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白羽さん(怖)

 俺が千歳と仲直りしたり、鈴鹿と友達になったりした翌日。

 その昼休み。

「……」

 俺は陰鬱な心持ちで学食に向かっていた。

 いや、別に学食に行くのが嫌って訳じゃないのだ。普段は大概弁当食ってるけど学食だって今日みたいに朝「弁当作るの怠いなー」とか思った日には利用するし、学食でぼっち飯状態になっても特に何も感じないし。

 というかぼっち飯を忌避する奴らの気持ちが分からん。ぼっちで飯食ってるのを見られるのが何となく嫌なのかもしれんが、そもそもぼっちには飯食ってるとこを見てくれるような奴すらいないんだから気にするだけ無駄だろ。

 ……どうでもいい方向に話が逸れた。

 閑話休題。

 とにかく、俺の陰鬱さは学食に行って昼飯を食う事を考えて生まれてしまったものではない。まあ実の所学食に関しては混んでると席取りが面倒くせえなとか五月蝿い陽キャが湧いてたら業者に駆除してもらいたいなとか色々マイナスな事も考えてはいるのだが、それが陰鬱な気分に直結してるわけではない。

 俺が陰鬱なのは、今日の放課後の事を考えてるからである。

 より具体的には、放課後生徒会室に行って千歳に勉強を教えにゃならんという事を考えてるからである。

 まあ要は千歳とか姉貴に会いたくないのである。マジで。

 だって絶対何か言われるもん。

 そんな事になったらと思うと非常に憂鬱――というか、ただただ恥ずい。

 いや、 まあ、姉貴の方はまだ良い。いや良くはないけど。でもいくらかマシだ。何せ姉貴には昨日帰宅後にさんざっぱら「会計ちゃんと仲直り出来て良かったねえ」だの「副会長ちゃんとも仲良くなったようだねえ」だの「両手に花だねえ」だのと色々言われ、挙げ句の果てに折悪しく帰宅した両親(普段は夜遅くまで家電量販店で共働きしている)に「火墨、女友達がふたり出来たんだよ」などとチクられ、結果両親からは生暖かい目を向けられ、姉貴からは千歳や鈴鹿と何を話してたのかを心底嬉しそうにあれこれ詮索されるという辱めを受けているので、もはやこれ以上姉貴に何をされようが動じる事はほとんどないだろう。

 ……ていうかマジで酷くないですか、ウチの姉。鬼畜の所業。

 なお下世話極まる姉貴の詮索に対しては「千歳には勉強教えるのすっぽかしたのを普通に謝って、鈴鹿には晴土が話してたライダーの説明をしてただけだ」と嘘8割程度の説明で無理矢理乗り切った。まあ姉貴は納得しなかったようで、特に千歳の件に関しては「ふーん。普通に謝っただけ、か。ふーん」と疑問たっぷりな声で何度も言っていた。もしかして裏で千歳から何か聞いたんじゃないかと思うくらいにはしつこく言っていた。

 まあそんなわけないよな。

 そうであってくれ。



 ★★★★★★



 とまあ、姉貴の事は一旦置いとくとして。

 問題は千歳の方である。

 正直言って会ってもまともにあいつの顔を見て話す自信が無いし、あいつに昨日の事でからかわれでもしたら羞恥のあまりくたばる事請負いである。とは言えど、勉強を教えるという約束をまた反故にするわけにもいかないし……。

 ああもう、マジでやだ。

 天を仰ぎ、さりとて嫌だと思った所でどうにもならんという極めて消極的な理由のもと考えるのを止めた所で、気付けばもう学食に辿り着いていた。そりゃ学食は校舎から数十メートルしか離れてないので、考え事しながらでも適当に足さえ動かしてりゃすぐに到着するのは当然の成り行きである。

 券売機でカレーライスの食券を買い、さっさとカウンターで食券を渡し、カレーライスを受け取り、トレーに載せ、受け取り口からさっさと離れる――そんなごく有り触れた手順を終えた。後は適当に空いてる席を探すだけである。俺はざっとテーブル席を見渡した。幸いな事に、さほど席は混んでないし駆除対象になるほど騒がしい陽キャもいない。

 と、そこまで確認した所で。

「――――カスミさん」

 背後から涼しげな声が聞こえた。

 振り返ると、そこには見覚えのある少女の姿。

 奇麗な金髪碧眼、未踏の雪原めいた白の肌に華奢な体躯。

「……えっと、白羽だっけ」

「はい」

 一応確認すると、少女――もとい白羽渡は俺と同じようにトレーを抱えてこくりと頷いた。ちなみにトレーの上にはカツ丼があった。大盛りだった。意外とがっつり食うんだなとどうでもいい事を考えた。

「がっつり食べるんだな、とか思いました?」

「エスパーかよ」

 俺は思わず素の口調で言った。女子の手前そういう事は気遣って繕ってちゃんと否定するべきだったのかもしれないが、あまりにもさらりと図星を突かれたのでそんな余裕が無かった。

「図星だった、という事ですね」

 くす、と白羽は小さく笑った。表情に変化の少ないタイプだと思っていたので意外だった。あと可愛かった。これが普段笑わない子が笑うと可愛い理論か。まあ俺普段の白羽とか知らんけど。

 ともあれ、一応謝罪をする。

「あ、ああ……すまん」

「いえ、謝るような事ではありませんよ」白羽は手を振り、次いで少し離れたスペースにある、空いているカウンター席を軽い手つきで指し示した。「よろしければ、そこで一緒に食べませんか? 少々お話したい事があるんです」

「え?」

 てっきり毛嫌いされてるというか、鈴鹿に近付く悪い虫扱いされてる節があるものとばかり思っていたので、一緒に食事しようと誘われるのはかなり意外だった。その意外さのあまり咄嗟に言葉が出ない。

 そのせいで生まれた僅かな沈黙に、白羽は不安そうに眉を下げる。

「お嫌ですか?」

「……あ、いやいや、全然嫌じゃない」

 俺は慌てて返答した。

 いくら昨日鈴鹿に手出ししたら首を刎ねるぞと脅迫してきた相手とは言え、白羽は女子である。おまけに美少女である。そして女子、特に美少女に『お嫌ですか?』などと問われようものなら大抵脊髄反射でノーと返してしまうのが高校生男子という生き物である。俺とてそのご多分には漏れない。

「そうですか。ありがとうございます」

 白羽は再び柔らかに微笑むと、俺に先行して静々と歩き、席に着いた。

 後を追い、俺もとりあえず隣の席に座――。

「……、……」

 ろうとした所で、俺はふと違和感を覚えて動きを止めた。

 いやいやちょっと待て。

 流石におかしくないか。

 昨日は悪い虫扱いされるのに加えて軽く殺害予告までされてたのに、この柔和に過ぎる白羽の態度。

 そして白羽の座る席の周囲をよくよく見回すと、何となく見覚えが無くもない真面目そうな女子達が――即ち昨日俺と鈴鹿のために人払いをしてくれた風紀委員達が、席という席を埋めている。

 まるで白羽と俺の周りを固めているかのように。

 というか、かのように……。

 嫌な予感に背筋が粟立ち、俺は急いで踵を返そうとした。



 ……が、気付いたときにはもう遅かったようで。

「――――どこに行こうというのですか?」

 俺が動き出すより遙かに早く、白羽が優しく俺の袖の端をつまんでいた。

 その動作そのものは大変可愛らしい。はっきり言って好印象。

 だがつまむ力がやたら強い。振りほどけない。いやこれ女の子が親指と人差し指だけで出せるパワーじゃねえよ。万力か。

「い、いや、ちょっと野暮用を思い出してな……」

「冗談がお上手ですね」

 俺の言い訳……というか出鱈目に対し、白羽はうふふと微笑んで返した。

 しかし今回は目が笑ってない。怖。

 俺は袖を掴まれたまま、恐る恐る尋ねた。

「えっと……一応確認して良いですか」

「どうしたんです、カスミさん。急に敬語になって」

 ビビってるだけです。

「それに、何故か発汗が見られますよ。汗かきなのですね」

 冷や汗です。

 いや、そんな事より質問だ。

「あの……周り、風紀委員だらけじゃないですか?」

「え?」

 白羽は何の事だかさっぱり分かりませんと言わんばかりに小首を傾げ、わざとらしく周囲を見渡してから、またもうふふと笑って空とぼけてみせる。

「あら、偶然ですね。気付きませんでした」

「あ、あー。偶然。そっかー。あはは」

「うふふ」

 白々しく意味の薄い空笑いを交した。

 それからまた踏み込んで尋ねてみる。

「……俺を逃がさないように風紀委員で囲い込んでない?」

「まさか。風紀委員の方々がいるのはあくまで偶然ですよ」

 柔らかに形ばかりの笑みを浮かべる白羽。

「あ、あー。偶然。やっぱそっかー。あはは」

「うふふ」

 また微笑みを交わし合う。優しい世界。

 なお偽りの優しさの模様。

 このままじゃ埒が明かない上に俺の精神と袖が持たないので、偽りの優しい世界をぶっ壊してでも話を進める事にする。

「……いや、建前は分かったけど。何が狙いだ」

「狙いも何も」白羽は舞台に立つ役者の如く肩を竦めた。「初めから言っているではありませんか。一緒にお食事がてら話そうと思いまして」

「……何について?」

「まあまあ。まず座って、食べましょう」

 警戒する俺に、白羽はただ着席と食事を勧めてくる。

 何だ? 一体何が狙いなんだ?

 まるで分からん。ひょっとして座る椅子が電気椅子にすり替えられてたり注文したカレーに毒物が盛られてたりするんじゃねえかと一瞬警戒したが、いくら白羽でも鈴鹿に手を出していない俺を手に掛けるはずがない。そう信じたい。

 ならば本当にただ平和に談笑したいだけか? だがそれならわざわざ風紀委員を使役して俺の逃亡を牽制したりはしないだろう。

 結局白羽の考えが読めず、しかし今はどう足掻こうと逃走出来る状態に無く、カレーも冷めそうだったしそこそこ腹も減ってきてたので、ええいままよとばかりに彼女の隣の席に座った。

 するとようやく白羽は俺の袖から手を離し、両手を合わせて「いただきます」と呟くように言ってから割り箸を割った。あー、そういや最近飯の前に「いただきます」って言わなくなったな俺、なんてどうでもいい事を考えた。そして、俺も何となく彼女に倣って「いただきます」と小声で言い、スプーンを手に取る。

 しばらくはお互い無言で二口三口、各々の料理を食べ、あるいは手近のお冷やをコップに注いで飲んでいた。

 しかし、数分と立たず白羽が口を開く。

「……さて、そろそろお話をしたいのですが。よろしいですか」

「あ、ああ。……どーぞ」

 妙に凄味のある作り笑いと共に問う白羽に、俺はやや及び腰になりながらも先を促す。

 さあ、鬼が出るか蛇が出るか……。

 なんて思っていたら、白羽の顔から虚飾めいた笑いすらも消えた。

 そして、彼女の唇は切れ過ぎるサーベルが如き苛烈さで言葉を紡ぐ。



「――――あなた、一体全体鈴鹿副会長に何をしやがったんです?」



 ……おっとっとー。

 俺は察した。

 こいつぁあれだな。鬼も蛇もウヨウヨ出てきて百鬼夜行状態だな。

 つまり俺、ピンチ。

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