副会長(表)

 翌日の放課後も、俺は生徒会室へ向かい、自分の勉強をする傍ら、向かいに座る千歳に勉強を教えていた。

「……あ、せんぱい。これは?」

 解答の中途で分からない部分に出くわしたらしく、手を止め、数学の問題集の一部を指差して尋ねる千歳。

 俺は自分の日本史の参考書を一旦置き、該当箇所を一瞥して端的に説明した。

「ん……ああ、ここは0以上と0未満で場合分けすればいい」

「0で場合分け……あ、そっか! ありがとうございます!」

「おう」

 疑問が氷解し、礼と共に再び問題集とのにらめっこを再開した千歳を見て、俺も再び自分の参考書に目を落とす。

 しかしこいつ、どうしてなかなか学習意欲が本当に高い。今まで勉強していなかった事が不思議なくらいに真面目に勉強している。しかも意外や意外、アホ感満載の割に地頭は良いらしく、かなり呑み込みが早い。裏口入学してませんというあの自己申告は一応信じていいようである。

 ……ああ、ちなみにこの部屋には当然姉貴もいる。実に怠そうな表情で何やら書き物をしては生徒会の印をぱかぱか押しつつ、時折暇そうに缶コーヒーをちびちび飲んでいた。基本的にお喋りの好きな姉貴ではあるが、流石に真剣に勉強している会計と弟に話しかけるのは邪魔だろうと配慮しているらしい。

 結果、現在の生徒会室は図書室顔負け、ほとんど無音の空間と化していた。良い事だ。何をする上でも、基本的に静かであるに越した事はない。まして勉強するなら尚更。

 しかし、その静寂を破るひとつのノック。

 俺と千歳の手も思わず止まり、ふたり揃って扉の方に顔を向けた。

「……んー、どうぞー」

 相変わらずの無気力な声で、姉貴が来訪者に入室を許可する。

「――――失礼します」

 そして、凛とした声と共に扉を開き、ひとりの少女が静かな足運びで入って来た。

 同年代の女性に比べてやや小柄な千歳よりもさらに小柄で、着ている女子制服が少しブカブカに見えるくらいに華奢な体躯。

 肩まで伸びた亜麻色に近い色のサラサラした髪と、可憐の一言に尽きる顔立ち。

 されど弱々しい印象は全く無く、むしろその佇まいからは芯の強さすら感じられた。

 そんな美少女を見、姉貴と千歳は口々に声を掛ける。

「おー、副会長ちゃん」

「こんにちは、鈴鹿すずか副会長」

「こんにちは、会長とからすちゃん」

 鈴鹿、と呼ばれたその少女はにこやかに微笑んでふたりに挨拶を返すと、「えっと、こちらの方は……?」と疑問の表情で俺を見た。いやまあ、当然の反応だよね。俺、生徒会的には部外者だし。

「あー、それ私の弟だよ。会計ちゃんの成績底上げ要員」

「ああ、なるほど……」

 姉貴に説明され、得心いったとばかりに頷いた鈴鹿さんは、俺の方にも微笑みを向けて柔らかい声で自己紹介した。

「はじめまして、弟さん。2年B組の鈴鹿風花ふうかです。生徒会では副会長をさせて頂いております」

「あ、はい。……2年C組、志賀火墨です。えー、いつも姉がお世話になってます」

 鈴鹿さん、か。

 何か聞き覚えのある名前だな、と思いつつ、俺は割とガチガチになりながら言葉を返した。

 こんなまともな人が副会長やってるとは思わなんだ。無気力な姉貴と奔放な千歳に囲まれて、さぞ苦労しているに違いない……。

「いえ、そんな事は……むしろ僕の方がお世話になりっぱなしですよ。会長のお仕事を見ていると、自分の足らないものによく気付かされます」

 ……まともだ。

 滅茶苦茶まともな僕っ娘だ。

 俺が感心して見ていると、さらに鈴鹿さんは申し訳なさそうに両手を合わせ、

「すみません、からすちゃんの勉強は僕が教えられたら良かったんですけど……都合がどうしても合わなくて……」

「いやいや、全然大丈夫ですよ! そんなに負担じゃありませんし」

「そうですか……、それなら良かった。からすちゃんの事、お頼みしますね」

 そして可愛らしく微笑む鈴鹿さん。

 いや、本当にまともだなこの人。一応会長やってるはずの姉貴より断然まともである。

 もう鈴鹿さんが会長やればいいよとか考えている俺を尻目に、今度は千歳が口を開く。

「あっせんぱい、知ってましたか? 鈴鹿副会長は1年の時ずっと成績トップだったんです! そして今年ももちろん2年生トップに君臨する事間違いなしです! どーですかすごいでしょ!」

「何故お前が自慢げ……」

 だが、言われて思い出した。

 昨年度、テスト結果が張り出されるたびずっとトップにあった名前――それが鈴鹿風花だった。だから何か聞き覚えがあったのか。

「あはは……運が良かっただけですよ。2年生になってからもトップでいられるかは分かりません」

 微苦笑し、謙遜する鈴鹿さん。

 やはりまともである。

「……で、副会長ちゃん。ご用事なあに」

 話に一段落がついた所で、友達から来た手紙を食べてしまったヤギみたいな事を言う姉貴。

「ああ、会長。例のデザイン作ってきました。チェックをお願いします」

「おー、ご苦労。早いねー」

 複数枚の書類を差し出した鈴鹿さんに対し、姉貴は相変わらずのだるだるテンションで応え、ひょいと受け取る。ちらりと見てみれば、それは生徒会総会開催を通知するための広報誌の原案らしかった。

 思わず感想が零れる。

「あ、結構早い段階でそういうの作るんだ……」

「はい。仕事は早め早めが基本、ですから。時間に余裕を持った業務計画なら想定外の事態が起きた時にも対処が利きますし」

「なるほど」

 本当にまともな人なんだな。そしてこういう生真面目に生徒会業務に勤しんでいる人を見ると、より一層生徒会のために千歳の赤点回避を目指そうという気持ちになってくる。俺は割と単純な人間なのかもしれない。

 やがて、書類を精査していた姉貴が声を上げた。

「……ん、問題なし。ありがとう副会長ちゃん。ひとまず広報誌はこれベースでよろしくねー」

「はい、了解です」

 鈴鹿さんは返された書類をトントンと揃え、ぺこりと一礼した。

「では、私用がありますので僕はこれで失礼します。……からすちゃん、勉強教えられなくて本当にごめんね。頑張ってください」

「御意!」

 鈴鹿さんの謝罪と激励を受け、千歳はおどけた調子で返事をした。

「弟さん、からすちゃんのご指導、重ね重ね頼みます」

「……了解しました」

 こうもまともな人にまともに頼まれては、仕方ない。

 全身全霊で千歳の成績向上に努めよう。

 生徒会室を去る鈴鹿さんを見送って、俺は決意を新たにした。



 ★★★★★★



 さて、それからは千歳への勉強教え&自分も勉強コースに戻り、姉貴は眠そうな顔と手つきで事務作業に戻った。

 それから幾らかの時間が経過した後。

「お、そろそろ完全下校時刻だね」

 部屋のシックな壁掛け時計を見やって、姉貴が呟くように言った。見れば、時計は6時45分くらいを差している。うちの高校の完全下校時刻は午後7時なので、確かにそろそろ下校せねばならない。

「あ、もうそんな時間になってたんですね」

 今まで端から見ていて分かるほど勉強に集中していた千歳は、シャーペンを走らせる手を止め、意外そうに言った。

「では、一緒に帰りましょう、せんぱい!」

 そして、元気一杯に俺を誘う千歳。

 俺はすぐに返事をした。

「いや無理」

「ぐはっ」

 千歳は吐血するかのような叫びを吐き出してのけぞり、それからちょっと拗ねたように頬を膨らませた。

「もう、せんぱい、初手から超バッサリですね! まあもう毎度の事なんで慣れましたけども! もうちょっと気を遣ってくれても良いじゃないですかー!」

「いや……俺はひとりが好きだから」

「もおおおおー! また出た! 会長、姉としてどう思われますか!?」

「んー」

 千歳に話を振られ、姉貴はすうっと目を細めた。

 瞳の形としては、笑っている。

 だが、その光からは、どこか鋭く厳しいものが感じられた。

「まあ、控えめに言って何拗らせてんだぼっち野郎、って感じかなー?」

「控えてそれか……」

「当然だよ。こんな可愛い後輩ちゃんに一緒に帰ろうって言われて帰らない男子、なかなかいないよ? 控えめに言って拗らせまくってるとしか」

「そーだそーだ!」

 姉貴の言に同調を示しつつ、勉強道具を手早く片付けていく千歳。

「こういう時は素直に一緒に帰りますって言えばいいんだよ、弟。どうせ最終的には会計ちゃんに押し切られちゃうんだから」

「ぐ……」

 確かに、俺は毎度千歳に押し切られてる節がある……。

 いや、だからこそ今日はビシッと断ろう。俺は単独行動派なんだ。そして実際、千歳が入学してくる以前は常にひとりで学校生活を送ってきたんだ。むしろここ最近、千歳が入学してきてから調子が狂っているだけだ。

 俺はひとりがいい。

 いや、ひとりいいんだ。

 ――――と、そんな思考を。

「じゃあ、決まりですねー! 一緒に帰りましょう!」

 いつものように、千歳の無邪気な言葉と笑顔が、両断する。

「……いや、『じゃあ』って何だ。論理展開おかしいだろ。現国やり直せ現国」

「もー、せんぱいはいちいち細かいんですよー。じゃ、帰りますよ。……あ、会長も一緒に帰りましょう!」

「んー、私はもうちょっとだけ事務作業あるからねえ。先にふたりで帰ってて」

 姉貴は何やら書類に目を通しつつ、いつも通りのゆるゆるとした声音で言った。

 その瞳の色もいつも通り、眠たげ一色に戻っている。

 俺は、何故か零れそうになった安堵めいた息を飲み下す。

 そして、諦めの溜息に変えてから雑に吐き出した。

「はあ、まあしょうがねえな……帰るか」

「はい!」

 千歳はぐっと親指を立てて、悪戯っ子みたいに笑った。



 ★★★★★★



 何のてらいもなく俺に声を掛けて。

 何の悪意も無く俺を巻き込んで。

 何の嘘偽りも無く、俺に笑いかける。



 あいつは、何故かそんな接し方を俺にする。



 そんな接し方をされるような資格も、



 そんな接し方を享受するような資格も、



 本当は、俺には無いのに。

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