学園迷宮

人生

地下ダンジョン編

プロローグ

 0 闇へ




 信じられない光景が広がっていた。


 教室の床に、巨大な穴が開いている。

 どこまでも続きそうなほど深い闇が、口を開けている――


 まるでクレーターのようなそれは、どうやら地下へと続く入り口になっているようだ。

 隅の方に転がっている机や椅子の存在がここが教室であることを意識させて、妙な生々しさを醸し出していた。


「なん、すか……これ?」


 それは、これまで普通の男子高校生をやっていた縁科えにしな真代ましろにとって、接客業のなかで鍛えた表情筋を引きつらせるくらいには呑み込み難い光景だった。


「まあまあ、入ってみれば分かるわよ」


「えっ、入るって……、ちょっ!?」


 絡みつくようなその腕は、縁科真代を闇の中へと誘い込む。

 ジャージ姿の生徒の列に引き込まれ、真代は否応なくその闇に向けて歩を進めることになった。


 教室に開いた穴は思いのほか深く、緩やかな傾斜を描きながら地下へと続いている。

 最前列の生徒が行く先を、最後尾の生徒が懐中電灯で足元を照らす。しかしその光は頼りなく、闇の中に何かが潜んでいるのではないかという不安を生み出した。


(なんで俺こんなとこにいるんだろ……)


 振り返れば、懐中電灯の眩さの向こうに人工の照明が見える。教室。学校だ。それがこの場所と現実が地続きなのだと真代に意識させた。


(……帰りたい)


 そうしようにも、真代の左腕はがっちりロックされ振り解けない。それは包み込むような柔らかさとしっとりした微熱を伴って、不安以外の理由で真代の鼓動を加速させる。


「きゃー、こわいわ真代くーん」


(何なんだそのテンション……)


 白々しい悲鳴が反響し、前を歩く何人かの生徒会役員がこちらを振り返った。悲鳴の主は楽しそうに真代の左腕をきつく抱きしめる。まるで逃がすまいとするかのように。


 縁科真代は囲まれていた。

 前にも後ろにもジャージ姿の生徒がいて、彼らはまるでこれから襲撃でもかけるかのように金属バットや鉄パイプを手にしている。武装だ。どう見てもこれは武装である。

 そして左手には、そんな彼らを従える生徒会長が真代を拘束し、右側はメイドの格好をした小柄な少女が押さえている。


 ついでにいえば、少女のようにぬいぐるみを抱えた金髪美少年もいるし、平気で人殺してそうなスーツの人まで控えている。


 おまけに、この場所――真代の未来を暗示するかのようにお先真っ暗な地下道。横幅は2、3メートルあるかないかといった狭さだ。

 どこへ逃げればいいと言うのだろう。そもそも逃げられるのか。前にも後ろにも人がいて、なんだか息苦しい。


「…………」


 どこを目指しているのか、何をしようとしているのかも分からないまま、真代は白咲しらさき学園生徒会長・誘波いざなみ聡里さとりに連れられ、闇の中を奥へ奥へと進む。


 やがて多少は開けた場所に出たのか、エレベーターの中にいるような圧迫感から解放された。未だに拘束され、異様に距離の近い聡里の存在に心臓は激しく脈打っているが。


 ――不意に。


「っ」


 横合いから、光が差した。何かと思えば、聡里が携帯端末を手にしている。ディスプレイの明かりが彼女の横顔を白く照らしていた。


「この辺りで始めましょうか」


「始めるって……」


 戸惑う真代の横で、メイド少女が動き出した。

 最前列の懐中電灯が作る光の中に飛び出すと、彼女は背負っていたリュックサックを下ろす。


「……えっと、なんの儀式が始まるんですか?」


 少女はリュックから取り出したある物を、頭上高く掲げていた。


 ――なんの変哲もない、ポテトチップの袋である。


 かさかさと音を立てながら袋を振るその姿はまるで神に捧げる踊りのように見えなくもないが、


(なんだ……? この緊張感……)


 暗くてよく分からないが、周囲の役員たちに動きを感じた。何かを警戒するようにそれぞれ手にした武器を構える。


「来ました……!」


 前列で誰か叫んだ。


「数は二……三……四体!」


 来たって何が……、と真代が不安から逃げ腰になると、聡里が逃がすまいとその腕をよりぎゅっと抱きしめ、耳元で囁いた。


「真代くん、ちゃんと見ててね……?」


「は、はい……!」


 思わず返事をしてしまってから、だから何を? と真代は首を傾げ――光の中に飛び込んでくる小さな影に気付いた。


(なん、だ……? あれ……?)


 それは子供のような体格をしていた。人間のように見えた。しかし違う。尖った耳に大きな鉤鼻、肌の色は濃緑。ぎょろりとした目玉は赤い眼光を放っている。明らかな異形。


(ゴブリン……?)


 とっさに浮かんだのはファンタジー作品に登場するモンスター。それを表すのにこれほど相応しいたとえはないだろう。

 その数は四体。


 メイド少女が慌ててこちらに戻ってくると、入れ替わるように役員たちが前に出る。四体のゴブリンと彼らが激突した。


 飛び掛かるゴブリンを金属バットで殴り、鉄パイプで叩く。一撃で頭をかち割られ爆発するように四散するゴブリンもいれば、腕を抉られながらも果敢に飛びつきその勢いで役員を押し倒すゴブリンもいた。しかしすぐに他の役員に殴られ消滅する。


「なっ……」


 あっという間だった。闇の向こうから突然現れた怪物に驚く間もほとんどなかった。

 一瞬。戦闘が始まり、気付けば終わっていた。


 いや。

 本当の戦いはこれからだった。


「大きいの来ます……! 小さいのも複数……!」


 その声が合図だった。

 懐中電灯が奥の闇を照らし、前に出ていた役員たちが後退。真代の前方で控えていた二人の役員が両手を前に突き出した。奥から複数のゴブリン。


「ゴトーさん前に出て、中央ライト照射。前列四人、時間稼ぎよろしくね」


 聡里の指示に応じる声が方々から上がった。最後尾で足下を照らしていた少女が前に出る。一度下がった役員たちが彼女の照らす光の中に入り、突っ込んできたゴブリンの群れと衝突した。


 ――地響き。もう一つの光が照らす奥の方から、巨体が姿を現す。


 ゴブリンが人間の子供サイズなら、そいつは外国人バスケットボール選手だろう。黒い肌に長い四肢、痩身に見えるが引き締まった筋肉の塊だ。そしてゴブリンと決定的に異なるのは、その長い腕の延長のように握られた太い棍棒。あれで殴られたらひとたまりもない気がする。

 役員たちは着実にゴブリンを葬り防衛線を維持しているが、その間にも大型が――小型がゴブリンならこちらはオークとでも呼ぶべきか――ゆっくりと、近付いてくる。

 ゴブリンは倒しても倒してもまだ奥から湧いてきて、役員たちの動きからは次第にキレがなくなっていく。


 ……押されている。


「だ、大丈夫……なんですか……?」


「ちょっと数が多いわね、歓迎されてるのかしら」


 聡里はさらりと答えた。真代は逃げたくて仕方ないのに拘束されて動けない。おまけに心労のせいか立っているだけにもかかわらず体が重く、額にも汗が滲む。


「だけど――」


 と、聡里がまた一段と身を寄せた。防衛線はオークと接触する。


 その時だ。


「準備オーケイです!」

「いつでもいけます!」


 真代の前方で両腕を前に突き出していた二人の役員が叫ぶ。

 聡里が声を上げた。


「照準は大型、ライト集中! 前衛、散開! ――やっちゃって!」


 防衛線を保っていた役員たちが四方に……闇の中に散る。

 突然標的を失ったゴブリンたちの意識が方々に向けられ、オークもまた直射されるライトに怯んだかのようにその場で動きを止めた。


 そして――眩い輝きが、炸裂する。


 それは真代の前方にいた二人の手のひらから放たれた、閃光。

 闇を裂くように放たれ、光の中で花開いた。

 一瞬だった。


「なっ……」


 オークの上半身で爆裂し、その姿を消し去った。


(なんだ、これ……)


 ただただ呆然とするしかなかった。

 これまで普通の男子高校生として生きてきた縁科真代の常識は、このとき確かに崩れ去ったのだ。


(これが、『魔法使い』――)


 ――


(でも……)


 何なんだ、この状況は。



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