第19話 茸を甘く見てはいけない

 きっかけは些細な言葉からだった。僕が慣れない長剣を眺めて「早いうちに扱いを覚えないとな」と呟くと、オリヴィエが「訓練所に通いますか?」と返した。何でも300ディナほど払えば、1ヶ月間ほどみっちりと鍛えて貰えるらしい。有難い話ではある。それでも気軽には出せない額に難色を示した。


 すると、そんな僕を見た彼女はこう言った。


「では、グスタフさんに習ってみてはいかがでしょう?」


 思い返せば、ここで断っていれば良かったんだ。だけどこの時の僕は、後に待ち受ける面倒事を知る由もなく、提案にまんまと乗ってしまった。


 普段グスタフは人里離れた森深くか、山奥で研鑽を積んでばかりいるのだけど、この日は不運にも街中で姿を見つける事ができた。しかも、僕たちの一方的で厚かましい提案も二つ返事で快諾されてしまう。彼が言うには、洞窟で受けた借りを返したいらしく、謝礼や授業料なんかも要らないとの事だ。 こうして彼の愛用する森の訓練場へと招待された。運命を止めるキッカケのひとつも与えられないままに。


「さて、ようこそ大自然の修練場へってね。ここなら好き勝手に騒ぎまくっても平気だ。文句を言う奴なんか一人も居ないぞ!」


 グスタフが快活に笑った。彼の言う修練場とは名ばかりで、確かに拓けた場所ではあるけども、それらしい施設はひとつもない。珍しいものを挙げるとすれば、組手用と思われる丸太が地面に突き立っていることくらいだ。他には本当に何も設置されてはいなかった。


「さて、指導する前にだ。ステータスカードを見せて貰って良いか?」


「う、うん。構わないよ」


 僕は言われるがままに差し出した。グスタフはしばらく眺めると、小さく呻き声をあげた。それが何を意味するのかは分からないけど、役職(へんたい)を見たからで無い事を祈るばかりだ。


「アンちゃんは華奢な見た目にそぐわず、そこそこ頑張ってるんだな。武術が2.32なんて想定外だったぞ」


「毎日のように魔物と戦っていたからね。そのお陰だと思うよ」


「そうかそうか。魔法適性は隠密だから、鍛え方次第では立派な暗殺者(アサシン)になれるかもしれないな」


 努力を認められたのは嬉しいけど、暗殺者という単語には複雑な気分にさせられた。どうして僕は現在も将来も日陰者から抜け出せないんだろうか。これが仮に運命だったとしたら、もう少し案配というか、手心のようなものを加えて欲しかった。


「さてと、お喋りはこのくらいにして、腕前を見せて貰おうか。良いと言うまで剣を振ってみてくれ」


「えっと、こうかな?」


 振れと言われてもまともな型なんか知らない。だから考えなしに頭上に構えて、そのまま力強く振り下ろした。剣が重たい。反動で体が前のめりになるのを堪えるのに苦労した。


 その間グスタフは、僕の動きをあらゆる角度から見ていた。まずは正面。それから少しずつ弧を描くようにして回り、背後でしばらく足を止めた。眼光は震え上がるほどに鋭い。その重圧は視界から消えた今も、内臓を鷲掴みにするような迫力が感じられた。


「よし、もう良いぞ。だいたい分かった」


 制止の声が聞こえた頃には、額に汗をかいていた。腕も怠さを訴えている。やはり長剣は身の丈に合わないものだと痛感させられた。


「思った通り基礎がなってないな。軸がブレすぎている」


「軸って?」


「体の中心線だ。その傾きが大きいほど、隙を生みやすくなると言える」


「そうなんだ。それはたぶん、剣が重いせいだと思う」


「言い訳だな。戦槌くらい不釣り合いな大得物なら話は分かるが、長剣程度では理屈が通らないぞ」


 歴戦の猛者に言われてしまっては返す言葉も無い。彼には僕とは比べ物にもならない知識と実績がある。つまり、ひとつひとつの言葉に裏付けがされているのだ。少なくとも、そう思わせるのに十分な説得力が感じられた。


「ありがとう、僕は戦いの事を全く知らないから、色々教えてくれないかな?」


「構わんぞ。オレはその為に引き受けたんだからな」


「本当に助かるよ」


「それはそうと、指導する前に聞いておきたい。アンちゃんは戦闘で一番大事なものが何だか知ってるか?」


 この問いかけに僕は迷った。答えようにも心当たりが多すぎるのだ。腕力や技、上質な装備に戦法やら戦略とか、数えきれない要素が脳裏に浮かんでは消えていく。どれもこれも重要に思える。その中で一番とは何か、僕には分からない。悩んだところで結論なんか見つかるワケもなく、とりあえずは思いつきで回答した。


「やっぱり腕力……かな? どんな武器でも扱えるくらいの」


「なるほどな。嬢ちゃんはどう思う?」


「そうですね。信仰心に勝るものが、果たしてこの世にどれ程あるのでしょうか」


「わっはっは。そうきたか。ちっと無粋な質問をしてしまったな。それはさておき、聞きたかったのは別の言葉だな」


「じゃあ、答えは何だって言うの?」


「それはな、これだ」


 グスタフは片足をあげ、それを指差した。彼の真意が全く伝わらず、僕はもちろんの事、離れていたオリヴィエでさえも歩み寄って眺めだす。


「もしかして、良い靴を探せという事でしょうか?」


「だったらマジックアイテムを買えば良いのかな」


「いや違う。答えは爪先だ」


「爪先……?」


 覚えの悪い生徒が同時に囁いた。どうやらオリヴィエもピンとはきていないらしい。当然僕も同じだ。剣士も騎士も足技で戦え……という意味では無いにしろ、何が言いたいのかは全く理解できなかった。


「さっき触れた軸の話にも通じるんだが、戦いで最も重要なのは足さばきだ。これがヘタクソだと、避けられない切り込めないという散々な結果になってしまう」


「爪先がそこまで重要なの? 足そのものじゃなくて?」


「足を使って動こうとすると、必然的に踏ん張ってしまう。それじゃあ遅すぎるんだ。戦闘中は目まぐるしく状況が変化する。だから判断したその瞬間には飛んでなくちゃ間に合わない。それには爪先で素早く、小刻みに移動する技術が必要不可欠となる。大きく避けると反撃の機会も見失うしな」


 そう言うとグスタフは左右に飛んでみせた。発言通り上半身が左右に揺れる事なく、自身の立ち位置を変えたのだ。


「ここで注意すべきは、いかなる時も型を崩さない事だ。前後左右のどこへ進んでも同じ姿勢でなくちゃならん。それは強敵とサシでの勝負はもちろん、集団戦でも変わらない」


「そうなんだ、勉強になるなぁ」


「理解してくれたか。じゃあ練習だ。剣を持ったままで前後に跳躍、まずは500本やってくれ!」


「ご……!?」


 彼はフランクな態度だが容赦は無かった。どうやらこれが教え方のスタンスみたいだ。


 それからは、より詳細な説明がされた。剣を構えたまま踵(かかと)を浮かし、前後に跳ぶ。それを繰り返せというのだ。試しに2度3度と動いてみたが、意外と難しい。着地が安定しないせいでテンポ良く続けられないのだ。


「軸を見失うんじゃないぞ。着地と同時に攻撃を繰り出すつもりで!」


 グスタフから指導が飛ぶ。頭では理解していても、実践するのは簡単じゃ無かった。そして回数を重ねる毎に疲労も溜まる。100を数える前にふくらはぎが痙攣しはじめ、踵が地面を恋しがった。飛距離も、子供の歩幅程度にまで落ちてしまう。


 息があがり始める。額はとうに汗濡れだ。更に両足などは痛みを通り越して、感覚を完全に失っている状態だ。いきなりハードな特訓には困惑すら覚える。だけど、何故か動きを止めようとは思えなかった。


ーー僕はどうして、強くなりたいのだろう?


 根本的な問いが浮かぶ。特別、必要に迫られている訳でもない。スライムや火トカゲ程度が相手ならば、油断しなければ戦えるのだから。だから大金をはたいてまで剣技を習うことを拒んだ。だからグスタフの訓練を途中で止めたとしても、結果は同じに所に落ち着くだけだ。


ーーなぜ、僕は……。


 強くなりたいのだろうか。これといった目標はない。ブレイメルの人たちを見返そうとも考えていない。ただ平穏に暮らせれば良いとだけ願っているのだから。


 それでも心の灯(ともしび)が消えない。願望は少しずつ、でも確実に肥大しているように思う。日々成長する事を渇望してしまう。だけど「では何の為に?」、と考えては答えを見失う。そんな自問自答で頭は膨れ上がっていった。


「よし、その辺で止めよう!」


 明朗な声が聞こえた。はじめのうちは事態が飲み込めず、ただ呼び声のした方を眺めるばかり。しばらくして、グスタフが終了の合図を出したのだと理解した。果たして自分が何回分達成したのか、全く分からない。記憶は途中から曖昧なものとなっている。


「いきなり500は無謀だったみたいだな。まずは基礎筋力や体力をつけて、体が出来てきた頃に、今のような修練を少しずつ始めようか」


「あの、僕は……」


「まぁ細かい事は気にすんな。始めから達成できるなんて思っちゃあいなかったさ。ところで、そろそろ腹も減ったろ? あっちで嬢ちゃんが昼飯を作ってくれてるぞ」


「う、うん。ありがとう」


 少し離れた所で、オリヴィエが鍋の用意をしてくれていた。その香りが鼻に届くなり、腹からは空腹感が押し寄せてくる。太陽の位置も既に高い。自分が考えている以上に、長い時間を訓練割いていたらしい。


 足はもう限界を迎えていた。だからグスタフに支えられながら、オリヴィエの待つ焚き火へと向かった。大きな鍋からは湯気が立ち上ぼり、よく煮えた具材が揺れながら顔を覗かせた。ヨダレが乾いた口の中に広がる。


「済まねぇな嬢ちゃん、手間をかけさせちまった」


「とんでもありません。むしろお礼を申し上げるべきは私の方です。食材をお借りしてしまいましたから」


「食材を借りたって……あっ!」


「私も失念していたのですが、食品を買い足しておりませんでした。お昼の分を街まで買い出しに向かおうとした所、グスタフさんから食材を分けていただけるとの申し出がありました」


「僕も忘れてたなぁ。うっかりしてた……」


「レインさん、ここ最近はずっと上の空でしたものね。無理もありません」


「そ、そうだっけ?」


「剣をいただいてからと言うものの、気にかけてばかりのようでしたよ」


「ごめんね、次からは気を付けるよ」


 目一杯に盛り付けられた木の椀が運ばれた。小さめの鶏肉と、刻んだキノコが具のようだ。汁は赤茶けていて見慣れない物だけど、一口啜ってみると声をあげてしまう程の衝撃を覚えた。


「美味しい! こんな味は始めてだよ!」


「気に入ったか? これはオレの田舎じゃ珍しくもない……ソという……味料」


「え? 今何て言ったの?」


「だから、ミソ……という……かしからの……」


 それ以上は聞いていられなかった。突然まぶたが鉛のように重くなり、目を開けていられなくなった。そして頬に殴られたような衝撃が走る。草と土の匂い。地面に倒れこんでしまったらしい。


ーーいったい、何が。


 僕が自我を保てたのはここまでだ。それからはまるで、沼にでも引きずり込まれるように意識がいずこかへと沈んでいった。


 どれくらいの時間が過ぎたろう。再び目覚めると、陽が傾きかけているのが見えた。身を起こすと頭がツキリと痛む。


「一体何があったんだ……?」


 鈍重な思考に鞭を打って、状況の確認を急いだ。目の前の焚き火は消えており、冷たくなっている。鉄鍋は空だ。しかし、完食した訳ではないらしい。鍋底には焦げ付いた食材らしきものが無数にへばりついていたのだから。これはきっと、火にかけたまま放置されたに違いない。


「もしかして、ネムリタケ!?」


 グスタフと出会った時の記憶が蘇る。彼は腹が減ったと、ろくに確かめもせずに、洞窟に自生していた茸を手当たり次第に食べたのだ。その結果僕らに救助されたという経緯があったのだけど……。


「あの経験から、何も学んでないのか……」


 僕たちは先ほどまで、消えた焚き火を囲むようにして眠りこけていたのだ。そしてグスタフは今も大イビキ。頼みの綱であるオリヴィエも丸くなって熟睡している最中だ。覚醒しているのは僕独りだけだった。


「この状況でどうしろと……?」


 結局のところ、襲撃を受けた訳でもグスタフに騙された訳でもない。単なる事故、食中毒だった。しかし、これはこれで大問題だ。この状況で魔物に襲われでもしたら、ひとたまりもない。むしろ今まで無事だったことは奇跡だと思えた。


「暗くなる前に焚き火の用意をしないと……いたたたっ!」


 訓練の疲労が抜けきっていない。足は歩く毎に激痛を訴えた。それでもどうにか枯れ枝を集め、夜の準備を終えた。これから文字通り寝ずの番が始まる。


「明日の朝までに目覚めなかったら、2人を担いで行かなきゃな」


 オリヴィエは問題ないにしても、隣の大男を運ぶのは骨が折れそうだ。どうやって運ぼうか。引きずるか、それともオリヴィエだけ背負って街に行き、助けを求めようか。いくつものアイディアを浮かべては、また考えるという事を繰り返して夜を明かした。


 翌朝、状況は一気に好転した。まずオリヴィエが目を醒ましたので、急ぎ治癒魔法(ヒール)をかけてもらったのだ。それでグスタフもようやく身を起こした。暢気に大あくびを晒しながら。


「あっはっは! すまねぇ、どうやらまた毒キノコを食っちまったみたいだな!」


 これが彼の釈明だった。笑い話では済まない失態であることを、全く理解していないようだ。この人に教わり続けて良いものか。そんな不安を抱かせるのに十分な事件は、こうして終わりを告げたのだ。




 

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