副会長(真)

 俺は姉貴達の待つ乗り場へと続く階段をのろのろと上がっていた。

 何故エスカレーターやエレベーターを使わないのかと言えば、割と人が多めだったので敬遠しただけであり、何故のろのろ上がってるかと言えば、さっきの階段上りで足が疲れていたと言うのもあるし、何より先ほどのこっぱずかしい所業のせいで赤くなってるであろう頬の熱を冷ますために少し時間が欲しかったのだ。

 にしても、何で俺はあんな恥ずかしい真似をしてしまったのか……。

 あーもう、これはあれだ、今日寝る前に思い出して布団の中で悶え苦しみ、明日起きてからも数時間スパンで思い出して悶え苦しみ、数年経ってからも数週間スパンでふっと思い出して悶え苦しむやつだ。あーもう。

 などとうだつの上がらない事を考えていたら、いつの間にか階段を上り切っていた。

 と、

「あー、火墨。こっちこっち」

 聞き覚えのある声――というか、明らかに姉貴のものであるゆるゆるとした声が飛んで来た。

 見れば、電車待ちの列から少し離れた自販機横に、姉貴と鈴鹿姉弟が立って手を振っている。

「悪い、待たせた」

 言いつつ、3人のもとへ。

「大丈夫っす。電車も来てないですし」

 晴土が軽い声で返し、鈴鹿も頷いた。

 が、姉貴は妙にニヤニヤとした顔で、

「で、野暮用はちゃんと片付いたね?」

「……まあな」

「そっか。よく頑張りましたねえ」

 俺の返事に、なおも微笑ましいものをからかうような調子でニヤニヤする姉貴。

 えー、何この人……ひょっとしてさっきの俺と千歳の会話聞いてたの? この乗り場と千歳の乗り場は大きく離れていて、向かい合わせですらないから、物理的に考えれば俺達の会話を聞く事はおろか姿を見る事さえも出来なかったはずなんだが、こんなやたらとニヤニヤされると不安になってくるぞ……。

 なので、一応小声で尋ねる。

「……何でそんなニヤニヤしてんの?」

 姉貴も小声で、遊ぶように返した。

「んー? いやあ、拗らせヘタレ野郎の弟がちゃんと女の子と仲直り出来たんだと思うとお姉ちゃんは嬉しくてですね」

「なっ……」

 マジでバレてる!?

「何故分かった……?」

「ふっ。お姉ちゃんには見るだけで弟の全てが閲覧出来わかる能力があるのです」

「マジで!?」

 何それ超怖い。CJXもビックリだよ。

「いやまあ嘘だけど」

「あっはい」

 ですよねー。流石にねー。良かったー。

「でも、全ては無理でも大体は分かるけど」

「マジか!?」

 良くなかったわ。大体見抜かれてたわ。

「ま、火墨は分かりやすいからねー。ファミレスでも会計ちゃんにどう対応しようかオロオロしてたし、さっき『ちょっと野暮用』とか言ってた時も『ケジメつけるぞ!』みたいなオーラ出まくってたし」

「マジかー……」

 本当に大体見抜かれてる……。

 すげえ恥ずかしい。

 俺が羞恥にぐぬぬと顔を歪めていると、姉貴はまた笑った。

 しかし、今度は皮肉もからかいも無く、純粋に嬉しそうに。

「で、ちゃんとケジメつけて……会計ちゃんと仲直り出来たって事も分かったよ。良かったね」

 そういう対応をされると、それはそれで恥ずかしい。

「……さいですね」

 俺は極力雑に返した。

 が、そんな照れ隠しのぶっきらぼうなど、姉貴にはお見通しのようで。

「やっぱり分かりやすいねぇ」

 またニヤニヤッと笑われた。ぐぬぬ……。

「……あのー、何の話されてるんです?」

 流石に長々と小声で話す俺達が気になったのか、晴土が質問する。

「大した話じゃないよー」

 姉貴は軽い口調でそう言うと、ひょいと軽く肩を竦め、

「それより、もうちょっとしたら電車が来るね。そろそろ並ぼっか」

「あぁ、そうですね」

 電車の来発着を示す電光掲示板を一瞥し、同意する晴土。

 その横で、いよいよほんとにどーしよー、という顔で俺の方を見る鈴鹿。

 俺もどーしよー、という顔で返した。

 このままだとフツーに次の電車で4人一緒に帰る事になるので、俺以外に本性の話をしたくないと鈴鹿が考えている以上、今日中に鈴鹿の話の件を済ませる事は出来なくなる。かといってこの状況から自然にふたりきりになるのも難しい。困った。

 しかし、俺や鈴鹿がどんなに困っていようとも時間は待ってくれない。

 まもなく列車が到着するというアナウンスが響き、姉貴と晴土が電車待ちの列の最後尾へと向かっていく。

 あー、これはちょっとどうしようもないか……と諦めかけたその時、

「あ、あのー……」

 鈴鹿が姉貴達に呼びかけた。

「ん? どしたの副会長ちゃん」

 姉貴も晴土も不思議そうに鈴鹿を見る。

 俺も不思議だった。

 何言うつもりなんだろ、この子。

「その……ぼ、僕……」

「?」

 三者同様の疑問の視線を向けられ、鈴鹿は少々居心地悪そうに身を捩ったが、やがて意を決したように口を開き、はっきりした声で言った。

「僕、火墨君とふたりきりで大切な話がしたいので、お二人には先に帰っていただけないでしょうか!」

 …………。

 いや、何言ってんのこの子!?

「ええ!? ちょ、姉ちゃん……大切な話って、どういう……」

 驚く晴土に、鈴鹿はちょっと恥ずかしそうに頬を薄く染め、

「ごめん、詳しくは言えない……火墨君だけに伝えたい、大切な話だから」

 だから何言ってんのこの子!?

 いやそりゃ嘘は言ってないし、正直に理由を告げて話が出来る環境を作るというそのやり方が悪いとは言わないが……言い方考えろ言い方! 妙な誤解を招くだろ!

 俺が呆気にとられて酸欠の金魚よろしく口をパクパクさせていると、姉貴が先ほど以上にニヤニヤした表情で活き活きと絡んでくる。

「いやー面白くなってきたねえ。副会長ちゃん籠絡するとは。火墨も隅に置けないなあ。スミだけに」

「やかましい! あと誤解だ誤解!」

 でもちょっと上手いとか思ってしまった自分にムカつく……!

 ……ていうか、『まで』って何?

 などと考えている俺の事など完全放置で、晴土は晴土で、クソ真面目な顔で神妙に一礼した。

「火墨先輩……いや、火墨お義兄にいさん。姉を頼みます」

「気が早い! お義兄さんと呼ぶな! 頼むな! そもそも誤解だ!」

 あーもう、何か頭痛がしてきたわ。

「それじゃ、あとは若いふたりに任せて、私達は一足先に帰ろっか」

「そうですね、会長。いや……お義姉ねえさんになるんですかね?」

「さあ。ふたり次第だねえ。いや火墨の返事次第かな?」

 あー……もうツッコまない。疲れるから。

 そうこうしているうちに電車が到着し、姉貴と晴土は盛大な誤解を抱えたままにさっさと乗り込んで、ガタンゴトンと揺られながら去って行った。

 俺は深く深く深呼吸して、乱れた気持ちを元に戻す。

 そして、事態を大分ややこしくした元凶をじろりと見やる。

「? 何? 火墨」

 しかし、元凶こと鈴鹿風花さんは、悪びれもせず、そもそも何で不満げな視線を送られてるのか分からないといった顔ではてなと首を傾げた。いやいやいや……。

「いや何でそんな平然としてんのお前……」

「火墨こそ何でそんな物言いたげなのさ?」

「いや、お前なあ……」

 あー、分かったね。

 鈴鹿姉弟は揃ってズレてるって事がね。

 仕方がないので、俺はアホみたいに分かりきった事を恥を忍んで指摘した。

「あのな……その、多分、姉貴と晴土はお前が俺に……その……恋愛的な告白をしようとしてるって勘違いしてたぞ……」

「え? ……、あー……」

 鈴鹿は得心行った様子でふんふんと頷く。

「何か会長達の様子が変だなとは思ってたけど……そういう事だったのか。言われてみれば確かに、さっきの僕の言い方だとそんな風に思われてもおかしくなかったね」

 うんうんなるほどねー、とひとしきり納得する鈴鹿。

 そして、我に返って冷や汗を垂らす。

「……ど、どーしよー……」

「……お前、実はアホだろ」

 思わず素で零れた俺の呆れた声に、自分の失態を突き付けられて今更赤い顔でプルプルと震える鈴鹿。

「か、返す言葉もない……けど、僕はただ火墨に今日中に話をしようって事で頭がいっぱいで……他意はなかったんだ……」

「うん、それは分かってる。俺はな。……姉貴や晴土は全然分かってないだろうけど」

「あうあ~~~……」

 珍妙な声を上げて頭を抱える鈴鹿。

「ほんとにどーしよー……今日帰ってから晴土に何て説明しよう……明日会長に何て言おう……」

「まあ……告白とかそういうのじゃなくて、あくまで相談したい事があったとか言っとけばいいんじゃねえか?」

「そ、そっか……そうだね、そうしよー」

 鈴鹿は俺の雑な提案にぴょいと飛びつき、はー良かった良かったとけろっとした顔で胸を撫で下ろした。

 何と言うか、アホの子感に溢れていた。

 まあそれはさておき、姉貴達は先に帰ったし、ついさっきまで電車を待っていた人達はそのほとんどが先ほどの電車に吸い込まれていったので、結果的にふたりだけで話をする状況自体は整っている。

 俺は無造作に声を掛けた。

「……じゃ、とりあえず座るか」

「あー、うん」

 手近の、特に人気ひとけの無い位置のベンチを選び、隣り合って座る。

 ……しかし、何と言うか……ふたりきりの状況下で、しかもすぐ隣に女子がいるというのは、お互いがお互いをどうこう思ってなくとも若干照れ臭い。もちろんつい一時間ちょっと前も図書室でふたりきりだったわけだが、あの時は別に隣同士で座ってなかったし、お互いが予想外の事態に伴う妙なテンションになってたのであまり照れはなかったのだ。

 だが今は違う。お互い冷静で、平常で、それ故に気恥ずかしい。

 そしてどうやら鈴鹿もそれは同じらしく、しかも俺の照れにも気付いた様子で、決まり悪そうに微苦笑を浮かべた。

「な、なんか……微妙に恥ずかしいね……」

「そうだな……」

 俺は短く返す。本当はもっと気の利いた返しをするべき場面なのかもしれないが、生憎俺は口が巧くない。

 それに、この会話はあくまで本題に入る上でのクッション、ウォームアップ、踏み台、まあ言葉は何だって良いが、お互いにとって大した意味の無い前置きに過ぎない。

 だから俺はそれ以上何も言わないで、次の鈴鹿の言葉を待った。

「…………」

「…………」

 躊躇うような沈黙が走る。

 されど、その無音の間合いもしばしの事。

 鈴鹿はおもむろに口を開いた。

「ええと……1年の頃、僕が大した努力もせずに、調子こいて周りの人を見下してたってとこまで話したよね?」

「いやその通りだけども……もうちょいオブラートに包んでもいいんだぞ?」

 調子こいて、て。

「でも、実際そうだったんだもん」

 鈴鹿は冗談でもてらいでもなく、ただ苦い事実を事実のままに口にするような声で言った。

 それから、ふっと口元を綻ばせる。

「……会長と会うまでは、ね」

「姉貴と?」

「うん」

 過去を懐かしむように笑って、頷く鈴鹿。

「去年の6月、ちょうど生徒会総会が終わってすぐくらいに、会長から生徒会に入らないかって誘われてさ」

「ほーん……」

 結構早いな。

「で、いきなり副会長にならないかって?」

「いやいや、流石にそれは無いよ」鈴鹿は苦笑して首を横に振る。「いくらなんでも1年だったし。それに、その時副会長は既にいたからね。会計にならないかって誘われたの」

「ふーん。会計ねえ……」

 一瞬千歳の事が頭をよぎったが、恥ずかしさがぶり返しそうだったのですぐに考えるのを止めた。

 代わりに質問をする。

「んで、すぐ会計になる事にしたのか?」

「ううん、即決はしなかったよ。もちろん生徒会に誘われた事自体は悪くない気持ちだったけど、何でいきなり、って感じだったし」

「そりゃそうか……」

「しかもその時、部活やってたから。生徒会と両立するのは面倒だなーと」

「へえ……何部?」

 何の気なしに尋ねた。

 鈴鹿もさらりと答える。

「ソフテニ」

「……あー。ああー……」

「いや何さその引き気味な感じ……」

 ジト目になる鈴鹿。

 正直に答える俺。

「いや……偏見だけど、ソフトテニス部ってこう……陽キャの溜まり場というか……本気で部活してるわけでもなく、彼氏彼女を作る事しか頭にないウェイ系どもの掃き溜めというか……ああいや、偏見だけどね?」

「本当に偏見だ! 6割くらいの部員は本気で部活してたよ!」

「4割はただのウェイ系だったんだな……」

「う……そ、そんな事はどーでもいいの!」

 あ、誤魔化した。

「とにかく、すぐに生徒会に入る、とは決められなかったわけさ。それで、何で僕を生徒会に勧誘するのか聞いてみたんだ」

「ふうん。姉貴は何て?」

「それがさ……」

 鈴鹿は苦笑した。

「『いやー、普通の真面目系キャラがひとりは生徒会に欲しかったんだよねー。君にはより生徒会を面白くする起爆剤になって欲しいんだー』」

 姉貴の間延びした声を真似た鈴鹿。

 結構真似上手いな。間延びしてるのに、聞く者に可愛らしさやあざとさより怠さや眠気を感じさせる声……ちゃんと姉貴の特徴を掴めてる。

 が、まあそれはさておき。

「うっわ、めっちゃ姉貴言いそう……全然論理的でもなければまともでもない感じが超姉貴らしい」

「だよね……うん、僕も思ったよ。何言ってんのこの人絶対まともじゃない、って。あとはまあ……『へっ、真面目なのは外面繕ってるだけなのに騙されてやーんの』とも思ってたかな」

 馬鹿正直にあけすけな事を言う鈴鹿に、俺は思わず吹き出した。

「嫌な奴だなあ……」

「ほんとにね」

 鈴鹿は苦笑いする。

「でも、その嫌な奴は結局、会長があまりにもまともじゃなかったから、一周回ってちょっと面白そうだなって気まぐれを起こして、生徒会に入っちゃうんだよね」

「あー、なるほど……姉貴のトンデモぶりにあてられたわけか……」

 確かに、姉貴は普段は気怠げで適当に見えるし、実際気怠げで適当な事がほとんどだというのに、逆にそれ故に相対した者を圧倒し呑み込み自分のペースに嵌めてしまうような底知れなさがある。

 そして、それは猫をかぶっていた嫌な奴さんにさえも通じたのだろう。

 その嫌な奴――だった亜麻色髪の少女は、ふっと小休止を置くような吐息を漏らして目を瞑ると、淡々とした調子で嫌な奴のその後を語った。

「……で、それからしばらくは会計として仕事して……会長のそばで働くようになって……気付いたんだよ。自分がいかに今まで自分を過大評価していたか、自分がどれだけ嫌な奴だったかって事にさ」

 俺は黙り、鈴鹿の言葉の続きを待つ。

 これは彼女の、おそらく最も深い部分で燻る苦い物語だ。

 ならばここから部外者おれに出来る事は、ただ聞く事だけ。

「会長は……水乃先輩は、どこまでも、どこまでも……僕が及びも付かないくらいに、突き抜けてた。成績も、運動も、実務能力も、そして何より、自然体で無茶苦茶で、自分の信じる面白さをどこまでも追い求める、裏表も底も無い直向ひたむきさも……」

「……、……」

「それを目の当たりにしたらさ……何か、何の信念も努力も無いのに、他人と比較して満足して、裏表を使い分けて、それで周りを見下してた自分がすごくちっぽけで、馬鹿みたいで……どうしようもなく嫌な奴だって、……そんな風に思えたんだ」

 かつて自分であった嫌な奴の事を、あるいは今なお自分の一部として引き摺り続けているのかもしれない過去の事を、直視したくない本当の事を、いだいて開いてつまびらかにして――そしてその上で、今の自分を笑って測って分かってもらおうとするかのように、苦く痛く開いた口で、されど薄く小さく清々しい笑みを称えて。

 俺の隣に座る少女は、瞼を閉じたまま声を並べる。

「……だからせめて、僕は本気を出す事にした」

「……本気」

 ありふれた単語。

 されど、彼女の力ある声音に引き込まれ、それをぽつりと呟く。

「そう、本気」

 少女は繰り返す。

 そして、ゆっくりと、切々と。

 言葉を重ねる。



「僕には水乃先輩が持ってるような、自分の信じる何かを追い求めるような直向きさなんて無かった。今も無い。だって、追い求めたいほどに信じてる何かなんて、特に無いから」



「僕には水乃先輩が持ってるような、自分の信じる何かを追い求めるような直向きさなんて無かった。今も無い。だから、未だに裏表が捨てられない。ずっと真面目で丁寧な優等生を繕ってきて、それを投げ捨てるに足るだけの信念も勇気も無いから」



「それでも、いや、だからこそ僕は、水乃先輩を本気で超えようと決めた」



「自分がちっぽけで空虚な嫌な奴だった事に気付いたのなら、そんな奴のままではいたくなかった。水乃先輩みたいになりたいと思った。いや――なりたい、じゃ駄目だ、水乃先輩みたいになるんだ――いやいや、水乃先輩すら超えるんだ――、そんな風に誇大妄想みたいな目標を掲げて、無理矢理自分を変えていこうと思った」



「何も無い自分を止めにして――、学力も運動能力も実務能力も、追い求めたいほどに信じられるものも、その全部を持っている先輩に、せめて何かで一矢報いたいと――先輩に並べる何かを、先輩をも超える何かを、僕にしか無い何かを、本気で手にしたいと、手にしようと、そう思った」



「で、今はそれを手に入れるために、足掻いてる途中」



「……ま、結局はそれも、ちっぽけで馬鹿馬鹿しい事なのかもしれない」



 だけど、と。

 鈴鹿は瞳を開き、飄々めいて肩を竦め。

 そして堂々と勝ち気に笑う。



「少なくとも、いつか今の僕を振り返ったとしても――あの時の自分が嫌な奴で、あの時の自分には何も無くて、あの時の自分は間違っていた――なんて思わないで済むような生き方を、今は出来ていると思う」



「そう、か……」

 ただ頷く俺に、頷きで返す鈴鹿。

 そして、おどけのように頭を掻いて、軽い口調で付け加えた。

「と言っても、今のところ、半端な気持ちでやってた部活を辞めて、比較的得意な勉強と生徒会の仕事を頑張ってるってくらいで、まだまだ会長を超えるには程遠いんだけどね。前の生徒会選挙でも普通に負けちゃったしさ」

「……、……」

「……はい、僕の自分語りはこれで終わり。ご清聴感謝します」

 跳ねるように立ち上がり、ぴょこんと道化師めいた所作で一礼する鈴鹿に対し、俺は呆然気味にああとかうんとか、まるで無意味な声しか出せなかった。

「あれ、意外とリアクション薄いね」

 俺の内心など露知らず、鈴鹿は俺へのからかいとも不満とも疑問ともつかない声音で言い、俺の方をちらと見た。

 それから、防衛線を張るように、気恥ずかしげにあははと笑う。

「まあ、結構重いっていうか、反応に困る話ではあったよねー。ごめんね」

「……いや、反応に困ると言うより……」

 俺はそこまで口にして、その先を言おうか言うまいか大分迷った。

 これは俺が、ただ鈴鹿の話を聞いていただけの者が、鈴鹿ではない者が、軽々しく口にして良い事じゃないのかもしれない、と。

 だけど、

 俺だからこそ、ただ鈴鹿の話を聞いていただけの者だからこそ、鈴鹿ではない者だからこそ、重く素直に誠実になら、口にして良い事があるんじゃないかと、そんな手前勝手な理屈を心の隅に飾って。

 俺は結局、言った。

「……もうお前、姉貴が持ってないものなら持ってるじゃん」

「へ?」

 鈴鹿が間抜けにぽかんと口を開ける。

 俺は列挙で応える。

「自分を変えようとする意思。自分から変わろうとする努力。自分を変えるための本気。自分を変えて超えたい先輩」

「それは……」

 目を見開き、しかしすぐに首を横に振って俯く鈴鹿。

「……でも、僕は未だに変われてない。それに、会長は変わらなくても良いから変わろうとしていなくて、超えたいような存在もないってだけの話だよ」

「……少なくとも鈴鹿は、嫌な奴だった事に思い至って、嫌な奴ではなくなったんだろ。その過程と結果は姉貴には絶対に無いものだ」

 言い募る。

 だが、あっさりと逆接を置かれる。

「だけど……そもそも会長は嫌な奴じゃなかった。僕は嫌な奴だった。会長が最初から立っていた位置に、僕が後から立っただけ……」

「……、…………」

 ……あー。

 もう。

 ほんと。

 じれったさが沸点を超えた。

「あー、もう!」

 バッと立ち上がり、叫ぶ俺。

「ひゃあわっ!?」

 飛び上がらんばかりに驚く鈴鹿。

「な、何だよいきなり!」

「お前はもう、何でそんなに自己評価が低いんだ!」

 そこからは、本当にガラにも無く。

 言葉を湯水か何かみたいに、思うさま盛大にぶちまけていた。

「いいか、変わろうと思う事も変わろうと努力する事も変わった後に超えたいものがある事も、そして実際ちょっと変わる事が出来たって事も、全然普通の事じゃないんだぞ! お前は凄い! 凄すぎる!」

「え、あ……」

 鈴鹿は戸惑いと羞恥と驚きとをごちゃ混ぜにしたような声と顔とを俺に向ける。

 だが、俺の言葉は止まらない。

 だって、かつての自分を超えてちゃんと変わろうとしている鈴鹿が、にはあまりにも眩しすぎて。

 そんな凄い鈴鹿やつに自信を持たない鈴鹿の事を許容出来なかったから。

 ただそれだけのエゴで、俺の口は阿呆みたいに動き続ける。

「姉貴とか、昔のお前が嫌な奴だったとか、そんなもん今はどうだっていい! 鈴鹿は凄い! 少なくとも俺はそう思う! だから――――」

 切れかけた息を継ぐ。

 最後まで、言い切る。

「だから……、俺はお前に、自分を卑下してほしくない」

 そして、そこまで言い切ってから、一瞬遅れて猛烈な後悔が背筋に襲い来た。

 何言ってるんだ、俺。

 今のは結局、俺自身の話でしかなった。

 普段の俺なら、平静な俺であったなら、絶対に取らない行動だった。

 自らの不誠実さに、誠実を気取った乱暴極まりない自己願望の押し付けに、今更のようにぞわりと怖気おぞけが走る。

「……あー、悪い。訳分からん事言って」

 そんな事を呟くように吐くが、おそらくは手遅れ。一度口から滑り落ちてしまった言葉は、それを言ったという事実は、後から何をどうしようが消す事は出来ない。

「……」

「……」

 それからしばらくは、互いに言葉を発する事はなかった。

 失策を自覚した俺にとっては随分と長く重く感じられる静寂が満ちる。

「…………く、」

 しかし。

「くくっ……、あははははっ!」

 唐突に笑いだした鈴鹿によって、あっさりと沈黙は破られた。

 ……いやいやいや。

「……いや、何で笑ってんの?」

「いや、何かちょっと意外で……火墨がそんな熱く語ってくるとは……ふふっ……何か常にクールぶってる感じなのに、いきなり『お前は凄い!』とか言い出して……くくっ」

「ちょ、掘り返すな掘り返すな。あと微妙に馬鹿にしてない?」

「してないしてない。……ふふっ」

 鈴鹿は頬を火照らせ、小刻みに震えながら笑って答えた。全く説得力が無い。

「いや、笑ってんじゃん……」

「あはは……いや、これは火墨を馬鹿にしてるんじゃないよ。本当に。……まあ、火墨の変わりようがちょっと面白かったのは事実だけどさ。ふふ……」

「ぐ……」

 やっぱりちょっと馬鹿にされてる気がするが、自分でもさっきの自分は普段と大分違っていた事は分かってるので何も言えない。

 しかし、こうもはっきり笑われると普通に恥ずかしい。一応先ほどまでの『不誠実な事をしてしまった』感は消えたものの、普通にやっちまった感がすごい。

 ああもう、千歳の件に続いてまたひとつが黒歴史が……と自らの愚行を無駄とは知りつつも心の中でめっちゃ嘆いていると、鈴鹿はさっきのからかい混じりの笑みとは違う、ふんわりと包むようなはにかみを俺に向けた。

「でも……全部聞いてもらえて、その上で凄いって言ってもらえて……うん、嬉しかったよ。ありがとう」

 そして、えへへと照れ気味に笑う鈴鹿。

 ……やばい。

 可愛い。

 直視するのが憚られるほどに。

 それでいて目を離せないくらいに。

「べ、別に……礼を言われるような事はしてねえよ……」

 動揺しながら言う俺を、鈴鹿はにへらと笑って指差す。

「やーい、照れてる」

「なっ……お、お前こそ照れてるだろ!」

「そりゃ照れるよ。面と向かってあんなに熱く褒められた事はなかったからね」

 赤い顔のまま開き直る鈴鹿。

 そういう対応をされると、もう開き直りきれない俺の敗けである。くそ。

 俺は電光掲示板を見やり、話を変える事にした。

「そ、そろそろ次の電車が来るぞ」

「あはは、話逸らしてるー」

 普通に指摘された。

 うん。まあ、そりゃ今の話題転換は分かりやすかったよね。知ってた。

 それでも実際次の電車が来る時刻は近づいている。徐々に人も増え、電車待ちの列が出来はじめていた。

 それは鈴鹿も分かっているようで、そろそろ並んだ方がいいかもね、と俺に先んじて列の方へと足を向けた。

「――――、あっ」

 しかし、何かを思い出したような声を上げて、ぴたりと立ち止まる。

「ん、どした? 忘れ物にでも気付いたのか?」

 俺は軽く尋ねる。

 鈴鹿は頷く。

「うん。忘れ物じゃないけど、気付いた事はある」

「あん? 何?」

「きっと僕にしか無い、って言えるものの事」

 そして、鈴鹿はまた、俺を指差して。

 また、照れたような笑みを浮かべる。





「――――全部聞いて、全部知って、


 自分の事を正面から認めてくれる、友達」

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