第20話 豹変する世界

「じゃあ、今から投げるぞ。それを足さばきだけで避けてみろ」


 グスタフが10歩ほど離れた所に立ってそう言った。彼の手には拳大の石が握られている。そこから投げつけられる石を回避するという訓練だけど、これまでに何度も繰り返された動作だった。


「いくぞ、それッ!」


 頭上に掲げられた石は無遠慮に投擲(とうてき)された。大男の体重が存分に乗っているため、当たり所が悪ければ大怪我を負ってしまう。それこそ最初のうちはオリヴィエのお世話になったものだけど、ここ最近はお願いする事も減ってきている。


「おお、良いじゃないか。随分と様になってきたぞ!」


 ただ避けるだけではダメだ。体勢を崩さずに避け続けなくてはならない。そうする事ですぐにでも反撃行動に移れるからだ。これこそグスタフが教えたかった事であり、時には寝食も忘れる程にみっちりと教え込まれた。


「よし、そろそろ次の動きだ。攻撃も織り交ぜろ!」


「行くぞぉッ!」


 グスタフの視線、腕の動きから狙いを読み取る。額だ。右側に倒れるようにして石を避けた。耳元で凶悪な風切り音が鳴る。回避した勢いを止める事なく、一気に距離を詰めた。そしてガラ空きの胴めがけ、木剣を力いっぱいに叩き込んですれ違う。確かな手応え。間違いなく渾身の一撃だ。


「よしよしよし! 良いじゃないか、バッチリだぞ!」


「そうかなぁ? 平気そうにピンピンされてたら自信無くしちゃうよ」


「まぁそう言うな。打ち込みの度に怪我してたら面倒だろう」


 いつものようにグスタフが快活に笑う。したたかに胴を打ち据えられたにも関わらずだ。これはやせ我慢をしているのではなく、彼の持つ金剛(こんごう)という戦闘技能の効果によるものだ。ほんの一瞬だけ攻撃を無効化できるそうで、今のような場面では頻繁に活用されていた。


 訓練が終わったら辺りの掃除だ。といっても、散らかった石を片付けるくらいで、クールダウンには物足りない。汗が吹き出してくる。まもなく冬に入るけども、体を冷やしきるほどの気温にまでは落ち込んでいなかった。


「レインさん、お見事です。お水をどうぞ」


「ありがとうオリヴィエ」


 差し出された木椀は清水で満たされていた。小川から汲んだそれは良く冷えている。喉を何度も鳴らして飲んだ。それで体温がいくらか下がったようで、渇きも蒸し暑さもだいぶ楽になる。


「グスタフさんの仰る通りです。短期間の訓練とは思えぬほど、目覚ましい成長をされておりますよ」


「そうかなぁ。全然実感ないや」


「アンちゃんは眼が良いみたいだ。いや、先読みの才能かな」


「どういうこと?」


「敵の次なる動きを読みきる力だ。オレは苦手だから詳しく語れんが、かなり有用な才能だと思うぞ」


「そんな大それた才能……本当にあるのかなぁ」


 誉められてもやはり実感はない。訓練中はとにかく必死で避けているだけであり、特別な何かを感じた事は一度もない。それでも周りは担ぎ上げるようにして称えた。グスタフだけでなく、オリヴィエもだ。


「レインさんの眼力は確かなものです。服の上からでも、私の体型を見抜いてみせるのですから」


「本当かい? そいつぁ大したもんだ」


「待って! 僕はそんな事しないよ!?」


「……見ては貰えないのですか。そうですか……」


「あのさ、イエス・ノーのどちらを選んでも問題有りっていうのは酷くないかな?」


 肩を落とすオリヴィエの脇で、グスタフが愉快そうに大笑いした。これはもはや見慣れた光景だ。3人で過ごすことも、随分馴染んできたもんだと思う。


 それからは昼食にした。その最中に、一度ムシケの町に戻る話が出たので、午後の予定が決まった。採用の理由としては、手持ちのお金が心許なくなったからだ。冬は食費や燃料費が高くつく。本格的に寒くなる前に手堅く稼いでおきたい。


 ちなみにキノコ関連はすべて禁止となり、食に関しては僕らが管理する事になっている。だけどこの決定にはグスタフが難色を示した。どうやらネムリタケの食感をいたく気に入っているようで、陰でコッソリつまみ食いする程度には虜のようだ。もはや中毒と言ってしまって良い。彼が健全な食生活を取り戻す為にも、キチンとした物を提供し続けるべきだろう。


「町の皆さん。様子はいかがでしょうか?」


「さぁてな。前と変わらんだろうさ。事情が事情だからな」


「……新しい王様って、そんなに酷い人なのかな?」


「こんだけ離れた所にも聞こえるくらいだ。よっぽどのボンクラだろうよ」


 ここ最近でムシケの町は活気を失っている。つい先日までは市場の客が途切れず、船もひっきりなしに航行するほど賑わっていたのだけど、日に日に寂れていくようだった。そして、数日ぶりに訪れた僕たちの眼に、より悪化した光景が広がっていた。


 物は溢れても品は売れず、あらゆる店は閑散としていた。通りを行く人もまばらであり、見かける人みなが肩を落としている。海の方もやはり陰鬱としていた。漁をしていないのか漁船はまばら。大型の交易船は姿すら拝むことは出来ない。


 ここは『死に行く町』だと揶揄されても仕方がないほど、暗く、重たい空気をまとっている。悪い予想が当たった形だ。僕たちは軽く顔を見合わせたあと、食料品店へと赴いた。


「おかしいな。今日はお休みなのかな?」


 通い慣れた店は普段と様相が違った。木窓もドアも締め切っており、休業日のようにしか見えなかった。


「いや、看板が出ているな。それに中から人の気配もする。ノックしてみたらどうだ?」


「何かあったのかなぁ……」


 遠慮がちに二回、ドアノッカーを鳴らしてみた。しばらくするとドアが開いた。ただし女店主の怒声付きで。


「あんだよ! 冷やかしならとっとと帰んな!」


「ひぇっ! もしかしてお休みでした!?」


「うん? なんだい、聖者さまじゃないか。アンタらは客だよ。中に入ってくんな」


 かつてのトラウマを呼び起こす程の咆哮(ほうこう)は、どうやら勘違いから出たものらしい。本当に勘弁してほしいと思う。ブレイメルの傷は浅くはないのだから。


 それから、店の中に歓迎されたものの、安心からはほど遠い気分にさせられた。店内は夜のように暗く、光源は出口とカウンターに設置されたランプのみが頼りで、あとは木窓から微かに漏れる光のみという有り様だった。一体何がここまでさせるのか。詳しく聞くべきか迷っていると、オリヴィエが品物を片手に問いかけた。


「随分と物々しい様子ですね。まるで、盗人を警戒されてるかのような」


「まるで、じゃなくてその通りさ。こんなご時世で真っ先に狙われるのは、武器か食い物だからね。最近はコソ泥が増えてまいってるんだよ」


「……やはり、新たな治世は芳しくないのですか?」


「ハッ。あんなもの、治めてるなんて言えないね。そりゃもう下の下。そこら辺の鼻タレ小僧にでもやらせた方が、なんぼかマシってもんさ!」


「そこまでに酷いのですか……」


 店主の話によると、あらゆる税率が倍になったらしい。直接、間接税の隔てはない。さらには新税も次々と課されてしまったそうなのだ。そこまでして集めたお金の使い道も公言されているらしく、それがまた火に油を注ぐのだ。


「後宮だってさ、コーキュウ! 辺鄙な所に豪華絢爛(ごうかけんらん)な宮殿を建てたくて金をかき集めてるっつうんだから、ふざけんじゃないよ! アンタもそう思うだろ?」


「確かにそれが事実なら、神をも畏れぬ所業だと言えます」


「新国王(アレ)は目立ちたいのか知らんけどさ、しっかり宣言してるよ。『過去に例のないほど豪奢な宮殿を建て、世界中から美女を集めて住まわす』んだとさ。まったく……前王陛下は立派な方だったがね、教育はお上手じゃ無かったようだよ」


 オリヴィエはその間も、必要分の食料を棚から手に取り、会計を願い出た。提示された額面は、普段よりもずっと高かった。それこそ2倍と言っていいくらいに。


「だいぶ高く感じたろう? 悪く思わないでおくれ。これ以上値下げしたら、こっちが首くくんなくちゃならなくなる」


「いえ、心中お察しします。恐らく、可能な限りお安くしていただけてると感じました」


「アンタはほんと、良く出来たお嬢ちゃんだよ。それはそうと、王宮の連中には気をつけな。嬢ちゃんはとびきり美人だから、あっちゅう間に攫(さら)われちまうよ!」


「レインさん。私はとびきりの美人だそうです。そう思われますか?」


「そこで僕にふるの!?」


「アンちゃん、ここで逃げるのは感心しねぇな」


「ちょっとグスタフ?」


「そうだよ聖者さま。優柔不断な態度は誰も幸せにできないんだよ」


「いつの間にか味方が居なくなってる!?」


 全員の視線が突然僕に集められた。どうしてこうなってしまったんだろう。僕たちはただ、食料を買い求めに来ただけなのに。


 質問に対する答えは、またもやイエス・ノー形式だが、昼間の時と同様にどちらを答えても問題がある。イエスと答えたら、またきっとオリヴィエが変なことを言い募るだろう。ではノーと答えたらどうなるか。それもダメだ。この場にはそれを選ばせない空気が張り詰めているし、強引に答えてもオリヴィエが拗ねてしまう。いつぞやのように、回復薬を片手に『私は所詮この程度』とブツブツ呟かれては困る。


 進退窮まった。時間が経つほどに答えが難しくなる。考えあぐねていると、これまでの訓練が頭をよぎった。避けて討つ。それは何も戦闘時だけの話では無いはずだ。日常茶飯事にも活用できるかもしれない、そう閃いたのだ。そして、意を決して問いに応じた。


「ええと、美人だと思うよ。うん」


「そうですかそうですか。では今後は情熱が先走って私にアレコレしてしまいますね。あぁ神よ、我らが若さゆえの過ちを許したもう……」


「でもね! 僕もホラ、修行中の身だよね。だから禁欲に勤しまないと!」


「……そうなのですか、グスタフさん?」


「いや、別にオレはそういうのに五月蝿く言わねぇが」


「ううん! ううん! 僕は生真面目だからね、そっちの話はお預け! わかった!?」


「なるほど。修練を持ち出されてしまうと、私に追求する手段はありません。ところで全く関係ない話なのですが……」


「う、うん。今度は何?」


「特に脈絡ないですけど、私の頬をナデナデしてはみませんか?」


「本当に脈絡がないよね!?」


 ここで女店主が手を打って笑い始めた。心から愉快そうであり、終いには腹を抱えてしまうほどだ。呼吸の荒さのせいで、何かを言おうとしては口ごもる。そんな事をしばらく繰り返し、息が整いだした頃、ようやく途切れ途切れに言葉を発した。


「いやぁ、笑わせてもらったよ。ありがとうね。ここんとこ塞ぎ込むような話ばかりでさ、気が滅入ってたんだ」


「ご気分は晴れましたか?」


「お陰様でね。またこんな風に過ごせる日が、早く戻ってきて欲しいもんだよ」


 その言葉にはハッとさせられた。きっと彼女は鬱々とした毎日を過ごしているんだ。それこそ笑い声をあげることすら珍しい程に。どれほど辛い思いをしているのか、想像するに難くない。


 僕は改めて世界の窮地を知ることになった。そう、暗黒時代の幕が開けたのだ。

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