ぼっちの姉はぼっちじゃない
千歳と映画を観た後すぐの月曜日。
その放課後。
「せんぱいせんぱい、可愛い後輩ですよ!」
「ぐ……分かった分かった……」
まあ、当然そうなるよね。
昨日はいじってくる千歳から一時的に逃亡する事に成功した俺だが、まあ学校に行けば必然的に顔を合わせる事になる。というか、学年が違うし俺は帰宅部なので普通は顔を合わせる事が無くてもおかしくはないはずなのだが、千歳の方から俺のいる教室に来たり俺の帰りを待ってたりするので結局顔を合わせない日が無くなっている。
そして、今日は前者のパターンである。
「分かったからあんまりデカい声出して絡んでくるな。まだ何人か人いるんだぞ。クラスメートに変な奴らだと認識されたらどうする」
俺はキョロキョロ周囲を見回しながら言った。俺は孤独行動タイプの人間ではあるが、別にクラスメートに奇異の目で見られたいわけではない。
対し、
「わたしはともかく、せんぱいは変なぼっち野郎として認識されてるでしょうからもう手遅れですよ。あは」
天使のように微笑んで悪魔みたいな事を言う千歳。殴りたい、この笑顔……。
しかし本気で殴るわけにも行かないので、俺は「アホ」とだけ端的に返しておいて荷物をまとめて席を立ち、廊下に出た。
自分の鞄片手に千歳もついてくる。
なお、髪型は昨日と異なり、黒髪ロングに戻っている。
「どこに行くんですか?」
「生徒会室。姉貴にメールで呼ばれたから」
「ああ、なるほど。会長のところに」
千歳は得心いったばかりに頷いた。
そして、どやさっとばかりに言う。
「それでは生徒会会計である所のわたしがご一緒しましょう」
「……」
……そう。
今まで欠片もその片鱗を見せてはこなかったが、こいつ実は、この学校の生徒会会計なのである。
アホのくせに。
「アホのくせに」
「いきなり失礼な発言が飛び出した!?」
おっと、つい本音が。
俺は慌てて取り繕う。
「いや、今のは違う。お前をアホ呼ばわりして扱き下ろそうという意図はない。ほら、あれだ、言葉の綾だ」
「くっ……なるほど、使われてみると腹立つフレーズですね……」
小さく歯噛みする千歳。今更認識したか。
「で……、じゃあ、どういう意図でアホって言ったんですか?」
尤もな質問に、俺はうむと頷いて答えた。
「その……改めて考えたらさ……姉貴は何でアホに会計やらせてんだろうなって思って」
「やっぱり扱き下ろしてる!」
盛大なツッコミを入れ、それからやれやれとばかりにひらひらと手を振る千歳。
「全く……せんぱいはわたしを何だと思ってるんですか。わたしはアホじゃないですよ」
「でも言動から知性を感じないし……」
「『でも1足す1は2だし……』ぐらいのノリで超エグい事言いましたね」
割と傷ついたっぽい顔をする千歳。
「いやほら、実際お前自分の事自分で可愛いって言って憚らないし、ノリと勢いだけで生きてるし……な? アホだろ?」
「本人を前にしてそこまで言いますか……」
でも、と千歳は前置き。
そして、ニヤッと笑った。
「わたしが可愛い事についてはせんぱいも認めてくれたじゃないですか」
「ぐっ……!」
一発で黙らされる俺。
畜生。やはり昨日の失策が響いてやがる。
「あれ? 恥ずかしがってます?」
「いや全然?」
俺は可及的しれっと答えた。
しかし、
「またまたあ。ほっぺ赤くなってますよ」
「え、マジで!?」
平静を装ってたつもりだったのに!
思わず頬に触れ――、しかし刹那罠だと気付いた。
が、もう遅い。
「あは、嘘です。でもそういう反応するって事はやっぱり恥ずかしがってたんですねー」
千歳は獲物を見つけたライオンみたいな調子で言って、にまーっと笑った。
完全にハメられた……。
これ以上グズグズしていても口を開いても千歳に好き放題やられるだけなのは分かり切っている。俺は早足かつ無言で生徒会室へと急いだ。
しかし無論、奴もついてくる。
「あれせんぱい、だんまりですか? アホとか言ってたわたしにまんまとハメられて悔しかったんですか? 可愛いわたしに罠に掛けられて悔しかったんですか? ねえねえ」
うっぜえええええええええ……!
いやいや、冷静になれ冷静になれ。何か言い返しても良いことはない。『恥ずかしがってるんですねプークスクス』で終了してしまう。貝だ、俺は貝になるのだ……!
などと言い聞かせているうち、やっと校舎の隅に辿り着いた。眼前には余計な装飾は一切無い、されど荘厳な雰囲気漂う大きな黒の扉。生徒会室の扉だ。
俺は千歳に構わずさっさとノック。
「――――んー、どうぞー」
無気力極まる、されどよく通る女声がひとつ部屋の中から返ってきた。
聞き覚えしかないその声を受けて、俺はさっさと扉を開く。
そしてすぐに目に飛び込んできたのは部屋の中央最奥にあつらえられた大きなデスクと皮張りの椅子。ドラマでよく偉そうな上役のおっさんがふんぞり返ってるイメージのあるそこに、座っていた――と言うよりもぐだっと腰掛けて半ばデスクに突っ伏していたのはおっさんではなくまごう方なき一人の美人。
まず目を引く眠たげな赤の瞳。彫りの深い綺麗な顔立ち、ツーサイドアップの銀髪。
一見するとハーフか外国人だが、目は趣味でカラコンを入れているだけ、顔立ちは生まれつき、髪はこれまた趣味で染めているだけ……といった具合で、本人は純日本人であるというのだから恐れ入る。
そして、何より恐れ入る――と言うか、信じられない事に、この気怠げな美人は俺の1つ上の姉である。
「おー、来たか。会計ちゃんに弟」
その姉貴はだるだるっとした声音でそう言った。別に疲れているとか落ち込んでいるとかいうわけではなく、元々こういう喋り方をするタイプなのだ。
「はい、
事実をねじ曲げた事を何故か元気一杯に言い放ち、びしっと敬礼する千歳。
「いや、お前がついてきただけだろ……」
「ごくろー会計ちゃん。手のかかる弟でごめんねー」
「姉貴も乗るなよ……」
疲れる会話だ……と思っていると、姉貴はのそっと机から体を起こし緩く柏手を打ち、
「それはさておき。……弟よ、君を招集したのには深い理由があってだね」
字面こそ深刻そうだが、全く深い理由がありそうには聞こえない声で言った。
正直、あーまたあの事か、と察しはついたのだが、行き掛かり上とりあえず尋ねる。
「……、何だよ?」
「生徒会に入ってもらえないかと――――」
「無理」
「がびーん」
言い終わるより早く即答した俺に、姉貴は全くショックを受けてなさそうな声でショック受けましたアピールをして、再びぐでっと机上に突っ伏した。
「全く、いけずな弟だなあ」
「いや……拒否される事くらい分かってただろ?」
一応断っておくが、この姉貴――志賀水乃生徒会長が俺を生徒会に誘うのはこれが初めてではない。何度も何度も、それこそ姉貴が生徒会長になってからというもの、家でも学校でも再三誘われていたのである。
そして、そのたびに俺は断り続けてきた。
姉貴は不満げに唇を尖らせる。
「もー、何で入ってくれないのさ。会計ちゃんもいるのに」
「俺は生徒会なんてガラじゃないし、単純に面倒臭いから。あと別に千歳の事は関係ないだろ。――いや、むしろ千歳がいるから入らないとも言えるな……ウザいから」
「え? 可愛いって言ってくれたのに?」
「ほら、そういう事言う……」
茶々を入れる千歳に、俺は苦々しく呟く。
そして、少し語気を強めて文句を言った。
「散々ネタにしやがって……俺は本気であの時お前が可愛いと思ったから言ったのに。あんまりその手の絡み方してくるなら怒るぞ」
「ふえぇっっ!?」
途端、驚きに目を見開いて珍妙な声を発する千歳。
その頬は何故だか赤い。
「あ、えと、はい、ごめんなさい……」
「ああ、分かってくれれば良い」
そして急に素直に謝る千歳。
何故急に素直になったのかは不思議だが、まあ、殊勝なのは美徳だ。
と思っていたら、千歳は何やら姉貴に報告を始める。
「か、会長……突然せんぱいが恥ずかしげもなく褒め殺してきました!」
「あー、安心してよ会計ちゃん。私の弟、たまにこうやって無自覚に恥ずかしげもなく恥ずかしい事言うから。恥知らずの発作さ」
ふたりが何を言っているのかよく呑み込めないが、とりあえず酷い事を言われてるのは分かった。
しかしいつもの事なので華麗にスルーし、俺は姉貴に質問する。
「ていうか姉貴、やたら俺に入会しろって言ってくるけど、人手足りてないのか?」
「足りてないよ、――って言ったら?」
適当な声で言い、首を傾げる姉貴。
俺はちょっと考えたが、正直に言った。
「……まあ、人手が足りてなくて姉貴達が大変なら、助っ人として入るくらいはするが」
「おー、殊勝だね。美徳だ」
ついさっきの俺の思考をなぞるような事をのほほんとした口調で言う姉貴。
「ま、ぶっちゃけ人手は足りてるけど」
「いや足りてるのかよ……」
俺は脱力し、改めて尋ねる。
「なら何でやたら俺を勧誘してたんだ?」
「え? ……それは……、言うの、ちょっと恥ずかしいな」
えへへ、と微苦笑を浮かべる姉貴。
え、何その反応。珍しく姉貴が可愛らしく見えたぞ。いつもはナマケモノというか、貝を割らないラッコというか、ぬぼーっとした雰囲気でぬぼーっと話すのに。まるで姉貴じゃなくて普通に可愛いお姉さんみたいだ。
「いや、言うのが恥ずかしいって……どういう事だよ。余計気になるわ」
内心の動揺を圧し殺して尋ねた俺に、姉貴は照れたように頬を掻いて、口を開いた。
「実は……単に私専属のパシリが欲しくて」
「本当に恥ずべき理由だな」
訂正。いつもの姉貴だわこれ。
「えー。だってさ、生徒会の仕事は大変なんだよ? それこそ、仕事中に一息つきに飲み物を買いに出る暇が無いくらいに」
姉貴はハーッと溜め息を吐き、それからやる気無さげにひょいと人差し指を立てた。
「でも、そんな時にパシリがいれば……何という事でしょう、ジュースを買いに行かせる事ができるではありませんか」
「何という事でしょう、じゃねえよ」
ガチで単なるパシリじゃねえか。
「とにかく、そういうふざけた仕事なら俺はやらん。生徒会にも入らない」
「ちぇっ」
姉貴は軽く指を鳴らし、残念だなあ、とちっとも残念じゃなさそうに太平楽な声で呟いた。
「ま、いっか。実は勧誘はダメ元だったし」
「あん? って事は、何か他に俺に頼む事でもあんの?」
「お、察しが良い」
姉貴は機嫌良さそうに微笑むと、
「実はさー、会計ちゃんに勉強を教えてあげてほしいんだよねー」
「え?」
意外な申し出に、俺は目を丸くした。
「ありゃー、これも無理かな?」
「いや、別に無理と言うか……何でわざわざ俺が千歳に勉強教えにゃならんのだ。千歳が自分でやりゃいいだろ」
俺が至極当然な事を言い、「なあ?」と同意を求めて千歳を見ると、奴はスッと目線を逸らした。……あれ?
「千歳?」
「……」
やはり目を逸らして黙っている千歳。
「いや、何故目を逸らす」
「いやー……」
重ねて問うと、千歳は引き攣った笑みを浮かべ、観念したようにこちらに顔を向けた。
その頬には一筋の冷や汗が伝っている。
「……そのー、わたし、あんまり勉強が得意じゃなくてですね」
「あんまり、ってどのくらいだ?」
俺が質問すると、千歳はまたスッと目を逸らした。いや、だから何故目を逸らす?
俺が首を傾げていると、
「ちなみに、これが会計ちゃんのこれまで受けてきた全科目の小テストの結果ね」
姉貴がやる気のない手つきでスッと差し出してきたのは十数枚あまりのプリントの束。名前の欄には『千歳からす』と本人のイメージにそぐわない丁寧な文字で書かれていて、その横に点数が――。
「……うわあ」
そこを見、ムカデを踏んづけた人みたいな声が溢れた。
さっさと他のプリントも確認するが、するたびに「うわあ」しか言葉が出てこない。
だって――――。
「うわあ……何これ。全部0点じゃねえか」
「う、うわあとか言わないでくださいよ……一応全部頑張って埋めたんですから」
「だからこそ『うわあ』と言ってんだよ」
そう、こいつ解答欄は全部何かしら書いているのに、小テストが全科目軒並み0点なのである。まだ全部空欄とか名前の書き忘れで0点なら分かるが、リアルで全部埋めて0点取る奴は初めて見た。というか、フィクションの世界においても青いタヌキに頼る眼鏡の少年以外に見た事がない。
まあ、つまり、
「やっぱアホだったんだな、千歳……」
「あ、アホじゃないですしー……」
そっぽを向いたまま、全然説得力のない言葉を吐いて嘘臭い口笛を吹く千歳。
そんな彼女を尻目に、姉貴はだるだるっとしたテンションで言葉を並べた。
「とまあ、そういうわけで会計ちゃんはちょっと残念な学力をしててね。このままだと確実にゴールデンウィーク明けの中間テストで赤点を取ってしまう」
「ふむ」
確かに、俺の高校ではゴールデンウィークが明けるとすぐに中間テスト――これが学年始めの定期テストになる――がある。
既に先日、試験範囲の発表も行われた。
「で、赤点を取ったが最後補習を受ける羽目になって、千歳ちゃんは補習期間中生徒会に出て来れなくなる」
そこで姉貴は一旦言葉を切ると、手近のミニ冷蔵庫から缶コーヒーを出してぐいっと呷った。
そして、「ぷはっ」とか言いながら、
「で……5月の時期に会計がいないってなると、6月の生徒会総会のための会計関係書類の作成に支障が出ちゃう。たいへんだあ」
「全然大変そうに聞こえねえ……けど、一応事情は分かった」
確かに、6月には生徒会総会がある。そこで生徒会は全生徒の前で生徒会及び部活の予算の報告をしたり生徒からの質問に答えたりするのだ。まあ基本つまらない行事で、正直真面目に話聞いてる奴なんかあんまりいないとは思うが、だからと言って他ならぬ生徒会が手を抜くわけにはいかないだろうし、書類を整える必要もあろう。
そして、そのためには生徒会会計たるアホ後輩が必要であり、アホ後輩をテストの補習で拘束されると困るから、せめて赤点は回避出来るように勉強を教えてやれ、って事か。
だが、
「でも……普通に考えて勉強教えるのは姉貴の方がいいと思うが……」
俺は進言した。
と言うのもこの姉貴、はっきり言って千歳に勝るとも劣らないレベルで言動から知性を感じられないし、家でもあんまり知的な面を見せる事はないのだが、実は勉学という点において言えば才媛で、俺の高校――一応は県内上位の進学校――の、文理混合テストの上位者発表が廊下に張り出されるたび、姉貴の名前は当然のように1番上に書かれている。つまり学年首席だ。ぬぼーっとした姉がぬぼーっとした顔で首席と生徒会長をやってるのだ。あと普通に友達もいる。
対し、割と勉強には力入れてると言うか、ぼっちで帰宅部故に基本勉強しかやる事ない俺がせいぜい学年で5、6番目くらい。
何この姉弟格差。釈然としねえ。
まあとにかく、姉貴と俺では姉貴の方が圧倒的に勉強は出来る。
だから千歳に勉強を教えるなら姉貴の方が良いだろうと思ったのだが――――、
「……ああそうか。姉貴今年受験あるしな」
俺ははたと思い至った。
たまに忘れそうになるが、姉貴は俺の1つ上、高校3年生、つまり受験生である。大学入試を見据える学生にとっては勉強可能な時間の1分1秒が惜しいはずだ。当然、他人に勉強を教えている暇は――――。
「いや、別に受験生だから時間が無いとかいうわけじゃないよ」
「え、そうなのか」
「そりゃそうだよ。大体、時間が無いならそもそも生徒会長なんかやってない」
「あー……それもそうだな……」
軽く言われ、俺は納得した。
確かに、この姉は普通2年生で引退するのが相場の生徒会長を2年生で辞めず、普通に選挙に立候補して再選し、未だに勤めている奇特な人間だ。受験の事なんかまるで気にしていないわな、そりゃ。
「大体、適当にやってれば受験は何とかなるでしょ。たぶん」
のほほんとした面で実にのほほんとした事を言う姉貴。これを嫌味成分ゼロで言えるあたり、得な性格してるわこの姉。
「明らかに受験を舐め腐ってるが、学年首席に言われたら何も言えねえ……っていうか、じゃあ結局何で千歳に勉強教えねーんだ?」
「いやー、それがねー。前に私が1回教えはしたんだけどー……」
姉貴は相変わらずな間延び調子で、されど珍しく言葉を濁す。ま、まさか……。
「まさか……姉貴の指導でもどうにもならないくらいに千歳がアホ――――」
「それは違います!」
絶望的な結論を導き出そうとした俺の声を千歳が勢い良く遮った。
「えー? 違わんだろこの期に及んで」
「ほ、ほんとに違うんですよう……」
疑わしげな視線を送ると、弱々しいながらも今度は目を逸らさずに反駁してくる千歳。
「その……会長は確かに勉強はすごい出来るんですけど、勉強教えるのは上手くないっていうか……何聞いても全部『これはだーってやってバーってやったら出来る』みたいな感じの説明しかしてくれないっていうか……」
「あー……」
俺は瞬時に納得した。
そういやこの姉、典型的な『勉強は出来るけど人に教えるのは下手』なタイプだった。思えば俺も小学生の頃姉貴に勉強の事聞いて千歳と同じような経験をした気がする。
俺は素直に謝った。
「すまん千歳、今回は姉貴がアレだったわ」
「アレ呼ばわりは辛いねえ」姉貴は1ミリも辛さを感じさせないふにゃふにゃした声で言った。「ま、そんなわけで私じゃ不適任みたいだからさ。一応書記君や副会長ちゃんにも頼んでみたけど、都合が合わなくて断られちゃったし。もう手っ取り早く頼める相手は君くらいしかいないんだよ、弟」
「ふーん……でも中間テスト控えてんのは俺も同じだし、なるべく他人と関わりたくないし人に勉強教えた経験もないし単純に面倒臭いし千歳のアホがちょっとやそっとじゃ治るとも思えんし」
「なんかサラッと酷い事言いましたね!」
「言葉の綾だ」
「うぐ、ほんと便利なフレーズですね!」
自分が以前に投げたブーメランがまたもぶっ刺さり、地団駄踏んで悔しげに唸る千歳。
「やれやれ。――つまり結局、会計ちゃんに勉強を教えるのも無理って事かい?」
姉貴はのそっと肩を竦めてそう尋ねた。
その眠たげな瞳には試すような色。
「……まあ、あまり気は進まない」
何故かそれに気圧されながら、俺は正直に答えた。
「……、が」
しかし逆接を置く。
「千歳がいないと生徒会的にマズイ事態になるって事は分かったし……人手足りなくなって後から助っ人入れとか言われるよりかマシだし、やむを得ない……とも思う」
「つまり教えてくれるんですね!」
ぱあっと表情を輝かせる千歳に、不承不承頷く俺。
そしてにっこーっと微笑む姉貴。
「流石私の弟。そう言ってくれると思っていたよ。ありがとー」
「ありがとうございますっ!」
立て続けにふたりに礼を言われ、俺は少々照れながら、それを隠すべく「……どういたしまして」と素っ気なく答えた。
が、すぐ見抜かれる。
「お、せんぱい照れてますねー?」
「火墨は恥ずかしがり屋だからねー」
くっ……そんなに分かりやすいか、俺。
「やかましい。ほれ、そうと決まればさっさと勉強すんぞ」
「え、今からですか?」
「当たり前だろ。あと5日足らずでもうゴールデンウィーク入るんだぞ。早い内に手を打つ方がいい」
「おー、鬼教官だねえ火墨」
そーゆー事ならこの生徒会室を勉強場所として提供しよう、と自分の机の斜め前、応接用のテーブル&ソファを指差す姉貴。そして何かしらの事務作業に戻るらしく、パソコンを立ち上げてキーボードを叩き始めた。
というわけで、早速俺と千歳は向かい合う形でソファに腰掛け、各の鞄から教科書やノート、プリント類をがさがさと出していく。
すると、ノートや教科書を開くよりも先に千歳は言った。
「……あ、せんぱいせんぱい。ちょっと質問良いですか」
「ん? いいけど。何?」
「こんな感じの流れでこんな事尋ねるのもアレですけど……せんぱいってそもそも勉強出来るんですか?」
一応、という感じで聞いてくる千歳。
まあ、そもそも勉強教える側がアホだったら話にならんから当然と言えば当然の質問である。
「んー、まあ1年の時は大抵5位前後をウロウロしてたな」
「な、なんと……せんぱいは実は偉そうなだけで蓋を開けてみればわたしクラスの成績の持ち主だったりするのかと思ってました」
「いやお前かなり失礼だな……」
あと、千歳クラスの成績の持ち主って滅多にいないぞ。レベル低すぎて。
「一人行動が基本の奴は他の奴と一緒に遊んだりとかしないし、結局暇を持て余して勉強するから成績は悪くないもんなんだよ」
「なるほど、ぼっちの数少ないメリットですね。しかしぼっちせんぱいのお姉さんは学年トップで生徒会長で友達もいるわけですが」
「おいやめろ。俺の心を抉るな」
その格差は結構気にしてるんだぞ……。
「とにかく、さっさと勉強を……っつってもお前全部満遍なくボロボロだし……正直よくこの高校受かったなって感じなんだが。あ、そうか裏口入学か」
「いや、ちゃんと勉強して入りましたよ!」
心外ですとばかりに頬を膨らませる千歳。
「高校受験まではちゃんと勉強してました。どうしてもこの高校に入りたくて」
「ふうん……まあここ県内じゃ結構偏差値高いし、公立の割に設備も悪くないしな。学食とか体育館とか広めだし」
この高校の良い点を列挙していった俺に、千歳は「へ?」みたいな顔をした。
しかしやがて、あーうんうんそうそうと赤べこよろしく頷く。
「……あー、うん、まあそうですね。それもあります」
「あん? それも?」
「あーえっと、とにかくわたしはちゃんと受験勉強してここに入りました!」
千歳は俺の問いかけを焦り気味に遮り、何故か敬礼しながらビシッと宣言した。
ちょっと引っかかる節はあったが、まあいいや。
「……で、そのなれの果てがこれか」
「い、いやあ……その、何というか、燃え尽き症候群的な感じで……この高校に入ってから全然勉強してなくてですね。小テストも全部埋めてはいましたがほんとに適当に『埋めただけ』でしたし」
「そうか、ちょっと安心したわ。もし真面目に勉強しててアレならいよいよ匙を投げにゃならんとこだった」
俺はほっと安堵の息を吐いた。
そして、んじゃ、と一声。
「早速やってくぞ。テスト範囲はどこからどこまでだ?」
「はい! ……えーっと、確か現代文が教科書の33ページまで、古典が文法書の助動詞のとこまで、数学が……うう、多い……」
朗らかに返事をした千歳だったが、5教科7科目の試験範囲を復唱していくうちに段々と顔が嫌そうに歪み、終いには列挙するのを止めてしまった。おいおい……。
「まあ気持ちは分からんでもないが、普段から復習しとけば何とでもなる量だろ」
俺の言葉に、千歳はますます苦い顔。
「うっ、先生みたいな事言ってる……先生、楽に勉強を済ませる方法はありませんか?」
「いい質問ですね千歳さん。そんな質問をする暇があったら勉強してください」
「本格的に先生モードになった!? しかも質問答えてくれてませんし! いい質問ですねって言ったのに!」
ぎゃいぎゃい抗議する千歳。
俺は涼しい顔で返答した。
「なら訂正する。どうでもいい質問ですね」
「意味が180度変わってる!」
「はい千歳さんお静かに。早速始めますよ」
「うわ先生モードに戻った……怖い……取ってつけた敬語が怖い……」
がくぶると震えながらも、千歳は存外素直に教科書とノートを開き始めた。一応学習意欲はあるらしい。良いね。
「では、まずは現国から――――」
★★★★★★
事務作業の傍ら、耳に入ってくる弟の声に、私はくすりと笑みを零す。
会計ちゃんといると結構自然体だね、火墨は。
昔から私の弟は押しに弱い所がある。あと結構優しい。頼まれれば断れないし、困っている誰かがいれば助けるし、まあ人的魅力があるかは個人の主観によるけど、それでも他人が敬遠するような性格の持ち主じゃない。
そのくせ高校に入って以降は妙に肩肘張ってると言うか、他人が自分に関わりたくなくなるような言動をわざと貫いて、いつも独りでいようとする。
その原因が、私には分からない。
無論、何で妙に肩肘張ってんの、と聞いた事はある。
でもその時ははぐらかされた。突っ込んでさらに聞こうとすると本気で嫌がってる顔をされた。だから流石の私もそこで折れて、結局分からずじまい。
だけど、関わるなオーラ全開の弟もそこを正面突破してくる会計ちゃんには弱いようで、彼女と接する際は割り方態度が柔らかいというか、言葉に容赦は無くても本当に突っ放そうとはしていないというか……とにかく、ちょっと素が出ている。
きっとそれは良い傾向だ、と思う。
どういう理由があるかは知らないが、他人に避けられるように生きるなんて生き方をする事は、少なくとも良い事じゃない。
というか、端から見ていて私が悔しいし、辛い。
何避けられてんの、何避けられようとしてんの、何つまんない生き方してんの。
あんたが押しに弱い事も優しい事も面倒見の良い事も誠実な事も、全部知ってるのに。あんたの良いとこは全部私は知ってるのに。間近で見てるのに。
何で全部隠し通して、拗らせたぼっちのフリをしてんの。
何より、何でそういう事をしてるのか、どうして私に教えてくれないの。
聞きたい事も言いたい事も、山ほどある。
だけどそれを言葉には出来ない。
だって結局は全部、私の我儘だし。
だから、私はあえて何も言わない。
無気力な態度で待ち続ける。
彼自身が、彼の素を曝け出す事を望む日まで。
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