第1話 パンカツ

「ふふふふーん、ふんふふーん」


 ああ、またあの歌声が聞こえる。よもぎと名乗るあのが今日も朝食の準備をしてくれているんだ。

 今朝のメニューは何だろうか。トーストとゆで卵は毎朝の定番として、問題はいっしょに出される紅茶だ。とにかくあのは紅茶にはこだわりがあるみたいで、うちにある徳用パックをうまくアレンジして出してくる。

 さて今日の紅茶は?

 最近ではオレもちょっと気になる朝のお楽しみになっているんだ。


 あれはよもぎと迎えた初めての朝のことだった……って、初めての朝なんて、そんな何かあったわけじゃないぞ。断じてないぞ。

 とにかく、それは追々説明するとして、とにかく、よもぎが初めて出してきたのは確かジンジャーティーなるものだった。

 いろいろあって……って、ヘンなことじゃないぞ。断じてないぞ。

 まあ、その、あの晩、オレがそのまま床で寝ちまったもんだから、身体からだが冷えてるんじゃないか、ってあのなりに気を遣ってくれたんだろうな、温まるようにって考えて、冷蔵庫の片隅にころがってたショウガを薄切りにしてティーポットに入れたって話だ。

 うん、あれは確かに温まったよ。なにより、紅茶にショウガなんて、あれは新鮮な発見だったよ。

 他にもすっごく甘いミルクティーだのすっきり香るスパイスティーだの、紅茶についてはいろいろとレパートリーがあるみたいなんだけど、よもぎ本人が言うにはとにかく自分の名前と高校生ってこと以外には記憶がないんだそうだ。でもさ、紅茶の記憶はあるわけだし、はたして記憶がないってのもどこまで本当なのか……それでもオレも悪い気はしてないし、よもぎとも適度な距離感の関係を築いて、そして今はこうして奇妙な共同生活をしているってわけなんだ。



 オレの名前はヒロキ、太田ヒロキ、理科系大学の化学科の3年生だ。再来月、4月からは4年生になる。この不思議な話のそもそもの発端は3年生最後の課題を提出したあの日に起きたんだ。あの奇妙な出来事がこの物語の始まりだったんだ。


 オレとよもぎが初めて出会ったのはまるで夢の中のできごとのような、不思議な状況だったんだ。

 課題を出し終えたあの日、オレはなぜかタイムスリップみたいな体験をした。そしてなんとかそのおかしな迷宮から抜け出して部屋に戻ったら、そこにいたってわけさ、よもぎと名乗る女の子が。

 とにかく驚いたよ。でもあの不思議な体験の直後だったし、オレもそういう現象には事前の免疫みたいなのができてたのかも知れない。なぜか目の前のできごとをあっさり受け入れることができたんだ、あのときは。

 よもぎ曰く、自分は幽霊でほとんど記憶がないんだと。そしてたまたま神社に参拝に寄ったオレと波長が合ったもんだからついてきたって話だ。

 いや正直、まいったよ。だってオレ、これまで彼女なんていたこともないし、ましてや歳下、それもJKだぜ、そんなと同居するなんて。

 それよりなにより自称幽霊のよもぎはオレの目の前で消えて見せるし、半透明になってオレの中にも入りこむし、挙句はスマホにも入っちゃうんだぜ。まったくとんでもない展開だよ、まるで深夜に流れてるアニメの世界みたいじゃないか。

 それにしても夜の夜中に幽霊とは言え女の子を外に放り出すわけにもいかないし、よもぎが言う「波長が合う」ってことなのか、オレにとってもこの奇妙な展開に不思議と違和感を感じなかったので、それならばと一時避難的に受け入れることにしたんだけど、一時避難どころか今ではこうしてすっかり同居人になっているわけだ。


 ん? 同居人? いやいや、あいつは人じゃないだろ。じゃあ、同居霊? そんなの聞いたことないぞ……そうか、ここに居付いてるわけだから、地縛霊か!

 なんてことをよもぎに言ったら、あいつえらくむくれてたな。よりにもよって地縛霊なんて失礼だ、って。自分はそんなんじゃなくて浮遊霊だ、って。てかさ、どちらにしても事情を知らない人にとっては不気味な話だよな。



 さて、そろそろ起きるとするか。よもぎひとりにまかせてないでオレも皿を並べるくらいはしないと、だよな。どれ、今朝のメニューは、と。


「よもぎ、おはよう。いつもいつもありがとうな」

「あっ、ヒロキさん、おはようございます。今日はお休みだから朝はゆっくりできますよね? よもぎ、これからパンカツを作りますから、もうちょっと待っててください」


 このはいつもこうして敬語なんだよな。でもさらりと自然でよそよそしくないんだ。きっと育ちがいいなんだろう。それにしても……パンカツってなんだ?

 キッチンのまな板の上には何やら材料だろうか、いろいろと並んでいる。刻んだキャベツ、ベーコン、けずり節、それに卵。そしてその脇に置かれたボウルには水に溶いた小麦粉。なんだこりゃ、まるでお好み焼きじゃないか。

 でも、そのまた隣にはパン、食パン?

 おい、よもぎ、君はいったい何を作る気なんだ?


「さて、それでは始めますよ。ヒロキさん、そこで見ていてくださいね」


 そう言うとよもぎは熱したフライパンに油を引いて、水溶き小麦粉を丸く薄く、そう、まるでクレープでも作るかのように流し込んだ。そしてその上に食パンを1枚置いた。

 次に食パンの上に、これまた薄く水溶き小麦をまわしかけるとパンの耳に沿って刻みキャベツを土手のように盛る。そこに適当なサイズに切ったベーコンを載せると再び水溶き小麦粉を薄く回しかけた。

 う――ん、やっぱこれはお好み焼き?

 でもパンだよなぁ……そうか、これってフレンチトーストとお好み焼きを足して2で割ったみたいなものなのか。

 よもぎはテキパキとした動きで手際よく作業を進める。そして卵を手にするとフライパンの縁で殻をたたいてキャベツの土手の中心にその卵を割り入れる。ここでよもぎはオレの顔を見てにこりと微笑むと、


「ここからが腕の見せどころです」


なんて言いながらフライ返しを手に取った。


「えいっ!」


 よもぎは気合一発、掛け声とともにフライパンの上の物体をひっくり返した。こちら側にさらされた裏面はいい具合にきつね色に焼けている。食パンの耳も香ばしそうだ。よもぎはフライ返しでそれを軽く押さえつけると、


「よし、うまくいった! さてさて、これで3分間待つのです」


と、腕組みをしながらドヤ顔をこちらに向けた。そんなよもぎにオレは尋ねた。


「よもぎ、このお好み焼きのようなフレンチトーストのような……」

「パンカツです!」


 よもぎはオレの台詞が終わる前に自信に満ちた声で言い放った。


「おいしいんですよ。焼けたらソースをかけておかかをふりかけるんです。青のりとか紅ショウガがあれば完璧だったんだけど、今日はありあわせでこんな感じです」

「へえ――、パンカツかぁ、初めて見たよ。どこで教わったんだ、これ」


 オレはそれとなく尋ねてみた。もしかしたらこんな些細なことでよもぎの記憶の一部でもよみがえるんじゃないか、って思ったんだ。でもよもぎの答えは相変わらずだった。


「う――ん、なんとなく身体からだが覚えてたっていうか……」

身体からだが、って、いまの君の手際のよさはそんなレベルじゃないだろう」

「よくわからないんだけど、でも、そういうもんなんですよ……って、あっ、いっけない、焦げちゃう」


 よもぎはあっさりとオレの問いかけをはぐらかしてフライパンの上で食欲をそそる香りを立ち昇らせている物体をフライ返しでもう一度ひっくり返すと、


「ちょうどいい感じです」


と言ってそれを皿に載せた。そしてできあがったパンカツなるものにソースをかけ回して削り節をふりかけた。


「はい、これで完成です。パンカツです」


 よもぎはオレの目の前に皿を差し出して見せると、それをすぐに居室のちゃぶ台の上に運んだ。


 それからよもぎはパンカツなるものをもう1枚焼き上げるとティーポットとともにそれをちゃぶ台に並べた。そしてよもぎは先にできた方の皿を自分のところに寄せて、今焼きあがったばかりの熱々の皿をオレの方に寄こして言った。


「今日の紅茶は普通の紅茶です。パンカツは味が濃いからその方がいいんです」


 オレは熱々のパンカツにかぶりつく。スパイシーなソースの香りと削り節の香りが食欲をそそる。それにしてもこれは……うまい、うまいじゃないか。卵、ベーコン、キャベツ、そして食パン。確かに食感はパンそのものだけど味と香りはお好み焼きそのものだ。それにこのパンの耳、これがいい感じにさっくりしてるんだ。

 うまい、うまいぞ、これは。

 そしてオレはカップの紅茶を一口。不思議なことに紅茶もよく合う。


「よもぎ、うまい、うまいよこれ。星3つ、いや5つだよ」

「えへへ、よかったです。よもぎ、また今度作りますから」


 よもぎと名乗るこの女の子の幽霊がここに一緒に住むようになってから、オレの食生活は格段に充実したんだ。

 それにしてもよもぎ、君は幽霊なんだよな。

 そして君は食べた後でも平気で消えたりするよな。

 それってどんなからくりなんだ?

 食べたものはどこに消えるんだ……なんて、そんな野暮なことを考えるのは理系男子のさがってやつなんだろうか。

 とりあえず今はそんな細かいことはさて置いて、この奇妙な日々に身を任せてみるって展開もありなんだろう。


 それよりなにより、あとで青のりと紅ショウガを買っておこう。忘れないようにメモしておかなきゃな。

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