩わしそうに言って、読んでいた文庫本に栞を挟むと、濃いクマのせいでかなり悪くなっている目つきで俺の方をじろりと見た。

 相変わらず威圧感のある奴だ。

「いや、ちょっと聞きたい事があってな」

「手短にしろ」

 相変わらずぶっきらぼうと言うか、ともすれば尊大とすら言える口調だ。無論性格まで尊大というわけではない事は知人として知ってはいるが、もうちょい丸い喋り方をしてほしいものである。

 まあいいや、とりあえず聞こう。

「えっと……、俺とお前って、友達かな?」

「知るか。何だその気色の悪い問いは」

 超バッサリであった。

 どれくらいバッサリかと言えば、俺の質問と同時に俺から目を逸らしてさっと本を開き、何事もなかったかのように読書を再開すると共に条件反射のごとくつらつらと罵倒めいた言葉を並べる程度にはバッサリであった。酷い。

 俺は思わず抗議する。

「いやいや、別に気色悪くはないだろ」

「では聞くぞ」

「何を?」

「……私とお前って、友達かな?」

「あーすまん確かに気色悪いわこれ」

 口真似みたいに問われて一瞬で納得した。

 何と言うか、改まってそういう事を聞かれると妙に鳥肌が立つというか、陽キャが好き好んでやってる(一介の陰キャの見解です)、軽薄な友情確認儀式めいていて、陰キャ体質の人間にはちとキツいものがあるというか。

「……、ふん。理解したか」

 少女は尊大に鼻を鳴らした。無論読書は続行中である。

 一応奴の性格の根っこの部分までもが尊大なわけではない事くらいは知人として知っているが、相変わらず寄らば切ると言わんばかりの尖った言動をする奴である。

 尖っている、と言えば容姿もか。前述したクマの濃い悪い目付きに加え、化粧っ気の無い顔、伸び放題にしていますと自ら吹聴しているがごときぼさぼさの髪の毛。首にはゴツい黒のヘッドフォンを掛け、同じく黒のパーカーを制服の上から羽織り、これまた黒の野暮ったい長ジャージを履いている。元々の顔立ちは悪くなく、華奢な体躯も相まって実はこいつ相応の美少女なんじゃねーかなーとか思っているし、全身黒ずくめで威圧感振り撒いてるのがもったいねーなーとも思っているのだが、無論そんな台詞は吐けない。こいつがどんな格好しようがこいつの勝手だし。

 などと考えていると、少女は本を読みながらどこか不満げに質問を飛ばしてきた。

「……大体、何故私とお前が友達かなんて聞いてきたんだ」

「んー……、何つーか、俺って友達いるのかなーって思ってさ」

「思春期かお前は」

「実際思春期だろ。中3だし」

 軽やかにぽんぽんと言葉を交わす。

 そして、これまた軽く続ける。

「んで、手始めにお前と俺が友達かどうかが気になった」

「? ……何で」

「ん? そりゃ、俺の知り合いの中でなら、お前が一番友達っぽい奴かなと思ったから」

「……」

 少女はしばらくの沈黙の後、

「……、何で?」

 本から目を離す事無く、端的に質問だけを飛ばしてきた。

「えーと……」

 俺は理由を指折り数える。

「まず、……趣味が同じだから」

「ふむ……」

 少女はやっぱり本を読みながら、返答をした。

「確かに、私もお前も読書が趣味だな。だからこそこんな部活に入っている」

「こんな部活て」

「部長である私だからこそ、この部活のアレさを理解しているのだ」

 少女は淡々とした口調で言った。

 ……まあ確かに、ヒラの部員である俺からしてもこの部活はちょっとアレだ。

 言葉を選ばず言うなら、部活って看板掲げちゃ駄目だろって感じ。

 そんな、部長からも部員からもアレで駄目だと評される、俺達の部活が――『読書部』である。

 活動としては、部員が各々で勝手に好きな本を持って来て好きなように読む――つまり単なる読書が主。たまに各々で好きな本を布教したりもするが、それだって読書の延長線上にある行為でしかない。つまり読書しかしてない。

 おまけに、この部活には俺と奴以外の部員がいない。しかもこの部は奴が一人きりで作ったもので、俺が入部するまでは部員はずっと奴一人だったそうだ。

 つまり読書部は、弱小も弱小、はっきり言って何故部活として認められているのか分からないレベルの部なのである。

 まあ、部費は出てないし、部室も物置同然の手狭な空き教室に過ぎず、部活として厚遇されているわけではないが……それにしたって部室が与えられている時点で奇跡である。

 などと考えている俺を余所に、少女は短く二の矢を放った。

「……、で、他には?」

「うん?」

「いや、私とお前が友達だと思う他の理由」

「あー……ええと」

 何だか素っ気ない割に強めの口調で問われ、俺は答える。

「あとは……あんま社交性が無い所とか、テンションが低めな所とか――」

「……」

「こう言うと失礼なのかもしれんが……まあ、陰キャな所が似てるから」

「……ふむ。そうだな。他には?」

 少女は本を読んでいるままに手早く尋ねた。

 何か、尋問か面接でも受けてるような気分である。

 ……ていうかこいつ、さっきから本を読んでいる感じな割に一向にページをめくってないような気がするんだが……気のせいか?

 などという思考はさておき、俺は言葉を探す。

 そして、若干の照れ臭さを覚えながらも、言った。

「えーと……あとは、まあ、……俺にとってはお前が他の知り合いより関わりがある相手だし……一番気も合うから……かな」

「……ふむ。……そうか」

 少女は硬い声で言い、小さく頷く。

 じっと本を見つめたまま、妙に無表情で。

「……」

 そして、少女はそのまま物言わず本を見つめ続ける。

 ……え、どういう反応なんだ……これ?

 そんな程度の理由じゃ自分とお前は友達じゃない、って事か?

 あるいは……もしかして俺、変な事言ったのか。俺としては失礼な事やおかしな事を言ったつもりは全く無いのだが、生憎と対人経験がそこまで多くないので「絶対に妙な事は言ってない」と言い切れないのが悲しい所だ。

 なので、俺はひとまず尋ねた。

「……えーと……もしかして、何か悪い事言った?」

「……いや、別に」

「いや、だったら何故俺から目を逸らす」

「…………気にするな」

「気にするわ。何か気に障るような事があるならはっきり指摘してくれ」

「いや、本当に何でもない」

 少女は俺と目を合わせないまま、平淡この上ない声で言って機械みたいにひょこひょこと手を振った。いや、絶対何でもあるでしょ、これ……。

 しかし、さらに俺が何かを言うよりも先に、少女はふうっと大きく息を吐き、ゆ通る声でスッと話題を変えた。

「そういえば、今日は『こうせい』の発売日ではないか?」

「ん? ……あ」

 瞬間、俺はハッとする。

 『こうせい』とは、俺の一番の愛読書のタイトルの略称だ。

 その名も、『後輩ばっかの生活』。

 そのタイトル通りヒロインが全員後輩の学園モノのラブコメディで、いかにも後輩属性に萌える連中にしか需要が無さそうな雰囲気がぷんぷんする作品ではあるが、型破りなキャラクター造形、作者の優れた展開構成力などが高く評価され人気を博し、既にメディアミックスも進行中で、今はアニメの2期を深夜枠でやっている。

「確か、初回限定特典があるのだろう? 『こうせい』は最近人気が強すぎてどこの書店でも品薄が続いているというではないか。ましてや初回限定版の新刊ともなればいかにここらがさほど都会でないにせよ売り切れる可能性が……」

「うっわ、マジだ! お前と友達かどうか気になりすぎて完全に忘れてた!」

 頭を抱え、叫ぶ俺。

「……お、おう。……お前、大分恥ずかしい事言ったな今」

「え?」

「いや、何でもない。それより、急いで書店に向かった方がいいだろう」

「そうだな! 思い出させてくれてさんきゅー!」

 礼を言い、俺は早足で部室を出た。

 急がねば急がねば。

 ほんと、思い出させてくれたあいつには感謝だ。



 ★★★★★★



「……全く、あの後輩中毒者め……」

 少年が去ってから、少女は独り毒づくようにちる。

 しかし、その相好は崩れている。

 と言うより、にへらにへらとしている。

 先ほどまでの無表情や、普段の整ってはいるが凄みのある顔からは想像がつかないほどに、にへらにへらとしている。

 おそらくは件の少年には見せた事が無いであろうほどに、もし見られようものなら躊躇無く切腹を選ぶであろうほどに、にへらにへらとしている。

「……一番気が合う、か……」

 夏空の下で放置されたバターみたいにでろんでろんに溶けた笑顔のまま、少女はそう呟いた。

 ……詰まる所、そういう事だった。

 少女は嬉しかったのである。

 友達、と断言されなかったにせよ、友達かどうか気になる、とか、一番友達っぽい、とか、趣味が一緒で性質も近く一番気が合う相手、と少年に評された事が。

 それならはっきりそう言うか態度で示すかすれば良さそうなものだが、少女の性格上どうしてもそれは出来なかった。本人が認めるかどうかはさておき、彼女はあまり素直では無かった。割と引っ込み思案で本音を隠しがちだった。見た目もそうだがやたら攻撃的に繕いたがる所があった。

 だから、少年の言葉に緩みそうになる表情を無理矢理抑え込んで素っ気なく振る舞っていたし、少年と目を合わせたら頬が火照りかねなかったから目を逸らし続けて本を読むフリをしていたし、少年とあれ以上喋ったら流石に表情筋の引き締めに限界が来そうだったので彼の愛読書の話を出して急場を凌いだ。

 で、今に至っていた。

 見る者も咎める者もいない状況で、少女は喜びそのままににへらにへらしていた。



 だから、不意に扉が開かれた時。



「……ういーっす」



 そして、そこにさっきの少年が立っていた時。



「――――ッ!?」



 彼女は慌てふためいた。

 声にならない悲鳴を上げて、手にしたままだった小説を取り落とし、座ったままぴょいんと真上に飛び上がった。

 そして机におもっくそ膝をぶつけた。

「いッ……たあ!?」

 超痛かった。

 阿呆みたいに膝を抱えて椅子から転げ落ちた。

「あ、おい! 大丈夫か!?」

 少年は面食らい、心配そうに少女に駆け寄る。

 彼女は涙目で返事をする。

「っ、だ、大丈夫だ……」

「そうか……? 超痛そうだけど……折れたりとか……」

「違う……たまたま打ち身になってたとこに当たったから痛いだけだ……」

「そ、そうか」

 少年はほっと安堵の息を吐いた。

 そして、何一つのてらいも無く手を差し出す。

「立てる?」

「……う、うん」

 少女はちょっと恥ずかしそうに頷くと、躊躇いがちにその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

「足、変な感じしないか? 歩ける?」

「……しない。まだ多少痛いけど、普通に歩ける」

「そっか。いよいよ良かった」

 喜ばしげに無邪気に笑う少年に、少女の頬が仄かに赤くなる。

 が、刹那ハッとした表情を浮かべると、照れ隠しのように少年の手を離して彼を指差し、飼い主に噛み付く子犬みたいな声音で言った。

「て、てか! お前のせいだぞ!」

「いや、そのりくつはおかしい」

 少年は困惑気味に、されど正論を返した。

 うん、確かにおかしかった。

 だが、自分の理屈がおかしい事など百も承知で開き直る少女に少年の正論など通じるはずもない。

「何でいきなり戻ってくるんだ! びっくりしたじゃないか!」

「あーいや、それはすまん」

 結局謝らされる少年であった。

「てか……『こうせい』はどうしたんだ」

「ああ……部室出てすぐ思い出したんだけど、初回限定版はちゃんと予約してたわ。だからそこまで慌てて書店に駆け込まなくてもいいなって事で戻ってきた」

「な、何だそりゃ……」

 呆れ気味の少女に、少年も苦笑を返す。

「いやー、我ながら自分の記憶力のアレさに驚いたね」

「……まったくもう……」

 呻くようにぼやきつつ、何だよ驚かせんなよもうてか何で自然にスッと手出したんだよしかも全然あっちは恥ずかしがってないし恥ずかしがってたこっちが馬鹿みたいじゃんかってかそもそも何で私は恥ずかしがってたんだよもう、などと不毛な思考に花を咲かせる少女。

 そんな彼女に、少年は何の気なしに言葉を掛ける。

「あー、そういやーさあ」

「何だ」

「さっき俺が入った時の事なんだけどさ」

「……」

 少女は氷のように固まった。

 やばい。見られていたかあの顔を。こいつに一番気が合うって言われて喜んでた時の間抜けな笑い顔を。いやいやでもこいつが入ってきたのとほとんど同時に反射的に跳ね上がって膝ぶつけて転げ落ちたし、あの醜態は見られてないだろたぶん。まあ跳ね上がって膝ぶつけて転げ落ちたら十分醜態だけどそれはそれだ。あの顔を見られるよりはマシ。何せあの顔見られてたら切腹モノだもん。

 でもまあたぶん見られてない。たぶん。

「すっげえニヤニヤ――というか、にへらにへらしてたけど――」

「」

 見られてた。

 思いっきり見られてた。

 どうしよう切腹しなきゃ。あるいは切腹用の刀で目撃者こいつ殺らなきゃ。いやでもやっぱ死にたくないしこいつは殺したくない。そもそも刀なんか持ってないし。

 ああでももうこれは死んだ。切腹するまでもなく精神的な意味で死んだ。なるほどこれが恥ずか死ぬというやつか。理解した。別に理解したくはなかったけど理解した。そして死んだ。ああもう。

 などとまたも不毛な思考の袋小路を駆けずり回っている少女は、

「――そんなにその小説、面白かったのか?」

「…………へ?」

 予想外の質問に、ぽかんと口を開けた。

 そんな彼女に構わず、少年は机上に置かれたままの小説を指し示し、

「いや、普段はあんまり表情の起伏が無いお前があんな顔するくらいだし、相当その小説が面白かったのかなって……違ったか?」

「……」

 ……どうやら。

 切腹したり死んだりするほどの事ではなかったようだ。

 考えてみれば、いくら自分がにへらにへら笑ってるのを少年が見たからと言って、その笑いの源泉である思考まで読み取る事など出来るはずもないのである。当たり前と言えば当たり前な話だが。

 まあ良かった、こいつに一番とか言われて浮かれてた事に気付かれなくって。

 少女は安心し、それからわざとらしいほど挑戦的にニッと唇を吊り上げる。

 それから、件の小説――実際、それは彼女の琴線に触れるものを多く含んだ愛読書の一冊だった――を手に取ると、少年に掲げ見せた。

「あたり。こいつはかなりの名作だ」

「お、布教する気だな」

 少年は興味津々に目を輝かせ、席に着く。

「ああ」

 笑みをそのままに、少女も少年と向かい合わせに座った。





 そして、少女は考える。こいねがう。

 この、知人同士とも友人同士とも恋人同士ともつかない曖昧な関係性のままにふたりで過ごす微睡まどろみめいた時間が、ずっと続けば良いのに、と。

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