第24話 強くなりたい

 僕は今、岩と向き合いながら後悔している。自分の体よりもはるかに巨大な物だ。いくら盗賊なんかに馬鹿にされたからって、我ながら早まったものだと自省の念が止まない。


 例の襲撃後からどうしたのかというと、順調に護送して無事アルウェウスの町へと辿り着いた。喜びを隠さずに成功報酬を手渡す商人とは早々に別れを告げ、宿を取る前にグスタフに相談したのだ。


ーー僕を強くしてくれないか、と。


 その時はそれが最善の選択だと信じていた。グスタフの強さは明らかに群を抜いており、そこらの訓練場の教官よりもずっと戦闘に長けているように思えたからだ。だから彼が快諾をしてくれた時は、心から感謝しきりだったんだけども……。


「さぁリーダー。気持ちで負けるなよ、それが元で失敗する事もあるからな」


 岩の隣でグスタフが快活に言う。彼が最初に提示した修行は『拳ひとつで岩を叩き割れ』という、何とも耳を疑いたくなるようなものだった。そんな芸当が出来るなら、わざわざ人に教えなんか請わないだろうに。グスタフは頼りになるようで、たまにこんな馬鹿げた真似をしてくれるから油断がならない。


「ねえ。どう考えても無理だって。割るどころかヒビひとつ入れられないと思うよ」


「だらしないなぁ。オレなんか武者修行の初日に実行したもんだぞ」


「どうしてまたそんな事を!?」


「そりゃお前、修行っぽい感じが出るじゃねぇか」


「結果はどうだったの?」


「拳の骨がへし折れて、治療院通いを余儀なくされた」


「グスタフはさ、向こう見ずって言葉を覚えた方が良いんじゃないかな」


 しっかりしているようで抜けている。それが彼という人物像だった。洞窟で毒キノコに当たって死にかけるくらいだから、度合いについては改めて考えるまでもない。


「リーダー、ひとつ面白い話をしてやる。こいつは受け売りだから偉そうに話すのもおかしいんだが」


「一応聞かせてもらおうかな」


「オレら、つうかこの世界にあるもの全てだがな。目に見えないほど細かな物が、それこそ数え切れないほど集まって出来ているらしい」


「……えぇ?」


「つまりはだ。理論上、その繋ぎ目を断ち切る事さえできれば、どんな物でも破壊できる訳だ。竜の鱗だろうが、熟練工の作った鋼鉄だろうがな」


「ごめん。意味がさっぱり理解できないよ」


「無理もねぇ。オレ自身が分かってねえからな!」


「まぁグスタフさん。冗談がお上手ですね」


 愉快そうに笑いだした2人を差し置いて、僕は岩と向き合った。この腹立たしさ。真剣な願いを小馬鹿にされたような気がしているからだ。いっそ派手に怪我をして、前例に倣って治療院通いしてやろうかという、捨て鉢な考えが脳に過った。


 岩を見据える。構えは解いたままだ。こんなもの相手に、どんな態勢で臨んでも結果は同じだからだ。微動だにしない物体を眺め続けていると、徐々に焦点が怪しくなってきた。岩が遠ざかったり、かと思えば近寄ってくるような錯覚を覚える。しばらくの間そうしていると、ほんの一瞬ばかり不思議な物が見えた。


ーー何だ、今の光は?


 ごくありきたりな岩の側面で何かが輝いたのだ。太陽の光が反射したとは思えない。なにせ今日は曇天模様で、とても日差しが降り注ぐような陽気ではないからだ。しかも表面が光ったというよりは、もっと奥深くで煌めいたように感じている。その不可思議で初めて見る光景が、なんとも言えず笑いに似た感情を誘った。


ーーこれがもしかしたら、繋ぎ目というヤツなのかも。


 僕は腰を落とし、力を込めて手を伸ばした。叩き割るつもりというよりは、大げさな動きで手荷物を拾う感じだ。拳の軌道は光の方へ向かって一直線。きっと次の瞬間には、大破した岩の姿を拝める事だろう。そう思っていたのだけど、拳は寸でのところで何者かの手で握り締められてしまう。止めたのはグスタフの掌だった。


「おいおい早まるなって。本当に大怪我してしまうぞ?」


「え……、どうして?」


「これは余興と言うか、ほんのおフザケだ。修行はちゃんと用意してあるから、マジになるな」


「まぁグスタフさん。今のは止める必要がありましたか?」


「いやオリヴィエ。あのまま殴りつけてたら怪我してたぞ。そうなったとしたら、嬢ちゃんが治してくれるだろうが」


 僕も少しばかり文句を言いたくなった。なぜお節介にも止めてくれたのか。あのままいけば、本当に叩き割る事が出来たかもしれないのだ。オリヴィエも僕に賛同し、咎めてくれている……と思ったのだけど、それは僕の早とちりであったようだ。彼女の口からは明らかに見当違いな言葉が吐きだされる。


「邪魔をしてはいけません。レインさんにはこの後、『硬い物で苦痛を覚えたなら、柔らかい物に触れて癒しましょう』という完璧な誘いをかけるつもりなのですから」


「おっとすまん。オレはどうも気が回らなくていけねぇな」


「本当ですよ。もう少し乙女心を学ぶべきでは?」


「オリヴィエこそ、乙女心を説く前に常識的な言動について気を配るべきだよ」


 そんなやり取りの後、グスタフによる小さな詫びの言葉が述べられ、修行が正式に開始した。と言っても派手な事はひとつもない。決められた型の動きを延々とやらされるだけだった。


 頭上に掲げての振り下ろしと、肩口から斜めに斬る動き。そして真横一直線に振り切るものと、下から切り上げる動きと、中段に構えて突くという計5種。これをひたすら繰り返す。それぞれが200回ほど、合わせて1000回のノルマが課せられた事になる。


 グスタフは『一刻も早く正しい型を覚えろ』と言うのだ。教わった動きがもっとも効率的な斬り方らしい。でもいざ戦場に出たとしたらどうだろう。目まぐるしく状況は変わるはずだ。敵だってジッとしてはくれない。そんな中であっても、いちいち型通りの動きを求められるのか、と聞いてみた。すると彼は首を横に振った。


「戦闘中は臨機応変に対応しろ。相手との戦力差、獲物に足場や天候など、考えなくちゃならん事は多くある。そんな中で最適な行動を取れるようになるには、場数を踏むしかない」


「だったら型を覚えたとしても使えないって事になるじゃないか」


「いやいや、それは違うぞ。型を覚えるのには多くのメリットがある。ひとつ、戦闘で必要な筋肉を鍛える事ができる。ひとつ、咄嗟に戦う事を求められた際に、的確に動く事ができる」


「なるほどなぁ。そういうものかもしれない」


「他にも確たる自信をつけられるとか、色々あるな。さぁさぁ御託はこれくらいにして、騙されたと思ってやってみろ。努力した分だけちゃんと力がつくぞ」


 やってみろ、と気軽に言うけれども、中々過酷な訓練になった。上段の200回を終えた所で腕は上がらなくなり、他の型で始める事が出来なかったのだ。構えようにも、剣を掲げる事さえ難しいという有り様になる。


 ちなみに、肉体疲労の回復にオリヴィエの治癒魔法を使うことは禁じられていた。何でも、自分の体が快復しようとする力が損なわない為だとか。この凄まじいまでの倦怠感には慣れるしかなかった。


 町外れの森を修練場代わりにして、僕は雨の日も風の日も訓練を続けた。日を追う毎に回数は増えているけども、せいぜいが500回止まり。目標の半分をこなすというのがやっとの状態だった。


「レインさん。精がでますね。そろそろ宿に戻りましょう」


「う、うん。そうするよ……」


「無理しないでください。肩を貸します」


「ありがとう。グスタフは?」


「新たな依頼を受けて留守にしています。もうじき戻る頃合いかと」


 僕が訓練にかかりきりの間、皆は別行動を取っていた。グスタフは自身の鍛練か依頼を受け、オリヴィエは書見か魔法の勉強をしているそうだ。僕の事に無理矢理付き合わせてしまったようにも思えて、少し申し訳ない気分になる。


 特にオリヴィエには頭が上がらない。訓練で疲れ果てた僕の世話を一手に担ってくれてるのだから。例えば夕食時。彼女の手助け無しには食べることすらままならない。


「はいレインさん。アーンしてください」


「あ、ありがとう」


「ダメです。アーンと言わなくては。それは最低限のマナーですよ」


「……あーん」


「はいどうぞ」


 恥ずかしい。ありがたいけど、恥ずかしい。パンを千切っては食べさせられる。スプーンで掬った熱々のスープを、吐息で冷ました上で飲ませてくれる。口が汚れたらナプキンで丁寧にぬぐってくれる。これはもう育児か介護の領域だ。


 今となってはありふれた光景として扱われており、初日ほど人目を引かなくなった。それでも好奇の視線はいくつも飛んでくる。彼らからしたら、半裸の男が若いシスターを侍らせているように見えるんだろうか。グスタフの連れ合いという立場でなかったら、ひと悶着を覚悟する事態になっていたかもしれない。


「お食事は終わりましたね、それではお風呂に行きましょうか」


「ありがとう。風呂場の手前までお願いね」


「そんな訳にはいきません、私もご一緒します。中で溺れたら大変ですから」


「えぇ……? 男女で湯船に入ったら怒られちゃうよ」


「もちろん、私は着衣のままで控えるつもりです。こう見えてシスターなのですよ、恥女ではありません」


「改めて聖職者だと宣言しないと忘れられちゃうくらいには、それらしく無いよね」


「だからする事と言えば、せいぜいレインさんの体を清めるくらいです。余すところ無く隅々まで。さぁ参りましょう」


「嫌だよ。外で大人しく待ってて」


 ねばるオリヴィエ。閉め出す事にはだいぶ苦労をさせられた。その間も宿泊客たちが奇異な目を寄越しつつ、ひとり、またひとりと通りすぎていく。この辱しめにも似た『お騒がせ』には、一向に慣れる気配が無かった。


ーー特訓、別のものにしてもらおうかな。


 僕は早くも疑問を感じていた。ここまで肉体を酷使する必要はないのでは、と。まるで介護のような扱いを受けることは屈辱的であり、オリヴィエの『弁舌』が無駄に滑らかになるのも悩みの種だった。面倒事が増えたのは入浴前の一悶着からも明らかだ。


ーー謎の光も気になるし、訓練の変更をお願いしてみようかな。


 巨岩に見た謎の光。確認できたのは、後にも先にも一度きりだった。暇を見て同じように向き合っても、極僅かな煌めきすら見つけられていない。僕としては、そちらの解明の方に気持ちが向いてしまっている。そもそもグスタフが側にいるうちは、焦って強くなる必要も無いのだ。時間をかけて成長していけば良い。


 湯の張られた大きな桶で、身を屈めながら疲れた体を暖める。強ばった筋肉が弛んでいくのが分かるようだ。この倦怠感も今日でお終いだ。そう考えていたのだが……。


「リーダー、頑張ってるじゃないか。その調子でいけば、役職が変わるのも時間の問題だな!」


 寝室でグスタフと合流するなり、とんでもない話を聞かされた。これまでの会話で、一定値以上に技能が向上するとランクアップする事は知っていた。しかし役職が変わるとまでは知らなかったのだ。それを聞かされたとあっては、もう居ても立ってもいられない。


「ところで、折り入っての話ってのは何だ?」


「えっと……。今のメニューだと手ぬるいと思う。もっとビシバシ鍛えてくれないかな?」


「そうかぁ! 任せろ、エグいヤツを用意してやるからな!」


 グスタフは、僕のやる気を見てニッコニコだ。オリヴィエまでも上機嫌になっているのは、これまで以上に『介護』が必要になるからだろうか。


 だけど、それらは全てが些細な事。盗賊に馬鹿にされた事すらどうでも良い。女神様(やっかいさん)に押し付けられた『途方もない変態』という役職から逃れられるなら、どんな苦難でも乗り越えてみせる。そう心に強く誓うのだった。

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