第五話:もし草野球をしている女性YouTuberが別の野球YouTuberの動画を参考にしたら

 次の週の日曜日も、やはり第一縹川グラウンドに集まって練習をした。この日は健やかな青空の広がる気持ちの良い日とはお世辞にも言えないどんよりした曇り空だった。しかしなにより先週よりも気温が下がって、ジリジリ日に焼けることは今日はなさそうだ。杏はマネージャーらしく球場使用許可の申請作業や近くのコンビニで飲み物を調達するなど脇役に徹し、その間に俺らは準備運動に入った。




 今日は大川兄のリハビリ目的も兼ねて、投打対決を優先的に行った。投手にとっては打者がいるといないでは感覚に差が出てしまうので、時々こういう練習をしないと感覚がずれてしまう。




 全体でキャッチボールを終え、そのまま土手の低めのマウンドから大川兄が投球練習を始めた。俺らは大川兄が準備できるまで素振りで打撃用の体の動きに身体を慣らせるようにした。準備ができて、まずは蘭が打席に入る。かかとで打席の土を掘って、砂埃が蘭を包み込んでいく。




 急遽出来たチームなのでまだ機材は揃っていない。蘭が持っていた数個の軟式ボール以外全員高校時代の練習着か普通の運動用の服装で、バットも高校時代に使っていた硬式用しか無い。もちろんヘルメットも揃えていないので、現役の頃は百三十キロ投げていた投手にヘルメット無しで向かうことになる。大川兄も女になったというだけで蘭に対してデッドボールをぶつけないように外角を狙ってそおっと投げている。蘭は大川兄のそういうボールに合わせて、柔軟に打ち返していく。やはり上手い。なんとも頼もしい美人だ。




「ちょっと! 女になったからって外ばっかり投げないでよ!」




「いや、そういわれても……」




 蘭が大川兄を攻め立てるが、そこは元男として男の立場というものも理解してあげてほしい。男は女相手だとどうしても本気になれないものなのである。




 先程の注意を受けて大川兄も少しは球速も上げて内角をえぐるような力強いボールを投げ込むようになったものの、それでも蘭は平気な顔でどんどん打ち返していく。あそこまで上手く打つ秘訣は何なのだろうと思ったので、蘭が打ち終わってから聞いてみた。




「蘭、当てるの上手いよな、何考えてやってんの?」




「え、ちょっと感激! 下の名前で呼んでくれるの? え、嬉しい!」




 いや、今それ関係ないでしょ。顔も声も変わってすっかり別人になったが、野球をしているとついつい出てくる又田の面影。肩より長い髪を指でくるくるしながら恥ずかしそうにしているのを、俺はどう反応すれば良いのか未だに分からなかった。




「じゃなくて、バッティングでどうやったら打てるようになるのかってこと」




「ああ、ごめんごめん。シンクロ打法って知ってる?」




 シンクロ打法? 聞き馴染みはない。シンクロといえば……シンクロナイズド・スイミング? 水泳から着想を得た、全く新しいバッティング理論だろうか。興味は湧くが想像はつかない。




「ユーチューブで他の人がやってたんだけど、投手のリズムに合わせて動作することでタイミングを合わせやすくするんだって。投手が足を上げたらこっちも足を上げて、踏み込んだらこっちも踏み込む。対決なのに協力しちゃうところが面白いよね」




 なるほど、投手の呼吸にあえて合わせるというわけか。普通は自分のタイミングで自分が振りやすいようにリズムを取って打ちに行くが、そうではなくて自分と相手のタイミングを合わせることで同じリズムの中に溶け込むことでタイミングを取りやすくするという理論なのか。シンクロ打法と言われる由縁が理解できた。




 しかし実践すると難しそう。今までの自分のリズムを一旦全て捨ててしまわないといけない。これは俺にとっては大改造だ。野球はリズムを合わせるスポーツだが、今まで自分のリズムを相手に合わせるなんて考えてもみなかった。だからそれほど結果を残せなかったのかと少し過去の自分に納得もした。




 蘭のタブレットを使って実際にその動画を見せてもらった。確かに投手と打者がお互いのリズムをお互いにシンクロさせているように見える。投手が足を上げたら打者も上げ、踏み込んだら打者も踏み込む。しかしその動画よりも気になったのが距離が近い蘭の存在だ。




 蘭は自分でタブレットを両手で持ちながら、徐々に俺との距離を詰めていく。蘭の中身は又田だということは重々承知しているが、それでもウェア越しに伝わる独特の肉感やその長い髪が少しでも俺に触れると、もやもやしてくる。顔や声が変わったというのはもうだいぶ慣れたほうがと自負しているが、性別が変わったということがたぶん自分の中では一番受け入れるのが難しいらしく、どうしても女性としてみてはいけないような気がする自分と女性として受け入れている自分が交錯していて、天使と悪魔のように俺が俺自身に対してアドバイスしてくるのである。これはドキドキしてもいい相手なのかどうなのか、飲み込みきれていない。




 しかしその時、救世主が現れた。杏が戻ってきたのだ。みんな飲み物を求めて杏の方へ駆けていく。申し訳ないとは思ったが、俺もどさくさに紛れてすり寄ってくる蘭から逃げるように飲み物の方へ早足で向かった。




「長澤、さっき蘭ちゃんと何見てたの?」




 蘭ちゃんって。杏がここまで柔軟に慣れていることに驚いた。杏はもうすでに蘭と”女友達”になれているのである。見習わないといけない。




「なんか、シンクロ打法っていうのがあって、それ試してみようかなと思って」




「シンクロ打法?」




 首をかしげる杏。かしげた方にポニテが流れる。ポニーテールは男の夢だというのを分かっててやっているのだろうか。なんて奴だ可愛すぎる。杏に一通りシンクロ打法について説明すると、杏も興味を持ったようだった。




「なるほど、シンクロ打法かぁ。さすがユーチューバーだよね、知識量が違うね! じゃあ今日は長澤のこと、いつもよりよく見とくからね。頑張って!」




 いつもより見ている。この言葉がこの後俺に重くのしかかってきた。杏が見ているならカッコ良いところをなんとしてでも見せたい。あのポニテに褒めてほしい。そういう思いは大きければ大きいほど、失敗を誘発してしまうことも忘れてしまっていた。




 いざ俺の番が回ってきたので、まずは大川兄の動作をじっくりと観察してみる。大きく足を上げて一瞬腰に力を入れ、そこから前進してきて力強く踏みしめたかと思えばそのガッシリとした脚の上から右腕が力強く振り下ろされてくる。なるほど確かにさっき動画で見た投手とはリズムが違う。人それぞれリズムが違うのだからそれに合わせないといけないというわけか。




 打席に入ると大川兄が蘭のときとは違い自信満々に投げ込んできた。やはり見るのと実際にやるのでは違う。ワンテンポ遅れてしまうような感じがした。何度も何度も脚や腰のリズムを合わせてみるものの、どうもワンテンポずれる。大川兄のリズムはつかめているようでつかめていないようだ。やはり高校のときみたいに必死になって自分のフォームを固めていた意識が強すぎてうまくできない。自分が自分が、といくと合わないから、自然に任せてとにかく投手に委ねなければ。何度か試したが、前に飛ぶことはなかった。




 それを杏が見ていると思うと投手だけに集中できなかった。杏が見ている。そのことだけで頭がいっぱいになる。ただのマネージャーだと自分に言い聞かせたところで、その時点で杏のことを考えてしまっている。杏のこととなると制御できない自分が情けなく思えてくる。男はこういうところで弱い。好きな女がいると途端に弱くなる。何やってるんだ俺、どうしたんだ俺、頑張れ俺、そういうふうな口先だけの応援はもはや自分には一切の効力もない。ただ杏に良いところを見せたい、杏に失敗したところを見られたくない、それだけなのである。だから単細胞と言われてしまうのである。悲しき男の性。自分の番が終わってベンチの方に戻ると、蘭は優しめに肩をたたいて慰めてくれた。さすがに杏はマネージャーとして、次の打者を応援してこっちを見てはいなかった。




 大川兄の肩が悲鳴を上げそうになった所でグラウンドを去り、先週と同じく軽食の後バッティングセンターに向かった。そこでもシンクロ打法を意識して、マシンの画面に映るプロ野球選手の動きに合わせるようにして練習した。杏は女友達である蘭と談笑しながら笑っている。いつかその笑顔を真正面から俺に向けてくれる日が来たら良いのに。そう思いながらバットを振り続けた。手に豆ができ、体力の限界になったところで恒例のストラックアウト大会をし、見事に二枚だけ撃ち抜いて、その場を後にした。




 シンクロ打法は相手のリズムと完璧に合わせればそれで打てるようになる。非常にシンプルで簡単そうだが実は結構難しい。これはもしかしたら俺が蘭や杏のような女性とどうやったら一緒になれるかにも通じているのかもしれないと、帰り道にふと思いついた。男は女性に合わせて話を聞き、聞き上手にならないといけないとどこかで誰かが言っていたような気がする。ウンウンと頷いて、良いところで的確なコメントを入れる。つまり相手とシンクロしていないと聞き上手にはなれない。九州男児のように引っ張っていく男もそれはそれで男らしくて格好良いと思うが、俺はそういうタイプの人間ではないと思う。




 優しい男だとはよく言われるが、それは優しいのではなく度胸がないだけである。それは自分でもわかっている。高校時代だって大川兄から無理やり杏を奪ってやろうなんて野望は微塵も考えていなかった。そんな俺が女性を惹き付けるためには、シンクロが大事なのである。蘭は暗にこれを伝えたかったのかもしれないとまで考えたが、さすがにそれはないか。




 夕方の土手沿いで考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか家の前までついていた。帰ってきてから気付く足の重さ。明日もきっと筋肉痛である。シャワーの後に着替える前に全身湿布だらけにして、そのまま布団に潜り込んだ。


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