弟と後輩と後悔の残滓
「弟……か」
「うん。生徒会書記、鈴鹿晴土。正真正銘僕の弟だよ。1つ下の」
少し離れた窓越しに見える、姉貴や千歳と向かい合ってファミレスの席に座る茶がかった黒髪の美青年を手のひらで示し、説明する鈴鹿。
しかし、生徒会書記で鈴鹿――
「書記君、ってたまに姉貴が言ってたのは彼の事ってわけだ」
「そう。会ったりしなかった? それか、会長やからすちゃんの話に出てきたりとか」
「会った事もないし、名前が話に出た事もなかったな。俺が生徒会室に行く頻度はそこまで高いわけじゃないし、姉貴や千歳は生徒会関係の話を日常的にするってわけでもないから当然っちゃ当然だけど」
そのおかげで、つい昨日まで鈴鹿の存在を知らなかったくらいだし。
「あ、そっか……火墨は生徒会員じゃないもんね。……そういえば会長、弟が生徒会入会の誘いを断り続けてる、ってよく愚痴ってるなあ。何で入んないの?」
あ、名前呼びで行く方向なんだ……。まあ名字だと姉貴とごっちゃになるから当たり前か。
女子慣れしてない男子感満載の動揺を押し殺しつつ、俺は返答する。
「んー、俺はひとりでいるのが好きだから。基本的にコミュニティに属したくないんだよ。部活も帰宅部だし。あとは……面倒臭がりな俺には生徒会なんてガラじゃない……みたいな?」
「何それ」
鈴鹿は苦笑する。
「適当……っていうか、変」
「そうだな」
そう。
本当に適当で、変だ。
薄っぺらで、不誠実な、偽り塗れな答だ。
そう自分を糾弾する内心の声を吹き消すように、俺は深く息を吐いた。
と同時、ポケットのスマホが震える。
見ればメッセージアプリの通知が来ている。発信者は姉貴で、開くと『早く入ってきなよー』というメッセージと、手招きしている猫のスタンプが表示された。
鈴鹿にそれを見せると、
「あー……まあ、そうなるかー……」
ちょっと困った、という表情。
「話の続きが出来ないなあ……」
「……一応確認するが、生徒会メンバーにも知られたくないのか? お前のその……本性的な部分の事とか、俺にしようとしてる話の事とかは」
「……うん」
俺の質問に、鈴鹿は躊躇いがちに頷いた。
「弟さんにも、か?」
「うん。だって、その……」鈴鹿は困ったようにほにゃっと唇を歪める。「ある程度仲の良い人とか、家族相手だからこそ、なるべく裏は知られたくない……っていうか」
「ああ……、そうか。そうだよな」
俺は鈴鹿の言を理解した。
理解せざるを得なかった。
どこかの誰かだって、そうなのだから。
「そういう事なら仕方ないな。例の話の続きはまたいつか……って事にするか?」
「う……うーん……」
鈴鹿はちょっと迷い、しかし今度は首を横に振った。
「いや、またいつかって事にしたら結局有耶無耶になっちゃう気がするし……ひとまずファミレスに入って、一段落して帰る時にでも話すよ。絶対」
「分かった」
俺は頷き、ファミレスの出入り口に向け歩き出した。
と、
「――――ねえ」
鈴鹿の声が掛かる。
「ん? なに?」
「いや、今更こんな事聞くのもおかしいかもしれないけど……」
立ち止まり後ろを向いた俺に、些かの不安と疑問、そして何より切実な色を籠めた声で、鈴鹿は問いかけた。
「火墨は何で、僕の話を聞いてくれるの?」
「……いや」
俺は首を傾げる。
「それを今更聞くか……?」
「いやまあ、尤もなセリフだけどさ」
鈴鹿は決まり悪そうに頭を掻いた。
「その……自分から話を聞いてほしいって言っといて、しかもそれをOKしてもらっといて何だけど……僕って結構重い話を割と勝手に聞いてもらおうとしてるわけじゃない。しかも君、面倒臭がりだって言ったし。なのにどうしてこうもあっさり話を聞こうとしてくれるのかなって」
ああ、なるほど。
言われてみれば、俺は釈然としない行動をしているのかもしれない。
ならば、答えよう。
「まず……何で鈴鹿が姉貴を超えたいと思っているのか、何で鈴鹿は自分が姉貴より劣っていると思うのか、俺が純粋に気になったからだな。あとは……」
「……あとは?」
「ええと……これは前にも言ったが……『どうせ裏を知られてるなら全部知ってほしいんだ。こんな話出来るの、裏を知ってる君にだけだし。……ダメ?』とか女子に聞かれたら男子はダメとは言えんだろ」
「なっ……!」
ぼっと顔を朱に染める鈴鹿。
「な、何で一言一句覚えてるんだよ……」
「そりゃ、あんな印象深いセリフ、忘れるわけねえだろ」
「ああもう……アレは割と場の雰囲気というかノリというか、半分くらいヤケになって言っただけなのに……はあ……超恥ずかしい……死にたい……」
鈴鹿は赤くなった頬を押さえ、ずーんとした表情を浮かべ消え入りそうな声でぶつぶつ言い始めた。まあ鈴鹿に限らず、ハイテンション時に自分が言った事を冷静になった後で考えると大体の場合死にたくなるものだ。
でも。
「――――でも、話を聞いてほしいってのは本心だったんだろ?」
「……、うん」
なおも恥ずかしそうにしながらも、確かに頷いた鈴鹿に、
「だったら、聞くよ。だって、話を聞いてほしいって言ってくれた奴の話はちゃんと聞いて向き合わなきゃ、いつか絶対に『聞けば良かった』って後悔するから」
俺は出来る限り誠実に答えていた。
話を聞いてほしいと言う奴には、せめてこのくらいの事だけは誠実に、うすっぺらさも偽りも投げ捨てて、答えようと思った。
2年前は、それすら出来なかったから。
「……そう、なんだ」
鈴鹿はどこか意外そうに目を瞬く。
「ああ。……まあ、一般論みたいなもんだと思ってくれ」
余計だとは分かっていながら、俺は付け足しておいた。
だって、これは俺自身の話でしかない。つい先の返答から不誠実を削ぎ落としたのも詰まるところ俺の手前勝手の結果でしかない。ならばそれを押しつけたり意識させたり、あるいはそれに気付いてほしいと願う事はそれこそ不誠実だ。
「ふうん……」
試すように、探るように、あるいは単に納得したように、鈴鹿は首を縦に振ると、苦笑気味に吐息のような声を溢した。
「……やっぱ、火墨って変だね」
「そうだな」
「でも――――」
そして、鈴鹿は小さくはにかんだ。
「ありがと。――ちゃんと聞いてくれるなら、ちゃんと話します」
柔らかで、丁寧で、それでいて猫をかぶっていた時とは性質の異なる優しい声音で紡がれた、鈴鹿の言葉。
「……おう」
何故だか、妙な高揚感と気恥ずかしさがじわじわと染み出してくる。
――――が、一瞬後にはそれを掻き消すように、脳内で冷たく重い言葉が並ぶ。
何を勘違いしているんだ。
それで、少しはあの日の罪滅ぼしが出来ているつもりか?
鈴鹿はあくまで、鈴鹿だ。
あの子じゃない――。
「……っ!」
――重々分かってる、そんな事は。
俺は独りで苦虫を噛み潰すと、ファミレスの入り口へと歩を進める。
「やー、ふたりとも。奇遇奇遇」
入店し、3人のいる席に来た俺と鈴鹿に、姉貴は相も変わらぬだるーんとした声でひょいひょいと手を振った。
その隣には、千歳。
より正確には、仏頂面の千歳。
「……副会長と帰ってたんですね、せんぱい」
あ、あれれー?
なんかすっごい非難されてる気が……。
「あ、ああ……」
「ふーん。そうですか」
「……怒ってる?」
「怒ってませんよ?」
恐る恐る俺が問うと、やけにまっさらとした印象を与える――何というか、笑ってはいるはずなのにどこか険のあるような――笑顔が返ってきた。阿吽の呼吸でズレるビートを感じる。間違いなくちょっと怒ってるよこの人。でもその原因を察せられるほど俺は聡くない。
なので直接聞いた。
「いやその……何か気に障るような事があるならはっきり指摘してくれ」
「いえ…………、別に」
鈴鹿はぷいと顔を背けた。これはあれか、時折突如として女性が運営するとネット上で噂される『何で怒ってるかノーヒントで当ててみろゲーム』か。なら俺には攻略は無理だ。無理だからこそ直接尋ねたのに。
「……」
「……」
結果、なんとなく漂い始める気まずいムード。
それを打ち消すように姉貴が軽く手の平を叩く。
「まーまー、とりあえずふたりとも座りなよ……っと、ああ、火墨と書記君は初対面だっけ」
「ああ、うん……」
「そうですね」
頷く俺と、書記君――もとい晴土。
「じゃ、火墨は書記君の隣座って自己紹介してー。んで副会長ちゃんはこっち側」
「はい、会長」
猫かぶりモードを発動した鈴鹿は、行儀良く千歳の隣に座る。
行きがかり上、俺も晴土の隣に腰掛けた。
しかしこの晴土とやら、遠目からでも分かってはいたが、近くで見るとより一層腹立つくらいイケメンだな。茶がかかった黒髪に切れ長の目。大概の女子が好みそうな見てくれをしてやがる。姉の風花も間違いなく美少女の部類に入るし……美人姉弟ってやつか。
まあいいや、とりあえず軽く自己紹介しとこ。
「志賀火墨、2年。よろしく。姉貴がいつも世話になってます」
「いえいえ。むしろ、オレの方が色々助けてもらってます」
晴土は爽やかに謙遜し、微笑んだ。
「はじめまして、火墨先輩。よく会長から話は聞いています。オレは鈴鹿晴土、生徒会書記です。千歳ちゃんとはクラスメートです。……あ、そこの風花は姉です」
「うん、知ってる。鈴鹿本人から聞いた」
俺は何の気なしに返す。
すると、千歳が不思議そうな顔をした。
「…………鈴鹿?」
「ん? ……ああ、もちろん姉の方な」
「いや、それは分かるんですけど……せんぱいって副会長の事さん付けで呼んでませんでしたっけ?」
「あ……」
確かに、鈴鹿が馬脚を現す前まで俺は鈴鹿に生徒会唯一の良心としてある程度のリスペクトを払っていて、一応さん付けで呼んではいた。千歳からしてみれば俺が急に鈴鹿を呼び捨てにしたようにしか見えず怪訝に思えたのだろう。
いや、だがしかしどう説明したもんか。正直に答えるなら「鈴鹿が本性見せたので俺の鈴鹿に対するリスペクトが無くなったから」だが、そんな事を言おうものなら俺以外に本性を知られたくないとする鈴鹿の意に反してしまう。かといってじゃあ他に上手い説明があるのかといえば正直思いつかない……。
俺が抜き差しならない感じで黙っていると、意外にも鈴鹿が口を開いた。
「えっとですね、さっき下校中にばったり火墨君と会って、流れで一緒に帰りながらちょっと話をして打ち解けたんです。それでお互い前よりラフな感じに……」
おお、上手い嘘だ。微妙に本当っぽいというか、部分的に事実も含まれてるし。
これで千歳も疑問氷解だろう、と様子を伺うと、
「へえ……」
また例のまっさらな笑いを浮かべていらっしゃった。
何か知らんが、怒りのボルテージがもう1段階上がったような気がする……。
「そうですか。良かったですねせんぱい。独り寂しく帰らずに済んで」
「あ、ああ……まあな……」
「いや、ほんと良かったですね? わたしじゃなくて副会長と一緒に帰れましたもんね? いっつもわたしと帰る時は独りが好きとか言って気乗りしない感じでしたけど、副会長とは特に嫌がる事もなく流れでフツーに一緒に帰ったんですよね? いやーほんと良かったですね?」
あー、確実にさっき以上に怒ってるわ、これ。
「あの……ええと、すまん」
「ん? 何を謝ってるんですかせんぱい?」
「いや、やっぱ気に障るような事をしたかなって……」
「え? いやいや、別にせんぱいは悪くないですよ? 別にせんぱいが誰と帰って誰と打ち解けようと自由なわけですし? 心配掛けた後輩がちょっとした憂さ晴らしみたいな感じで独り寂しく帰ってくださいって言って来たからって別に独りで帰る義務は無いわけですし? せんぱいは何も間違った事はしてませんよ?」
薄笑いを浮かべたまま、一切の表情の変化無くつらつらと言葉を並べていく千歳。怖い。何が怖いってさっきからずっと語尾が半音上がってるとことかめっちゃ怖い。
背中あたりに冷や汗が吹き出てくるのを感じつつ、しかし大分ヒントが出てきたおかげで千歳が何故怒ってるのか分かってきたので考えを整理する。
どうやら、千歳は、俺に心配を掛けられた意趣返しみたいなものとして「今日は一人寂しく帰ってください」と言ったのに俺があっさりと鈴鹿と一緒に帰った事が気に食わないらしい。あと俺が普段は単独行動が好きだと言ってて千歳とは嫌々帰ってる感じなのに鈴鹿とは普通に帰って普通に打ち解けているという事にも腹を立ててるっぽい。実際は一緒に帰るまでの経緯が全然普通じゃないが。
えー、何これ俺どうやって謝りゃいいの? ていうか一応は謝ったし……そもそもこれ俺が謝らなきゃいけない事? 本人は俺悪くないとか言ってるし、結構千歳が自分勝手に怒ってるような気もするし……いやでも俺がこいつに勉強教えるって言っといてすっぽかしたのがそもそも悪いと言えば悪いし……。
いくら考えても打つ手が無く黙っている俺と微笑んではいるのに全然微笑んでる感じがしない顔をしたままの千歳との間に再び嫌な感じの雰囲気が流れる。
「……」
「……」
……うーん、どんどん場の空気が悪くなっていく……。
何とかこの状況を改善する術はないかと思考を続けていた俺の隣で、何故か唐突に晴土が納得した表情でぽんと手を打った。
「……ああ、そっか」
「? 何が『ああ、そっか』なんですか?」
千歳が薄笑いのまま反応する。
タメ相手でも敬語なんだな、とかどうでもいい事を考えた。
「いや、姉ちゃんが悪い事したなーと思ってさ」
晴土の方はタメにはタメ口なんだな、とかどうでも以下省略。
「え、悪い事? 副会長が?」
割と純粋に不思議そうに千歳が聞いた。
対して、
「うん。だって普通に考えて、火墨先輩には千歳ちゃんって彼女がいるのに、その千歳ちゃんを差し置いて一緒に帰るっていうのはあんま良くないよね?」
からかっているとか冗談を言っているとかいう感じではなく、完璧に真顔のまま完全に真面目なトーンで晴土は言った。
「「「「「……」」」」」
予想の斜め下を行くその言葉に、場が一瞬固まる。
そして、真っ先にその硬直が解けた千歳が、真っ赤な顔でほとんど叫ぶように言った。
「な、ななな何言ってんですかアンタぁ!」
「え? ……ああそっか、全面的に姉ちゃんが悪いってわけでもないか。拗ねた彼女をほっといて別の女子と一緒に帰る彼氏も悪いですね。火墨先輩、彼女に拗ねられて一人で帰れと言われた時はそこで諦めずに何とか機嫌を直してもらって一緒に帰るのが正解――」
「いやそもそも俺は彼氏じゃねえよ!」
「彼女じゃないです!」
まだ勘違いしたままの晴土に、ふたり揃ってツッコむ。
「え、あ……そーなの?」
「そうです!」「そうだ」
またもふたり揃って言う。
しかし晴土はあまり納得出来ないらしい。
「えー? でも千歳ちゃん、さっきの話聞く限りだといっつも火墨先輩と一緒に帰ってるんだろ?」
「いっ……いつも一緒に帰ってるから彼氏彼女だなんて、判定甘過ぎですよ」
「それに、姉ちゃんと火墨先輩が一緒に帰ってたって聞いてムッとしてたし」
「む、ムッとなんてしてませんし……」
「おまけに、姉ちゃんと火墨先輩があっさり打ち解けた事にも思う所があるみたいだったし」
「べっ……別に、思う所なんか……ぜんぜん……」
「ええー? でもさっきの千歳ちゃんの一連の様子だと、もうほとんど彼氏に対する彼女か、あるいは片思い中の――」
「あー書記君ストップストップ。それ以上言うと会計ちゃん死にかねないから」
晴土の言葉を遮って姉貴がブレーキを掛ける。
見れば確かに、俺の彼女だと勘違いされた事がよほど恥ずかしかったのか、千歳は死にそうなほど頬を真っ赤っかにして、しかも目元にうっすら涙まで浮かべていた。
「違いますもん……わたしは別に副会長とせんぱいが一緒に仲良く帰ってたからってムッとしたりしてませんもん……せんぱいの彼女でもありませんもん……」
「あ、ご、ごめん、千歳ちゃん!」
満身創痍(精神的な意味で)の千歳に慌てて謝る晴土。
「オレの勘違いだった! 本当にごめん!」
「分かればいいです……」
まだ羞恥が尾を引いているのか、ぼそぼそと応える千歳。
そして、そのまま半泣きの目で俺の方を見、小さいながらもヤケクソみたいな声でつらつらと言葉をぶちまける。
「分かりましたか、せんぱい。わたしは副会長とせんぱいが一緒に仲良く帰ってたからって何とも思ってませんからね。ほんとに何とも思ってませんから。わたしはせんぱいの彼女でも何でもないわけですし、何か思う方がおかしいってなもんですよ、ええ。本当に何とも思ってませんから。お気になさらず」
「お、おう……」
いや、絶対何とも思ってなくないだろ、これ……。
しかしここまで言われて「いや、何か思う所あるんだろ?」とか聞こうものならマジ泣きされかねないし、だからといってマジで気にしませーんみたいな態度を取るのもそれはそれでマズい気がする。
どうしたもんか、とまた頭を悩ませていると、
「……はい、話に一段落着いたし、とりあえず何か注文しようか」
姉貴が空気を変えるような声でそう言って、メニューを広げた。
「あ、注文してなかったんですか?」
「うん。私と会計ちゃんで店に入って、席座ってからすぐ書記君が通りがかって、書記君が座ってこれまたすぐに副会長ちゃんと火墨を見つけたからねー」
鈴鹿の質問に、姉貴はのほほんと答える。
「さあさあ、遠慮は要らない、何でも好きなだけ頼み給え。金欠だから奢らないけど」
「いや奢らねえのかよ……奢る奴のセリフだろ今のは」
ツッコみつつ、俺はちらりと千歳の様子を伺った。
が、彼女は赤い顔のまま俯きがちに何やらごにょごにょ呟くばかり。
当然、俺と目線を合わせる事さえもない。
「……」
……いやー、超気まずい。
というか、もともと千歳との間に流れていた気まずさが晴土の発言で増幅された感がすごい。正直この空間から一刻も早く逃げ出したいのだが、いかんせん今更何事も無かったかのように退店出来るほどの鋼のメンタルを俺は持ち合わせていないし、鈴鹿の話を聞くという約束もある。
でもなあ……正直この状況下で何注文して何食おうが、誰と話そうがこの超気まずいムードでは気まずさにしか考えが行かないだろうし……。
はあ、憂鬱だなあ。
★★★★★★
およそ40分後。
「――――やっぱ、ベタかもしれないっすけどオレはあの『タカ! クジャク! コンドル!』でウルッと来ましたよ」
「いや、分かる。分かるけど俺は『これ使え!』の時点で既に涙出そうだったわ。あと放送回は違うけど『あいつのだ!』とか、『お前も何か欲しがってみろ!』から後の展開とか、あの辺も熱かった」
「分かります! あと『一緒に戦ってください』の回とかも……」
「分かる! あれは激熱!」
俺は注文した料理を食べ終えてなお、自分でも分かるくらいイキイキとした声で晴土と語らっていた。
なにこのイケメン……嫌いじゃないわ!
まあそんな冗談はさておき、
著作権とかが怖くてあまり詳しくは書けないので、俺達が何言ってるか全然分からない人には本当に申し訳ない。1からのスタートで平成ライダーを観てみてくれとしか言えない。きっと自分のお気に入りのシリーズが見つかるはずだ。
などと脳内で謎の布教をかまし、なおもあーだこーだと晴土と語らっていたら、姉貴がパンパンと手の平を叩き、それから机の上の5つの空の皿を指差して、面倒臭そうな声で言った。
「はいはい、ふたりきりの世界はそこまで。もう皆食べ終わってるし、会計ちゃんと副会長ちゃんが何言ってんだこいつらって顔してるから。あと私も」
「「あ、はい、すみません……」」
ハモって謝る俺と晴土。
そりゃまあ、食べ終わってなお全く分からん話でふたりだけで勝手に盛り上がられても困るよね、うん。同好の士を見つけた喜びで暴走していた。
見れば鈴鹿は姉貴の言う通りぽかーんとしているし、千歳に至っては「何なのこいつら……」と言わんばかりに表情が死んでいた。いや、ほんと申し訳ない。いくら弟がライダー見てたり先輩とライダー映画観た事あるからって流石に平成2期初期のライダーの話なんか分かるわけ無いよね。反省はしている。でもあんまり後悔はしていない。
ただのライダー好きのぼっちが、同好の士を見つけてライダーの話が出来る所まで来た……こんな面白い……満足できる事があるか……!
★★★★★★
さて、それからさっさと会計を済ませての帰路である。
聞けば鈴鹿姉弟は俺や姉貴と同じ方面の電車で帰るらしい。それに、流石にもう8時過ぎで外も結構暗いので、安全の事も考えた晴土の提案によって駅まで皆一緒に帰る事になった。
さっきの今で俺とライダーの話ばかりする訳にもいかないからか、晴土は姉貴と何やら生徒会総会関係の話をしていた。鈴鹿も鈴鹿で、どーしよー、話をするタイミングがないよーみたいな顔をちらちらこちらに向けながら、しかしそれを口に出すわけにもいかずちょこちょこと千歳に話しかけるばかり。そして千歳も千歳で、先ほどまでの気まずさとライダーオタふたりの訳分からん話を食らった事が尾を引いているのか、鈴鹿と話をしてはいるもののいつもよりテンションは低かった。
……あ、俺? 俺はもちろん余り物みたいにヒョコヒョコと皆の後ろを歩いていますよ。……べ、別に全然寂しくなんてないんだからねっ! え? 男のツンデレに需要は無いですかそうですか。そうですね。
それはさておき、現状はちょっとマズい。千歳との気まずさも鈴鹿の話の件も全く解決していない。特に千歳との件は姉貴から千歳の学力向上を頼まれている身としては早急に解決しなければならない。
でもなあ……こういう気まずさの払拭ってどうやんの? 俺はリア充じゃないので圧倒的に経験値が足りない。そもそもこの気まずさの原因が割と曖昧だし……。
袋小路に陥っては引き返し、また袋小路に陥るような思考をうだうだと重ねているうちに、あっという間に駅に着いていた。こういう時に限って早く着いちゃうんだよなあ……。
皆で改札を抜けるが、千歳だけは乗り場が違う。
「じゃー、会計ちゃん。また明日ね」
「バイバイ、からすちゃん」
「じゃーねー、千歳ちゃん!」
姉貴を皮切りに、皆が千歳に手を振った。
「……、じゃあな、千歳」
結局まともな解決策は浮かばず、俺も続いてただ手を振る。
千歳は少しだけ物言いたげに俺を見たが、やがて何事もなかったかのような、いつも通りに見える笑顔で皆に手を振った。
「はい。……では皆さん、また明日!」
そして乗り場へと続く、俺達とは別の階段を上っていく。
その背をちょっと見守って、俺達も自分達の乗り場へ続く階段へと向かった。
「……、はあ」
思わず軽い溜息が零れる。
結局、終始気まずいままだったな。まあ、解決策を練って明日にでもまた話をすればいいか。あいつも一応はいつも通りな感じに振る舞ってたし――。
――――が、また頭に重い声が響く。
本当に、そうか?
何事かあっても何事もなかったかのように、いつも通りでなくともいつも通りであるかのように、表と裏で虚実を使い分けて振る舞う事は誰にだって出来るし誰だってやっている。例えばそれは鈴鹿だったり、あるいは他ならぬどっかの誰かだって。
そして、あの子も、そうだった。
あの子は何もかもを抱え込んで、隠して、黙って、笑って、俺はそれに気付ける立場にいながら、最後の最後まで馬鹿みたいに気付けなかった。
ならば、何を躊躇っているんだ。
今回の気まずさの件は、確かに些末な事でしかないかもしれない。
けれど、だからと言って先伸ばしして放置して蓋して、解決策を練るなんてお為ごかしで済ませるのは、俺があの日からせめて大切にしようと決めた最低限の誠実さに反するだろう――――!
俺は、安易な結論に身を任せようとした自分自身への怒りを籠めて、強く強く歯を噛み締める。
そして踵を返し、皆に手短に告げた。
「すまん、ちょっと野暮用」
「え?」
皆振り返り、野暮用って何さみたいな調子で各々の顔を見合わせるが、鈴鹿姉弟は最終的にはトイレか何かだと判断したのか、特に質問する事なく、じゃあ先に乗り場行って待ってます、と階段を上っていく。
だが、姉貴だけはどこか嬉しげに、あるいはからかうように小首を傾げると、声こそ発さなかったが、唇を動かした。
か・い・け・い・ちゃ・ん? と。
……いや、エスパーかよ。
照れ臭さを圧し殺して軽く頷く。
姉貴は無言で微笑むと、鈴鹿達に続いて階段を上っていった。
「……、全く、姉貴には敵わねぇわ……」
本心たっぷりに呟き、少し頭を掻く。
そして、俺は千歳が上っていった階段へと向かった。
★★★★★★
インドア体質に鞭打って早足で階段を上り切る。
幸い、千歳はまだプラットホームにいた。
電車を待つ学生達や会社員やカップルや親子連れから離れて、1人俯きがちに奥の方のベンチに座っているその姿は、いつも以上に小さく見える。
少々無茶なペースでの階段上りによって荒くなった息を整え、声を掛けた。
「千歳」
瞬間、驚いたようにびくりと肩を震わせ、顔を上げる千歳。
「え、火墨せんぱい……? 何で……」
「謝りに来た」
「へ?」
目を丸くする千歳から目を逸らさず、誤魔化しもせず、策も虚飾も何もなくただ素直に言葉を紡ぐ。
「すまん。そりゃ、勝手に約束破って心配かけといて、しかもいつもはお前と帰るのを気乗りしない感じのくせに、何事もなかったみたいに鈴鹿と帰ってたらムカつくよな。何つーか、デリカシー? 配慮? みたいなもんが足りなかった。本当にごめん」
「え、あ……?」
目を白黒させる千歳が何か言うより先に、俺は続けて本音をぶちまける。
今言わなければ、おそらくはずっと言えないままで――そして不誠実を拭う機会は過ぎて朽ちて無くなって、そのままになってしまうだろうから。
「それと、俺はお前と一緒に帰るのも、お前に振り回されるのも、別に嫌いって訳じゃない。むしろ……割と、好き……では、ある」
「え……、あ、えええっ!?」
頬を朱に染める千歳。
多分俺の顔も同じような色になっているに違いないが、もうあれだ、考えたら負けだ。
恥を捨てて最後まで言い切る。
「今まで邪険にしてたのは……ただ照れ臭かったのと――それから……まあ、色々だ。……その辺もちゃんと言ってなかったよな。ごめん」
「あ、はひ……、お気になしゃらず……」
千歳は赤い顔でもにょもにょと声を落とすと、それからたどたどしく言葉を返す。
「えっと、その……わたしの方こそ、勝手に怒って、雰囲気ギスギスさせて……ごめんなさい……」
「あ、おう……えーと、気にするな、大丈夫だ……」
「あ、はい……」
そして、ふたり揃って沈黙。
……え、何これ。
これはこれで気まずいんですけど!
「えっと、じゃあその……またな」
「は、はい。また……」
赤い顔でカクカクと手を振り合う。
そして俺はもと来た道をそそくさと戻り、鈴鹿達の待つ乗り場へ急ぐべく階段を下りていった。
……火照った頬が、妙に熱い。
……あ。
……そういや鈴鹿の話の件が残ってる。
どーしよー。
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